昔、こんな小説を読んだ。
近未来、すべての情報が国家の管理下に置かれ、有害な情報は人々の目に触れないように抹消される時代。その時代に一人のエロマンガ家が、この世でもっともエロいマンガ「華氏8710度」を描いた。エロさのあまり、それを読む男たちはみな精液を漏らしてしまう。直ちにそのマンガは禁書となり、紙ベースでもデジタルデータでも所持しているだけで処罰され、データは破棄される。しかし、この伝説のマンガを何とかして後世に遺そうと考えて勃ち上がる男達がいた。彼らは、マンガを人間の肌に彫り込むことによって、弾圧を免れようとした。そこで10人のうら若き乙女が背中を堺の職人さんに晒し、針が一本一本丹念に刺されていく……というあらすじだ。
長い間、この小説のタイトルも作中作のマンガと同じ「華氏8710度」だと思っていたのだが、ネットでいくら検索してもヒットしない。どんなにマイナーな小説でもタイトルがまったく検索にひっかからないというのはおかしい。ということは、記憶に間違いがあって、小説のタイトルは何か別のものだったのだろう。
残念ながら、作者名も、どういう媒体で読んだのかも、すっかり忘れてしまった。いま覚えているのは、上に書いた粗筋だけだ。
なお、作中に登場する「堺の職人さん」というのは、当時、テレビの通販でよく出ていた堺の包丁職人のパロディだろう。堺の包丁職人は包丁一本一本に丹念に名前を彫り込んでくれるのだが、この小説では、刺青の彫り師に置き換えられているというわけだ。
「華氏8710度」というのは、もちろんレイ・ブラッドベリの「華氏451度」の捩り。マイケル・ムーア監督の「華氏911」もブラッドベリの捩りだが、記憶にある小説を読んだのはそれより前なので、直接の関係はない。また、先に紹介した粗筋から、ブラッドベリの別の小説を連想する人もいるかもしれない。
「華氏451度」というのは摂氏に換算すると233度で紙が自然発火する温度だというのは有名な話だ。本当にその温度で紙が発火するのかどうかは知らないけれど、少なくともそれがタイトルの由来になっているのは間違いない。では「華氏8710度」はどうか。ざっと計算してみると摂氏4821度くらいだが、この温度そのものに特に意味はないだろう。作中では全く説明されていなかったが、「8710」という数字の並びを目にしただけで、関西人なら「ハナテン」と読む。これ常識。そして「ハナテン」を漢字で書けば「放出」。これも関西人にとっては常識だ。従って、このタイトルは射精を暗示していることになる。たぶんその解釈で間違いない。