まったくその通りだ。
育ってきた環境が違っていて夏がダメだったりセロリが好きだったりするような他人に物事を伝えるには、それなりの作法が必要である。
逆に読む方も、共通の作法で読み取れば、かなりの意思疎通ができるはずだ。
この作法が気に入らないのであれば、新しい作法(=表現技法)を作り出せばいい。
自然の美しさ、相手への恋心、人生の儚さ、いろいろなものを伝えるために、ふさわしい表現というものが文学を通して生み出されてきた。
戦争の悲惨さを伝えるような表現で書かれている文章は、(仮に書き手が他のことを考えていたとしても)
そう読み取るべきだ。
そう読み取れないのは、文章力が無いか、読解力が無いかのどちらかなのだ。
さらに、文章力も読解力も「技術」として確立しているものであり、ある程度までなら殆どの人間は身につけることができる。
それを怠ってきたのを棚に上げて、特殊な事例(しかも本件ではデマ)を持ち出して論点をずらそうとする。
「社会に出てから方程式なんて解いたこと無い」「海外なんて行かないから英語はできなくていい」とかいう阿呆と同じだ。
せいぜい同類たちで傷を舐めあっていればいいものを、Twitter とやらでわざわざ多くの人の目に晒すなど、害悪でしか無い。
子どもたちは、常識からちょっと外れたこの手の意見が大好きで、そして楽な方に流されやすい。
https://togetter.com/li/1218288 ネットで漫画や映画の話をしてると、びっくりするくらい内容を理解してない人がいるから、文章を読んで常識的な解釈をさせるっていう教育は必要だと思う。
まったくその通りだ。 育ってきた環境が違っていて夏がダメだったりセロリが好きだったりするような他人に物事を伝えるには、それなりの作法が必要である。 逆に読む方も、共通の...
それが多様な解釈を認めうるならわからんでもないが、正答をもとにした一様的な解釈のみを許しているからバカにされるし、読解力トレーニングにはならない。 国語のそういった問題...