特許権は国家毎に制度が違い、有効期間もばらばらである。有効期間が統一されない最大の理由は、他国で成立している特許であっても、自国の制度下では有効期間切れによって無料で利用できるようになるという状態が望ましい国家が複数存在する為である。
他国に対して、自国民の特許にのみ自国の法律が成立し、他国民の特許はその国民が所属する国家の特許法が適用されるという状況が理想なのだが、施政権を特許権が上書きする事になるので、事実上不可能である。
特許権は、それぞれの国家毎に出願して認められなければならないという状態も、問題と言える。後進国・中進国等で、特許権の出願がされていない地域に工場を持っていけば、成立している特許をただで利用して製造が出来てしまう。これは、グローバリゼーションの暗黒面の一つである。
そこで、特許権が成立している国家・地域に、特許権の正規の使用許諾を受けていない企業が製造した製品を輸出しようとすると、税関でストップ出来るという方策が採られる事になる。輸出先で特許権が成立している商品については、正規のライセンス契約を取らなければならないという状態になっている。商売がし易い先進国での出願は、その国で生産するつもりが無くても、製品の輸出先を守る為に、出願されるようになってきている。この場合、出願を受け付ける時には、工場が来るかも知れない、雇用が増えるかもしれないと、喜んで受け付けるが、実際には、製品が輸出されてくるだけ、しかも、特許権を出願していない後進国・中進国で特許使用料無しで生産された山塞品の輸入を防止しなければならない義務だけが残るとなる。特許権を成立させてしまったばかりに、安い山塞品を使えずに、正規品を輸入しなければならないとなると、特許制度自体に対して、一体誰の為の制度なのかという話になってしまう。
さらに、AIDS治療薬で実際にあった話であるが、出願を政治的理由によって拒絶し、その国内においては、特許使用料無しで製造して販売できるという状況にしてしまった国家すらある。自国民のAIDS蔓延を押さえ込みたいという切実な事情を優先させてしまったのである。AIDS患者が蔓延しているその国はAIDS治療薬にとって最大の市場であった筈である。売れると思って開発して、合法的に独占できる権利である特許権を出願したのに、政治的な意思で法律が捻じ曲げられてしまったのである。
特許権を持っている側にしてみれば、有効期間は長ければ長いほど良いし、有効な国家・地域が全世界に広がる方が良い。特許権を使う側にしてみれば、有効期間は短ければ短いほど良いし、有効ではない国家・地域があれば、そこで生産して個人輸入してもらって売り上げをゲットという話も出てくるし、只ならもっと良いとなる。
簡単な技術は既に出尽くした為に、研究・開発は、ハズレが多くなり、結果的に、長い時間と多額の費用がかかるようになってしまっている。これを回収できなければ、拡大再生産が出来ないわけで、有効期間をある程度延ばさざるを得ないとなるが、単純に国内法で伸ばしても、国境を越えて資本や製品が動いてしまう現代においては、世界的に特許が成立して使用料を取れ、その研究・開発資金が回収できるようにならなければ、意味が無い。
特許使用料は只が良いというのが、特許権を使う側の本音であるが、そのような本音の一つ手前の建前として、使用料が明確化されていないという理屈が出てくる。特許使用料は言い値であって、根拠は無い。研究・開発費用がかかったとしても、無能な人材に高給を支払った挙句の果てのとんでもない総経費だった場合に、適正な研究・開発を行っていれば負担しなくて済んだ部分を、どのように捉えるかという問題が出てくる。
そこで、特許使用料が言い値なのは仕方が無いとしても、その料金が明示され、会計帳簿の信頼性の条件を満たしさえすれば、誰でもその料金で利用できるという状況を作るという話になる。特許権が成立している地域・国家に輸出する為には帳簿の信頼性が必要で、帳簿の信頼性があるという事は、特許権が成立していない地域・国家に輸出した分についても数量が把握できるということで、その分の使用料を取れるようになるという事である。
知的財産権の有効期間を延ばすのは、必用ではあるが、一方的に延ばすのでは、利用者側が納得しない。そこで、利用者側が納得できるようにしつつ、延ばすという方策が必要となる。
旧来の独占型での運用では有効期間を延ばさずに、非独占型での運用をやれるようにし、そちらの方で有効期間を延ばすというのは、有効期間を延ばしたいという知的財産権所有者側の意向と、利用者側の意向との妥協点の一つとなりえるのである。
AIDS薬がらみで。 一応日本にもそういう制度はあるよ。社会的に影響の大きな特許は無効にできるという規定があったはず。だけど、実際に行使したこともなかったはず。 別にそこは...