>「悪ではない、ただし広告とわかっていれば」
> 読者を騙してでもクリックが欲しい。だからこそステマは嫌われる。
わかる
> 広告で食ってる人間が広告であることを隠そうとしたり否定しようとしたり
(おそらくヨッピー氏にたいしてだろうが)少なくとも本文中に「これは広告である」というのがあるので当てはまらない
> ちなみに僕がPCデポだったらヨッピーの所属会社に通常の3倍の料金を支払ってヨッピーと手打ちをして、「実はPCデポはいい店だった」という記事を書いてもらう。
ちなみに僕がPCデポだったら清水の所属会社に通常の3倍の料金を支払って忖度して、「実はヨッピーはクソだった」という記事を書いてもらう。
> 自分たちが気に入らないと思ったものはたとえ顧客企業であっても容赦なく叩くということであり、そんな会社に仕事を頼む会社はいなくなる。
自動車に至っては爆破までされる始末
> PCデポ事件が、PCデポの競合会社の記事広告でないと何故断言できるだろうか。
(依頼人が一般人かつ報酬0を明言したので断言できるのは置いておいて)
「上記記事が、PCデポの記事広告でないと何故断言できるだろうか。」
> 読者はなんだか馬鹿にされたような気分になり、商品の魅力はとってつけたようにしか伝わらない。
> かつて間接的に一緒に仕事をしていた人間だろうと、自分の気に入らないことがあれば口汚く罵るし
「間接的に」と「一緒に」は同居しないと思うんですがそれは…
> 「記事広告であったとしてもPRと記事に入れないというヨッピーの方針に基づけば、なにか特定の会社や製品を批判したときに、裏でお金が動いてるんじゃないの?という疑いを持たれても仕方ないですよ」
「PR」ってタイトルに書いてないだけで記事広告であるというのは明確に文中にあるんですが…
「最後のオチで広告だとやはりちょっとガッカリするし」って言う文章と矛盾しません?
> PCデポの件は僕もちゃんと全部読んでるしあれがステマだとか全く思ってないです。
じゃあたとえとしては不適切だと思うよ…
主 語 が で か い