2013-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20130121153242

問題文入手して読んでみたんだけど、

俺には小林秀雄の『鍔』より

そのあらきけいすけの文http://d.hatena.ne.jp/arakik10/20130119/p1の方が読みにくいぞ。


主題が途中でふら付いてるっていうのもまさにこのあらきさんの文のことだよ。

要らんこと書きすぎ。

具体的に言うと

そもそも大学入試学力を測るものではない。


入学試験とは学力を測る行為ではなく、学力ネタ足切りの線引きを行う行為である

東大京大に入った人は、学力があったから入ったというよりは、そのとき受験生集団、そのときに出題された問題に関して、点数がたまたまボーダーラインの上にいたというだけである。出題された問題によってボーダーライン付近人間はごっそりと入れ替わる可能性がある。もし本当に学力を測っているのならば、入学定員に関係なく「学力水準」を達成した人に入学許可を与えるのがスジであろう。教員教室をどう割り当てるかという経済的な理由があるから学力によらず毎年、一定数の学生入学させているのである


入学試験とは学力を測る行為ではなく、学力ネタ足切りの線引きを行う行為である

から良い入試問題とは、その大学のその年の受験生集団に対して、点数の分散が大きく、線引きが容易になるような試験問題である東大にとっての良問を岡山理科大に出しても誰も解けないし、岡山理科大にとっての良問を東大に出しても点差が付かない。自分大学の「身の程を知る」ことが良い出題の前提条件である

ここ全部要らない。

後段に繋がってないんだもん。

ここのせいで文章の目的とか、この人の入試に対するスタンスが一瞬わからなくなる、


その上で

小林秀雄にしても、小説牧野信一にしても、そのような文脈で60万人の人間に序列をつけ、線引きを行うために、

わざと分かりにくい、奇妙な文章を出題して、文章の構成要素を「文脈を斟酌して読み込む」技術の達成度を見ているのである*1。

これが解けて何が嬉しいというのであろうか?

段落と全く繋がってなくて流れ出読んでくるとマジで混乱するんだけど

まあ言ってることはいいとする。

しっちゃかめっちゃかな文章を批判的にではなく「とりあえず丸のみ」にして要素の解析を強要するのである

これでは将来、自分が作文をする段になったときに、事実を正確に記述し、合理的に論理を組み上げるトレーニングにはならない。

いや、センター試験国語問題の目的は「合理的に論理をくみ上げる作文力のトレーニング」じゃないだろ。

(前段では自分でも試験目的を「学力ネタにした足切りのための線引きだ」って言ってんだぜこの人。)

このような問題に対してハイスコアを目指すための勉強を18歳年齢人口の約1/2弱の子供たちが強要されている(といっても、真剣に取り組んでいるのは上位層だけだろうが*2)。

小林秀雄の文は別に悪文でも駄文でもない。

同じテーマについていくつかの例で話をしていて少しもふら付きが無い。

テーマは「Don't think feel」。

問題はどれもいくつかの例について簡単に内容聞いてるだけ。

これが答えられない馬鹿はどの大学にも入らなくていいだろ。

実にちょうどいい難易度だよ。


試験問題の悪い点としては本文よりむしろ本文後ろの注が全体的に馬鹿みたいなことばっかり書いてあってどうかと思う。

注のほとんどが

高校生程度が教養として知っているべきこと

・説明がおかしいこと(打刀の説明とか、これは「間違い」と言ってもいい酷い説明だし、少なくとも全く無意味な説明だ)

・話の流れでわかるから説明不要なこと

のどれかだぞこれ。

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