もう随分前の話。
友達(曰く付き)がUSJに行きたいと言うので、有給を取ってふたりで九州から行くことになった。
ついでに大阪観光もしようということになり、大阪城に行っていたときのこと。
駅を降りて、友達とふたりでぶらぶら歩いていた。人は少なかった。
すると、10メートルくらい先を歩いている男性が幼なじみにそっくりだということに気が付いた。
従兄の結婚式のときに10年ぶりくらいに会って以来10年くらい会っていなかった。
顔はもちろん背格好も幼なじみだろうと思われる。
「えっ?なんで?」
「こんなところで会うなんて偶然にもほどがあるだろう?」
ほぼ間違いないと思っても間違いの可能性も否定できないので、声をかける勇気がなかった。
向こうも気付いてそうで気付いてなさそうで。
この話は自分の中ではあんなところで偶然幼なじみに似た人と会った珍しい話で終わっていた。
人生の節目節目の大事な場面において運命的な出来事だとか方向性を決定付ける出来事があったりするものだから、
ある日、ふと「もしかしたらあの時の出会いは自分の人生において何か重要な意味を持っていたのではないか?」
という考えに至った。
人と人が出会うということの確率を考えたとき、あの時あの場所であの人に会う確率は天文学的な数字分の1だという思いもあって、そういう結論に達したのだった。
そう考えてしまうと、どうしてもそのことを確認したくてたまらなくなってしまった。
確認する方法はいくつかあったが、できるだけ自然に確認する方法はひとつしかなかった。
その幼なじみは俺の近くに住んでいる従兄と友達だったので、その従兄に尋ねてもらうことにした。
「もう随分前の話だけど、大阪城で増田と会わなかった?」って。
おそらくどうでもいい話の典型なのかもしれない。
「そんなに前に増田が大阪城で幼なじみに会ったかどうかなんて今更確認してどうすんのよ?」
「本人だったかもしれないし、ただ似てた人だったかもしれないじゃん。」
「もし本人だったとしても、それがどうしたって話じゃん。」
って言われた。
そこで、人生の節目節目の大事な場面において・・・なんて言ったら益々ドン引きされそうだったので、適当にごまかしておいた。
幼なじみは現在、外国で働いているらしく、従兄もなかなか連絡が取れないということだった。
ドン引きしながらも連絡がついたらそれとなく確認してみるということでこの話は終わった。
それ以来、気まず過ぎて従兄とこの話は出来ていない。