2019-07-13

世の中のLGBTへの認識って多分ズレてる

 最近は『LGBT理解しよう!』とか『LGBTへの誤解をなくそう!』『LGBTにも権利がないとかわいそう』とか、主張するアライ(所謂ノーマルの人)が増えているように思う。そのこと自体は喜ぶべきなんだろうけど、少し心配な部分がある。

 自分とは全く関係のない世界人種の話だと思ってないだろうか、と。


 私の話をしようと思う。

 私は現在大学に通っている。女のバイセクシュアル自覚したのは1年程前のこと。

 高校時代までに好きになったのは皆男の子だった。だから普通に自分異性愛者だと思っていた。しか大学に入ってすぐの頃、唐突女の子が好きになった。戸惑ったしかなり悩んだけどそのうちに受け入れた。

 BL百合モノだと『男(女)が好きなんじゃなくて君が好きなんだ!』『好きになったのがたまたま男(女)だった』って展開は少なくないと思う。気分的にはそんな感じの状態だった。



 さて、つまり何が言いたいかっていうと、LGBTは皆が皆最初からLGBTではないということ。

 今異性愛者の人でも同性愛者、両性愛者、になるかもしれないということ。性別のズレに気づくかもしれないということ。

 それに限らず、唐突動物を好きになるかもしれない。無機物を愛すかもしれない。あるいは誰のことも好きではなくなるかもしれない。今(あえてこの言葉を使うが)"普通"だと思っている自分家族、友人、知人、自分でさえも実は"普通"ではないのかもしれない。私たちはあらゆる可能性を含んでいる。

 『LGBT理解しよう!』その言葉は嬉しい。ありがたい。

 しかし、そこに『自分には関係ない人たちだけど、可哀そうだから協力しよう』という思いはないだろうか。

 

 もし自分が同性を好きになったら。自分の娘や息子、友人が『同性のパートナーがいる』『自分は"普通"ではない』と言ってきたら。果たして受け入れられるだろうか。自分とは関係ないところでなら受け入れられた。でもいざそれが自分の身に感じられて、受け入れられなかったとしたら。そこの齟齬に苦しんではしまわないだろうか。自分の大切な存在否定してしまわないだろうか。

 

 ここまで語ってしまったが、恐らく当事者にならない限り身近に感じるなんて無理だと思う。理解できなくて当然なのだから。ただむやみに否定されないだけとてもありがたい。でも、『もしかしたら』という意識必要だと思うのだ。世の中が多様性を受け入れようとしている今、カミングアウトするハードルは少しずつ下がってきている。これまで秘密を抱えていた誰かや、これまで気づかなかった自分の心が、明日あなたの袖を引いて言うかもしれない。

『私、実は〇〇なの』

 それを、否定しないで欲しい。

 

  • anond:20190713143850

    でも自分の息子がキモくて金のないおっさんになる可能性があろうとなかろうと、そんなのはお構いなしにバカにしてしまうんですよねわかります

記事への反応(ブックマークコメント)

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