年が明けました。あけましておめでとうございます。
気がつけばこの観察記も30回を越えて、うどんの人がマメに取り上げてくれているおかげか、ハイクの人とかも幾らか読んでくれているらしく。
どこまで続けるか分かりませんけど、今年もひとつ。
一応、新年のあいさつ、終わり。
前回書いてからも色々あるらしく。まずは今さら感のある話題だけど取りあえず。
2chにハイクのヲチスレがあるのだが、どうやらそこで私とうどんの人を同一人物と思っている人がいるらしい。
想像力が豊かというか、思い込みが激しいというか。
確かにお互い考え方の方向性が似ている部分があると思うけど、ちょっと読めば別人だというのは分かりそうなものだけど。
今日ここを見てみたら、私以外にも[ハイク観察記]のカテゴリーで書いてる人がいた。
別にこのカテゴリーは私の占有カテゴリーではないので(結果的にそれに近い形になってるけど)、他の人が書いていても全然問題ないんだけど、書いてた内容が不思議だった。
ヲチスレに向かって「こうしたら?」と提案してるみたいだけど、なぜここでそれをやるんだろう?
直接ヲチスレで言えばいいのに。そのほうがよっぽど届く確率は高くなると思うけど。
前回以降ハイクを見ていると、相変わらず思い込みが激しい人が多いなと思う。
一応「ハイク観察記」としているから主にハイクから例を拾うけど、この「思い込み」ってのはネット上のいろんなところで見られるけどね。
観察記32にトラックバックされてたエントリに出てくる「某ユーザ」について、ハイクヲチスレでこういうのを見た。
これも「勝手ルール」で判断した結果だし。「ハイクは会話するところ」「基本が会話」という思い込み。どうしても「会話になる"こともある"し、そうじゃない場合もある」という考えには行き着かないようで。
場所変えてハイクについて語ってみてもこーゆー方向になるのはなんでだろうね。
せっかく「いろいろできる」ようにしてあんのに「あぁじゃないから、こぅじゃないから」とか言い出す。
なるほど確かに不思議だなと思った。
あまりにも自由すぎるとどうして良いか分からなくなっちゃう人ってしばしば見かけるけど、それみたいなものなのかな。
自分から敢えて制限を課して可能性を狭めることで、ようやく自分なりの使い方を見つけ出せるようにしてるとか。
そこから「自由」な使い方してる人にいちゃもんつけるってのは非常に残念なんだけど。
新年早々、自分から絡みにいってそれに反論されて「あの人はちょっと違うから云々」みたいにやってる人いるし。
挙げ句の果てに「話通じないから放っておきましょう」なんて呼びかけてる人まで出てきてるし。
もういっそのことmixiみたいにコミュニティ機能でも実装したらいいんじゃないだろうか。
やたらmixi毛嫌いしてる人をたまに見かけるから、そんなの作ったらその手の人はまたブツブツ言うんだろうけど。
でもグループ機能は持ってるから、無くは無いような気がするなぁ。