京王線の犯人は交友関係があまりなく大人しい感じの人間であったという報道がありその特徴に共感する人をSNS等で多々見かけた。
思えばこの社会はそんな人を見えないところに追いやって成り立っているのではないだろうか。
受験や就活などのフェーズは「まともな人」を選別するためのふるいだろう。
公立中学に通っていた人は分かるだろうがガリ勉みたいな見た目なのに勉強もできないコミュ障で孤立している人間というのがひとりはいた。
次に勉強はそこそこできるが社交性や積極性に欠ける人間が就活でふるい落とされる。
だからその壁を突破してそこそこ以上の企業に入った人間はふと気づくだろう。学生時代にひとりはいた大人しい奴らを見かけなくなったと。
彼らは死んだわけではない。死んでしまった者もいるだろうが大部分は社会の片隅に追いやられひっそりと生きている。
男にとって社会的地位とは命の価値と等しい。社会的地位が低く金も無い男は尊厳すら与えられない。
どんな理由であれ一度この社会からドロップアウトしてしまえば落伍者として扱われる。
この手の犯行が男性によるものが多いのもそこが関係していると思う。
女性にも同じような環境に身を置いている人はいるだろう。だが女性の場合社会的弱者として扱われる。
一方男性の弱者は出来損ないと認定され本人の自業自得として無視されてしまう。
そうして社会から蔑まれ無視された人間が他人に優しくする道理は無い。
ふとしたきっかけで「プッツン」しあのような犯行に及んでしまう。
自分は別に犯人を擁護するつもりは無い。しかし加害者の彼のような人間は沢山潜んでいて、これからも似たような事は起こるかもしれない。
社会復帰のハードルを下げることか、コミュニティへの参加を促すべきか、解決策は見えないがそもそも彼らの抱える問題を分析しその問題の解消を目指すことは
私の自殺は肯定されますよね。 社会への絶望や恨みを他人に向けるか、自分に向けるかの違いだけですし。
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