週末に行く飲み屋がある。
けれど今更あくせくしなくてもなんとかやっていける余裕はある模様。
なのでいつも非常に可愛がってくれる。
フード1品頼めば、漬物やら煮物やら、「余ったから」と言ってはサービスしてくれる。
なので毎週閉店まで、奥さんと二人、人の悪口や人生の愚痴を言い合う。
私は愚痴や悪口が好きだ。けれど、あくまでそれは会話のきっかけの1つであり、
どんな些細で身近な話でも笑い続けることで楽しく過ごすことが本来の目的である。
そのためにあれこれ考えて、気を遣うことが会話の楽しみだと思っているし、
逆にそういう要素が全く無い、サラリーマンが居酒屋で延々と会社への不満を言ってるような愚痴は大嫌いだ。
この奥さんも、調子の良いときはいい感じの「会話」ができるのだけれど、たまに「嫌な愚痴」
の時がある。昨日がそうだった。
このご夫婦には子供がいない。そして奥さんの実母を引き取って同居している。
重大な苦労はないけれども、些細な苛立ちは山のようにあるという。
私がどんな会話を振ろうにも、「いや、私もね、」と会話のボールを強奪し、
母親の話とか子供がいない話とか、自己顕示欲と負け惜しみ成分しかない話を、何度もする。
人は年を取ると昔話を何度も繰り返すという。
でも最近はこう思う。
会話にあたって楽をしようとしているだけだと。
過去の話であれば会話をテンプレ化しやすいし、口が勝手に動くから考える必要がなくて楽だ。
手っ取り早く気持ちよくなりたい人にとっては好都合な方法だし、そういう人は相手の話を聞いていない。
隠しているようで全く隠せていない人の浅ましさを見せつけられ、私は苦笑いでやりすごす。
浅ましさを隠せない低能な人間が楽している時点で、上質の会話は期待できない。あぁ、帰りたい。
いい感じで会話できてた人たちが、かまってアピール全開のテンプレトーク人間に変化する。
そんな状況を他の場所でも見てきた。
なぜだろう。距離感が縮まって、慣れや甘えが出てくるからだろうか?
それとも加齢による脳の萎縮?
なんにせよ、私にとってはせっかく見つけた遊び場が、そこにいるほかの人たちによって崩されたような気持ちになり非常に悲しい。
単純に、そのことで頭がいっぱいなんじゃないかな
俺も気をつけます