このエントリはボンバーマンジェッターズのネタバレを含みます。まだ見ていない人は今すぐ見てきてください。その後この増田を読むかどうかは関係なく今すぐ見てください。
さて、7つ目のボムスターをシロボンが与えられたとき緑色の光を発しましたが、アレと同じ色の光が作中で出てきたことがあります。
決死の覚悟を決めボンバーマンとしての使命を貫く瞬間、マイティが投げたボムの色がまさにあの緑色なんです。
そのボムの名は「サニティボム」、サニティ、つまりは正気という意味。
ですが、ゼロに残されたマイティの姿はまさに正気そのものだっのです。
人々の期待に応えるために自分を見失っていたマイティではなく、自分の大切な人を守りたいという思いに燃える、優しく気高いかつてのマイティだったのです。
ボンバーマンはボムスターを集めていくなかで、ボムスターを集めたことによる慢心、そして真のボンバーマンという栄光への思いに取り憑かれていきます。
シロボンも何度となくボムスターを手に入れる事を焦り、ボムスターを手に入れたことに驕っていました。
これは私の勝手な妄想ですが、7つ目のボムスターはその真逆の方向にあるのではないでしょうか。
手に入れてきた物に囚われず、栄光に目をくらませず、純粋に自己実現を求めていた頃の思いこそ、7つ目のボムスターなのではないでしょうか。
シロボンが7つ目のボムスターを手に入れたとき、その気持ちは純粋に今目の前にある世界の危機を見つめていましめ。
人を助けたい気持ち、人々を守るボンバーマンのあるべき姿でありたい気持ちが極限まで高まっていました。
そこに最後のピースとして、マイティが与えたモノが、マイティの弟であり、マイティが信頼するシロボンであることの再認識、つまりは自分ならば出来るという自信です。
人というものは自信がないと、様々な理論武装を固めてしまい、心が硬直してしまいます。
かつてマイティが己を見失ったのも、自分が心のボンバーマンに相応しいかどうかという事に迷い、自信を失ったからです。
そのマイティを救ったのは、シロボンの純粋な憧れの目、自分への絶対の信頼でした。
そして、物語の終わりで、マイティがシロボンに送ったものも、シロボンの純粋さひたむきさへの純粋な信頼なのです。
自分を真っ直ぐに信じることから生まれる、ある種の悟りのような状態こそが、7つ目のボムスターなのです。
さて話は表題へと移ります。この世界には悟りも悟りに対する無知すらもないと語る教えこそが般若心経です。
そのマントラに「ぎゃーてーぎゃーてはらぎゃーてーはらそーぎゃーてーほーじーそわか」というものがあります。
これは「行きなさい行きなさい彼岸に行きなさい、彼岸に行くものよ幸あれ」という意味だそうです。
これの意味を詳しく語ることは私には恐れ多くて出来ません。
それはさておき、この言葉が7つ目のボムスターと近しいものように私は感じるのです。
7つ目のボムスターを手に入れよう手に入れよう、手に入れた者こそが真のボンバーマンなり幸あれ、どうでしょうか?
7つ目のボムスターを手に入れたボンバーマンこそが、真のボンバーマンです。
しかし、真のボンバーマンに執着していては7つ目のボムスターは手に入らないのです。
ですがそれは悲しいこととして描かれていません。
真のボンバーマンであるということは、そこがゴールであることを意味します。
今より自分を高めたいと願い純粋に日々を励む人生にこそ、曇りのない幸福があるのでは無いでしょうか。
今よりよい明日を信じて祈るように、ボンバーマンは日々7つ目のボムスターを探すのです。
そして、その境地に達した者が、ただ純粋にボンバーマンの使命感に燃え、自分の限界を引き出そうとするとき、真のボンバーマンとなるのではないでしょうか。
そして、その者が真のボンバーマンであるがゆえに、日々をよりよく生きようとする願いに応え、7つ目のボムスターは再び姿を消すのではないでしょうか。
ふと夜中に寂しくなり、唐突に子供向けアニメの考察をしてしまいました。
どうもお目汚し失礼いたしました。