ボッシーで借金抱えた母親のところで小学校時代毎日ボロボロの服で遊んでいた。
どの程度ボロいかっていうと、靴やパンツやTシャツに穴があいてたりする程度じゃない。
穴ではなくて、裂け目である。正面から見てすぐわかる雑巾のような布をまとって、ちぎれても着ていたんだ。
汚れやシミはすごいし、布が見るからにくたびれた雑巾まとってたの。
靴も、親指とか出てる穴あきシューズを平気で履いていた。
当時、羞恥心というものがなく、性格も暗くてひとりぼっちな遊びしかできなかったけど、何度も危ない目にあったのはいまでも覚えてる。
一回めは、小学校の廊下で頭突きされたさい、顎を打って大出血したんだよね。
今考えたらぞっとした。
ぶつかってきた相手の子は下向きで忍者みたいに走るのがクセだった子で(なぜそんな走り方いつもしてるのかわからんが)ちょうど、俺の顎に下からズンって突撃したんだよ。
口腔内に裂傷がすごく、6針縫った。
今ならCTやMRで脳の損傷まで検査するけど、当時連れて行かれたのが、近くの歯医者だったのよ。
まわりの大人も、転倒して顔から血まみれになってる俺のこと見て頭の損傷まで想像もできなかった様子なんだよね。
一応、大阪住まいだけど、30年前の教師とかもう基地ばっかだったからしょうがなかったんだろうな。
その後、脳の検査もせずになんとか生き延びて無事だった。
いまでも思い出すとぞっとする。
2つ目が、時速40kmの車道のなかに飛び込んだこと。
小3の自分には人格の形成がまるでなくて、いやなものをいやと言えないくらい心が弱っていた。
「車道に入れ!」っていじめっこらに押されて飛び込まざるを得なかった。
あの時、クラクションの音がずっと響いてたのを振り切って全力で逃げたんだよ。
轢かれはしなかったけど、家に帰ってずごい泣いたな。
親にはなんで泣いてるのか理由が言えなかった。
後日、同じ場所で、猫が轢かれて死んでるのを見たことがあって今でもトラウマ。
いじめっ子に運動器の鉄棒を掴んでまたがる練習をしろって強要されて、失敗して鉄棒に腹をおもいきり打ち付けてしまった。
帰宅しても腹が痛くて、親に腹痛を言うが、親が正露丸を出すだけでそれを泣きながら飲んでた。
あれ、今思えば内蔵を損傷してたらひどいことになってたんだなってほんとぞっとする嫌な思い出。
4つ目は、帰り道、電柱に頭をおもいきりぶつけて痛くて痛くてズキズキした頭を抱えて帰宅したこと。
俯いて走れっていじめっ子らに言われて言われた通りにすると、電柱に激突したんだよ。
小3の頃の頭ってまだ、成長期だからやわいでしょ?
だから今考えたら、よく、あれで俺、死亡しなかったなって思う。
頭ぶつけた後で急死とかよくある話、本当に・・・笑えない。
昔の死にかけた思い出は、ほんと怖くてしょうがないよ。
一生残ってるだろう。
川崎の事件の加害者もこういう類のものなんだろうなって、亡くなった子のこと考えたら・・・つらい。
おれはなんとか、生きれたけど、本当、死ぬんだよね。
貧困家庭だから、ボッシーっていつもからかわれたり、いじめっれたし。
いまはなんとか成長して、収入を得られるように働いてるけど、