なぜ日本企業の生産性が上がらないのか? 「効率化」が「人の頑張り」に落ち着く現実
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1703/14/news037.html
記事にある宅配の生産性の事だけど、宅配業者とビル自体を業務分担として繋いでしまうと、そのビルの入居者個人が持つ業者選択の自由がなくなる分、宅配業者の営利配分の自由裁量が増えるので、利用者にとって非経済的となるし、何かその会社で社内的な問題が起きた時に利用者が他の業者を選べなくなったりと、また日本特有の非合理で生きずらい要素が一つ増えることになる。
各ビルが自分達の責任で荷受け室を作ってそこからは各ビルで配達係を手配するか、住人が自分で取りに来るかどちらかの方法で管理することで、ビル内宅配中の事故対応など人件費的な宅配業者側の大きなリスクを軽減する。これ落としどころにならないかな?業者としても、業務の簡素化によって経営効率は上がるわけだし、それによって浮いた今までの人件費を効率化で少なくなった集配員に分配すれば、企業も今までの以上の利益を維持できるし、なによりも各集配員の地位が向上するので、各企業に人材が集まる効果も自ずと生じる。経営者の力量采配次第では、今までと違った方向性へ業務を発展させることもできるし、業界業務全体の効率改善へとつながる可能性も秘めている。
各日本国民の意思は、それらの非合理に対する費用を払うことで、家まで届けてもらうサービスの受け手の効率性を優先したいという事なのか?
日本の社会ではお互いがサービスし合う事(礼儀、絆、信頼、助け合い精神)で個人同士の関係が成り立っている面から鑑みると、それだけのサービスが日本における宅配業務には欠かせない要素なのだとすると、単純に業者が見合った費用を顧客に転嫁すればいいだけ。それが出来ない理由を考えればよい。
ちなみに、そういった日本特有のサービス精神の起源はどこだろうか?儒教の影響なのか?戦後教育なのか?農耕民族? 誰か意見あったら聞かせてください。
OMOTENASHI おもてなし
うらしかないということか?
中段付近の理由で、コンビニ受け取りですら面倒な気分のときもあるので。 特に退職後の人生を生きてる人は億劫でしょ。
プロテスタントの倫理がどうたら・・・ でも最近のサービス過剰は不況のせいで 設備投資したくない、じゃあ奴隷こき使おう 食べ物の代わりに感動を食わせよう、という至極単純な発...