2021-03-13

自分にとって庵野氏の作品がつまらなく思えるのは正しいのかもしれない

シン未見組だけど、高評価する人たちも不評の人たちも、

俺達の庵野が帰ってきた、

みたいな点では共通しているみたい

(あと、戦闘シーンが駄目という意見

シンゴジラも含め、マンネリズムさえ感じるのは寧ろ当然であって、

それは庵野氏というか、ガイナックスというか、

リスペクトする過去作品オマージュパロディー、そこから新たな記号お約束を作り出したわけで、

それは確かに歌舞伎とか伝統芸能に近いのかもしれない

そこにマンネリズムを感じるなら、それはお門違いであって、

まりシンゴジラまらんと自分が思うなら、それは庵野氏を卒業したというか、

他の何かを求めて自分が出ていくべきなんだろう

自分には庵野氏のように新たな記号お約束を生み出せるような能力も運も何もない、

凡人以下のコロナ無職になったKKOであって、社会的にはゴミにも劣るかもしれない

そんな自分ではあるが、恐れ多くも御大大先生成果物に不満を思うというのなら、

それは単にnot for meであって、俺が自分のfor meを求めてさまよい続ければいい、

ただ、それだけの話なんだろう

しかしながら、仮に自分が何か作品を作るとしても、

あと、プログラミングだって立派なものづくりではあるわけで、

それは学ぶは真似ぶであり、過去コピーからスタートして、守破離の破、

守破離の離を目指すしかない

なんとなく、自分庵野氏よりも長生きできない、

庵野氏よりも若い世代だけど多分長く生きられないと思うのだけど、

社会的評価は別として、なんか自分なりに自分人生にケリをつけなければならない、

特に最近常々思ってる

いうならば因果というか、カルマというか、因縁というか、

例えば、自分虐待された過去があったとして、それをマイナス評価するのではなく、

かといって自己啓発的に無理にプラス評価するでもなく、

その因果に何らかの自分なりの納得というか、決着をつけたいと思っている

それは単なる自己満足ではあるわけだが、そういった不愉快過去とか、

そういったこれまでの人生の諸々にできるだけ決着をつけて、納得してから死にたい

そう思うようになった

他人作品がつまらないというなら、おまえは代替案があるのか?

代替案はある、

しかし、それが他人面白いと思ってもらえるかは分からない、

まり商業的に社会的成功するかではなく、自分ならこうするは明確にある、

だとしても、それは仕事としてはどうなのか?という問題がある

繰り返しになるが、どことな庵野氏は、その仕事としてはどうなのか?

みたいな大人の発想になってしまい、

というか、庵野氏より貞本氏の方が、特にオネアミスBDだかのパッケージの絵とか、

周囲に望まれる絵を描くのが大人でしょ?ではなくて、

できるだけ、昔の、スポンサーサイドに嫌われていた、

そうはいっても、作り手である若者たちは貞本氏のあの頃の絵に惚れて賭けていたとも思うわけで、

なんでエヴァみたいな絵柄を判で押したように描いたんだと思ってしまったのだけど、

しかし、上述のように、これは御大先生方の到達点であって、

自分がとやかく言う筋合いはないのだ

それより、おまえの、俺の到達点は、人生の到達点は何なのだ?ということだろう

アウシュビッツ経験したフランクルによる「夜と霧

私が人生に問うのではない、

人生が私に問うのだ、

これは言葉遊びのようではあるが、しかし大きく異なる点がある

人生に、運命に、運に、神に、なぜ俺の人生をこんな風にした?と問いかけるのが1つ目であり、

2つ目は、人生が私に、おまえは何を成し遂げられれたのか?と問うているのだ

そこには当然、仕方がなかった、怠惰と諦め、打算も入り混じっている

しかし、人生というのは本来そういうものなのだ

メディア生存者バイアスというか、社会的成功者を持ち上げすぎる余り、

まるで、この社会に、世界に、何か正解があるように思い込んでしま

生き方に正解があるように思い込んでしま

人生からの問いに対し、自分なりの答えを死ぬまでに用意していくのがこれから自分課題なのだろう

それは他人の、世間価値観とはまったく関係のないもの

自分が納得する答えを探す、人生最期へ向かう旅なのだ

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