昔は西原理恵子さん、ファミ通世代なら桜玉吉さんぐらいしかその手の人はいなかったような気がするが、今ではあのkadokawaとかが専門サイトを公開するなどだ。
数年前にダーリンは外国人ってのが出てきてから、そういうのが多くなってきたような気がする。
テルマエロマエのヤマザキマリさんも、テルマエを書く前は、イタリア人の旦那の家族を描いたエッセイ漫画を描いてたくらいだ。
挙句の果てには外国人のオーサイェークストロムさんが、日本での生活を描いたエッセイ漫画を描いているまでになった。
オタリーマンや猫のぽんた。挙句の果てには心療内科物までござれという状況だ。
私はそれまでは、特にエッセイ漫画についてこれといった思いはなかった。
むしろ、作者たちの生活を見るといった点で、気軽に読めるという事で楽しめてもいた。
しかし、こうもエッセイ漫画が乱立してきて、何だか白ける感じになってきた。
私が見たいのはその作者たちが、どんな創造の世界を見せてくれるかという事を考え始めてきた。
エッセイはあくまで現実がネタだ。西原さんはその現実体験がぶっ飛んでいるから、もうそのスタンスで行くとこまで行ってくださいといった感じですし、玉吉さんは鬱を経験し、それを幽玄漫玉日記に出てくるような絵柄で創造の世界を見せてくれた。ヤマザキマリさんは、旦那の研究を基にテルマエロマエの考証などでこれもまた創造の世界だ。
以上の3人は別格として、後発のエッセイ漫画は、どうもビジネスライクで描いているようにしか思えないのです。
特にそれで「自分はオタクです」という作者に対しては、どうもモヤモヤした気分になります。
オタクにも色々タイプがありますが、基本的には現実が大嫌いなのが多数派なのですよ。
そんな中で自分はこんな面白い体験&幸せな体験をしました!というのを見せ付けられても「はぁ左様ですか」としか言いようがありません。
まるでFacebookでどうでもよい投稿を見せ付けられたかのような、軽いめまいをしてしまいます。
特に外国人作家がエッセイ漫画描くのは、何だか手堅い「投資対象」一般層に対するビジネスの臭いしか感じないのです。
もっとこう「ラヴィアン」みたいに、ワンピっぽいのでもいいから勝負に出たら「外国人作家も侮りがたし」ってなるのかもしれませんけどね。