はてなキーワード: バーベキューとは
>何かできないことがあったときに「あぁ…早生まれだから。他の子より育ちが遅いから」「仕方ないね」「かわいそうに」と親から言われることによって、それが本人の中にも内面化されるんではないかという分析だった。
えー、ご存じの通り(ですよね?)早生まれの私ですが、敢えて「異議あり!」と言わせて頂きます^^;というのは僕の場合、親から言われたことはなくて、自分で後から「早生まれは損だ」と思ったからなんです。もし敢えて親のせいにするのであれば「早生まれなんだから仕方ないよ」ぐらい言って欲しかったな、ということになるのかもしれません。
経験談の一例ですが、幼稚園から小学校にかけて、周囲に比べてダントツで運動能力が低かったんです。ですが、高校を出る頃にはいつの間にか体力テストなんかでは全国平均を普通に超えられるようになってました。まあ元々運動や外遊びが好きな子供ではなかったですけど、別にその後人と比べて特に運動していたわけでもなかったので。で、子供の頃は実年齢の差がかなり大きかったのではないかなということに気づいたのはかなり後になってからでした。無駄に運動苦手コンプレックスを持ってたもんだと後悔したものです。
ところで、N さんが誰だか見当がつかない私です。
そういえば、悪名高き私の母校では全学年を通して異様に4・5・6月生まれが多かったです。僕はどちらかというと年齢以上にガキなので、周囲のマセ具合に余りついて行けなかった記憶があります(苦笑)
あと聞いた話だと、少年サッカー英才教育の世界では、選手がやはり4・5・6月生まれに偏っていたので、選抜に誕生月を考慮するようになったとかいう話も聞いたことがあります。
そういうことから、すくなくとも一部の分野においては、無視できない程度の影響があるのかなとは思っています。ただ、どれも男の場合の話であるのは事実ですね。女性はその辺どうなのか、面白いデータがあれば欲しいですね。たぶん誰か既に研究してるんでしょうけれど。
例のあだ名ゆえにあのお方が「Nさん」であることを完全に失念していました^^;まあ、何となく「先輩」が女性であるという先入観があったのも事実ですが(何でだろう?)。まあでも確かに、女性だったらおめでたの話があるのにもかかわらずお酒を飲んでいるはずがありませんね。
いずれにせよ、おめでたいことで。
そういえばドイツでもシュレーダー政権ができたてのとき、首相が党の実力者を追放して一波乱という一幕がありましたね。そのときの状況と今の日本の状況は似ているのかどうか……。
たぶん noctifer さんの同期の「実家が尼崎の人」がデジタル化したデータ持ってると思いますよ。僕も自分が 3 回生のときの録音をその人にもらったので。
ちなみにこれ、一年掛けて準備したのに散々ボロクソに言われた演奏で、僕の中ではまさに「黒歴史」だったんですけど、5 年ぶりに聴いてみたら意外にも、自分としてはそれなりに納得のいくものだったので愕然としました。あれ以来自信なくして楽器にだんだん触れられなくなってたのはいったい何だったんだろう……、と。というか音楽以外すべてにおいても自信喪失してしまう悪循環に陥ったきっかけみたいな一件だったので、あれをもっと早く聴いてればひょっとしたら少しぐらい人生変わったかもなー、なんて思ってます。要はその録音を聴かなかったこと自体が「黒歴史」でしたという情けないお話ですが(苦笑)。
ああなるほど、定演以外の録音でしたか。そりゃさすがに尼崎の人に頼んでも持ってないですよねえ。
ところで全然関係ないですが、今日聴講した某研究会で、僕の2年下の「ヘアスタイルが独特の人」に会いました。彼は今年D3でしたっけ?月日が経つのはなんとやらとはこのことですね。
都合が許さず彼の晴れ舞台を見られなかったのはなんとも残念です。こんど会ったらよろしくお伝え下さい。
前回までの大会と違って、今回は自分が主力選手と同世代だから身につまされるものがありました。仮に自分にあの方面の才能があったとしても、この段階で最盛期なんてとても無理だろうなとか思うと、前回大会までとは違った意味で感慨深いです。
それでよく考えてみれば、サッカーの選手生命から考えて、僕らと同世代の選手のほとんどは今回が最後のチャンスだったわけですよね。今までよりも、負けて悔しがる選手の姿が一歩だけとはいえ身近に感じられて、その分切なくなりました……。
論文を添削するには内容を理解できないといけないわけですから、それをタダでやってくれる人となると本当に貴重ですよね……。
思うに、大人に言語を教えるのは経済的にも効率がよくないですよね。色々な場に応じてそれなりの言葉づかいができて、なおかつ幅広いスタイルの文章を読んで書ける人なんて、なかなか語学教師をやろうとは思わないでしょうし、そういう人を雇うには相当なお金がかかって当然、生徒の側もそれだけの教師を探すには苦労するわけですから。
子供の頃から、母語の習熟に準じて第二言語を(できれば複数)学べると、言語というものを相対化できるという意味でいいんでしょうけどね。(現状は英語崇拝と英語憎悪の二極化およびその裏返しとしての日本語特殊論、そしてそれ以外の外国語への無関心がはびこっていて本当によくないと思う今日この頃。
こんにちはー。
「絶対音感」って能力、実は個人的には言語能力と近いんじゃないかなと思ってるんですよね。少なくとも僕の場合は、ですが。実際、無調性に近い音楽を聴いていると途中で音がわからなくなったりずれてしまうことが多いですし、無調性は無調性でもそれなりに慣れているウィーン学派系よりも、あまり聴かないブーレーズとかのフランス現代音楽系とかのほうが苦手だったりするので。
あと、E-dur と F-dur を間違えることはほとんどないのに D-dur と Des-dur の区別にはたまに自信がなくなることがあるなど、多分にピアノの鍵盤(というか頭の中でつけている「読み仮名」的な音名)に引きずられる傾向があるんですね。いってみれば、日本人は /t/ と /d/ の区別には苦労しないが /l/ と /r/ には苦労するというような話なんですが、まいさんはそういう傾向ってないですか?
そういえば、高校生ぐらいの頃は基準音を 2Hz ぐらいの単位で聴きわけられたものでしたが、古楽を聴くようになって以来その能力はほぼ完全に破壊されてしまいました。
ちなみに僕も音に「色」のイメージがありますけど、その正体はかなり情けないものでして、おそらく子供の頃に買ってもらったおもちゃの鉄琴です。一音ごとに色分けされていたのですが、その印象を未だに引きずっているんですよね。
個人的には欧米でどうして "Hentai" 文化があんなに抑圧されてるのかが気になりますねー。ホラーの世界では日本よりよっぽどどぎつい表現が社会的に許容されている風土で、ポルノの方面になるとフィクションであってもある種の表現はまかりならぬ!というのは、日本に生まれて暮らしている限り根本的にどこかで理解できない面があると思うのですが、だからといって「ピューリタニズムの伝統」で片付けてしまうのも一方では乱暴な気がするんですよね。
似たようなことは、捕鯨問題とかその他の文化摩擦のときにも色々感じることではありますが、その辺のことで「住んでみてわかったこと」って何かありました?
>実際には日本のエロゲの守備範囲の広さはそんなのを凌駕しうるわけですが、それでもアニメでは女性はそのように子どもっぽく可愛く描かれる事が多い(ただでさえ若く見えるアジア人をベースにしているのでなおのこと)
なるほどありがとうございます。確かに現代の日本人はおしなべて幼形成熟的なものが好きですね。女性に限らずジャニーズ系とかも結構そういう気がしますが。向こうから見れば余計子供に見えるというのは盲点でした。
しかし個人的にもっと疑問なのは、その "Hentai" 文化を変なものとして片付けるのでなしに、禁止してしまおうという考え方の方なんですよね。そしてそれを日本でも禁止せよと圧力をかける動きもあるようですし。米国は基本的に他者に寛容を是としているのだと思ったら、ときどきいきなりその逆の面が見えることがあるので、いったいあのあたりはどういう感覚なんだろうなあと思いまして。
うーん。やっぱりそれなんでしょうかねえ。だとすると捕鯨と "Hentai" はちょっと性質が異なる問題なんですね。
どうも最近、英語圏のメディアを読むようになればなるほど、日本に対する悪意や蔑視が一部高級メディアにでも平気で蔓延していることに気づいて憂鬱なんですが、その根っこは必ずしも一つではなさそうですね。
やっぱりこういうと何ですけど、欧米がアラブに違和感を持っている(あえて「蔑視している」とは言わない)のと同じような意味で日本から欧米(といっても色々温度差はあるでしょうが)を見たときに違和感があるんだなあと最近思うんですね。あんな趣味を持っているぐらいなんだから当然私は西洋かぶれ的人間なんですけど、例の "The Cove" 以来やっぱりあばたはえくぼじゃなくてあばたなんだなということにようやく気づきだしたわけでして、その背景には最近ちょっと興味を持ちつつあるんですが、どうもなかなか一筋縄ではいかなさそうですね。欧米の天地は複雑怪奇なり。
ところで話は変わりますが、意外なところで結婚ラッシュが始まりそうな噂を耳にしました。詳しくはそのうちお聞き及びになると思いますが……。お楽しみ(?)に!
あれ、あそこバーベキューだめになったんですか?「新条例」がなんなのか気になります。
>知らない人が20人以上という状態で3時間おしゃべり持ちこたえたのは我ながらよく頑張ったと思う(たぶん英語スキルというより社交スキルの問題)。
最近あちらこちらで、アメリカでは(あるいは「国際社会」では)そういう状況で人間関係を作れるかどうかがものをいう、そういう場でやっていけないと通用しない、みたいな主張をよく見るもので。
本当だとしたら語学力以上に絶望的に高い壁だなあと思いつつ、そういうことを書く人は大抵すごく社交的だから、たまたまその人の回りでそういうことが起こりやすいだけのようにも思えるし、その辺の真相が少し気になってまして。
何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。
いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである。
それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。
「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。
で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり、過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。
さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社の社長か直接の上司か新聞のコラムかテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかもドヤ顔で)聞かされるし、それがあなたを人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入を保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。
ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。
さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。
でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。
ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるものが自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。
つまりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。
じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているか?あなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。
ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈で自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああいう仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。
何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分をごまかしてきたんだ?あれはドラキュラの映画か小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分をごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。
そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生を渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか?
自分で自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメな性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいからうつ病やアスペルガー症候群や統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。
メンヘラどまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないから自殺の理由はあんまりわからないことになっている。「死にたい」という言葉は冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか?
そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分をごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実の世界にはとっくの昔に絶望していて、ネットの世界にしか居場所がない人もいる。
こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?
有名人とかある会社の社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在の成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。
ぼくらだってああいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)
にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまですら過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去をイジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。
ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。
何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。
いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである。
それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。
「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。
で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり、過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。
さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社の社長か直接の上司か新聞のコラムかテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかもドヤ顔で)聞かされるし、それがあなたを人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入を保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。
ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。
さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。
でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。
ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるものが自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。
つまりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。
じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているか?あなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。
ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈で自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああいう仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。
何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分をごまかしてきたんだ?あれはドラキュラの映画か小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分をごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。
そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生を渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか?
自分で自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメな性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいからうつ病やアスペルガー症候群や統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。
メンヘラどまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないから自殺の理由はあんまりわからないことになっている。「死にたい」という言葉は冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか?
そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分をごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実の世界にはとっくの昔に絶望していて、ネットの世界にしか居場所がない人もいる。
こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?
有名人とかある会社の社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在の成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。
ぼくらだってああいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)
にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまですら過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去をイジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。
ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。
理事長ってのは実行部隊ではない。
「ペット禁止マンションなのに、〇〇号室は犬を飼ってる。対応しろ」
「〇〇号室がふとんをベランダに干してる」
「管理人にちゃんと仕事させろ、ずっと管理人室に座ってるだけじゃねーか」
これらは、だからどうしてほしいのかがない。
「バルコニーでタバコを吸うのを禁止にしろ」
「1階の非常口の鉄の扉が重い、オートロックにしろ」
「バーベキュースペースのバーベキュー利用を禁止しろ、くさい」
「ガレージのシャッター音がやかましい、夜11時以降は使用禁止にしろ」
「子供のおもちゃが散乱していて景観が醜いから敷地内公園をつぶして、自転車のスペースにしろ。」
これらは単に議題としてあげて、採決をとればいい。
俺が理事長ならそうする。そうしてた。
理事会の1/4以上の同意がなければ採決もとらないぐらいじゃないとね。
てか、採決なんて年1、2回だろ。毎月住人にとってたら大変だぞ。
くじびきに当たって、今マンションの管理組合の理事長をやってる。
いろいろと大変だわ。
今で理事長に就任して7ヶ月目。
築10年くらいのマンションなので ジジイ世帯はまだ少数派だけど、彼らの世代の声は想像以上にでかいことに気づかされた。
そもそも若い世代の人達は働いてるし、忙しいからマンションのことなんか気にかける余裕がある人は少ないんだろう。
ジジババが、俺の家を訪れては文句を小1時間ほど言いにやってくるわけだ
俺が夜帰ってくるのが遅いってのもあって置き手紙が何通も入ってて夜10時くらいにこられたこともあった
おれは警察じゃねーぞ。
「バルコニーでタバコを吸うのを禁止にしろ」
「1階の非常口の鉄の扉が重い、オートロックにしろ」
「ペット禁止マンションなのに、〇〇号室は犬を飼ってる。対応しろ」
「〇〇号室がふとんをベランダに干してる」
「管理人にちゃんと仕事させろ、ずっと管理人室に座ってるだけじゃねーか」
「バーベキュースペースのバーベキュー利用を禁止しろ、くさい」
「ガレージのシャッター音がやかましい、夜11時以降は使用禁止にしろ」
「子供のおもちゃが散乱していて景観が醜いから敷地内公園をつぶして、自転車のスペースにしろ。」
こういう上がってきた問題が月に一度理事会で処理される。
大の大人が集まって1,2時間かけて議論するわけだけど、ほんと自分のことしか考えてないくだらない問題ばかりなんだよね
でも、一応責任ある立場としては無視はできず、ポーズでも対応していかなきゃならない
ジジイがしつこいので相手方への注意を管理会社のスタッフさんにやってもらうこともよくある。
こういう無駄な仕事を増やす声がでかいだけのバカな層がいて、それをしょうがなく実行するって構造は社会の縮図な気がしてしょうがないんだよね
この筆者は男性なんだろうけど
って、どこ経由の情報なんだろう。
だって「それは『幸せ』ではない」と言うものさしで世の中溢れ返っているじゃない。
それ以外に仕事とか趣味とかまあ何でもいいから生きがいというか自己実現的な事をしていないと、
少なくとも客観的には「あの人は幸せだ」とは認めて貰えない。
例え旦那が金持ちイケメンで子持ちだろうと、何の趣味も持たず家に引きこもっている専業主婦なら「あの人不幸そう」と見られてしまう。
本人は別にそれで幸せかもしれないが、他人はそう思ってくれない。
つーか
自給自足を楽しむのもアリ。ホームステイで世界中から子供招くのを生きがいにするのもアリ。昼から浜辺でビールを飲むのもアリ。会社を4時に終えて、そのあとサーフィンを楽しむのもアリ。バーベキューを生きがいにするのもアリ。
女なら、こういう人生送ってる人の方が「あの人幸せそう」と思われるんじゃない?それを実行するのが難しいだけで。
「結婚して子供産んで子供育ててその後老いて終了」なんてむしろ「つまらない人生」のテンプレと化しているよね。
男は知らん。
つい昨日もそうだ。
僕がそばをすすって食べていたら「汚いからやめて」って。わびもサビもないじゃないか。風流だよ風流。
そういえばあなたはひぐらしの合唱にも苛立ちを隠さなかったよね。僕がクスッと笑うと鬱陶しそうに窓へ目をやったっけ。
その日のバーベキューはおいしかったよね。あなたはすっかり機嫌がおさまって。珍しく君から誘ってきたね。もたれてたんだけどな。
次の日は雨だった。せっかくの予定もキャンセルで、コテージでムスッとしてたあなたは子供みたいで、つい頭撫でてしまった。
そんな僕らにも家族が増えて、色が鮮やかになった。よく暴れたよね。僕らも不慣れだった。週に一度はオムツのそれに足を突っ込んで手間が増えたっけ。
あなたはよく「つまんない」だなんてぼやいてた。天井と壁の境かそこらを見て。たしかに生活は平和で退屈だったけど。
家が静かになって、僕らも少し落ち着いたね。空気に飲まれた、のかもしれないけど。うまくやれるさ、大丈夫。
白い部屋に来るたび、あなたは悲しい顔をする。愛を告白してくれる。僕も言葉をさしだす。つながった気がする。
僕らに、悔いはあっただろうか。やりたいことはぜんぶやったか。やるべきことに余しはないか。
僕は、ひとつだけ。
あなたは
コンパ行きまくってたけど、遂に春。
どんなんでもいい!とりあえず彼女欲しいって人がいたら参考にして下さい。
周りに紹介してくれる人がいなければ、コンパを組んでくれるサイトがあるから、
イケメンじゃなくてキョドる人は、数こなさないと
こういう子と話して練習するのがいいかと。
お互い得るものがあってプラスになるはず。
あ、お持ち帰りとかやったことないんで、
その辺には使えないと思います。
[○過去]
せめて出きるところから…と、服装とかは、わりと大学の頃から気を付けてた。
お世辞で「彼女いそうなのに~」ってよく言われたけど、全くいねぇよ。
どうしたらできるか教えてくれ、って思ってた。
[○3年前~]
会社に入ってから、ちょっと変わらなきゃいかんと思って努力するようになった。
パステルカラーの綺麗めの服とか着てみたり。メガネをセルフレームに変えてみたり。
雑誌…は正直ハードル高すぎるんで、身近のイケメンどもを観察してた。
同じような服着てもなんで俺だけ似合わないのか。
色使いと、肩幅が無くて似合うブランドが限られてることにやっと気付いた頃、
何話していいか分かんなかったし…。
話題は、いくつか武器持っとけばいいと思う。
あとは好みでバラエティ。たまにゲーム好きの子がいてテンション上がる。
職業当て・血液型当て・学生の頃の部活当てとか盛り上がる子が多かった。
カラオケは、定番の歌をいくつか覚えて
下手でも思い切って歌うと、楽しさは伝わると思ってる。
女の子でも、大人しい子がいたりして、全然話せなくて困ってそうだったら
話す子の話題が終わったときに同じ話題をその子に振る。
盛り上がらなくても拾う。
拾ってもダメなら、鉄板の質問を5個ぐらい持ってって、毎回聞く。
趣味・出身地ネタ・住んでる所ネタ・←の観光地とかオススメスポットとか・←名物
気に入った子とだけしか話さないやつは、イケメンぐらいじゃないと反応よくない。
あとは、話題がチャラ過ぎて全く会話に入れないときもあったりした。
そういうときは、
みんなのコップが空いてないか ⇒ 空いてたら次のドリンク聞いて注文。
皿空いてたら店員に渡す。次の料理催促、料理を皿に取り分けるとかどんどんやってキャラ作りした。
今の彼女はココで「気配りできる人って素敵!」って思ってくれたらしい。
やってて良かった。
見てる人は見てる。気付かない人は絶対気にしてない。
内面で女の子選びたいなら、こーいうところをちゃんと見てる子がいいと思う。
お互いに分かってる感じだと、付き合ってからすごい楽。
気にしてない人は、付き合っても絶対やってくれない。
ただ、女の子で露骨に取り分けアピールしてくる場合もあるので、
その辺は話して「こいつ猫被ってるなー」とか判断して下さい。
擬態注意。
あー、あと女の子にもよるけど、イケメンかどうかって以外に表情も見てるらしい。
笑うことはやっぱ大事。細かいことでも気持ちよく笑うと好印象らしいよ。
クールな人が好きとかって女は知らん。
[○2年前~]
その後、同期の男友達に紹介してもらったり、女同期に友達紹介してもらったりした。
開いてもらったら、必ず返すようにしてた。
「今日のメンバーは感触から無理。友達の多そうな子と仲良くなるか。あの子とこの子で別口で二回開けるなー」
「この子めっちゃ可愛い!ガード固いけどダメ元で絶対ご飯誘う!!まぁ、失敗したら友達にココつなげさせるか!」
あの時に毒吐いたのがダメだったなーとか。
どうしても理由が見つからなかったら、こいつとはどうせ合わなかったんだ!とか思うようにしてた。
毎日みんなにメールして日程調整して、予定空いてたらコンパ開いて。月に10回~ぐらいで行ってた。
飲み会に行ったら、番号交換後に必ず何日に飲んだか、忘れない内に顔・雰囲気・等のプロフィール情報を携帯にメモ。
どんな子だったか。コンパ開いてくれそうか、といったことを書く。
友達の多い子は、こういうの開いてってお願いしてもあんまり嫌がらない。
準備めんどくさいから、俺はやらなかったけど。
こんな生活を1年半ぐらい続けた。
選り好みしなければ、いくらでも彼女作れそうだった。
まぁ、開けば開くほど虚しくなって、金だけ減ってったわけですが。
飲んで質問して広げるところを突き詰めていけば、
とりあえず彼女は出来ると思う。
クンニを世にもおぞましい尊厳踏みにじりプレイと位置づけていて、そんなことされるくらいなら切腹したほうがましくらいに思っていたのに、
付き合い始めて一年、いいくるめられている。そこそこの頻度で登場する普通のプレイになっている。なのに私は腹も切らずにのうのうと生きている。
バスで寝てしまい、気づいたら見たことの無い景色の場所まで来てしまっていたときの記憶を思い出す。
どこかわからない場所で目が覚める恐怖。反対車線でバスを待っているときの心細さ。バスの馬力と己の無力さを思い知らされた。
彼は人をいいくるめるのが上手い。彼は会社でろくに働かずネットばかりしている。たまにある仕事らしいものといえば得意先とのお喋りだ。
夜型なのでよく遅刻するが、事務のおばちゃんが無断遅刻を報告ありの遅刻にしてくれて、
5時まで小説を読んでいたために起きられなかっただけのことを「体調不良」にしてくれるのだという。
同僚はちゃんと働いているのに、働かない彼はあまり嫌われていないらしい。バーベキューだフットサルだといって同僚とつるんでいる。
彼は楽しくないことを本当にやらない人なので、イベントも全参加ではなく、興味を持てるものしか行っていないはずだ。
なぜそんなスタンスが許されるのか。皆もいいくるめられているのだと思う。
誤解を受けるかもしれないが、彼は見た目ちゃらくない。黒の短髪で、私服もオフィスカジュアルのようで、着こなしもどちらかというとかっちりしている。
でも生活は適当だ。睡眠時間はめちゃくちゃで、明日の仕事よりも映画や小説やセックスを優先する。起きれなければ遅刻するだけだ。
料理は楽しいからするが、掃除は楽しくないからしない。洗濯も嫌いで、どこまでも溜める。
洗濯が面倒ですぐに新しい下着を買うので、やたらに増えていく。見ていられない私は彼の家に行って洗濯をする。
「見ていられない」。彼がそこそこの大学をダブらずに卒業できているのも、見ていられない周りの人間が助けたり、助けてしまうようにいいくるめられたからだろう。
実はプロポーズされた。あまりに呆れたとき「そんなんだと、今の会社以外でやっていけないよ」と言うと、
今までは「そのときはお化け屋敷プロデューサーになるよ」などの適当な答えが返ってきていたのに、
「結婚しようよ。会社つぶれたら養って」と言われた。同僚や親には、普通に、今の彼女と結婚するつもりだと言っているといわれた。
私は聞いていない。結婚なんて話は今まで一度もしていない。
結婚したら本気で後悔すると思う。絶対に後悔する。どうするのか、ネットで、苗字が変わった私の名前の姓名判断をしたりなんかして、馬鹿か、もう、
あー、もう。あー
昔からの友人の結婚式で余興をこなす。
この友人ってのは、ホントに絵に書いたような好青年でいいヤツで、また新婦も凄くいい人で、それだけにもう何ヶ月も前から準備して感動×感動の余興を実現させたワケ。
そりゃもう友人も新婦もご両親ご親戚も、号泣&感謝感激で、ああなんかオレっていいことをしたんだな~、と・・・。
でも、帰りの電車でふとひとりになると、何であんな元から幸せなヤツにオレが頑張っちゃって更に幸せのアシストなんかしちゃってんだろ?・・・そんなことしてるヒマがあったら、オレこそ彼女見つけて幸せにならないと(汗)・・・そうそう、こんな風に、人の幸せのために頑張れば、自分にも幸せが巡ってくるサ・・・オレだって、今日のチカラを受けて、以前から好きだったコにいよいよふたりで遊びに行こうって朝にメールしてたよな・・・あ、返信が来てる・・・
内容は、彼氏が出来ました、だとサ・・・
しかも、その彼氏はオレが紹介したヤツだとサ・・・
何か久しぶりにみんなで遊ぼうよ的なメールが向こうから来て、何人か集めてバーベキューをやったのが、ま、キッカケではあったのだが・・・
その時点で、ま、少なくともオレはないかもしれないってのは、何となくわかっていたけど、よりによってヤツって、どういうことさ
でさ、こんな一連のやり取り、ようは人のために頑張りまくった日の夜に他の友達と付き合いました的なご報告が来るのって、もう3回目なんだよ。
何かポジティブに上がった状態から、一気に叩き落とされる感じで、すげー辛いっつーか痛いっつーか・・・何か指が震えてきたよ、もう。
こんな体験に耐性なんて出来ないし、もう人の為に頑張るのなんてバカらしい!、その友人も好きだったコも幸せになんかなるんじゃねえ!!・・・って、思ったすぐ後にさ、また9月上旬にある別の結婚式の余興の練習のスケジュール調整とか始めちゃってんの、オレ。
あー、もう何このお人好しキャラ(泣)、だからダメなんだよ(泣)、そんな地味なことしたって幸せになれないって(泣)・・・でも、お前に頼んでよかったって言われるために、もうカラダが勝手に頑張っちゃうように動いちゃうワケ。
それが本心なのか、いいように使われてるんだかは知らないけど、少なくとも周りのヤツらが幸せになっているというのは事実・・・そしてオレがその現場に少しでも立ち会えたのは事実・・・でも、それがオレの幸せに繋がるかどうかは無相関、ハイ、終了
リア充たちは「友達とカラオケ」なんて学生時代に腐るほど経験してる。
でも私は「夜にカラオケだと!?なんというリア充行為!」って、イイ年してめちゃくちゃテンションが上がる。
「この程度のことでテンション上がるって何w」なんて笑われたけど、関係ない。
この歳になって立て続けに初体験して、私はすごく新鮮に感じたし、最高に楽しかった。
あとモテ系の人は「自分がどう思ったか、どう感じたか」っていう個人的な話をよくする傾向にあって、
可愛い子やイケメンはその時点で価値があるから、その人の「どう感じた」っていう情報にも価値がある。
その子を口説きたいと思ってる男は話題を合わせるためにさっそくRADを聴くし、
練習してカラオケで歌って好感度上げることを目論んだりする。
当然私はブス非コミュなので、私自身の情報には価値がないと思って、
芸能人の意外なエピソードなり、引きの強いデータなりを持ち出す、っていう方法で関心を引いてきた。
でも、たまーにだけど、こういうことを言われることがある。
「一般的にそういうのが人気があるのはわかるけど、増田自身はどういうのが好きなの?」
可愛い子やイケメンにとって当たり前のことである「自分自身に関心を持ってもらえること」に、
私は新鮮な嬉しさを感じることができる。
中学くらいのころは、やっぱり私も美少女に生まれてチヤホヤされたかったなーと思ってたけど、
ブスに生まれちゃったものはしょうがないし、ブスならではのメリットもちゃんとある。
ちょっと褒められただけで相当に嬉しいし、まだまだ新鮮に感じられる楽しいこともたくさん待ってる。
ブスも悪くないよ。
話の流れとまったく関係なくてすまんけど、バーベキューパーリーと聞くとこのコピペを思い出すぜ。
まあ、アメリカ人のバーベキューへの思い入れは凄まじいものがあるからな。
海外赴任中に取引先のデブに、ディナー奢ったお礼に誘われて、嫌々行ってみたんだが、
まず肉が凄い。キロ単位で塊で買ってくる。手土産に持ってった肉をみて「それじゃ足りないよ、
貧乏人」という顔をする。エコノミックアニマルはいつまでも肉食には慣れないらしい、みたいな。
絶対、その肉4キロより、俺が買ってきた肉500gの方が高い。っつうか、それほぼ脂身じゃねえか。
で、デブが肉を切る。やたら切る。不良風のデブ娘とデブ息子もこのときばかりは親父を尊敬。
普段、目もあわせないらしいガキがダディクールとか言ってる。郷ひろみか? 畜生、氏ね。
鉄板も凄い、まず汚ねぇ。こげとかこびりついてる。 洗え。洗剤で洗え。つうか買い換えろ。
で、やたら焼く。焼いてデブ一家で食う。良い肉から食う。ゲストとかそんな概念一切ナシ。
ただただ、食う。デブが焼いて、デブがデブ家族に取り分ける。俺には回ってこない。畜生。
あらかた片付けた後、「どうした食ってないじゃないか?」などと、残った脂身を寄越す。畜生。
で、デブ一家、5キロくらい肉を食った後に、みんなでダイエットコークとカロリーカットのビールを飲む。
「今日は僕も飲んじゃう」とかデブ息子が言う。おまえ、酒どころか絶対薬やってるだろ?
デブ娘も「ああ、酔っちゃった、あなた素敵ね」とか言う。こっち見んな、殺すぞ。
デブ妻が「太っちゃったわね」とか言って、デブ夫が「カロリーゼロだから大丈夫さ」とか言う。
ずっと誘われても行かなかった高2のときのクラスの同窓会に、もういいだろう、という心持ちで参加した。
飲み会で、当時、おれを何かといじめていた奴らの一人がすぐ近くの席に座った。奴から受けた、いろいろな体験が頭をよぎったけど、あれからお互い成長した(はずだ)しな、と思いつつ、「お前は○○だよな?」と話しかけた。いじめる、いじめられる、という関係があったとは思えないほどに、身の上話から始まって、楽しく話が進んだ。周りも、はじめはおれを腫れ物のように扱っていたのに、それを見て、積極的に話しかけてきた。同窓会自体、三次会まで、何の問題もなく終了した。またこいつらと会いたいとまで思った。
二週間くらいして、例の「元いじめ」から電話があった。バーベキューの誘いだった。彼女を連れてこいと言われたけど、そんな気分にはまだなれなかったので、断るつもりで「聞いてみるよ」とだけ言った(と思う)。
行ってみると、そいつの職場の知り合いや、大学の知り合いが十人ほど来ていた。なんにせよ、人から好かれるタイプなんだと思った。当然のように、その人たちに、あいさつして、酒を勧め、肉を野菜をソーセージを取ってやり、打ち解けるよう動いていた。もしかしたら、無意識に、おれは昔から変わったんだとアピールしたかったのかもしれない。
バーベキューのあとに、その中の数人で、近くのマンガ喫茶で、ダーツをすることになった。ダーツはやったことはあるものの、元々不器用なだけに、上手くはない。最初こそ、運もあってひどくはなかったが、当然のように沈んでいった。あいつが茶化し始めた。苦笑いを繕ったけど、にわかには収まりが付きそうにない怒りを覚えた。最後だけ笑顔で別れた。
なぜ政府は少子化対策を、既婚者子持ちにばかりやるのか。 デートとかして、バーベキューとか、花火とか、クリスマスとか、バレンタインとか、 カラオケとか、プリクラとか、メールとか、ショッピングとか 遊園地とか、温泉とか、ドライブとか、コンサートとか、海水浴とか、映画とか、 ボーリングとか、そういうの沢山やって、 手をつないだりして、チューとかして、セックルとかやりまくって、結婚までして、 子供まで産んだ様な勝ち組にばかり少子化対策と称する支援して、 そういうのを全然やりたくても出来ない人には、全く支援しないのか。繁殖したいのに。 不平等すぎる。税金払ってるのに。 ___ / \ / \ /:::::: ヽ |::::: i <プラモ・・つくるお・・・ ヽ::: __/ /:::: \ |::: _) |:::: i \___、_____ ノ _)
質問に質問で返されて
答えるのもアレだが
30代だよ。
そういや、結構男で包丁で切るの上手い奴がいて、
思い切り株を上げてた。
思えばバーベキューやるときとかに似てるなー。
年末に近づくにつれて、
飲み会が増えてくる。
同年代が多い飲み会になると必ず、
そこにいる女性が「いい男いない?」という
話をし始める。
男4、女1、みたいな飲み会でそういう話題になると、
面と向かってまるで「お前らは眼中にねえ」と
言われているかのようで、男どもは苦笑するしか
ないのだけれど、どんな飲み会でも
だいたいこういう話がでるので、
アラサー女子には「出会いの質」が
非常に重要なのだろう。
でも僕から見たら、そういうことを言っている
1は男性諸氏ならたいてい遭遇したことがあるだろう。
ある程度稼ぎもありつつ、おしゃれな人」
みたいなことを平気で言う。
(残念ながら、そんな人はもう売り切れてますから!)
「有名店のディナーをおごってくれて楽しかったのに、
「手料理が食べたいっていうから作ってあげたのに、
『ごちそうさん』ってそのまま。皿ぐらい洗えよって感じ」
(確かに・・・)
応えられない男が多数なのも確か。
待っていても、街を歩いているのはたいがい平民なので、
そういう人はたいてい、男性が好意を持って近寄ってきたときも、
「条件100パーセントじゃないけど、まぁ付き合ってやるか」
という「上から目線」が初期設定になり、
必死なときほど、プライドを捨てて、
下から下から行くほうが良い結果が出やすいのだが、
そのあたりは女のプライドが許さないのかも。
2は、出会いたいのに「待ち」になっていることから
くる。
出会いを求める人はたいてい、コンパを開こうとする。
たとえば3対3の合コン。けっこう面白かった。
1人の人と気が合った。で、「次もまた何人かで飲み会しよう」
となったとする。
そうなったら、前回と別メンバー、かつ面白い友達を
集めなきゃいけない。そうなったときに、次にどんな
ポジションが見つけられる人選。難しい。
でも、それが面白くできれば、
ということになって、出会いの機会は増える。
◆
誘って」という話をする。で、友達が「今度の金曜日空いてる?」
と誘ってきて、OKなときにコンパに呼ばれる。
このときも、「コンパに誘ってくれる友達」が何人いるかということが
チャンスの数を増やす。
今はコンパの例を出したけれど、これは
遊びでもなんでもおんなじだ。
出会いのチャンスを増やすには、
同性の友達を増やす必要があるのだ。
自分を誘ってくれるのはほとんど同性。
女性の場合は単独行動をしないから、
誰かから何かに誘われたら必ず
「一緒に行ってくれる人」を探す。
だからこそ、「声をかけてくれる同性の友達」を
増やすことで、出会いのチャンスが広がるという理屈。
そこを理解せずに、
異性の友達をどれだけ増やそうとしても、
その労力は報われない。
男から見たら、
「出会いを求めてるらしいから○○さん紹介するよ」みたいに、
1人の女性を友達に紹介することはまずない。
だって、その子がかわいかったら「誰にも教えたくない」し、
(紹介した人にとって)かわいくなかったら
「なんでお前はハズレを紹介するんだ」
ってなる。
あるいは、「ケータイ教えてよ!」みたいに女性にガンガン来られると
逆に引いてしまう。
そんなわけでとにかく、同性の友達を増やしてみるといいと思う。
いつかはピンと来る人に出会える。
2-2
どんなに出会いが少ない人でも、まったく男性と会わずに
毎日を過ごしている人は少ないと思う。
たとえば「職場にいい人いないの?」とか聞くと、
違う。まずその発想が違う。
別に目の前にいる人そのものと付き合ったり
見定めてポイする必要はないのだ。
パッと見てさえないヤツでも、イケメンが友達に
いたりするのだ。
だから、その人だけを見て「ありかなしか」判断するのではなく、
その人を経由して、誰かと出会えないかを考えてみるといい。
「今度バーベキューしようかって言ってるから、
誰か友達連れてきて。できれば会社以外の人で」
という風に頼めば、男は嫌がりながらもだいたいつれてくる。
そうやって、「つないで」「広げて」いくことで、
出会いの数は広がる。
イケメンじゃないから、話が下手だから興味もないし
関心もない、みたいに切り離すと、出会いの絶対数は確実に減る。
おせっかいかもしれないが、
いつもそんなことを話してみたりする。
彼女(私と同い年、20代半ば)は5年くらい前に糖質に罹患して、
それ以来良くなったり悪くなったりを繰り返しているらしい。
今は病状が安定してきたらしく、昼から夕方までの5時間勤務をやっている。
しかし。
とにかく席にいない。仕事をしない。ふっと目をやると爪をいじったり携帯いじったりしている。
そんな状態が一年半あまり続いている。
いったいどこに行ってるか一回あとをつけてみたらトイレの個室にこもっていた。一時間後に戻ってきた。
それ以外にも休憩室や会社にあるカフェなどであたりまえのように一~二時間くらい休んでいるらしい。
上司は、小言で病状が悪化することを恐れているのでなかなか強く言えない。
何か言うとその場は直るらしいが、二日三日経つと元どおりになってしまう。
実際、私がこの職場に着任したとき彼女直属の上司に本人にあまりきついことは言わないでほしいと言われた。
それでも初めのころは病気で具合が悪いんだろうし、仕方ないことと思っていた。
来るわ来るわ勧誘のメール。
何月何日にみんなでバーベキューやりますとか、スノボ旅行に行きますとか。
はっきり言って休日はヒキコモリの私に比べるとものすごくアクティブ。
興味がないので断るがなんで来られないかを執拗に聞いてくる。
勧誘にノルマでもあるんだろう。
だが、正直言ってうっとうしい。勘弁してよ。
知ってるのか知らないふりをしてるのかは知らんが、
あんたがあんまりにも酷い勧誘するから前の派遣の子はやめちゃったんだよ。
5時間勤務の半分も席にいられないんだったら
うちの会社はそこそこ大きくてメンヘラの復帰も難しくないんだから。
いないならいないなりにルーチンを変えていくからさあ
中途半端にいられてもどうしようもないんだよ。
っていうかマルチ活動する元気があるなら仕事も少しくらいできるだろ。
くそっはっきり言ってやりたい。言えないけど。
今の会社に勤め始めて4年。
ある先輩から一切口をきいてくれなくなりました。
もうずっと私とコミュニケーションをとるのがいやでいやで仕方ない、そういった風です。
入社してすごく親切にしてくれた先輩でした。
私がやっと入った後輩だからって本当にやさしく会社のことを教えてくれました。
お昼ごはんのグループにもさそってくれたし、お宅にお邪魔したこともあります。
私も先輩も本が好きなので色んな本をお互いに貸し借りしました。
先輩が好きなライヴに一緒に行ったり、高速に乗って買い物に行ったり、すごく楽しかったです。
ウチの会社は田舎にあるせいか、社員同士の結びつきがとても濃くて。
前の会社がとてもドライだったので社員の有志で新年会をしたり、
特にその先輩はそういったことが好きで、なにかといえば立案して。
実は私はそういったことが苦手なので、でも先輩がせっかく誘ってくれてるから
他の人が集まる2時間前から支度して。
本当はお酒とか呑めないけれど、先輩のことが好きだからがんばって参加してました。
本当に先輩のことが大好きでした。
原因もわかってるんです。
雑務を私が疎かにしていたから。
私はどうしても優先させなければいけない仕事をしていて、
見かねた別の先輩がいつもは私がやってる雑務をやってました。
一刻を争う仕事で今日こそはやらなきゃ、と思いながらも時間がとれなくて、正直ありがたかったんです。
それをみた先輩は『どうしてあなたがやらないの?』そういう目で私をみていました。
「ごめんなさい、今急ぎをやってるので」
すぐに私をいさめようとしたけれど
そう弁解しても、もう先輩の角は収まりませんでした。
一言もしゃべってくれませんでした。
毎日先輩が怖くて怖くてしょうがない。
一緒の部屋にいるだけで胃が痛くなる。
お昼ごはんがきちんと食べられなくて(食堂で大勢で食べているので)体重も3キロ減った。
みんなと一緒になって話しかけても私だけ空気のようで。
挨拶をしても返事はなく、電話しても私が喋っている途中で切られます。
仕事で話しかけても最低限のことすら返してくれません。目もあわせてもくれません。
話してくれた!と思ったら何もないことなのにいつも怒っています。
上司に相談しようかとも思ったけれどこんな子供みたいなことで煩わせたくない。
もう嫌いなら嫌いで良いから、ビジネスライクで良いから普通にしてほしいと望むのは我が儘なのでしょうか。
面と向かって言えない自分が一番嫌いだ。
結局、先輩の思うようになれなかったから切られちゃったんでしょうか。
もうどうしたらいいかわからない。
こんなことなのに。助けて。