『プチクリ!』の理論(好き=才能、愛=理解!的な)に基づいて言えば自分には音楽の才能が無い。
少なくともジャズの才能はぜーんぜん無い。なんせコードとかわからないし。
いや習ったよ、大昔に音楽の授業で。つーか個人的にピアノのレッスンとか行ってたし。クラシックメインだったけど。
でもわからない。好きになれないから要らなくなって、要らないから生活から抜け落ちたって感じ。
コード進行に理論があるとか「は?」って感じる。なんのこっちゃと。
そんな自分にとってジャズは天敵。天敵っていうか理解不能すぎて入っていけない深い森のよう。
だったら迷子にならないようにジャズの森には近づくなって話になるだけなんだけど、この森なんだかデジャブな気がしてしようがなかった。
そうこの感覚はまるで何でもないおしゃべりのキャッチボールにおいて明後日の方向に暴投したり取れて当然の球を逃してしまって拾いに追っかけるときの。
なんつーの、ゆるーいダベりの場みたいな。
いや、そもそも音楽一般が聴き手の間に音楽なるものを共有させ一体感を生むようなブツでありその意味でコミュニケーションそのものなのはわかってる。
ロックで飛んだり跳ねたりドラムンバスで感覚セルフレイプしたりテクノ?系?のチルアウトものでスーッと血の気引かせて海底にゆらゆら横たわってみたりゴアトラで自己対話おっぱじめたりみたいなのと
明らかにやり方が違うじゃん。
ジャズっておしゃべりじゃん。シリアスネスはゼロか小さじ一杯程度の、会話それ自体が楽しいんですみたいなやりとりじゃん。
「耳にした会話でも晒そうぜ」スレとかに書き込まれる感じの「親愛とおふざけ、ときどきバカ」的な?そういうのじゃん。
そこには必ず誰かがいるじゃん。
not for ぼっちなミュージックじゃん。孤独なジャズとか本質的には語義矛盾じゃん?
演奏する側がいつものメンバーと一杯ひっかけてのナンバーだからって聴き手もそうじゃなきゃならんとは思いたくないんだけど、でもだったらこの閉め出された感は何なのだろう。
「閉め出された」感とか言って被害妄想全開だけどだったらこのジャズの楽しさをオノレの頭から閉め出すこの、このひっかかりみたいなもんは一体何なんだろう。
ピアノの鍵盤を叩くのは好き。PCのキーを打つのもだーい好き。議事録の書き起こしとか地味に好き。
没頭すんの好きなんだよね。
だからなのかしらん。他人の音聴いて即興で演奏ってのと相性が悪いのは。
他人の会話を聞いて自分が良いと思った答えを返しつつ全体として調和しているかどうかセルフチェックもしなきゃならないっていうその忙しい緊張とか和を乱してんじゃないか妄想との闘いみたいなものがうざメンドクサイし完全にキャパオーバー。鼻歌レベルでも参加できないって感じる。
横だけど、俺議事録とか発狂しそうなほど嫌いだわ。 逆に理論を理解したものに対して即興で色々やるのが好き。 この違いは何に起因してるんだろうなあ。
なんだっけ。昔の人でさあ、要職就いてる兄貴?とかに嫌われててさあ、 「お前歌上手いだろ。さあ今すぐここで一首詠んでみろ」とか無茶振りされて 「無茶振りされて悲しい」ってい...
七歩の詩な 要職じゃなくて魏の皇帝だよ 嫌われてるんじゃなくて後継者争いの勝ち負けだよ 無茶振りじゃなくて殺そうとしてたんだよ 命令は「今すぐここで」じゃなくて「七歩歩くう...
あれって煮られてる豆が泣いてるけど、燃やされてる豆殻の方が泣きたいだろとか 兄貴を殻の方に例えるとか何気にかなりDisってるだろとか何かもやもやする。
他人の会話を聞いて自分が良いと思った答えを返しつつ全体として調和しているかどうかセルフチェックもしなきゃならないっていうその忙しい緊張とか和を乱してんじゃないか妄想と...
「聴いて楽しむ」は参加の範疇に入ると思うんだけど 参加できない音楽なんてノイズでしかない