過去を脚色せずに振り返ることはできない。一般的にできないものなのかどうかわからないが、少なくとも私にはできない。
彼女がまるで弱い人間だったかのように思い出して、勝手に罪悪感を抱くのは、間違っているように思えた。
けれども、「事実」と「思い出」を比較して検討することはもはやできないので、私は手持ちの「思い出」のみを書き留めておきたいと思う。
ゆうなのことを思い出すとき、思い浮かぶのは二人が仲良く笑っていた場面だ。僕たちは喧嘩したことがない。
いつも仲が良かったのだから、もしも仲良く笑っていた場面のすべてを思い出すなら、それが僕とゆうなとの思い出のすべてだ。
一つの前提が真ではないことを何回でも思い出す必要があるので、今日も日記を書く。
僕たちには笑っていなかった時間があったことを、そして、その時空間を占める出来事の正確な記録を、何度でも刻みつけたい。
ただし正確さは僕個人では担保できないので、いくつものパターンを想定して物語を書くことでしか注意深くなることができないのである。
私の思い出の中にあるのは、「ゆうなを選べなかった」というあまりにも残酷な私の言葉と、そのあとの彼女の悲しそうな眼だ。
好きな人に裏切られることなど想定していなかった彼女の深い失望も、私の力によって傷つけたのだ、と思うための一つの解釈に丸め込まれてしまっているような気がして、
本当に吐き気がする。
もしかしたら、彼女は全く意に介していなかったかもしれないし、まあ少しは傷ついたかもしれないけれども、そこで別れを決意するほどではなかったかもしれない。
実際、そのあとも僕たちは、何度か会っていたのだから。
いつもあの眼が僕を責める。
なぜ、嘘をついてまであたしに近づいたの?
身体ばかり求めて散々あたしのことを利用していたの?
……そう言われても仕方なかった。けれども彼女は一言もそんなことは言わなかった。
残酷だったとして、もう今彼女が何も気にしていないなら、それこそ「経験値」として消化しているのなら、僕は一体何を気にしているのか?
ああ、思い出すのに、これだけの時間がかかる。
問題は2つある。
②彼女が覚えているとしても、僕のことをひどいやつとして覚えているだろう。
謝りたかった。
謝るという「誠実な」行動のためであれば、再び彼女の前に現れることが許されると思うようになった。
そうしないと苦しかった。
二度と彼女に会うことは許されないのだとしたら、生きるに値しない人生のように思えた。
自分が幸せであればいいので、彼女が僕に会いたいかどうかなど、どうでもよかった。
やっと僕の正体がわかった。ああよかった。
私のことを見つけてくれてありがとう。
それでもまだ、お前はいなくならないから、これからも日記を書き続けなければいけない。
「私に頼ってくれれば、よりよい方向に導けるのに」という臆見を正す人がいなくなってしまわないうちに、
僕/私はまっとうな人間にならなければいけない。
ヤボな事はゆうな