だから僕は企業に雇われている。企業の目的(それは必ずしも利潤追求とは限らない)や存続というミッションに僕が貢献出来るだろうという見込みから雇われている。この間少しだけ給料を上げてもらったし、今のところはそう言ってもいいのだろう。自主退職を促すために案件から外されたりどうしようもなく退屈で苦痛の伴う作業を日がな一日やらされるなんてことも今のところはない。
僕は生きるためにお金が欲しいので頑張って働く。会社は僕がお金を稼ぐことに直接的なり間接的に寄与してもらえることで会社にお金が入る。win-winの関係が築けている。だから僕らは契約によって繋がり続けている。
僕が金を稼ぐことができないとか、企業の目的に寄与することができなくなれば、前述のような間接的な手段を使って自主退職を勧められるのだろう。契約の前提条件が割とハッキリしているからこそ、そうなりたくなくば僕は何をすべきか自ずとわかってくる。
精神的未熟者の恋というものは、異性に恋しているわけではなく、恋に恋しているというケースは多かろう。
恋というものをしたい、その目的を達成するには異性の相手が必要で、たまたま自分に興味を持ってくれてる相手だったり、破れ鍋に綴蓋とでも言うのか、自分と同じ程度の「ランク」で容易にオッケーしてくれそうな相手に恋人になってくれと頼む。相手が存在しさえすればその目的は達成される。
また、性欲のはけ口としての恋人を求める場合もあるかもしれないし、他の人間たちに「自分はこれほどまでに(高収入|容姿端麗|etc..)な恋人がいる訳であり、そのような恋人をゲットした自分は当然ながらゲットするに能う能力・才能を持ち合わせた人間なのだ」という事を説得力を持って伝えるためのアクセサリーとして求める場合もあるだろう。
恋人から配偶者へとランクアップする場合には、相手が家事を行なってくれるとか稼ぎを自分の方にまわしてくれるなどといった別の要素も相手に求められる。それらが満たされそうになければ結婚もしないし、それらのメリットを後々享受できなくなれば離婚もあるだろう。
もちろん一緒にいて楽しいとかなんだとかって相手のありのままを好きになる場合だってありうる。
けど何にしても上記のようないわば打算的な要素も入ってくるのではなかろうか。この大変な時代に愛そのものだけでどのような苦境も乗り越えられると思う人はそう多くあるまい。
とにかく、結局はこれも企業と社員の関係と同じく、互いの求めるものを提供しあえるからこそ口約束なり社会的な契約を結ぶことが可能なんだろう。
で、ここでやっと本題。
友達とは何を相手に求めるのだろうか?
当然一緒にいて苦痛でしかない人間とそのような関係を結ぼうとは思わない。何かしらのメリットがあってその人間と友達になるのだろう。
自分が頑張れば相手に金銭的な利益が生じる訳でもあるまい。同性の友達が、自分を性欲のはけ口として利用するわけでもない(異性でも同性でもそういうケースはあるだろうが、結局それは性欲によってつながっているだけだ)。毎晩家事をしてくれるわけでもない。
一緒にいて楽しい。多分これが友達という関係を結ぶ主たる理由なんだろう。
「俺たち、友達だよな!」なんて言い合える人間はすごいと思う。皮肉なんかじゃなく。純粋に。
相手の良さを見つけられるのはもちろん、相手の思う自分の良さを肯定出来るという事がお互いに出来て初めてそんな言葉が言える。そんな関係が結べる。相手の良さは見つけられても、相手の思う自分の良さに疑問があれば、つまりは相手に対しての猜疑心が生まれてしまったら、そんな関係は成り立たないはずだ。
今の自分と一緒にいて楽しいと言ってくれるのは、本当なんだろうか。今の自分と一緒にいて居心地が良いとか言ってくれるのは、本当なんだろうか。
僕は自分自身が嫌いでしょうがない。僕が他人の立場だったら、こんな会話を続けられるわけでもなく気の利いた事を話してくれるわけでもなく一緒にいても何も面白くなさそうな人間と、一緒にいたいだなんて死んでも思わない。
会話の引き出しもたくさんあるわけでもなくて、ただ相手の話をうんうんと聞いてるだけで、何か問われても意に沿うような返答もできない人間といて、何がたのしいんだろうか?
僕が、今の僕を、僕のありのままを、これでいいんだと言えるような人間であったならそんなどうしようもない猜疑心は生まれなかったんだろう。もっと彼ら彼女らの誘いに乗って飲み会に行ったり旅行に行ったり思い出を増やせたんだろう。もっともっと楽しい関係を築けたんだろう。
僕が幾度と無く断り続けているのに、僕を誘ってくれるのは何でなんだろう。何が目的なんだろう。
友達関係自体が利益となりうるので、あえて条件があるなら、一緒に居て気が合うかどうかでは。 まず少し話を進めて、共通項が多そう、などプラスの要素があれば、自然とその人との...