給食を完食しない事は、せっかく子どもたちの為に給食を作ってくれている給食のおばさんを悲しませる行為だと、小学校教師に教えられた。
給食のおばさんに感謝しているかどうかは関係ない、給食を完食しない事は、給食を作ってくれることに対する感謝の心を実は持っていない証拠であり、人格が歪んでいる証拠だと教えられた。心では給食を作ってくれる事に感謝しているし、国語は得意科目だったから、「給食を作ってくれてありがとう」というタイトルで、作文用紙何枚でも感謝の言葉を述べられる自信があった。それでも、言葉で何を述べるかは関係ない、給食が20分で完食できなければ、心の底では給食のおばさんに感謝しておらず、自分が口先だけ上手い嘘つきに生まれた証拠だと教えられた。自分の言葉は全部ウソであると教えられた。
給食を完食する事はただただ苦痛だった。小2まで、給食を20分では食べられなかった。小2まで、小学校で楽しかった記憶があまりない。
小3の春ごろ、牛乳を飲まずに最後まで取っておき、残り5分で残っている食材をすべて流し込む技術を開発した。漬物も焼き魚もご飯も何でも牛乳で流し込んだ。
パンの日は幸せだった。牛乳と合う。ご飯の日は地獄。牛乳と合わない。小3から、ようやく小学校生活が楽しいと思えるようになった。
小学校高学年になると、知恵がついてきた。給食のおばさんは、給食を完食する苦しみを小学生に与えて喜ぶ人達だと思うようになった。であれば、人間にとって、最も苦しい「死」を自分が経験すれば、給食のおばさんは最高に喜ぶに違いない、と思うようになった。つまり、自分が給食室で自殺すれば、給食のおばさんは「ありがとう!ありがとう!ありがとう!」と言って喜ぶのだと信じていた。
あれから何十年、ようやく理屈が分かってきた。要するに、小学校教師が完食指導する際、生徒の怒りの矛先が自分たちに向かないように、給食のおばさんをスケープゴートにしたのだろう。教員とはかくも卑怯なものなのか。
これから、給食のおばさんになる人は、子供に恨まれる職業だという事を理解して欲しい。小学校教師が、あなた達をスケープゴートにして、生徒があなた達を恨むように指導している可能性がある。そういう可能性も考えて、給食のおばさん、になって欲しい。すべての小学校教師が善人なわけじゃない。小学校教師を疑ってかかって欲しい。あなた達に対して見せる子どもたちの笑顔、それ、きっと、全部、「笑顔を見せないやつは、人格が歪んでいる」と小学校教師が指導した結果ですよ。本当は生徒に恨まれてますよ。
このニュースを見た。まだこんなことやっているのか。一体何の意味があるというんだ?
完食指導をした、この女性教師に伝えたい。あなたはヒトデナシだ。あなたは人間として異常だし、仕事を通じて子供を苦しめた罪人だ。地獄に落ちて罪を償って欲しい。
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