2022-06-20

誤解を産む発言自体NGにする世の中と発達障害

発達障害の人に「発達障害の人とどう関わったらいいですか?」と聞くと「関わらないこと」と返される。これは残念な気持ちにはなるがよく聞く話である

しかし実際には、互いに全く関わらないということは不可能である。お互い生きていかねばならない以上、勉強をし仕事をする。その中で関わりを全く断つことは互いに不可能である

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さて、世の中では「意図していなかったとしても、誤解を生む発言をした時点で罪である。」という言説がある。事実弁明として「そういう意図ではなかった」はもはや禁句とされている。意図していなかったことが真か偽かはほぼ焦点にならない。そういう表現をした時点で罪になる。

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発達障害の人(もちろんグラデーションのあるものだが)が自身に「関わるな」という1つの理由として、「意図せず怒らせてしまう」というものがある。いわゆる"無神経な言動"をして相手を怒らせてしまう、嫌われてしまうということである。それは言葉足らずだったり事実をあまりにも突きつけてしまったりすることで起きてしまう。これは本人も非常に悩んでいる部分である相手が怒ったのは分かるしとても印象に残るが、なぜそうなったか理解できない。なので彼ら彼女らは膨大なケーススタディ要求されている。やむを得ず"共存"するために。

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自分障害を持っていることを必ずカミングアウトさせることは、モラルに反していると思う。カミングアウトするかどうかは本人の意志であり、現実として存在する「差別」への対抗策としてその秘匿権はあって然るべきだ。ところで世の中は「誤解を産む発言自体NGである。さて、ここからが議題なのだが…

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「誤解を産む発言自体NG」とは、多様性を受け入れようという世の中で正しいことだろうか?相手発達障害である場合しょうがないと受け入れる?それをどう判別する?判別不能な状況のなかで、しかあなたが傷ついた事実は残る。そうしてその人とは距離を置く。彼ら彼女らは孤立する。「全く関わらない」ことは不可能なので、「集団の中で孤立する」という最もつらい状況が引き起こされる。集団の中で孤立しないために、最初から孤立するために「関わるな」と言うのだろう。というのは私の推測だが。

意図していない「誤解を産む発言」だったとしてそれを許容する世の中であれば、そういったことは多少は良くなるのではないか相手がどのようなステイタス(障害の有無やグラデーションの程度)を持っているか知るすべのないこの世の中で、「もしかして君は発達障害?」なんて言葉を浴びせる前に、「誤解を産む発言自体NG」という余りにも大きな「予防切除」を見直したほうが良いのではないだろうか。

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れい文章がかけない。文書がかける奴らに有利な世の中だ。私の考えはあなた方に届かない。悲しい思いだけを抱え、今日現実では口をつぐみ、口角を上げる。

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