今まで多くの人間を教えてきた中で、勉強ができる人間とできない人間の間に発見した共通点が一つある。
勉強ができるできないというよりは、その物事を習得できるかできないかの境界線といったほうがいいかもしれない。
知らないなら勉強ができないのだから当然だと考えるかもしれない。
では聞こう。
「あなたが習得しようとして諦めた分野に対し、あなたはどれほどのことを知っているだろうか。」
例えば英語はどうだろう。
ここにprepareという単語がある。
ここで大切なことは、意味がわかるとか発音がわかるとかということではない。
逆に、発音だけ知っているのでもいい。
ではエクセルの使い方ならばどうだろう。
あなたはどれだけの関数やエクセルの機能を知っているだろうか。
それを知ろうとせず、自分のやりたいことばかりを解決したりしていないだろうか。
今まで見てきた勉強が得意な人間は、何かを習得しようとした時に、とにかくまず知ることに徹するのだ。
逆を返せば、知りもしようとせず突然答えを求めてくるのは、勉強が苦手な人間だといっていいだろう。
習得には段階がある。
それは、「知る→わかる→できる」という段階だ。
しかし、勉強が苦手な人間は突然”できる”に達しようとばかりしてくる。
だからいつまでたってもできないし、できても忘れてしまうのだ。
例えばエクセルの数式一つを覚えたとしても、全体の関数を知らないから応用が聞かないし、エクセルに対する理解は一向に進んでいかない。
なぜなら、それはエクセルを理解しようとしたのではなく、その数式を覚えただけに過ぎないからだ。
ここで英語の勉強に戻るが、もし本当に英語というものを習得したいと思った時、あなたはどれだけ英語の全体像を知ろうとしていただろうか。
どれほどの単語と文法があって、会話にどの程度現れて、どんな場面で使われているか。
まずはそれを知ろうとせずして、英語を勉強としようとしたところで、それはただ、その会話や状況のやり取りを記憶したにすぎないのだ。
よく数週間から数ヶ月程度で英語が習得できるなどとする教材があるが、英語の全体像を考えればその期間では”知る”に達することすら不可能であることは明白である。
つまりこれは、英語の全体像を知らない、もしくは習得のために全体像を掴む必要が有ることを知らない人間を騙すための常套テクニックといっていいのだ。
それはそうだろう。
習得できないのをやり方のせいにして、やり方さえ変えればできると騙そうとしているのだから。
さて、これを読んでもう一度英語の習得にチャレンジしたいという人がいるならぜひはじめて欲しいことがある。
それは、わからなくてもいいからまず1ヶ月間、とにかくヒアリングだけを徹底的に行うということだ。
例えば10分~20分程度の文章を、できれば日常会話のように話題が展開していくものがいい。
それが終わったらはじめてその英文と和訳を目にしてもらいたい。
すでに音として知っているもに対する理解は、知らなかった時に学ぼうとした時とは雲泥の差だということに気がつくはずだ。
そのちがいを実感できたなら、一つ一つのステップを確実に習得しようとするのではなく、とにかくわからなくてもいいから教材を何周も何周も回ってみることをしてもらいたい。
そうすれば、これから学んでいこうとする全体像をつかむことができるし、一つの内容に対して、まるで網の目のように理解がつながっていくことが実感できるはずだ。
何を胡散臭い話をと思うかもしれない。
ではここで、例えば子供が言葉を覚えていくプロセスを考えてみて欲しい。
子供の周りには大人同士やテレビの中からなど、常に色々な会話が絶えないはずだ。
そうして、そこに言葉があることを知り、どんな言葉が使われているのかを知る。
次は自分で使ってみようとするはずだ。
その時はじめて意味を考え、時に人に尋ね、時に自分で使ってみて正しいかどうかを確かめる。
そうして繰り返すうちにその言葉は自分のものとなり、その時はじめて習得したといえるのだ。
これはどの分野でも同じである。
例えば仕事を身に着けたい時、その仕事にはどんな内容があるのかまずは一通り知ろうとすることが大切だ。
だれがどんな仕事をしているのか、それぞれの意味とは何かを考えればいいのだ。
そうすればいざ自分がその仕事を習得しようとした時、その結果に何を生み出せばいいのかも見えてくるはずだ。
人の性能はそれほど違いがあるものではない。
どんなに優れた人間でも、”知る”というプロセスを経ずして突然物事を習得できるはずはないのだ。
ときたま現れる突然習得できる人間は、何の事はない。過去に同様の分野を経験していて、それに置き換えているだけにすぎないのだ。
それならば、問題があるとすればそのやり方だ。
何事も勉強するのが苦手な人は、まずは”知る”に徹してみるといい。
今まで苦手と思えていた原因がすぐに分かるはずだ。
それは、自分が楽をしようとしていただけに過ぎないということに。
この文章、「知る」と「わかる」の違いの説明が抜けてない? 内容の理解はしないで単純に記憶に残すことを「わかる」と区別して「知る」と言ってるのかな?
知る →覚える 分かる→説明できる できる→使える と置き換えて理解した。
つまりこの文章を読んだ段階では「知る」という状態。つぎに書いてある内容を理解しようとして「わかる」の状態になり、書いてある内容を実践できるようになって「できる」の状態...