「実況論」は取りあえず置いておいて。
観察記32に対する反応で少し興味深かったものを。
あとこれも観察記29で書いたけど、ハイクの利用ユーザー数が増えたらどうするの?
極端な例えだけど、常に「実況」が行われているような流れの速さになったらどうするの?
下記は、上の文に対する反応。
やっぱそん時は「ハイク終わったな」とかゆーんじゃないかね?
API利用してデータ抜いて統計出して傾向を一言添えるのをやってるじゃん?あとおまつりアイコンを切り貼りして並べたりとか。
今なら全体見渡してなんかやり遂げた気分にも浸れる(観察記然り)つーか。
確かにそろそろ「全体」を見るのは難しくなってきたかも知れない。
見慣れないアイコンの人もどんどん増えているし、それに呼応してユーザー間のやり取りも多様化してそうだし。
私が「達成感」に浸っていられるのも今のうちでしょうね(笑)
でもお陰様でこの観察記を始めた当初感じていた「違和感」についても概ねのところで結論は得ることができた。
その辺は『ここ十数回分は「同じこと」言ってるし』というところに集約されるかもしれないな。
現状で「ハイクさいこー!」っていってる人らは今のローカルさ、輪の小ささ・少なさみたいなのに居心地の良さを覚えてるんじゃないだろうか。
ほんで、そこが「暗黙のルール」が広まり易くもある部分か。
逆を言えば、もっとユーザーが増えて輪が大きくなって広くなったらそんな「暗黙のルール」なんて通用しなくなるのかも。
通用しないとは言わないまでも、効力はだいぶ薄まるだろう。
そうなったら今現在のせせこましい問題なんてほんと「一部が何か騒いでら」くらいのほんとのせせこましい問題になるんだろうな。
そう考えたら「暗黙のルール」なんて言ってられるウチが華なのかなとも思ったり。なんだか滑稽に思えたりもしたり。
それはこれを書いてる私もまた然り。
結局のところwebの隅っこのチョコチョコっとした出来事ですから。
そう考えると色々と不思議な気分になる。
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