2016-10-19

「女体=エロ」ではない

東京メトロ公式キャラクターイラスト性的から炎上した件とおっぱいコンテスト記事が同日にホッテントリに上がり、おっぱいコンテストの方に「何故こっちは炎上しないのか」などと言うコメントが目立つので書く。

「女体=エロ」ではない。

女体は女性その人の持つ体である

その人個人の持つ、体である

あるいは女性身体的特徴の傾向である

エロは、性的興奮だ。興奮は興奮する個人感情だ。

女体のエロは、「女体のこんなところに俺は興奮する」という個人的な表明の集まりだ。

「女体が『エロ』を持っている」のではない。

女体は女体でしかない。

エロ目線は女体に向けられることが一番多いというだけだ。

鉄道マスコットキャラ炎上したのは、エロのために生み出された技法を、エロくなくともよい場面で使ってしまたからだ。

モチーフ女性である」というだけで、エロくなくともよい場面で無闇にエロを持ち出すということは、「女体はエロのために存在する」と言っているのに等しい。

飛躍かもしれないが、こういったメッセージはいやというほど巷に溢れかえっている。

おっぱい」と聞けば育児中でもない限り「エロ」を連想してしまう。「胸」といえばフラットかもしれないが、「女性の胸」と聞くと「エロ」だろう。

だが女性の胸は、女性の胸でしかない。

女性個々人の「自分の体」が、他人性的興奮のための「エロ」として扱われてしまっているのだ。

女体をなんでも「男の俺から見てエロいからエロいものとする」視点は、女性には共感し辛く、「自分向けでない」と感じる。

鉄道という、性別で分けられていない、公共性の高い場でやれば「男性を優先します」というメッセージになってしまう。

一方、おっぱいコンテストは「女性目線で美しいバストを選出する」という前置きがある。

女性目線で」、これがあるとないとでは大違いだ。

女性括りというよりは「自身にとって」と言う方が正確かもしれない。

男性の、セックスしたい、見たり触って楽しみたい、配偶者として側にいて欲しい、という目線ではなく、

女性が、こういうバストになりたい、憧れる、理想的とするという、

自身にとって誇らしいかどうか」という目線だ。

これは「エロ」ではない。

ただの「女性の体」だ。

「女体=エロ」は男根主義だ。

「女体=女性である私の体」ならフェミニズム的になる。

これがこの二つの件の違いだ。

エロ規制するなら女体は一律規制されないとおかしいはずなのに、自分達のためなら見過ごすなんて都合が良い」

こう思った感性は「女体=エロ」にどっぷり浸かっている。

女体がエロいのではない。

「女体」に「エロのための強調表現が必ずついてまわる」状況が、「女体=エロ=男のためのもの」という価値観再生産することであり、差別なのだ

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