自分にとって庵野氏の作品がつまらなく思えるのは正しいのかもしれない
シン未見組だけど、高評価する人たちも不評の人たちも、
俺達の庵野が帰ってきた、
みたいな点では共通しているみたい
シンゴジラも含め、マンネリズムさえ感じるのは寧ろ当然であって、
リスペクトする過去の作品、オマージュ、パロディー、そこから新たな記号、お約束を作り出したわけで、
つまり、シンゴジラつまらんと自分が思うなら、それは庵野氏を卒業したというか、
他の何かを求めて自分が出ていくべきなんだろう
自分には庵野氏のように新たな記号、お約束を生み出せるような能力も運も何もない、
凡人以下のコロナで無職になったKKOであって、社会的にはゴミにも劣るかもしれない
そんな自分ではあるが、恐れ多くも御大、大先生の成果物に不満を思うというのなら、
それは単にnot for meであって、俺が自分のfor meを求めてさまよい続ければいい、
ただ、それだけの話なんだろう
それは学ぶは真似ぶであり、過去のコピーからスタートして、守破離の破、
庵野氏よりも若い世代だけど多分長く生きられないと思うのだけど、
社会的評価は別として、なんか自分なりに自分の人生にケリをつけなければならない、
例えば、自分に虐待された過去があったとして、それをマイナスに評価するのではなく、
その因果に何らかの自分なりの納得というか、決着をつけたいと思っている
それは単なる自己満足ではあるわけだが、そういった不愉快な過去とか、
そういったこれまでの人生の諸々にできるだけ決着をつけて、納得してから死にたい
そう思うようになった
他人の作品がつまらないというなら、おまえは代替案があるのか?
代替案はある、
つまり、商業的に社会的に成功するかではなく、自分ならこうするは明確にある、
繰り返しになるが、どことなく庵野氏は、その仕事としてはどうなのか?
というか、庵野氏より貞本氏の方が、特にオネアミスのBDだかのパッケージの絵とか、
できるだけ、昔の、スポンサーサイドに嫌われていた、
そうはいっても、作り手である若者たちは貞本氏のあの頃の絵に惚れて賭けていたとも思うわけで、
なんでエヴァみたいな絵柄を判で押したように描いたんだと思ってしまったのだけど、
自分がとやかく言う筋合いはないのだ
それより、おまえの、俺の到達点は、人生の到達点は何なのだ?ということだろう
私が人生に問うのではない、
人生が私に問うのだ、
人生に、運命に、運に、神に、なぜ俺の人生をこんな風にした?と問いかけるのが1つ目であり、
2つ目は、人生が私に、おまえは何を成し遂げられれたのか?と問うているのだ
そこには当然、仕方がなかった、怠惰と諦め、打算も入り混じっている
メディアが生存者バイアスというか、社会的成功者を持ち上げすぎる余り、
まるで、この社会に、世界に、何か正解があるように思い込んでしまう