子供が生まれて気付いたのは、子供というのは極めて合理的かつ素直であるということだ。
一見おかしなことをしていたとしても、それには彼らなりの論理があり、それを正すルールを守らせる際も、それを守る理由を諄々に説いてやれば(制裁がなくても)大体は守ってくれる。
最近、子供たちが私の携帯を使ってツムツムをやるのが流行っている。問題となるのが、お互いのプレイに口を出してしまい、それがケンカに発展してしまうことだ。
このときも、お互いのプレイに口を出さないとすれば、お互い気持ちよくプレーできる上、殴られることもなくなる、ということを説いたところあっさりと解決した。
子供にまつわるトラブルのほとんどは、このように彼らにきちんと理を説き、納得させてやれば解決する。
息子と娘がケンカしているのをみて、私たちはどうしても、とっさに幼い娘をかばってしまう。兄に説く理は「お兄ちゃんでしょ」というものだ。
はっきり言ってこれほど合理性のないルールはない。年功序列という不合理な論理が通用しない彼らにとっては、兄妹は平等かつ対等であり、兄だから我慢しなければならないなどという論理は通用しないのだ。
ケンカが生じた場合、どちらかが完全に悪いということはない。話を聞いて、過失割合を算定し、何対何でどちらが悪い、と認定してやれば、大体相互に謝り合うことになる。
また、大切にしている皿を割った際など、私たちはつい感情的に「あんたはいつもそう」などと言ってしまう。
これはれっきとした人格攻撃だ。問題とすべきは今回の行為(皿を割ったこと)であって、子供の人格(いつも皿を割ってしまう傾向)ではない。
このようなことをもし口走ってしまった場合、子供にきちんと謝らないといけない。その上で、今後は注意してほしいと言えば、子供は分かってくれる。
それと、子供に納得のいかないことを強いる場合にも私たちはつい子供を叱ってしまう。
いま住んでいる地域が非常に子供の教育に熱心なところで、妻はその影響を受けて子ども2人に小学校受験を強いている。また、上の息子はすでにSAPIXに通わせている。
しかし息子の夢はバスケットボール選手であり、受験をする意味が全く分からない。
はっきり言って私も息子の言う通りだと思っている。さまざまな職業を見せてやり、将来なりたいものを決め、そのうえで受験が必要だと判断すれば、塾に通うことに合理性がある。
しかし、バスケットボール選手になりたい息子にあの辛い学習塾に通わせることを納得させるのは困難だろう。
これについて妻は塾に行きたがらない息子を日々叱りつけているが、おかしいのではないかと思う。
そう考えていくと、子供を叱りつけるということはほとんど必要ないことが分かってくる。彼らは非常に合理的なのだ。子供が故意に悪いことをした場合以外に、彼らを叱るときがあったら、何かがおかしいと思った方がよい。