なんだっけ。昔の人でさあ、要職就いてる兄貴?とかに嫌われててさあ、
「お前歌上手いだろ。さあ今すぐここで一首詠んでみろ」とか無茶振りされて
「無茶振りされて悲しい」っていう歌を即興で詠んで切り抜けた人とかいたよね。
ああいうの無理だわーって思う。大喜利とかも無理だわー。台本無いと死ぬわー。
英会話とかも習ってた。先生の発音を完コピすんのが上手くて褒められた。
しかし肝心の「会話」の方は、定型のやり取りから発展(=逸脱)すんのが下手すぎてほぼ使い物になってない。
文章を読むのと詩とかを朗読したり朗読聴いてコピったりは今でも好き。
追記:
いろいろとごっちゃになってるっぽい。おかしい。俺の記憶では大和朝廷ぐらいの時代での話で和歌かなんかだったはず。でも何故か失敗は打首。
あとマメの話はなんか良くできた坊さんが旅の途中かなんかでそこらへんの農家に泊めてもらうことになったときに晩飯煮てるの見て泣いたとかなんかそんな。
『プチクリ!』の理論(好き=才能、愛=理解!的な)に基づいて言えば自分には音楽の才能が無い。 少なくともジャズの才能はぜーんぜん無い。なんせコードとかわからないし。 いや...
横だけど、俺議事録とか発狂しそうなほど嫌いだわ。 逆に理論を理解したものに対して即興で色々やるのが好き。 この違いは何に起因してるんだろうなあ。
なんだっけ。昔の人でさあ、要職就いてる兄貴?とかに嫌われててさあ、 「お前歌上手いだろ。さあ今すぐここで一首詠んでみろ」とか無茶振りされて 「無茶振りされて悲しい」ってい...
七歩の詩な 要職じゃなくて魏の皇帝だよ 嫌われてるんじゃなくて後継者争いの勝ち負けだよ 無茶振りじゃなくて殺そうとしてたんだよ 命令は「今すぐここで」じゃなくて「七歩歩くう...
あれって煮られてる豆が泣いてるけど、燃やされてる豆殻の方が泣きたいだろとか 兄貴を殻の方に例えるとか何気にかなりDisってるだろとか何かもやもやする。
他人の会話を聞いて自分が良いと思った答えを返しつつ全体として調和しているかどうかセルフチェックもしなきゃならないっていうその忙しい緊張とか和を乱してんじゃないか妄想と...
「聴いて楽しむ」は参加の範疇に入ると思うんだけど 参加できない音楽なんてノイズでしかない