anond:20211007213504 の続き。
前回、被害者は日常のあらゆる事柄をを自身の被害に結び付けて考えていると締めくくった。
私は精神科医では無いが、加害者がある加害をしたとする。
例えば「ほのめかし」だとする。そこまでは外的要因でしかなく、次に受けた被害者が内的に、どのように受け止めるかにより加害化する。
被害者以外の人はその仄めかしを、何も感じずに通り過ぎるのだが、被害者は、自身の何かに結び付けて傷つけられたと感じている。
加害は加害として、本当にあるのだが、単に加害と受け止め何かに結び付けることを止めれば自身を傷つけることは無くなるはずだ。
人間の心のヒダは微妙なもので、そうしろと言ったところでそうならないのも人間だ。
私は元々傷つき易い面もあるが、全く気にしない部分もあり大雑把な方だので、この理屈を考えれば、加害をする者がいるのはある程度致し方ないとすれば、
加害とだけ受け止め、自身の何物とも結び付けることを止めなければ疑心暗鬼のスパイラルは止めどなく回り出す。
そういう人が他の人と上手く付き合うことなど不可能かと考えてしまう。
脳や精神の部分で自信は正常と思っているが、かなり中心を失っているとイメージして頂きたい。
これは自分が悪いのではなく、この犯罪はそれが目的であり、誰でも同じ目に合えばそうなるのだ。
「私は強いから大丈夫!」と思っている方でも、かなりぶれた位置にいるはずだ。
自分の脳だから、自分の脳が正常かを正常でない脳で調べたり考えるのは難しい。
集スト被害に遭いながらも自身を保っていると考えている方は、医師やカウンセラーといった専門家の意見も判断材料にしてほしい。
そして自分がどの程度、正常な頃と違うか差異を調べて納得してもらいたい。
それにより自分の物の見方のズレを、ズレとして受け止め正常な位置はどこかを把握しつつあらゆる事柄に当てはめる必要はあるように思われる。
それでも強烈なトラウマ、時間を掛けて作り上げられたトラウマのスイッチは入れば仕方の無いことだが、
日頃の鍛錬により、日常生活に支障のないようにはなるはずだし、少々の集ストは気にならなくなるであろう。
私が今述べているのは、集ストは妄想の産物であると言っているのではない。
加害は確実にあるのだが、本人が受け止めている何分の一かだと言っているのだ。
実際私の場合を例にすると、四六時中の監視は3交代でやっているのだろうし、家に居る時は、その間生活音を使い24時間ノイズに悩まされるが、
仕事をしている時は外に出ているし、一生懸命動いて仕事をしている時は何も感じない。
昼食や夕方の休憩になるとゾロゾロと集スト要員が昨日の何かをネタに仄めかしをして来るが、6時間の内数分を何回かに分け受ける。
これもどこまで加害で、どれが集スト員か明らかな物と、自分の疑心スパイラルからそう感じるものとがあるはずだ。
あまりに疑心スパイラルが大きすぎると、他人からも異常に映るであろうし、そこは冷静に考えなければならない。
加害がある以上、疑心の輪はできる。しかしその輪をなるべく小さく止めておくことが大切だ。
このエントリをお読みの被害者諸氏におかれましては、「ブレーキ」を自身で作り、集ストから始まる脳と精神の異常を食い止めて正常をお保ちください。
証拠を残さない前提の犯罪だから、無視することが最善の対処法で、その無視も、本当に気付かないようになれば病気部分は全快する。(続く)
被害者というのは毎日片時も休まず被害のことを考えている この様な日々を延々と続けていると、思考が偏り普通の脳の状態で無くなるのは不思議ではないのだが、 被害者は気付いてい...
anond:20211007213504 の続き。 「被害」「加害」という捉え方の違いで症状の重みが変わってくる 前回、被害者は日常のあらゆる事柄をを自身の被害に結び付けて考えていると締めくくった。...
【衝撃事件の核心】集団痴漢の合言葉は「1902」…埼京線の先頭車両に集まった卑劣な男たち(1/3ページ) - 産経ニュース https://www.sankei.com/article/20171217-CO3C4BKPTJKHZENJO6KCOIOO4Y/ 元保全...