はてなキーワード: コペルニクスとは
自民党総裁候補の高市早苗さんが2030年代に実現する(最初は2020年代)と言って話題になった核融合。高市さんのキャラもあってか「そんなもんできるわけねーだろ」的に扱われることもあるが、実は世界の核融合ベンチャー企業では「2030年代に核融合実現」を掲げて100億以上投資を受けている企業が複数あるので、業界としてはさして驚きはないのである。というわけなので、いくつかの核融合ベンチャーと、官製の核融合実験炉であるiterについて簡単にまとめてみる。
冷戦終結の一つのシンボルとして米露が共同で建設を決めていたiterに、単独で実験炉を作るのを予算的に躊躇していた各国が相乗りしたのが現iterの体制である。
建設地決定の遅れや、上記の各国が機器を持ち寄って組み立てるという、みずほ銀行の勘定システムばりにカオスな体制のために建設は当初予定から20年近く遅れ、2025年初稼働(テストみたいなもん)、本格稼働は2035年という状況になっている。実はこの遅れが核融合ベンチャーが乱立する現在を作ったと言っても過言ではない部分があって、というのも、核融合ベンチャーにはiterに予算が取られて食い詰めた研究者が立ち上げた組織が多いのである。
炉形式は保守的なドーナツ型のトカマク。国際協調なのであまり斬新なアイデアは盛り込まれず、磁石も昔ながらの低温超伝導導体を使う。
投入エネルギーの10倍程度の核融合エネルギーを出すことを目指すが、投入"電力"ではないため、正味はマイナス。発電設備も持たない。ここで得た知見を元に発電を行う"原型炉"を設計する、というのが各国政府の公式な計画(ただし予算は決まってない)である。
iterなどの保守的トカマクが、よくあるドーナツ的な形のプラズマを作るのに対して、球状トカマクは球の真ん中に細い貫通穴を通したような形状をしているのが特徴。球状トカマクは磁場を使ってプラズマを閉じ込める(押し込める)のに有利ではあることがわかっているものの、まだ高温・高密度での実績は弱い。
トカマクエナジーは高温超伝導導体で球状トカマクの磁石を作ることを目指している。球状トカマクは保守的トカマクに次いで実績があるので(日本には九州大学にQUESTという中型装置がある)核融合ベンチャーとしては「目新しさ」は弱いものの、逆に堅さがあるともいえるだろう。米国プリンストン大学(NSTXという装置が燃えて止まっている)とも連携しているらしく、そういう意味でもチームが強い。
すでに100億以上の資金を調達しており、堅実に装置を作って稼働させている。すでに1500万度程度のプラズマを実現している(年内にはこの装置で1億度を目指す)ため、単純な段階としては核融合ベンチャーのトップランナーと言って良い。(世界最高温度は1000億単位かかった日本JT-60Uの5.2億度)
2030年までに電力を電力網に送り出すことを目標としている。
MITのチームがベースになって設立した核融合ベンチャー。もともとMITはAlcator C-modというトカマクを持っていたが、CFSはこれをベースにしたARCという核融合炉を提案している。現在はその前段階装置であるSPARCを建設中である。
Alcator C-modは小ぶりながら、世界最強の高磁場(最大8T)を作れるトカマクとして、他では真似できない成果を出していてプラズマ業界では存在感があったものの、2016年に完全にシャットダウンした。それと前後して元々力のあったMITの高温超伝導研究者とAlcator c-modのプラズマ研究者がタッグを組んで提案したのが、ARCである。
2030年代にはSPARC(商用炉でないものの投入電力より大きな出力を出すことを目指している)を稼働させることを目指しているので、ほぼtokamak energyと同じ目標を少し遅めの日程で掲げていると言ってよいだろう。
ARCという名前は、どう見てもアイアンマンのアークリアクターに引っ掛けているのだけど、残念ながらロバートダウニーJrは再エネ関連に投資しているようでアイアンマンとのシナジーはないようだ。
MTF(磁化標的核融合方式)と呼ばれる方式で核融合炉を目指すカナダのベンチャー。この企業はCEOの人のカリスマ的なやつで早期にお金を集めたという印象がある。CFSやtokamak energyがトカマクによる磁場閉じ込めでの長い歴史と実績(90年代に米国はMITの装置ではないが1000 kWを超える核融合出力を実現している)とチームの長い研究歴を背景に、ある種の堅実さをアピールしている一方で、MTFはテーブルトップでの成果も出ていない状態からスタートアップを初めている。液体金属をぐるぐる渦巻かせて中心に空間を作り、そこに吹き込んだプラズマを液体金属で爆縮して断熱圧縮で高温にするというシステムである。野心的であるということはゲームチェンジャーになりえるということであるが、一方で論文などの試算はかなり大雑把なものなので(プラズマや液体金属がうねったりせずにすごくきれいに断熱圧縮される計算)、「そんなきれいに押しつぶされてくれるもんかねぇ?」という印象を持っている人は多いだろうと思われる。
メジャーな核融合ベンチャーの中では多分最古参企業で、おそらく最大の資金投資を受けている企業。FRCという、トカマクなどとは異なる磁場閉じ込め形式を目指す。FRCはプラズマを閉じ込める磁場を、コイルではなくプラズマの動きで作る。5000万度を達成済で、2030年までに発電実証を目標としている点はCFSやtokamak energyと同じ。FRCは高温は作れてもプラズマを安定して維持する能力は低いので、5000万度を作ったからかといって他より先に進んでいるかというとそんなことはないが、装置を作りまくって成果を出しているのは確かである。元々は陽子とボロンの核融合反応を使った発電を目指しており、その反応で出る3つのアルファ粒子に由来して"Tri Alpha Energy"という名前だったのだが、今は他の形式と同じ重水素と三重水素を使った発電を直近の目標とした(陽子ーボロンも捨ててないらしい)ためTAEと名前が変わったらしい。
細かいところはよく知らないが、核融合一辺倒ではなく、応用技術の特許化などで収益をだしているらしく、そこはすごい。
装置名が「ノーマン(現行)」「コペルニクス」とかっこよいのも特徴。
京都大学小西教授が率いる日本初の核融合ベンチャー。小西教授は核融合炉ブランケット(後述)を専門にしている人で、一般向けエネルギー関連書籍を出してたりしている。
ただし、この会社は核融合炉全体を設計するのではなく、ブランケット(核融合で出た中性子を受け止めて熱に変換するところ)の設計を売る会社である。海外などのプラズマ屋さん主導の核融合ベンチャーは、ブランケット設計はあまり注力していないところが多いので、そういうベンチャーに「あんたの炉はこんなブランケットがおすすめですよ」と設計を売るのが仕事。まぁベンチャーの目的なんて投資額と投資家の意思でどうにでもなるといえばそうなので、お金が予想外に集まればプラズマ屋さんも集めて核融合炉全体の設計・製作だってやるのかもしれないが、さしあたり核融合炉自体を作る予定はなさそうである。ほかもそうだが、日本のベンチャーはこの2年でようやく2つ立ち上がっただけなので、今は正直海外と比べると桁違いに規模が小さいし弱い。ここも表に出ている研究者は一人だけである。
Webサイトの小西先生がちょっと疲れているように見えるのが気になる。
2019年創業。"日本初のフルスタック核融合ベンチャー"をうたう企業。光産業創成大(浜松ホトニクスという企業が作った大学院大学)の研究者が設立したらしいが、新しいため詳細は不明。"フルスタック"という言葉はよくわからないが、京都フュージョニアリングがブランケットのみの開発を売っていることと対比して、核融合炉全体を見て実現を目指すという意味だろうと思われる。レーザー核融合は米国NIFの2010年代の大コケにより世界的に元気がないので、生き残りをかけているのだろう。日本のレーザー核融合といえば大阪大学のレーザー研があるが、こことどの程度の連携をするかなども詳細不明である。
ちなみに、"EX-Fusion"で検索すると、ドラゴンボール関連ゲームでの同名の設定のほうが上位に表示される。
Webサイトのみ公開されている未設立の企業。まだ設立すらしていないので何もかも謎だが、噂では日本の核融合科学研究所のチームが作るようだ。核融合科学研究所は1億度を超えるプラズマの実績のあるヘリカル型(トカマクとは違うよじれたコイルが特徴)の装置を保有しているのだが、近々シャットダウンを予定している。その後は新規の大型装置の予算が確保できないために小型設備での基礎研究に舵を切るとされているため、内部の核融合発電所を本気で作りたい一派が起業するらしい。日本で"ヘリカル型"といえばここか京都大学なので、名前からしてどっちかであるのは確かだろう。
貨幣の前身は、言語とともに、初期の現代人が他の動物が解決できない協力の問題を解決することを可能にした。これらの原型は、非フィアット通貨と非常に特殊な特徴を共有しており、単なる象徴や装飾品ではなかった。
17世紀のイギリスのアメリカ植民地では、当初から硬貨の不足という問題があった。イギリスの考えは、大量のタバコを栽培し、世界的な海軍や商船の船のために木材を切り出し、その見返りとしてアメリカ人の労働力として必要な物資を送るというものであった。つまり、初期の入植者は、会社のために働き、会社の店で買い物をすることになっていたのである。投資家と王室は、農民の要求に応じてコインで支払い、農民自身に物資を買わせ、さらに天罰として利益の一部を確保するよりも、この方法を好んだ。
植民地の人々の解決策は目の前にあったが、彼らがそれを認識するまでには数年を要した。原住民はお金を持っていたが、それはヨーロッパ人が慣れ親しんできたお金とは全く違っていた。アメリカン・インディアンは何千年も前からお金を使っていたし、新しくやってきたヨーロッパ人にとっても便利なお金であった。しかし、ニューイングランドの人々は、銀も金も使わず、自分たちの生活に最も適したお金を使っていた。その代わりに、彼らは獲物の耐久性のある骨組みという、その環境に最も適した貨幣を使っていた。具体的には、ワンパムと呼ばれる貝(ホンビノスガイ)とその近縁種の貝殻をペンダントにしていた。
貝は海でしか採れないが、ワンパムは内陸部でも取引されていた。アメリカ大陸の各部族には、さまざまな種類の貝殻貨幣が存在していた。イリコイ族は、貝の生息地に近づかずに、最も大きなワンパムの財宝を集めることができた。ワンパムを専門に製造していたのは、ナラガンセッツ族などほんの一握りの部族で、他の何百もの部族(その多くは狩猟採集民)がワンパムを使用していた。ワンパムのペンダントは、長さとビーズの数が比例しており、様々な長さのものがあった。ワンパムペンダントの長さは様々で、ビーズの数は長さに比例しており、ペンダントを切ったり繋げたりして、支払った金額と同じ長さのペンダントを作ることができた。
入植者たちは、本当のお金とは何かという問題を克服すると、ワンパムの取引に熱中した。貝(clam)は、アメリカでは「お金」の別名として使われている。ニューアムステルダム(現在のニューヨーク)のオランダ人知事は、イギリス系アメリカ人の銀行からワンパムで多額の融資を受けた。しばらくすると、イギリス当局もこれに同調せざるを得なくなった。1637年から1661年にかけて、ニューイングランドではワンパムが法定通貨となった。植民地の人々は流動的な交換手段を手に入れ、植民地の貿易は盛んになった。
ワンパムの終わりの始まりは、イギリスがアメリカ大陸に多くのコインを出荷するようになり、ヨーロッパ人が大量生産の技術を応用するようになってからである。1661年になると、イギリス政府はワンパムの製造を中止し、本物の金や銀、そして王室の監査を受けてブランド化されたコインで支払うことにした。この年、ニューイングランドではワンパムは法定通貨ではなくなった。1710年にはノースカロライナ州で一時的に法定通貨となった。ワンパムは、20世紀に入っても交換手段として使われ続けていたが、その価値は西洋の収穫・製造技術によって100倍にも膨れ上がり、貨幣が発明された後に西洋で金や銀の宝飾品が行き渡ったように、よくできたお金から装飾品へと徐々に変化していった。アメリカの貝貨の言葉は古風な遺物となった。百貝は百ドルになった。「Shelling out」とは、コインや紙幣で支払うことを意味し、やがて小切手やクレジットで支払うようになった。我々は、自分たちの種の起源に触れてしまったことを知らなかった。
ネイティブ・アメリカンのお金は、貝殻以外にも様々な形があった。毛皮、歯、そして後述する特性を持つ他の様々な物体も、交換手段としてよく使われた。12,000年前、現在のワシントン州で、クロービス族は、驚くほど長い角岩の刃を開発した。しかし、すぐに折れてしまう。これでは切ることもできない。火打ち石は「楽しむため」に作られていたのか、それとも切ることとは関係のない別の目的のために作られていたのか。後述するように、この一見軽薄に見えることが、実は彼らの生存にとって非常に重要であった可能性が高い。
しかし、ネイティブ・アメリカンは、芸術的ではあるが役に立たない刃物を最初に作ったわけではないし、シェル・マネーを発明したわけでもない。ヨーロッパ人も、昔は貝や歯をお金にしていたし、牛や金、銀、武器なども使っていた。アジア人は、それらすべてを使い、政府が発行した偽物の斧も使っていたが、この制度も輸入していた。考古学者が旧石器時代初期の貝のペンダントを発見しており、それがネイティブ・アメリカンのお金の代わりになっていた可能性があるからだ。
1990年代後半、考古学者のスタンリー・アンブローズは、ケニアのリフトバレーにあるロックシェルターで、ダチョウの卵の殻やブランク、貝殻の破片でできたビーズのキャッシュを発見した。これらのビーズは、アルゴン-アルゴン(40Ar/39Ar)比を用いて、少なくとも4万年前のものとされている。スペインでは、この時期に穴の開いた動物の歯が発見されている。また、レバノンの旧石器時代初期の遺跡からは、穴の開いた貝殻が出土している。最近では、南アフリカのブロンボス洞窟で、さらにさかのぼって7万5千年前に作られたビーズ状の貝殻が発見されている。
現代の亜種はヨーロッパに移住しており、紀元前4万年頃から貝殻と歯のネックレスが登場している。また、オーストラリアでは紀元前3万年頃から貝と歯のペンダントが出土している。いずれも高度な技術を要するものであり、もっと昔から行われていたと思われる。採集や装飾の起源は、解剖学的に現存する亜種の原産地であるアフリカである可能性が高い。人類が常に飢餓と隣り合わせの生活をしていた時代に、貝殻の製造には膨大な技術と時間が必要だったのであるから、収集してネックレスを作ることには重要な選択的利益があったはずである。
実質的な貿易を行っていない文化や、現代的な貨幣を使用している文化であっても、事実上すべての人類の文化は、ジュエリーを作り、楽しみ、実用性よりも芸術性や家宝としての価値を重視している。我々人間は、貝殻のネックレスやその他の種類のジュエリーを、純粋に楽しむために集めている。進化心理学者にとって、人間が「純粋に楽しむため」に何かをするという説明は、説明ではなく、問題提起なのである。なぜ多くの人が宝石を集めたり身につけたりすることを楽しんでいるのか?進化心理学者にとってこの問題は「何がこの楽しみを進化させたのか?」ということである。
進化心理学は、ジョン・メイナード・スミスの重要な数学的発見から始まる。スミスは、発達した集団遺伝学の分野から、共進化する遺伝子の集団のモデルを用いて、単純な戦略的問題(ゲーム理論の「ゲーム」)で使用される善悪の戦略をコード化できる遺伝子を提唱した。スミスは、これらの遺伝子が次世代への伝播を競っている場合、競争相手が提示する戦略問題に対してナッシュ均衡となる戦略を進化させることを証明した。このゲームには、協力の典型的な問題である「囚人のジレンマ」や、攻撃とその緩和の典型的な問題である「鷹と鳩」などがある。
スミスの理論で重要なのは、これらの戦略的ゲームは、近距離の表現型間で行われているが、実際には、究極のレベルである遺伝子間のゲーム、つまり伝播されるべき競争のレベルで行われているということである。遺伝子(必ずしも個体ではない)は、あたかも拘束された合理性(生物学的原材料と過去の進化の歴史を考慮して、表現型が表現できる範囲内で、可能な限り最適な戦略をコード化する)と「利己的」(リチャード・ドーキンスの比喩を使用)であるかのように行動に影響を与える。遺伝子が行動に与える影響は、遺伝子が表現型を通じて競合することで生じる社会的問題への適応である。スミスはこれらの進化したナッシュ均衡を進化的安定戦略と呼んだ。
性淘汰や血縁淘汰など、それまでの個人淘汰説の上に構築されていた「エピサークル」は、このより一般的なモデルの中に消え去り、コペルニクス的な方法で、個人ではなく遺伝子を理論の中心に据えることになる。このようにドーキンスは、スミスの理論を説明するために、「利己的な遺伝子」という比喩的でよく誤解される言葉を使っている。
旧石器時代の人間のように協力し合う種は他にほとんどない。雛の世話、アリ、シロアリ、ハチのコロニーなど、動物が協力するのは親族だからであり、親族にある自分の「利己的遺伝子」のコピーを助けることができるからである。非常に制約の多いケースでは、進化心理学者が「相互利他主義」と呼ぶ、親族以外の者同士の継続的な協力関係も存在する。ドーキンスの説明によると、好意の交換が同時に行われない限り(場合によってはその場合でも)、どちらかが不正を行うことができる。そして、普通はそうする。これは理論家が「囚人のジレンマ」と呼んでいるゲームの典型的な結果である。詐欺師と吸血者の集団では、常に詐欺師が勝つ。しかし、「Tit-for-Tat」と呼ばれる戦略を用いて、相互作用を繰り返すことで協力するようになる動物もいる。この報復の脅威が継続的な協力の動機となる。
しかし、動物の世界で実際にそのような協力が行われる状況は、非常に制約が多い。主な制約は、少なくとも一方の参加者が多かれ少なかれ相手の近くにいなければならない関係に限定されていることである。最も一般的なケースは、寄生虫とその体を共有する宿主が共生体に進化した場合である。寄生虫と宿主の利害が一致し、どちらか一方が単独で活動するよりも、両者が一緒に活動する方が適している場合(つまり、寄生虫が宿主にも何らかの利益をもたらしている場合)、Tit-for-Tatゲームを成功させることができれば、両者の利害、特に世代間の遺伝子の出口メカニズムが一致した状態である共生体に進化する。そして、1つの生物となるのである。しかし、ここでは協力だけではなく、搾取も行われている。それらは同時に起こる。この状況は、以下で分析する人間が開発する制度、つまり貢ぎ物に類似している。
寄生虫と宿主が同じ体を共有して共生体に進化するのではない、非常に特殊な例がある。寄生虫と宿主が同じ体を共有し、共生生物に進化するのではなく、同族ではない動物と高度に制限された縄張りを持つ、非常に特殊な例がある。ドーキンスは、クリーナーフィッシュを例に挙げている。この魚は、宿主の口の中を泳いで出入りし、そこにいるバクテリアを食べて宿主の魚に利益をもたらす。宿主である魚は、クリーナーが仕事を終えるのを待ってから食べるというズルをすることもできる。しかし、そうはしない。両者とも移動可能なので、潜在的には自由に関係を断つことができる。しかし、クリーナーフィッシュは個々の縄張り意識を非常に強く進化させており、偽造しにくいブランドロゴのように、偽造しにくい縞模様や踊りを持っている。宿主魚はどこに行けば掃除してもらえるかを知っているし、もし不正をしたら、新しい不信感を持った掃除魚ともう一度やり直さなければならないことも知っているのだ。この関係の入口コスト、つまり出口コストが高いので、不正をしなくてもうまくいくのである。それに、クリーナーフィッシュは小さいので、それを食べることで得られる利益は、少数の、あるいは1匹のクリーニングで得られる利益に比べて大きくはない。
最も適切な例として、吸血コウモリがある。その名の通り、獲物である哺乳類の血を吸う。面白いのは、良い夜には余剰分を持ち帰るが、悪い夜には何も持ち帰らないことだ。彼らの暗躍は非常に予測不可能である。その結果、幸運な(あるいは熟練した)コウモリは、洞穴の中で幸運でない(あるいは熟練していない)コウモリと血を分かち合うことが多い。彼らは血を吐き出し、感謝している受取人がそれを食べる。
このようなレシピエントの大部分は親族である。屈強な生物学者G.S.ウィルキンソンが目撃した110件の血反吐のうち、77件は母親が子供に食べさせるケースであり、その他のケースもほとんどが遺伝的な親族である。しかし、親族間の利他主義では説明できないケースも少なからずあった。これらが相互利他主義のケースであることを示すために、ウィルキンソンは2つの異なるグループのコウモリの個体群を組み合わせた。コウモリはごく稀な例外を除いて、元のグループの旧友にしか餌を与えなかった。このような協力関係を築くには、パートナー同士が頻繁に交流し、お互いを認識し、お互いの行動を把握するような長期的な関係を築く必要がある。コウモリ穴は、そのような絆を形成できる長期的な関係にコウモリを拘束するのに役立つ。
人間の中にも、非常にリスクの高い不連続な獲物を選び、その結果得られた余剰分を親族以外と共有していた者がいたことがわかるだろう。実際、人間は吸血コウモリよりもはるかに大きな範囲でこれを達成している。その方法が本論の主題である。ドーキンスは、「お金は、遅延した相互利他主義の正式なトークンである」と示唆しているが、この魅力的なアイデアをそれ以上追求することはない。我々はそうする。
人間の小集団の中では、世間の評判が一人の個人による報復よりも勝って、遅延型互恵主義の協力を動機付けることができる。しかし、評判を信じることには2つの大きな誤りがある。どの人が何をしたかについての誤りと、その行為によって生じた価値や損害を評価する際の誤りである。
顔や好意を記憶する必要があるというのは、認知上の大きなハードルであるが、ほとんどの人間は比較的容易に克服できると考えている。顔を認識するのは簡単であるが、好意を受けたことを思い出すのは難しい。また、好意を受けた人にとって、その好意がどのような価値を持つものであったかを思い出すことは、さらに困難である。紛争や誤解を避けることは、不可能なほど、あるいは法外に難しいことである。
パート2: https://anond.hatelabo.jp/20210906120933
パート3: https://anond.hatelabo.jp/20210906125926
パート4: https://anond.hatelabo.jp/20210906130017
日本の地質学界ではマルクス主義思想が強かったことや、ソ連が推す地向斜造山論に傾倒していたことなども重なり、センメルヴェイス反射状の反応を起こし、学会で受け入れられるまでには一般社会で普及してから10年以上を要した[58]。
科学と言いながら、結局それは政治や権力や、もっと究極的には世俗世相の膾炙に大きく依存するということ。
天動説派と地動説派の終わりなき永劫の憎悪の応酬に過ぎないのではないのかね。
勝ち負けを科学の基礎に据えればそうした革命もどきの浅ましい構図に堕落する。
だが、本当に科学を求めるのなら、
そして、新しいことを科学者として受け入れなくてはならない究極の悲しみに直面することになるだろう。
信じるが故に信じもしなかったことを現実として信じることを受け入れさせられるのだ
…育んだ命が死に、
命とも思えぬものが芽吹くのが科学なのではなかったのだろうか、・・・?
そこに世俗の勝ち負けだ政治だ権力だ、名声だ名誉だ怒りだ憎しみだ執着だ望みだ富だ正義だ、正統だ、だのが絡んできたら・・・
自らが求めていた正しさの果たして何が正しかったのか、私は一体何を求めていたのか、
見失うことは想像に難くない。
こんな不安定な世界の中では、"正しさ"の輪郭や背骨、根幹などは、何らの頼りにもよすがにもならない
それでも私は、科学が正しいと、
そこにずっとあり続けるものが正しい、というか、信じ続ける、というものが、あるかどうか
そうしたものへの尊崇が共有できない限り、人はきっと、決して、科学というものを語り合い、
況してや分かり合うなどということは適わないのだろうと思う
干していた布団が洒落ではなく本当に吹っ飛んでいた
笑う隙間もない
干していた掛け布団がまず吹っ飛んでいて、芝生の上にその痴態をさらしていた
次に敷布団のタオルケットみたいな布団が吹っ飛んでて、布団は吹っ飛ぶもんだというコペルニクス的転換点を知った
何しろ布団は吹っ飛ぶ
これでもか、というくらいに吹っ飛んで、可憐な姿でたんぽぽと一緒に咲き狂う
そんなに布団は吹っ飛びたいのかと思う
ともかく遊びに来ていた近所の灰トラの猫が驚いて逃げるほど布団は吹っ飛ぶ
こんなにも吹っ飛ぶのか
そんなにお前は吹っ飛びたいのか
お茶を入れてる隙きに素早く布団は吹っ飛ぶ
ふっとばすぞ布団と宣言したところでお前は吹っ飛ぶ
もうほんと布団は吹っ飛ぶ
17世紀にコペルニクスの地動説を支持したガリレオ・ガリレイはカトリック教会から裁判にかけられて2回有罪となり、今後地動説を唱えないことを約束させられ、著書は出版できなくなった。しかし後世の検証ではどちらが正しくどちらが誤っていたかは明らかである。
このように、大勢の人間が唱えるからと言って、それが学説として本当に正しいのかどうかはあとになってみないとわからないことで、この世は溢れている。それなのに現代の人々も自説とは異なる主張をする人々を愚か者呼ばわりし、罵倒する。
近年、GOSMIAではなくGSOMIAの方が正しいと高をくくって冷笑的態度を決め込む人々も、後世から裁かれる側の人間に属していることに気づかない。
誰がどのように騒ごうとも真理は変わらない。
かわいい女の子にアナルがあるのかないのか、それは有史から始まる人類の壮大な疑問である。
一方で、その研究は禁忌とされており、秘密裡に研究を行った者はアナル教団により宗教裁判にかけられたり、定かではないが闇に葬られた者もいるそうだ。
近年、その禁忌を破らないよう十分に配慮されたある画期的な思考実験が行われた。
世紀の天才アナル学者とも称されるアナバート・アナルシュタインにより1年の歳月をもって完成されたとされる。
「かわいい女の子にアナルはない」と仮定するならば"かわいい女の子"というものをまず定義しなければならない。
しかし、"かわいい"は主観的な物であり、その評価は人それぞれであろう。
しかし、アナバート・アナルシュタインはそこを一歩進め独自に思考実験を行ったのだ。
アナバート・アナルシュタイン「かわいい女の子にアナルはない?かわいい女の子とは個人の好みで変わる?ならば、女の子にアナルがあったりなかったりすればよいのだ!」
このコペルニクス的転換ともいえる大発見により、相対性アナル理論が唱えられた。
相対性アナル理論、それはアナルの存在には相対性があるという一種の仮説である。
女の子を観測した場合、男として行うのは「かわいい」「普通」「ブス」の3パターンの思考である。
相対性アナル理論によれば、かわいいと思った人をA、普通だと思った人をB、ブスだと思った人をCとすると、
B,Cにとってはその女の子にアナルはあるし、Aにとってはないことになる。
アナバート・アナルシュタインは現時点で言えることはそれだけだという。
観測された女の子にアナルがある世界とない世界が並行して存在するといういわゆるパラレルワールドだ。
思いつく範囲だけ。追加してほしい項目があれば教えてください。
ノーパンしゃぶしゃぶ http://b.hatena.ne.jp/entry/346526905/comment/AQM
俺だ俺だ俺だった
クンニの象徴である硬質のチン http://b.hatena.ne.jp/entry/350616983/comment/baikoku_sensei
オ、オレはワルだから
船橋来てくれたら飯食わしたる
にゃーん
はてなスターウォーズ
うーむ
6さいです。
いいおじいさんタグ
こんなアイコンなので気になる話です
私の言いたいことはすでに言われていた
ふーむ(封印中)
それ店動説 http://b.hatena.ne.jp/entry/352934128/comment/konekonekoneko
騎乗位
おじいさんをひっくり返せば http://b.hatena.ne.jp/entry/277451556/comment/metroq
獣は檻に入れとけタグ
(オススメのID?)この人かな http://profile.hatena.ne.jp/my/
腹筋1000回以上約束で死亡 http://b.hatena.ne.jp/entry/351774027/comment/Rag-Rush
自信作の増田が
「もしかして……」 「僕たちのアナル」 「「「「「「入れ替わってる~~~~~!!!?」」」」」 anond:20161005134918
よしこ http://b.hatena.ne.jp/entry/287841927/comment/sabacurry
おああーーーっ(闇属性) http://b.hatena.ne.jp/entry/338552466/comment/vlxst1224
こんなアイコンなので
よく知らない人。気持ち悪い http://topisyu.hatenablog.com/entry/amature_hatena_user
これが日本人だよ。
人間っていいな
今すぐ走り出せ!
頭を割って中を見たいタグ
6歳追加
通り魔追加
ダジャレ追加
牛追加
上目艮鏡追加
回るK追記
ア○メ追加
Nの人追加
ゼロの物追加
読めないボイロ追加
星人追加
5人位追加。一部の持ち芸追加。
3人追加。
1名持ち芸追加。
1名追加
1名追加
metroqの持ち芸一つ追加(ファックファックさん)
今すぐ走り出せ!追加
nevar-evol氏追加
普通の日本人民最悪の敵追加
私のダジャレのせいではありません追加
腹筋伝説追加
2018/01/14
2018/03/05
いいおじいさんコレクター追加
2018/05/19
諸君はこの颯爽たる
透明な清潔な風を感じないのか
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である
奴隷のやうに忍従することを欲するか
われらの祖先乃至はわれらに至るまで
ただ誤解から生じたとさへ見へ
諸君よ
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君は此の地平線に於ける
あらゆる形の山嶽でなければならぬ
宙宇は絶えずわれらによって変化する
誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを言ってゐるひまがあるか
新たな詩人よ
透明なエネルギーを得て
人と地球によるべき形を暗示せよ
この銀河系を解き放て
衝動のやうにさへ行われる
冷く透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
素晴らしく美しい構成に変へよ
新しい時代のダーヴヰンよ
透明に深く正しい地史と
増訂された生物学をわれらに示せ
おほよそ統計に従はば
潮や風……
あらゆる自然の力を用ひ尽くして
透明な風を感じないのか
http://anond.hatelabo.jp/20160112190750
見て真似したくなりました。
物心ついた頃
【定期講読】りぼん(姉購入)
ときめきトゥナイト(なるみ編)、星の瞳のシルエット、ねこねこ幻想曲
【定期講読】なかよし
なにはなくともセーラームーン。
ミンミン!、ミラクルガールズ
余談だが怪盗セイントテールよりも夢幻伝説タカマガハラのが好きだった
【定期講読】るんるん(なかよしの低年齢向け)
【定期講読】りぼん
【その他】
らんま1/2(姉購入)、放課後シリーズ(ライトノベル、姉購入)
小学校高学年
【定期講読】なかよし
【定期講読】りぼん
【定期講読】ジャンプ
【その他】
スレイヤーズ(ライトノベル)、宇宙皇子(姉購入)、稲中卓球部(借りた)、ぴくぴく仙太郎(経緯は忘れたがはまってた)
【定期講読】ジャンプ
ワンピース、NARUTO、仏ゾーン、HUNTER×HUNTER、マサルさん、ジョジョ5部
【定期講読】マガジン
ハーレムビート、サイコメトラーEIJI、GTO、カメレオン、コータローまかりとおる!
【定期講読】amie(なかよしの年上向け)
nervous venus、海野つなみ作品(kissの事情、telescope diary)、CLOVER、…
【その他】
彼氏彼女の事情、赤ちゃんと僕、BASARA(田村由美)、っポイ!、zero(やまざき貴子)
漫画雑誌を買わなくなり、友人間での貸し借りや、部室に先輩がおいてった漫画などが中心
うしおととら、め組の大悟、グラップラー刃牙、蒼天航路、ブラックジャック
ジェリービーンズ、ジェリーインザメリーゴーラウンド(CUTiE買ってた)
【定期講読】モーニング・ツー
不思議な少年、ファンタジウム、聖☆お兄さん、変ゼミ、惑星スタコラ
当時の話題作
ハチミツとクローバー、のだめカンタービレ、ピアノの森、団地ともお、もやしもん、働きマン、おおきく振りかぶって、ぼくらの、皇国の守護者(話題の)、ヒストリエ、BECK、カイジ、黒沢、ドロヘドロ、蟲師、20世紀少年……
岡崎京子(リバーズエッジ、ヘルタースケルター、うたかたの日々…)
真夜中のやじさんきたさん、ディエンビエンフー、ザワールドイズマイン、愛しのアイリーン…
BLに片足突っ込んだ系
雁須磨子(どいつもこいつも、のはらのはらの、じかんはどんどんすぎてゆきます、ご破算で願いましては)
読み逃してた名作系
三原順作品(はみだしっ子、ムーン・ライティング、Sons、ルーとソロモン…)
浦沢直樹作品(マスターキートン、monster、YAWARA…)
bananafish、秘密、漂流教室……
話題作は大体なんとなく一通り。あえて挙げるなら
イムリ、月に吠えらんねえ
地球を軸にその周りを宇宙が回っているという説で、プトレマイオスによって体系化された。中世のあいだは天体の運行を最も高い精度で計算できる理論であった。コペルニクスが地動説を復活させ、1627年にケプラーが地動説をもとにした高精度の天文表を発表したことで、地動説が広く支持されることとなった。ちなみに地動説がカトリック教会により迫害されたというのは真実ではないそうである。
物の状態・現象・性質を説明するための理論である。多くのバリエーションが存在するが、アリストテレスの「温・冷・湿・乾の四つの性質の組み合わせにより火・水・空気・土の四大元素が生まれる」という説が広く支持された。これが否定されたのは1661年、ロバート・ボイルの著書『懐疑的化学者』によってである。彼は近代的な「元素」観を確立し、後のラヴォアジエによる化学革命を準備した。
フロギストン(燃素)という元素が物質から分離することが「燃焼」であるとした説で、四大元素説のような迷信めいたものではない、科学的な理論として広く受け入れられた。1774年、ラヴォアジェは「燃焼とは物質と酸素が結びつくことである」と看破し、フロギストン説は否定された。
「熱」が物質に起因するか運動に起因するかということは長年にわたる議論の的であったが、ラヴォアジェは熱物質説を支持し、熱の原因となる物質を「カロリック(熱素)」と名付けた。1843年、マイヤーによって運動エネルギーと熱エネルギーが相互に変化することが明らかにされ、またエネルギー保存の法則が発見されたことにより、カロリック説は衰退した。
古代ギリシャのヒポクラテスが唱えたもので、人間の四つの体液のバランスが崩れることが病気の原因であるとする説である。四大元素説とも結びついたこの四体液説は、批判に晒されつつも長らく信じられていた。1858年、ウィルヒョウが「細胞病理学」を確立。すなわち病気とは細胞の異常によるものとされ、体液病理説は否定された。
アリストテレスが提唱したもので、「生物の中には親からではなく自然に発生するものがある」とする説である。たとえば虫やネズミなどがそうであるとされた。その後、レーウェンフックによる「微生物」の発見もあり、擁護と批判が繰り返されたが、パスツールが行った1861年の「白鳥の首フラスコ実験」などにより、自然発生説は完全に否定された。
ホイヘンスやニュートンらにより提唱されたもので、エーテルとは光が伝播するための媒質として想定された物質のことである。ニュートン力学とマクスウェルの電磁気学における光速度の矛盾を説明するために利用されたが、最終的に1905年、アインシュタインの特殊相対性理論によってエーテル説は否定された。
つい最近無断RT禁止をTwitterで行っている人達が批判的に扱われる騒動があった。
「なんだこいつRT嫌ならツイッターすんなヴォケ」みたいなただ感情的なだけの反応が数多く、
事を遡るに10年、「無断リンク禁止問題」が大きな話題になったこともあった。
今回の騒動はこの問題といくつかの点で相似している。
まず当人に一般的なルールの自覚があること、次に当人はその上でマイルールを制定したこと、
そして周囲の人々がこれらの点を十分に理解しないまま批判していること、以上である。
まずルールの自覚に関してだが、これは当然のことなのである。一般にリンクは自由にしてもよい、
RTも自由にしてよい、ということを理解しているからこそ、注意書きが書き加えられている。
それをどう曲解したのか「無断リンクする奴とかマジ最低、無断リンクすんなボケ」という意味に
捉えて叩いている。この問題の根本は現代社会特有の理解の至らなさにあるように思えてならない。
ダミー論証という言葉をご存じか?批判とは理解の上に成りたつべきものだ。それを
理解なしに批判してしまうのがダミー論証。しばしば悪意でねじ曲げて相手が言ってもないよう
なことで非難する。2chが生み出した1つの文化と言っても過言では無い。
こうした問題を防ぐためにも、皆さんにはまず無断RTが良いのか悪いのか、そのことから意識を
離していただきたい。視野が狭いままでは水かけ論になるだけ。まず、対立構造から離陸すること。
無断RTに限ったことではないが、すぐムキになって対立争いに巻き込まれるのが我々の悪いところ。
恋人が「距離を置こう」というのは相手に無関心だからではない。関心があるからこそ一度離れよう
と提言している。しかしこと社会問題になると構成人員の何割の人間が「距離を置こう」と言える
だろうか?それが言える人間の割合が稀少な現代社会はまさにどこかで歯車を狂わせてしまったに
違いない。お互いのためにも「距離を置こう」としれっと言える人間を育成すべきだ。
近代から現代にいたる人類の歴史は、単なる合理的分業の範囲を逸脱して、ただ雇用創出のため
だけに過剰なまでに個性を尊重し価値観が多様化されてきた歴史とも言えるのだが、
その過程でコスモポリタニズム的世界観、平たく言えば全世界的な視野の広さが
失われてきたのではないか?はっきり言えば世界が平作状況に陥っている。スイスフランと円が
世界の基軸通貨と言われた時代も終焉を遂げた。ヒトという種の存続のためパラダイムを
コペルニクス的に展開すべき時期に来ている。そのためには旧来のIT技術ではダメなのである。
確かにインターネッツがあれば、色んな情報へのアクセス性は高まる。しかし限度もあることを