人間は日々ストレスに晒されています。中にはなんだお前ぶっ○すぞと言いたくなるような理不尽なものもあるわけで、そんなのをいちいち真に受けてたらやってられません。
そこで私が提唱するのが二つの精神。「終わってんな」と「草」の二つです。
「終わってんな」は主に、呆れ返るような局面で用います。学校で、職場で、バイト先で、サークルで、ゼミで、「なんでコイツらこんなにアホなんだろう」とか「こうすれば一発じゃん」とか「もっと効率よくやれよ」とか、思うことがありますよね。でもそれを口には出さない。正論がすべて事態を解決するわけではないからです。愚策でも愛想良く「そうですねそれでいきましょう」みたいにしないと進まないことだってあります。そういうときは「コイツら終わってんなぁ」と呆れながらやり過ごしましょう。
他にも有用な場面はあります。ニュースやネットなんかを見てると、日夜不毛な争いが繰り広げられています。けど、それに参入すれば自分も同じレベル。「終わってんな」と思いながらそっと目を逸らしましょう。
次に「草」の精神。「草」はネットスラングで、(笑)→笑→www→大草原、草というふうに変化していったものです。ですが草という字面から派手に笑っている様は想像しづらく、どちらかと言えば冷笑的な印象を受けます。諦念を含む笑い、といった感じでしょうか。どうしようもなく嫌なことがあったとき、誰かに叱られたとか、嫌われたとか、ミスをしたとか、そういうときは適度に落ち込んで、あとは「草」って思っとけばいいんです。
……と、ここまで書きましたが、これらを使うのにも注意が必要です。まず、これらは端的に言えば「対象を侮蔑し、自分を外野に置くことでストレスを受け流す」方法であるということ。これを表に出せば普通に嫌われますし、事態を好転させるものでもありません。
でも、それでいいんです。日々のストレスに真面目に向き合って何になるのでしょう。人間的に成長できるかもしれません。でもそれは、疲弊して精神を削ってまでやるべきことなのか。答えは人による、だと思います。向上心があるのならそれは素晴らしいことです。が、向上を強いる社会になってはならないと思います。
もうひとつ。本気で悲しいことにはこれは通用しません。彼女にフラれたとき流石に草では済みませんでした。なので、些細なストレスに対してこそ有用だと思っていてください。
こういう流体のような生き方は、真面目な人にこそ知ってもらいたいと思います。私もかつて、些細なことをずっと引きずるようなたちでした。しかし、この精神を編み出してからある程度楽になったなという気持ちです。そして、今のとここれで何か損をしたということもありません。真面目な人が損する世界で、誰かが少しでも楽に生きられたら、と思います。
どこのコピペかしらないけど年配の方っぽくておもしろい
たまに他人と共同作業することあるけど人間関係の付き合いってめちゃくちゃストレスの宝庫すぎる 挨拶の声が小さいとかあのとき手伝わなかったとか工具のしまい方が教える人によっ...