一番最初にそれが運営側と彼女たちの間での約束として本当にあったのかどうかは知らない。
多分、昔からよくある芸能界としての約束程度にはあったのだろう。
「恋愛禁止」という言葉をメディアに最初に持ち出して来たのは、間違いなく彼女たちだった。
まだほとんど売れていないころ、彼女たちはメディアに出ると、自分たちの自己紹介としていつもこの言葉を使った。
「人数がたくさんいるんです」
「恋愛禁止なんです」
そして、この「恋愛禁止」という言葉はとてもおもしろい響きを持っていた。
司会者は必ずこの言葉に食いつき、そこから話題を広げてくれた。
それはなんとなくあった芸能の世界の隠すべき部分を明確な言葉にし自らが発したところにおもしろさがあったからだ。
この言葉がおもしろい「ネタ」であることは彼女たちをたばねるプロデューサーが一番よくわかっていた。
彼はおもしろい「ネタ」を歌にすることで有名な人物だが、この「恋愛禁止」も彼はおもしろいと思っていた。
だからこそ、彼女たちの公演名にもこの言葉をつけたし、この言葉をつけた題名の歌までもがある。
そのおもしろさは、本来なら隠すべきものを明確に言葉にし自らが発するというところにあり、そして「ネタ」だった。
そしてこの力はとんでもない怪獣だった。
その力はコントロールすることができず、制御すらできないものだった。
その力は、まずは彼女たちに襲いかかった。
彼女たちは自らが発してしまったがゆえに、しだいにこの言葉に縛られていくことになる。
そして彼女たちを応援するファンと運営側もこの言葉に縛られていくことになった。
彼女たちメンバーとファンと運営がこの言葉に縛られれば縛られるほど、この言葉の持つ力は増していく。
メンバーとファンと運営がこの言葉に縛られ身動きが取れなくなればなるほど、この力は暴れだした。
売れ出していくと、彼女たちが望むと望まないとにかかわらず、そしてファンは誰も望んでいないはずの「国民的」という言葉が彼女たちにつけられることになった。
彼女たちに「国民的」という言葉がつけられたことで、彼女たちのことを快く思わない人の数もしだいに増えていった。
いわゆるアンチという人たちも数多く出現した。
そして、これらの人たちの恰好の攻撃材料としてその標的とされたのが、この「恋愛禁止」という言葉だった。
この言葉が力を持ち始めたとき、メンバーもファンも運営もこの言葉自体にどんどんと縛られていくことになった。
この言葉により身動きが取れなくなればなるほど「恋愛禁止」という言葉は外部からの攻撃材料としてどんどんと力を持ち出した。
その力は怪獣だった。
誰にも止められない暴れっぷりだった。
その暴れっぷりはとどまるところを知らず、そこからいくつもの悲しい事件を巻き起こしていく。
そして、この言葉の持つ力が頂点に達したとき、ある事件が起こった。
その事件は世間を騒がせ、あるいは世界をも騒がせた、とても衝撃的な悲しい事件だった。
そこにいたって、ようやくメンバーもファンも運営も気づくことができた。
それに気がついたとき、ある一つのことを成し遂げなくてはならなくなった。
この言葉がいったん力を持ち出すと、誰にも手がつけられないことになる。
だからこそ、この言葉から力を奪い取り、もう二度と力を発揮させてはならないということ。
それは完全に「スルー」するということ。
完全に「スルー」して何もなかったことにしてしまえば、この言葉は力を持ちえない。
もしもだ。
もしも「恋愛禁止」が何らかのルールとして存在するとして、そのルールを守る必要があるとしたならば。
それは何のためにあるものなのか。
それはメンバーとファンと運営のためだけに存在するルールであって、外部の人間にはまったくもって何の関係もない話だ。
もしもメンバーとファンと運営が何も気にせず完全にスルーしてしまえば、外部の人間は攻撃のしようがない。
そうするとこの言葉の力はまったく失われてしまうということに気がついた。
完全に「スルー」すること。
そうして我々はこの言葉から力を奪い取り、その力を地中深くに埋め込み、封印することに成功した。
さて、最近、恋愛禁止と言われているらしいあるグループのスキャンダルが発覚した。
そのグループからのスキャンダルが初めてだったこともあり、そして内容も内容だっただけに、ファンはとても衝撃を受けたと思う。
おそらくすごく動揺もしていることだろう。
その気持ちは痛いほどわかる。
だけど、一つだけ忠告しておきたいことがある。
それは、もう二度とあの恐るべき力の封印を解いてはいけないということだ。
この言葉の力は復活を虎視眈々と狙っている。
その力は怪獣だ。
一度暴れだしてしまえば誰にも止められず、誰にも制御できない。
その力は数々の悲しい事件を巻き起こしていく。
それはたった一つだ。