2021-11-03

京王線ジョーカーの予備軍はこの社会に思っているよりたくさん潜んでいると思う

京王線犯人は交友関係があまりなく大人しい感じの人間であったという報道がありその特徴に共感する人をSNS等で多々見かけた。

思えばこの社会はそんな人を見えないところに追いやって成り立っているのではないだろうか。

受験就活などのフェーズは「まともな人」を選別するためのふるいだろう。

公立中学に通っていた人は分かるだろうがガリ勉みたいな見た目なのに勉強もできないコミュ障孤立している人間というのがひとりはいた。

そうした人間受験でふるい落とされる。

次に勉強はそこそこできるが社交性や積極性に欠ける人間就活でふるい落とされる。

からその壁を突破してそこそこ以上の企業に入った人間はふと気づくだろう。学生時代にひとりはい大人しい奴らを見かけなくなったと。

彼らは死んだわけではない。死んでしまった者もいるだろうが大部分は社会の片隅に追いやられひっそりと生きている。

男にとって社会的地位とは命の価値と等しい。社会的地位が低く金も無い男は尊厳すら与えられない。

どんな理由であれ一度この社会からドロップアウトしてしまえば落伍者として扱われる。

この手の犯行男性によるものが多いのもそこが関係していると思う。

女性にも同じような環境に身を置いている人はいるだろう。だが女性場合社会弱者として扱われる。

一方男性弱者は出来損ないと認定され本人の自業自得として無視されてしまう。

そうして社会からまれ無視された人間他人に優しくする道理は無い。

ふとしたきっかけで「プッツン」しあのような犯行に及んでしまう。

自分別に犯人擁護するつもりは無い。しか加害者の彼のような人間は沢山潜んでいて、これからも似たような事は起こるかもしれない。

社会復帰のハードルを下げることか、コミュニティへの参加を促すべきか、解決策は見えないがそもそも彼らの抱える問題分析しその問題の解消を目指すことは

犯行が起きてから被害を減らす対策よりかは有効なのではないだろうか。

  • 私の自殺は肯定されますよね。 社会への絶望や恨みを他人に向けるか、自分に向けるかの違いだけですし。

  • 落伍した負け組が悲惨な人生ならないと日本人の競争意欲が失われる 仮に京アニ事件の青葉を福祉が助けて青葉がまっとうな職業人になっていて事件が起きなかった世界観があったとし...

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