思い込みが激しすぎる、もっと自分を疑え、人の話を聞け、と1度でも言われたことのある奴は要注意だ。
一応注意を促しておくが、観念的な思考自体は別に悪いものではないぞ。
むしろ観念的思考を駆使することで初めて新たな発見にたどり着くことすらある。かのスティーブ・ジョブズは観念(コンセプト)から着想を得る達人であった。
問題なのは1つの観念への固執である。要は頭の固い馬鹿。思い込みが激しくて自分の考えをかたくなに曲げようとしない。これを頭でっかちと呼んでいる。
この問題を扱うにあたっては、なぜそんな馬鹿が生まれてしまうのかよく考えてみる必要がある。
そもそも人間の思考ってのは欲によって起動する部分が大なんだよ。それは何もご飯食べたいなって思考に限ったことではなく。
だから思い込みが激しい人ってのは欲への執着が強い。例えば、激しいコンプレックスを抱いている人。
あるいはまた、窮地に立たされている人。そういう人達は、自分を必死で守ろうとするから、特定の考えにしがみついて離れない習性があるのだ。
そう考えて身の周りの人間をながめてみると面白いよ。頭が固いのにはワケがある。
しかしながら馬鹿を面白がってるだけでは建設的じゃない。頭の固い人達は現に集団の足を引っ張っているのだ。
集団のなかに一人でも頭の固い馬鹿がいて、自説を声高にわめき続けていたら、どれだけ被害が甚大かおわかりだろうか?
ずばり答えは漫画の多読。漫画の多読こそがある種の馬鹿への特効薬なのである。
なぜって、文字と絵がセットになったメディアって漫画しかないじゃないか。
そりゃテレビ番組などで文字のテロップが出ることもあるけどさ、文字情報としてはあまりに少ない。あれでは少なすぎる。
漫画はほとんどのコマが文字と絵でセットになっている。ここがポイントなんだ。
文字というのはさしずめ思考、絵というのはさしずめ現実に相当すると思ってほしい。
文字と絵がセットになっていることで、思考と現実が照合されて、思考の歪みが修正される。お分かりだろうか?
このさい、作者の思想の偏りなどはどうでもいいことなのだ。
人間だから思想が偏っていて当たり前。問題なのは思想の偏りではなく、流動性の喪失。変わらなくなったら人間おしまいなんだよ。
変わるためには現実見ないといけないんだよ。思い込みに気付かないといけない。
現実は無限の多様性があるのに対して、人間の考えなんてちっぽけなものだ。我々はもっと現実から学ばねばならぬ。
その最初の一歩として、漫画の多読がこの上なく素晴らしい方法なのだよ。
なにせ全てのコマで文字と絵がセットになっている。しつこいようだがこれがデカい。漫画ってのは読めば読むほど頭が柔らかくなる。
もしそれが分からない人がこの世の中にいるとすれば、それは相当頭が固くなってる証拠だが、大丈夫。たくさん読めばきっと柔らかくなる。
似ているようで全く違うのがアニメだ。アニメも見方しだいでは脳への刺激になるが、あれは文字じゃなく音声だからな。
漫画一冊読むのにアニメ1話見るよりも時間がかからないが、文字数で比較したら漫画のほうが圧倒的だ。それは漫画とそのアニメ化された作品を比較しても歴然としている。
しかし漫画には、行間ならぬ「絵間」というものがあってな。コマとコマの間の出来事や、コマの外にある出来事を想像で補完しながら読む必要がある。
これがまた自分の信念を修正するのに効果的なのよ。時間かけて読む人ほどこの恩恵が得られるのは言うまでもない。
なるほどおまえは漫画を多読していないからバカなんだな。