その人は、真面目で成績も優秀、周囲から敬意を表されている。
その人は、常に人に優しく、周囲を和ませ、耳を傾けさせる話術と相応の知識量を身につけている。
その人は、SNSでも才能を認められて多くの支持者を持っている。
誰から見ても非の打ち所がない。
機嫌が悪い時に人に八つ当たりをするなんて以ての外。
人の心の上に胡座をかいて弄ぶ真似だって、それに潮時が来たからといって掌を返すような真似だって当然しない。
ただ、「私以外の人間」には。
いつか、その人とこんなやり取りをした。
「言いふらせば良いじゃない!その人さんってこんなに嫌な奴なのよ、って!(ユーザー名)さんって実はこんな人間なのよ、って!」
ーそんな事、するつもりもない。しようと考えたことすらない。
「だろうね、だって私はお前がそんな事を絶対にしないってわかってて言ったのだからね!」
その人はこのやり取りを忘れている事だろう。
いや、このやり取りだけの問題ではない。
私に言った暴言も無意識の心無い言葉も、私に八つ当たりした時間も、
一晩眠れば綺麗に忘れる。
その人は私に「怒る事」を禁じている。
また、その人は私の「自分にされた事を覚え続けてしまう事」を嫌がる。
「だって、お前といると何だか私がどんどん悪い人間だと刺されているような気持ちになるんだもの」
その人という清浄な器官を清浄に、正常に保つためには私は余りにも異質だという事なのだろう。
気付くものなど要らない。
裏切り者は要らない。
誰よりもキリストを恨み、誰よりもキリストを愛し、誰よりもキリストを敬っていた。
それは私がその人に告白した日のことだった。
友達としていて欲しい
だが、確かに持っていたはずの慕情が、少しずつ黒く大きくなっていくのを感じる。私は少しずつ「ユダ」になってゆく。
以前その人に言われた言葉だ。
今もなお、言われた日からずっと私の心に染み付いてやまない言葉。
どの染みよりも濃く、深く染み付いてやまない言葉だ。
私はその人に訴えた事がある。
「消えてくれないんだ」と。
するとその人は私を睨みながら
「過去の私が言った事に、それを知らない今の私にどう責任を取れば良いというのか。どうも出来ないししたくもない。勝手に病院にでも行ってくれ。」
また、その人と犯罪者についての話になった時、その人が
「正しい倫理観を身につけて、ある日ニュースで痛ましい事件の報道を見て酷い、とか可哀想と思った瞬間に自分も同等かそれ以上のことをした事に気付いて絶望して欲しいよね」
と言った時、私はその人の片腹に刺すように返した。
私にとって責任も賠償も意味がなかったのだと、その時気付いた。
全ては自覚して欲しいがためだと。
その人の清らかさを信じてやまない人に知られたところで私の胸中の告白は意味をなさない。
その人に許され、その人の慈愛を甘受する私の抱える汚れた福音書が世間一般の倫理においてどれだけ異端かを、私は自覚している。
その人に許されているというだけで喜んで受け入れた幾多の我儘も暴言も、呑み込んだ怒りも染みこんだ異端の一頁を、ここに流そうと思う。
いつかその人がこれを見て、その清らかさを持って私の醜さと共に