2020-11-14

16年ぶりに日雇い労働をした話

最後日雇いで働いたのは学生時代、まだ18歳のときだった。

その頃の記憶曖昧でよく思い出せない。16年も経っているのだ。

日雇い斡旋する派遣会社登録した。

面接はなし。登録手続きもすべてネットで完結する。電話すらない。16年前は登録会があったように記憶している。

朝食は摂れ、時間は守れ、ピアスダメだ。かなりの社会不適合者を想定したビデオブラウザ上で見せられた。

バックレはしないでくれというお願いメール就労前日に何通か来た。相当なやばみを感じる。

仕事は某アパレル大手の自社物流拠点での仕分け作業。時給1000円。Twitterお金をばら撒くのが好きなおっさん社長なのだが、そんなことしないで従業員給料を上げてほしい。

千葉県内某所で待ち合わせ。そこから派遣会社バス京葉工業地帯にある物流拠点に向かった。道行く途中、何度も「Z○Z○」と書かれたバスとすれ違った。羽振りが良いのか手広くやっているのか、そこらへんのところはよく分からない。

物量倉庫に着くと、控室的なスペースに集められた。簡単な朝礼。昨日バックレが5人も出たから勘弁してくれとの話が出る。20人ほどで回している現場なのだが、5人は多すぎる。

サイズの合わないヘルメットを被り、サイズの合わない安全靴を履き仕事を始める。

私はベルトコンベアで運ばれてきた荷物をカゴ車に詰め込む仕事を任された(カゴ車が何であるかは重要ではない。とにかく単純労働だ)。

伝票番号がナニナニのものは弾けとか、大きな荷物は別の場所に置けとか、細かい注意事項をベテランと思しきおばちゃんから教わる。

このおばちゃん案の定というか不安が的中したというか、まともな人ではなかった。極度のコミュ障でボソボソと独り言のようにしゃべるから何度も聞き返さないといけない。頭も酷く悪く、話の内容が意味を成していない。こちらとしては断片的な単語情報から話の主旨を推量し、「つまりこういうことですか?」といちいち確認を取るしかなかった。おかげで仕事が終わる頃には喉がガラガラになっていた。

単純労働をしながら、私はずっとおばちゃん属性について考えていた。どんな人がここで働いているのだろうか、と。

1日の実働は8時間。手当などないから日給で8千円にしかならない。月20日働いて16万円。そこからお上税金社会保険料を差っ引いて手取り10万と少し。とても生活できる額ではない。

学生主婦なら分かる。しかし明らかにそういう感じではない人が多数だ。瞳が濁っているというか、同じ現場を駆け回るヤマト運輸正社員とは顔付きが異なる。うまく表現できないのだが、ポリティカル"イン"コレクトに言えば、社会階層が違う。

仕事17時に終わった。

全身が痛い。とりわけ腰が強く痛む。こんな労働を連日続けるのは私には無理だ。ますますどういう人があの現場で働いているのか分からなくなる。

私が組んだシフトでは翌日と翌々日が休み、明けて月曜日からは別の現場仕事だ。もうあの現場では働きたくないという思いがある一方、働き続ければ別の世界が見られるんじゃないかという期待もある。

またなんか面白いことがあったら増田エントリーぶっこんでやんよ

  • 家ない人とかいるよね。 たまに働かなくていいけど社会との接点を持ちたいというか、たぶん珍獣見に来てる金持ちがくる。

  • 家ない人とかいるよね。 たまに働かなくていいけど社会との接点を持ちたいというか、たぶん珍獣見に来てる金持ちがくる。

  • さらに手取りの10万ちょいを使いきれば、そのうち1万円は本来の代金ではなく消費税だ。 まったくひどいものだ。

  • お疲れ。大変そうだ

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