2022-05-01

更年期のしわわ反省会

更年期のしわわ」一瞬で猛攻撃にあって消えたね。

それが更年期のひとに、「更年期」ってことだけで猛反発くらったので

更年期女性が中心であろう反月曜日のたわわの怒りを買ったけど、

更年期のしわわの最大の反省点は「更年期のしわわ」がおもしろくないことは明白だ。

月曜日のたわわ

更年期のしわわ

わわ

リズムが似ている以外の共通点がない。

ダジャレとしてのレベルが低い。

ひいてはユーモアがない。これが致命的。

「人を傷つけるのにユーモア必要か?」

という疑問には「必要」と答える。

なぜかというと人を傷つける言葉不快な人よりそれを面白いと思う人が多い分にはそちらのほうが勝つからだ。

誰かがどれだけ傷ついたとしても関係はない。みんな他人の痛みより自分面白いことのほうが大事から

多数決論理。これが民主主義

これはとくに思想信念関係がないところが平等であり残酷なところだ。

たとえばネトフェミブサヨネトウヨ、ここいらはすべて自称してきたわけでも明確な命名者がいるわけでもない。

自然発生ユーモアがあるから浸透した。

最近でいうとチー牛。これは命名者がいるし、あまつさえも明確なモデルもいるがもう誰も覚えてはいないし定着している。

チー牛も反対者はいたし残酷だと声はあがった。実際命名者はけっこう痛い目に遭っている記憶がある。でも、結果、そこそこの定着をみせてはいる。

なぜならチー牛という言葉が多くの人に腑に落ちてなおかつユーモアがあるからだ。もちろんおもしろおもしろくないの個人差はあるが、多数の意思としてチー牛はおもしろくて使いでがいい言葉として現在でも使われている。

翻って「更年期のしわわ」はどうか。

40代以降の女性が「月曜日のたわわ」の広告不快を示しているという記事から、「更年期」への連想。そしてたわわの反対として造語であるしわわ。どちらも共通キーワード老い単刀直入にいうと芸がない。プレバト俳句添削的にいうなら同じ意味の重複でありみるべきものがなさすぎる。

いいたいことや方向は正しい。だけど完成度が低いとただ不快だし反論をくらうと一気に沈んでしまうという悪例として胸に刻んでおきたい。

そう考えるとネトフェミ以降、ああい集団を呼ぶいい言葉がないままだし、ネトフェミ個人的には的確ではあるがおもしろさがない。

次は天才が現れるか奇跡が起こるのを待ちたいところだ。

  • 男にも更年期があるから全方位からバッシングくるやろ。 人工透析受けてる人をバッシングして仕事無くなった奴と同じやで。

  • たしかにネタとしてつまらなかった 小中学生みたいな

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