陰謀論者に陰謀論の布教をされまくって嫌になった人が、
陰謀論者と共通点がある人や意見を立て続けに陰謀論者認定していく方面で暴れるというものを目撃してしまい、
なんとも複雑な気分になってしまった。
陰謀論者はかつて私に陰謀論の本を勧めたことがある、したがって本をすすめる人間は全員陰謀論者である!
みたいなことを言い出すのは、もうそれはそれで陰謀論のようなものなのではないか・・
「陰謀論の」本なのが駄目なのであって、本というメディア自体を攻撃対象にしてしまっては、同類項になってしまいかねないと危機感を覚える。
とはいえ陰謀論の本をすすめる人間がトンデモなのはまた事実ではあるし、
何がまともな本なのかの定義も当然はっきりとしているわけではないし、難しい問題だ・・・
横やけどはーんそうなんかーはーん勉強になるわ
もともと引っ込み思案で、なにかと人の顔色を伺うような人間だった。
そして自分の場合は、自覚もしているけれど、特定の環境下で著しくパフォーマンスが下がる。
自分とは関係のない人のコミュニティに行ったり、大きく環境をかえたりすると、社会不安性のような、しどろもどろな感じになってしまって、今でもだけど、ずっとコンプレックスだった。
その結果、狭い世界の中で生きてきて、それまでは自分はそこそこなんじゃないかって思っていたけれど、ほんと全然だった。
なんかそれを最近思い知らされることが多くて、悲しくなって、ひととおり落ち込んでた。
でも人生は否が応でも続いてしまう、なんて体の良いことは言えてしまうくらいのメンタリティはあって、
そういうことも含めてすこしづつ受けいられるようになってきた気がしている。というのが今。
これまでの人生を振り返って、特定の環境下でパフォーマンスが著しく下がる理由を、自分なりに考えてみたのだけれど、「自分に対してどう思っているか」が、わからない状態でコミュニケーションをするのが、とても苦手であることらしい。
もっというと、人から悪く思われているんじゃないか、ということを常に考えながら会話している、なのですごく疲れるし、
逆に信頼をしている奥さんとか、親しい友人には、そんなことはまったくないんだけれど。
じゃあなんで自分に対してどう思われているのか、が気になって仕方がないのか、といえば、
本当の自分は根っこが醜いやつで、自己中心的という自己認識があって、自分を出してしられたくないから、
そして嫌われることによって、コミュニティにいれなくなるんじゃないかという恐怖心と
誰かに否定された自分を認めたくないという歪なプライドから、変なコミュニケーションが癖になってしまっている。
本当はいろんな人と、繋がりたいけれど、嫌われるのが怖くてどうしようもないのが自分。
だから変に意識をしてしまって、結果的にパフォーマンスが落ちるのではないか、という結果に落ち着いた。
なんだかいつの間にか、知らずしらずのうちにとっていた回避行動が、癖になって抜けなくなってしまったような、そんな感じがしています。
いやでも、違う、自分は本当は引っ込み思案じゃなくて、本当の自分は、もっとおちゃらけていて、おもしろいことを言うのが好きで、
でもだれかに否定されてきたり、ちゃんとできなくて、見放されてきて、その結果、人から悪く思われないことを目的にして生きているような気がしている。
家で寝とる
突然ブロックされたりブロ解されたり陰口叩かれたり。
もちろんTwitter経由で知り合った人と実際に仲良くやってるし有用な情報も時にはあるから続けているけど。
Twitterしてない時と比べたら楽しさは1割増になったけど、辛さは5割増くらいになってる。
本当はTwitter辞めたい。
大変申し訳ありませんでした。
なるほど、こういうことか。正直すまんかった。