"生きてるだけで偉い!"って本気で言っている人の感覚が分からない。(ネタでなら俺も言うけどね)
前提としてそういう人らを馬鹿にしているわけじゃない事は言っておく。
例えば俺はトマトが嫌いだけど、トマトが好きって人を見ても「わかんねえな~」とは思うけど「はあ?やべー奴だなこいつ」とはならない、みたいなね。
(ちなみにこの”生きてるだけで偉い!”は自分の好きなアイドルだったりyoutuberだったり、そういったシーンで使われている場合を想定してる)
あんまりこの感覚を言語化できないんだけど多分以下がより集まってるんだと思う。
俺自身の「褒める」に対するハードルが高すぎるのかもしれない。
基本的に人を褒めた事がない。褒めるって上から行う行為な気がしてるから対等な関係だったり、関係が浅い時ってしないと思う。
例えば初対面の人間に「◯◯さん、これできてるの偉いですね」ってあんまり言わない気がする。俺は違和感を持つ。
こういう場合は「◯◯さん、これできるのすごいっすね」みたいな尊敬になると思う。
これをこの言葉に当てはめると”生きてるだけですごい”になるけど、いやあんたも生きてるのにすごいって何?って感じになってやっぱり違和感がある。
俺は昔からネットにどっぷりだったから「承認欲求アンチ」みたいな部分がある。
だから基本的には自分が納得できるようにしようという意識で生きてる。(もちろん俺にも承認欲求はあるから否定はできない)
それにそういう生き方が美しいとも思ってる。他人を気にしながら生きるんじゃなくて他人と調和しながらうまく生きていってその中で自分が納得できる事を成すのがいいんじゃないかなと思ってる。
だから"生きてるだけで偉い"に関しては「他人から評価されるために生きてるんか?」みたいな感覚になってしまってる。
もちろんこれは俺の俺に対する美学だから他人に押し付ける訳じゃないからそこに文句とかはないけど美学に反してるからこの感覚になっているのかも、という部分もある。
あとはやっぱり、当たり前に他の人ができていることを褒めるのは「君もそのレベルはできてるんだね、偉い偉い」みたいな感覚になって違和感がある。
なんか自分の好きな人間に対してのリスペクト低くね?みたいな感じがある。
もちろん肯定できる部分もある。
現代社会で精神的に苦しんでいる人たちがいて、そういった人たちがいる中で「あなたは苦しみながらも生きているのは偉いよ」というニュアンスを込めて使われ始めたのかな
と思ってる。
でもそういうのってやっぱり実際に苦しんでいる人に使う言葉じゃないか?
少なくとも一般人から推されるタイプの人ってもちろん色んなストレスや悩みがあるだろうけど金は稼いでるだろうし、ある程度の地位や名声もあるだろうし一般人が褒めるような相手か?
となる。
そもそも、俺らよりずっと上の人間なのになんで近しい人間みたいに感じてるんだろうな、みたいな推しとファンの距離感みたいな部分も違和感を感じてしまう。
最近揚げ物がキツいんだよな 歳かなぁ
トマトだって、生産者の人が 毎朝様子を見て、 水をやって やっと実になるんだよ???