はてなキーワード: 物体とは
昨日築地の吉野家一号店に牛丼食べに行ったんですよ。500円から1000円の予算で。
普通は長考して自分に合うの探すじゃないですか。そもそもメニューが薄くて限られたものから探すんですが、自分が候補を比べてる間にインバウンドの人が乱暴な買い方(鰻重牛小鉢セット[2枚盛])をして、無くなるんですね。
インバウンドの人からしたら、円安でお買い得なので爆買するわけですよ。
明らかに普通の買い物とは異なる買い方なんですが、別に制限ができないのでしょうがない。
結果として吉野家はウハウハ、わざわざ来店した日本人はまともに買い物ができない。
今やインバウンドが盛んな地域では、「現物を見て検討し、その場で購入、持ち帰る」という従来の買い物体験の価値が著しく落ちている。
小市民はグローバリゼーションのデメリットしか享受できない、、と。
昨日京都の一澤帆布に鞄買いに行ったんですよ。一万から二万の予算で。
普通は長考して自分に合うの探すじゃないですか。そもそも在庫が薄くて限られたものから探すんですが、自分が候補を比べてる間にインバウンドの人が乱暴な買い方(同じ商品の別色を全部買う)をして、無くなるんですね。
インバウンドの人からしたら、円安でお買い得なので爆買するわけですよ。
明らかに普通の買い物とは異なる買い方なんですが、別に制限ができないのでしょうがない。
結果として小売店はウハウハ、わざわざ来店した日本人はまともに買い物ができない。
今やインバウンドが盛んな地域では、「現物を見て検討し、その場で購入、持ち帰る」という従来の買い物体験の価値が著しく落ちている。
小市民はグローバリゼーションのデメリットしか享受できない、、と。
目が鋭くてデカいとか肌が銀色とかそういう要素はあるにはあるんだけど通学とか通勤に車検通してない浮遊物体使ってピカピカしながら降りて来るのはもう「気付いてください」って言ってるようなもんだと思う
・大爆発が起こる直前に熱源みたいなのが収縮するやつ
・大爆発の後で爆心地が真空になって周囲の気体や物体が爆心地に吸い寄せられるやつ
・大爆発の直後、爆音より先に光と破壊が到来するのを正確に描いてくるやつ
・爆発したらなぜか十字架風になるやつ
・バリアを展開するときに周囲を膜で覆うんじゃなくて攻撃に対して各個に六角形を展開するやつ
・聖属性みたいなやつが歩いた時になぜか周りに花が咲いていくやつ
・タイムリープを斬新に説明するメガネ(鉛筆で紙をつらぬいたりする)のやつ
(追記)
時間停止したら空気中の分子の動きも止まるから身動きとれないってか脳内のニューロンの電子が流れないから思考もできないので時間停止したことを意識できないと思ってる。
なんかそれは時間停止アプリ側でうまいこと処理してくれるらしいぞ。知らんけど。
あれええな。ロケットがちんちんのメタファーならあれはチンポジ修正のメタファー感がある。プシュ!って宇宙では聞こえないはずの音がするも点数高い。
ワンちゃんは動き回るやつ好き
(追記)
それな!「恐竜惑星」「ジーンダイバー」で使われてた技術「タイムブースター」やな。作品が違うのに天テレの中での出来事という扱いで共通の設定があったりする設定厨垂涎の作品。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%90%E7%AB%9C%E6%83%91%E6%98%9F
バーチャル世界において、使用者の周囲の時間を1/1000に減速させる装置。つまり、周囲にとっては使用者の動きが1000倍になるわけだが、それは同時に慣性も1000倍になり、空気の粘度が上がるため、呼吸が困難になるので、それを補うために呼吸用ボンベを併用する。1本のボンベの持続時間は5分。さらに水中では、粘度も空気の比ではなく呼吸はもちろん、身動きも全く取れない状態になる。砂煙などでも妨害されるなど周囲の環境の影響を受けやすい。物を投げ飛ばしても1000倍速となるため威力も凄まじく、小枝で5m程度の肉食獣を撃退したほどである。バーチャルステーションのアッケラ缶のパワーを最大使用するため、パワーが回復するまでタイムブースターはもちろんタイムホールなども使用ができない。次回作、『ジーンダイバー』でも登場する。
「ラーメンの画像としかうpしてなかった人間が結婚の報告はしてくるのな。おめでとう、きっしょいよ。結婚したからお前らとは違いますってか。恋人いるからお前とは違うってずっとほくそ笑んでたのか。さぞ楽しかったろう、結婚した甲斐があるってもんだね。心が腐ってるね」
こういう感じでリプすればよろしい. 実際ラーメンだと思ってた物体から急にちんぽが生えてきたら, どうやったってキモすぎる. 次の日からラーメンの画像うpする度に「嫁さんのまんこはうpせんのか???昨晩も食ったんじゃろ^ω^」とリプや引用RTを寄せてもおかしくないくらいには, キモいからね.
ムカついたら怒っていい, キモいやつは叩いていい. 小学校で習わなかったのか?俺が粘着代行しようか?垢晒しな?
しかし...別の選択肢もある. 切なかったら泣いてもいい. 俺がずっと一緒にいてやろうか?びっくりするよな, 元気出せよ.
神はサイコロを振るだけでなく、想像をはるかに超える数の部屋があるかもしれない。実際、無限にある。
約1世紀にわたり、量子力学の旗の下にある理論と観測によって、現実の理解は複雑になってきた。
物体が速度や位置といった絶対的な尺度を持っていた時代は終わった。
これは直感的な宇宙観とは程遠い。コペンハーゲン解釈として知られるようになったものでは、可能性の波があるように見えるがそうではない。
現在でも何が最終的にシュレーディンガーの猫の運命を決めるのかはまったく明らかではない。
ヒュー・エヴェレットは1950年代に、可能性のあるすべての手段がそれ自身の現実を構成していることを示唆した。
この現象を特別なものにしているのは、たまたまあなたがそれを観察しているという事実にすぎない。
エヴェレットの「多世界」モデルは、量子力学の絶対的な奇妙さを具体的なものに置き換える方法である。
可能性のある無限の多元宇宙、あるいはグローバル・ハミルトニアンとして知られるすべてのエネルギーと位置の総和のようなものから出発し、興味のあるものにズームインして、有限ではるかに管理しやすいハミルトニアンのサブシステムの中で無限を制約する。
しかし無限を理解する手段として、この「ズームイン」は足を引っ張ることになりはしないだろうか?
別の言い方をすれば、シュレーディンガーの猫が箱の中で生きているのか死んでいるのかを容易に尋ねるかもしれないが、その下のテーブルが温かいのか冷たいのか、箱が臭くなり始めているのかどうかは考えない。
研究者たちは、箱の中身に注目し続ける傾向が重要かどうかを判断するために、ポインター状態として知られる量子の可能性が、他の状態よりも少し頑固に設定され、いくつかの重要な性質がエンタングルするかどうかを検討するアルゴリズムを開発した。
もしそうならシュレーディンガーの猫を説明する箱は、宇宙のはるか彼方に広がる可能性のある長い要因のリストを考慮しない限り、ある程度不完全である。
エヴェレットの多世界から出発して、研究チームは多世界解釈と呼ぶものを考え出した。無限の可能性のセットを取り出して、我々が通常考えないような現実の無限の範囲を掛け合わせるのだ。
オリジナルの解釈と同様、この斬新な解釈は、宇宙の振る舞いについてというよりは、宇宙を一口ずつ研究しようとする我々の試みについてのものである。
研究者たちは、このアルゴリズムに概念的な重要性はあまりないと強調しているが、コンピューター内部のような量子システムをプローブする優れた方法を開発する上で応用できるのではないかと考えている。
他の現実に、すでにその答えがあることは間違いない。
ずーっと昔になんかのCM(HALだかモード学園とかだったような)で、謎の物体がガチャガチャ動いているのを見た記憶があったので、ちょっと興味が湧いて観てきた。
とは言え、「動いてナンボのもんなのに、置いてあるのを観るだけで面白いわけないだろ」とあまり期待せずに入館した。
館内に実物の、ガチャガチャ動く、謎の物体(ストランドビースト)達が展示されている。
間近で観ると、ペットボトルやらチューブやら、子汚いプラゴミの集まりとしか言えない。正直、入ったことを後悔した。この時点では。
ふと脇を観ると「リ・アニメーションの予定スケジュール」が掲示されている。
リ・アニメーションとは要するにストランドビーストを実際に動かす実演ショーらしい。
つまり、置いてあるだけじゃありませんでした。舐めてました。すいませんでした。そりゃそうよね。
実演ショーは1時間に1回程度で、あと10分ほど待てば開催する様子だった。
待つ間、暇なので常設のロダン館を観ていく。前にも観たことがあるので、ざっと眺めるだけにする。
実演の時間になったので、展示室に移動。
作品の説明が流れ、飼育員さん(専属のスタッフの人をこう呼ぶらしい)がコンプレッサーとビーストを接続しガチャガチャやっている。
「スマホのお持ちの方は撮影どうぞ」的なことを言っていたので自分もスマホをかざして準備する。
で、ついに動き出すビースト。おーーー テレビで見たヤツだ。よし、それなりに満足だ。
「実際に作ってみたい方のために、ミニチュアのキットを販売中です!」と宣伝していた。しっかりしている。
拍手とともに実演が終わり、散っていく観客たち。
と思ったら、飼育員さんを捕まえて質問を浴びせている人たちがいた。「なんで飼育員さんになろうと思ったんですか?」みたいなことを聞いているようだ。
答えが気になるが、あからさまに立ち聞きもできず立ち去る。実演ショーの一部に質疑応答を組み込んでくれ。
その後、インタビュー映像とか年表とか観て回る。インタビュー映像は「フリーズしたのか?」と思えるほど、静止する時間が長かった。
テオ・ヤンセンがなんでビーストたちを作ってるのか、色々説明されていたようだが、腑に落ちなかった。
あんなプラゴミを量産しといて(他にも、生産終了が決まったケーブルを50km買い占める、とかも)「SDGsと共鳴するものがある」は無理があるだろう。
要するに「デカくてガチャガチャするものが風だけで動いたら面白いんじゃない?」ってことじゃないのか?認めろヤンセン。
一通り観終わり、物販コーナーで件のミニチュアを確認する。3000円くらいだ。まぁ妥当な値段か。
組み立て済みのものを実際に動かして遊べる(?)コーナーがあった。
ちびっ子たちに混ざって自分もウチワであおいでみる。動いた。すぐ飽きる。やっぱこれに3000円は高いな。
ミニチュアだけではなく、本物のストランドビーストのパーツも額装されて売られていた。見間違いでなければ、10万円を超えていたようだけど、売れるんだろうか。
どうでもいいけど、館内の表記はすべて「ストランドビースト」で統一されていて、「ビーチアニマル」の表記は見つからなかった。
自分は「ビーチアニマル」だと思っていたから、記憶違いか?と思ったけれど、間違いではないらしい。公式には「ストランドビースト」のようだ。本当にどうでもいいけど。
前
https://anond.hatelabo.jp/20240502193038
学生時代は、健康づくりのために、鹿渓館(学生棟)という建物の地下2階にある【トレーニングルーム】に通っていた。授業が終わった後に、週に三度くらいかな。
ここでは、体育会部活の支配(?)が圧倒的だった。柔道とか空手とか陸上とかラグビーとかウェイトリフティングはもちろん、数多くの部活がトレーニングルームを使用していた。めちゃ狭かった思い出がある。
自分のように体育会でない者は、ひたすらにベンチプレスの順番を待つしかなかった。でも、なかなか空かないんだよな。ベンチプレス。あとは、体育会の利用者が優先という空気があったし、実際そっちの方があるべき姿だと思っていた。
ただ、自分の番が周ってきて、ベンチ台でバーベルとか持ち上げたりするじゃん。その時にさ、ガーーーンッ!! という大きい音がするのだ。見れば、隣のスペースでアップライト気味に胸~頭上にバーベルを上げていた柔道部の人が、バーベルを放り投げるようにして床に落とすのだ。
あれは、マジでびびったわ。重さが50kg以上もある物体を放り上げるだけの筋力が俺にもあれば、驚かずに済んだのかもしれない。
結局、夕方以降にトレーニングルームを使うのはやめて、早朝にトレーニングする派に転向したんだっけ。朝だったらベンチプレスも、腹筋台も、エアロバイクも、大型鏡の前も空いている。
確か、カブトムシその他の甲虫類が、クヌギやコナラの樹液を深夜に吸うのって、スズメバチを回避してるんだよな。日中にスズメバチとやり合うと甲虫側がボロ負けするので、彼らは仕方がなく時間帯を変えて樹液を吸うのだ。俺もその仲間だった。正体は甲虫類である。
ただやはり、体育会の人たちはバックグラウンドが違うこともあって、正直無理なことがあった。特に野球部や柔道部といった上意下達のイメージがある部活は、当時の自分からするとヤベーことばかりしていた。
夕方以降にキャンパスから下宿に帰ろうとする時、北側キャンパスの中庭付近で、体育会の人たちがバイオレンスなことをしていた。例えば、誰かのTシャツの胸あたりを両手で掴んで、ブンブン振り回していた。後は、後輩にエレベーターかトイレの前のタイル貼りのところで、床オナをさせていた。あれは振りだったと信じたい。通りすがりの人は普通にスルーしていた。
基本的に、体育会の人達はやりたい放題だった。2024年現在と比べれば、あの頃の世界は「実績があれば何でもよかろう」の世界だった。実際、彼らはある程度の実績を出している。
例えば、先ほどの鹿渓館の中にある部室棟について、2階とか3階の日当たり良好なスペースは体育会が占めていた。部室の出入口は中がいつでも見えるように、目線の高さの0.5㎡ほどがガラス張りになっているのだが、彼らはそれすら張り紙で覆い隠していた。たまに、男性や女性の怒声や、うめき声や、金切り声が聞こえていた。一体、中で何が行われていたのだろうか……。
ちなみに、【文化系部活】は地下1~2階に生息していた。ジメジメとした暗い空間である。そこで毎日の部活動をしていた。最新の大学キャンパスを見る限りは、おそらく今でも其処に彼ら彼女らは生きているのだろう。
まあ、でもこの頃って、だいたい20才くらいだったからだろうか。なんでも楽しかった記憶がある。
大学の構内だと、学食でごく稀にだけど、同じゼミの人と一緒にご飯を食べることがあった。京都の山間部にフィールドワークに行く関係で、事前に同じチームで親睦を深めるのだ。半強制のイベントだったけど、ああいう体験って、あの時分じゃないとできない。
大学近くでも、例えば喫茶店がふたつあったんだけど、社会福祉のカフェの方に割と行っていた記憶がある。お値段が安いからだけじゃなくて、なんか、どんな人でも受け入れるというか。そういう感覚がよかった。
教授が言うには、昔は大学に接している市道の上に、お昼時にたくさんの屋台が出店していたらしい。むかし、食中毒みたいな事件があってからは締め出しにあったみたいだけど、人生で一度は観てみたかったな。
大学の構外だと、ちょっと北の方にはおいしいラーメン屋とか、南の方にはカフェとか、中華料理のお店とか、いろいろあったな。文芸サークルの皆でよく利用していた。
今はどうか知らないが、大学の授業の出席確認に際しては、出席カードを提出する形式だった。時代の先を行っている大学だと、学生証をピッとやれば出席したことになるらしい。
どうでもいいけど、今って授業は15回中10回以上出ないと単位をもらえないらしい。厳しいんだな。あと、年間に取得できる上限単位は42らしい。ちょっと少なすぎるよ。俺の時だと、大学3回生の前期終了時点で最低110単位は取っていたはずだ。
さて、あれは大教室での授業の時だったか。秋だったと思う。佛大の若き学生がこの日記を見ている可能性はほぼゼロかと思うが、5号館の101という大きい教室(余談だが同志社の講義室に似てる)で、中国明朝の歴史の授業中だった。当時の日記によると、倭寇とか康熙帝とか足利義満とか、そのあたりの絡みがある回だったとある。もちろん全く覚えていない。
授業が始まると、出席カードが前の席から回ってくるのかな~と思いきや、一番前の人が一番後ろの席まで配り切る形式だった。自分が出席カードを受け取ると、すぐ後ろには野球部と思しき人達がいた。彼らは、「すんません、出席カード追加で5枚くれる?」と発言していた。
出席カードを配ってる人が「すいませんね~」と言って去ろうとすると、「おいお前、待てやコラ!!」と野球部の人達が彼に絡み始めた。出席カードを配ってる彼も引かず、収まる気配がなかった。
これはいかん、と思って俺は、「ちょっと、ちょっと~」と騒いでいた。やがて中年ほどの先生がやってきて、彼らをひと睨みすると、何事もなかったように騒ぎは収まった。
上記のニュースは私が入学する前の出来事だが、大学の体育会というのは、どこもこんな感じだろうと思う。佛大野球部も、京滋リーグという枠ではほぼ無敵だった。その線でいくと、日本大学もそういう感じだったのだろう。結果だけは出していた。
結果を出しているうちはいいのだが、佛教大学だって、やりすぎるといずれは日本大学や福山大学のように、不祥事(大麻とか)>実績となってしまい、とんでもない結末を迎える。
https://www.bukkyo-u.ac.jp/news/info/20240213-26933.html
上記のように、今でも事件はあるといえばあるが、こういうのはいいよ。間違った人材(臨時雇いの研究者)を雇ってしまったんだろう。大学側はいわば騙されてしまったわけだ。次から気を付ければいい。
ただ、卒業生の一人としては、学生という本質的な存在についてはキッチリと管理して、自分のように不愉快な思いをする学生を無くしてほしいと感じている。
不満ばかりを書いてる気がする。
大学生活、楽しいことはいっぱいあった。例えば部活がそうだ。文芸部とか文芸サークルである。
文章を書くのが好きだった。それこそ子どもの時分から。中学でも高校でも、そういう系の部活がよかったけど、運に恵まれなかった。大学生になって、ようやく文字で作品を創造する喜びを得ることができた。
あとは、学園祭だ。その名も鷹稜祭(おうりょうさい)というイベントなのだが、年に一度の楽しみだった。一度だけ実行委員になったことがある。みんなで何かひとつのものを作る、といったら大げさだけど、最初は何をしたらいいか全くわからない……という段階から、次第にステップを踏んでいって、尻上がりにイベントづくりが面白くなっていく。
最初の一歩を踏み出すのが早ければ早いほど、ドンドンと楽しくハイになっていって、最終日を迎える頃には、自らがイベントと一体になっている。自分と仕事がひとつになっていく感覚。
こういう感覚は、仕事はもちろん、趣味の活動にだってある。精神的な意味で、自分とナニカが溶け合ってひとつになっている感覚である。そのナニカは、人によって違う。パートナーや仲間だったり、参加してる社会そのものだったり、取り組んでいる事柄だったり、特定の空間だったりもする。
ひとつ、少なくともひとつ、大学に進学してよかったと思えるのは――これまでの人生で一番、没頭できるものを見つけられたことだ。これだけで大学に進んでよかったって、そう思える。
あとは、アニメがそうだな。それまでのアニメって、安っぽい作画が多かった。特に、子ども向けアニメはそうだ。ポケモンはまだいいけど、デジモンとかはひどいものだった。この頃から、なぜかはわからないが綺麗な作画が増えていった。
どのアニメかは忘れたけど、女の子がドンパチやる系の朝のアニメで、必殺技のダンスのバンクがあったのだ。サンバを踊ってたんだけど、最後に「ウー!マンボ」ってやるんだよな。「サンバなのかマンボなのかどっちなんだよwwwwww」と、当時は大笑いした記憶がある。
え、そんなものが面白いのかって? 当時はまだ20代前半である。箸が転んでも面白い年頃なのだ。
次
GWが近づいてる。去年のGWでかなりトラウマになる体験をしたので、睡眠薬は常備してる。
どういうことかというと、まず文字通り「一睡もできなくなる」という状況を1週間ぐらい続けた。なぜか覚醒して寝られなかった。
など様々な異常な体験をした。これが恐怖なので、今回は医者からもらった睡眠薬は常備している。
立て続けに異常な幻覚を体験すると、シミュレーテッドリアリティや多世界の一つや二つ、信じてしまいそうになる。
今回のGWは、適度な運動をして寝られるように整えようと思う。もしかするとインドカレー屋のスパイスが良くなかった可能性もあるのでインドカレー屋には行かない。
三ツ葉市のゆるキャラに葉渡賢治が選ばれた。
葉渡賢治が12,375票で1位、みつはきゅんが265票で2位、みっちゃんが76票で3位だった。みつはきゅんが三ツ葉市のゆるキャラに最もふさわしいと思ったので、葉渡賢治はみつはきゅんに投票したが、選ばれたのは圧倒的に葉渡賢治であった。そんな馬鹿なと思った。だいたい葉渡賢治は三ツ葉市のゆるキャラに立候補していない。しかし、それを言うならみつはきゅんもみっちゃんも、第4位の葉っぴぃも自らの意思で立候補したわけではないから、異議を申し立てる根拠としては不足しているだろう。第2位のみつはきゅんは緑色がイメージカラーのアニメのヒロインのようなキュートなキャラクターであった。第3位のみっちゃんは二頭身にデフォルメされた中性的なキャラクターで頭部に三箇所結った髪が三枚の葉っぱのように見える。第4位の葉っぴぃはギザギザの葉っぱが特徴の植物が地雷系ファッションに身を包むキャラクターであった。葉渡賢治は葉渡賢治だった。葉渡賢治38歳。三ツ葉市立三ツ葉第一小学校、三ツ葉市立第一中学校を卒業、三ツ葉市立三ツ葉高校入学・卒業、三ツ葉市立三ツ葉経済大学入学、大学卒業後は三ツ葉市の老舗和菓子屋・三ツ葉堂に就職、3年前に看板商品である三ツ葉大福製造ラインの責任者に就任、で今に至り、三ツ葉市のゆるキャラに就任。
市の命令で、葉渡賢治は市役所から徒歩10分の場所にある8畳1Kのアパートに引っ越しをすることとなった。他の自治体では大抵のゆるキャラは市役所の倉庫に押し込められているので、専用のアパートを与えられることはゆるキャラにとって異例の待遇である、と市の観光課の人間は言った。これまでは6畳1Kの部屋で生活をしていたので、わずかにグレードアップしたことになる。普通ゆるキャラはクルマを運転しないだろうし、ゆるキャラが交通事故で人を轢き殺すなどすればそれは前代未聞の事案で、どのように対処すればいいのか誰にもわからないので、リスク管理のためにクルマは売却が推奨され、それに従った。引っ越しとクルマの売却に伴って勤務先である三ツ葉堂への出勤が困難になったため、退職した。
就任式には何を着て行けばいいのかわからず、葉渡賢治はスーツで行った。市役所の3階。「それでは三ツ葉市の新キャラクター、葉渡賢治38歳さんです、拍手でお出迎えください」と女性の司会役が言い、俺が入室する手筈になっていた。葉渡賢治のゆるキャラとしての名前は、本名の他「38歳」まで含まれているのだと葉渡賢治はこの時に知った。つまり「葉渡賢治38歳」がキャラ名である。来年とかどうするんだろう、と思った。葉渡賢治は拍手で出迎えられ、ゆるキャラとしての葉渡賢治の姿がみなさんにお披露目された。ゆるキャラとしての葉渡賢治の姿というのは、この場合、スーツ姿の葉渡賢治のことである。昨日は髪を切り、家を出る前に入念に髭を剃り、ヘアオイルを付けて髪を乾かし、化粧水を顔に塗りたくるくらいのことはしたが、葉渡賢治が葉渡賢治であることには変わりなかった。
思ったよりも厚みのある会場の拍手の音で薄々気付いてはいたが、おびただしいカメラのフラッシュに意表を突かれた。葉渡賢治を見に来ている人がたくさんいた。マスコミとかだろうか。フラッシュの眩しさにしかめっ面になりそうになったが、そうだ、俺は三ツ葉市のゆるキャラなんだと思い出し、できるだけゆるキャラとしてふさわしい振る舞いをしようと心掛けた。少なくともゆるキャラはしかめっ面はしないだろう。そんなゆるキャラを葉渡賢治は見たことがなかった。三ツ葉市のゆるキャラに葉渡賢治が選ばれてからというもの、葉渡賢治はゆるキャラの勉強に余念がなく、大抵のゆるキャラの顔面にはうまく言語化できない愛嬌があることを発見していた。だから、葉渡賢治は笑顔とも微笑みとも無表情とも言えない、強いて言えば、いつも行っているラーメン屋でいつも通りの醤油ラーメンAセットをオーダーする時の表情(よく観察するとわかるが、殆どのゆるキャラはこの表情をしている)をして、大量のフラッシュをやり過ごした。
会場は大きな多目的室のような場所で、皆の衆目が集まる正面に、緑色背景に白抜きで三ツ葉市と書かれた市松模様の大きなボードが聳え立ち、その上に「三ツ葉市 ゆるキャラ就任式」と書かれた横断幕が設えられている。簡素な作りではあったが、今日の葉渡賢治のために用意してくれたかと思うと率直に感謝の念が溢れた。市長は既に市松模様の大きなボードの前面にいて、登場した葉渡賢治に手を差し伸べ、我々は握手をした。市長の手は大きくて温かく、焼き立てのパンのようだった。フラッシュが一層大きく焚かれる。醤油ラーメンAセット、醤油ラーメンAセットと葉渡賢治は念じて、パンのことはひとまず忘れた。マイクを持った市長が司会に促されて喋り始めた。
「えー、葉渡賢治38歳さん、今日からあなたは我が三ツ葉市をより一層盛り上げる存在として、大いに期待していますし、市一丸となってその活躍を後押しをしていきたいと考えています。よろしくお願いしますね。さて、三ツ葉市を躍進していく政策としては三枚の葉っぱがあります。昨日考えました。一枚目は教育。日本に誇る三ツ葉市立三ツ葉経済大学。ね。これがその大きな役割を担い、地域経済をますます活性化して行くでしょう。すごいですね。二枚目は産業。三ツ葉堂の三ツ葉大福がブランチで何回取り上げられたか知ってます? それはもうね、何回も取り上げられてるんですか? 三ツ葉市ってのは交通の要所ですから、お土産もたくさん売れるってもんですよ。ね。そして三枚目。それがこのゆるキャラですよ。これから、はま……、は……、はわ……、はわたり、けんたろう、だっけ? そうそう、あはは、ねぇ? ってーかビシッとスーツで決めちゃって、ゆるキャラなんだからゆるい格好でよかったのに。パーカーとか。あ、でもゆるキャラはパーカー着ないか。ね。誕生日いつ? いま何歳? あーね。そうそう、歳とったら名前の歳も一歳増やして、葉渡賢治39歳になるから。直木三十五みたいで格好いいだろ? あ、どうせなら漢数字にする?」
市長の演説が終わると、委嘱状が授与された。市長から確かに委嘱状を受け取った。酔っ払っているのかなと思ったが、その挙動は素面のそれで、特に酔っ払っているわけではなさそうだった。額縁に入っていて重みがあった。正面にそれを掲げるとたくさんのフラッシュが焚かれた。やがてマイクが手渡され、司会者が「葉渡賢治38歳さん、意気込みをお願いします」と言い、葉渡賢治が喋る番になった。何を言うべきか迷ったが、「大好きな三ツ葉市を盛り上げて行きたいと思いますので、よろしくお願いします」と言って礼をしたところ、隣の市長が「君、ゆるキャラってのは喋らないんだ。喋ってるゆるキャラを見たことがあるかい?」と耳打ちし、うっかりしていたと思った。「何かそれっぽいポーズでもしておきなさい」と市長は続け、俺はとっさに左手を自らの腰に当て、右腕を天に掲げたそれっぽいポーズをした。会場からは笑い声が漏れた。俺のゆるキャラとしてのコミカルさが会場の笑いを唆したのであれば、ゆるキャラとしての初めての仕事としては上出来だろうと思われた。やがて葉渡賢治は音楽に合わせて「みんみんみんなの三ツ葉ダンス」を踊った。ワルツだった。式典の最後で披露するから覚えてきてくれと言われていたやつで、おそらくこれも上出来だった。キャラソンで三拍子の音楽はあまりないように思われ、攻めてるな、と思った。左手を自らの腰に当て、右腕を天に掲げたポーズでダンスを終えた時、会場に迎えられた時と同じくらいの拍手の音が鳴った。
俺はこれからゆるキャラとしての自覚を持った暮らしをしていくことになる、と葉渡賢治は思った。給与は前職のものが引き継がれ、家賃は半額の補助が出る点も同様だったから、ひとまずは生活には困らないことになっていたのは幸運であった。おそらくゆるキャラはコンビニ弁当を買って食べないから、しっかりと自炊をすべきだろう。三ツ葉市を後押しするキャラなわけだから、肉よりも野菜多めの生活がいい。ゆるキャラにサプリメントを摂取するイメージはないが、活動を下支えする健康のためには取り入れるべきかもしれない。アルコールはこの際やめるべきだ。タバコはそもそも吸っていないが、タバコの原材料は葉っぱなわけで、敢えて喫煙を始めたほうがいいだろうか。いや、さすがにそれは考えすぎだ。タバコをスパスパ吸っているゆるキャラがどこにいる。夜は早めに寝て、朝は早めに起きたほうがいい。過度な筋トレはゆるキャラとしての外見を毀損するから、きっと避けた方がいいだろう。どちらかと言うと、ご飯をもりもり食べて丸々と太った方が愛嬌が出るだろうな。
初めての仕事は就任式から4日後の葉渡マラソン大会であった。パーカーを着て行った。一ノ葉町、二ノ葉市、三ツ葉市、四ツ葉町を合わせて葉渡地区と言い、一ノ葉町のいちかてゃ、二ノ葉市のにのの、三ツ葉市の葉渡賢治38歳、四ツ葉町のよもぎんが会場に来ていた。よもぎんを見るのは久しぶりだった。実は俺は小学生の頃、隣町である四ツ葉町のお祭りに行った際にたまたま会場に来ていたよもぎんを友人と共にふざけてボコボコにしたことがある。よもぎんはよもぎ団子を模した緑の丸いキャラクターで、そのふくよかな見た目は子供たちをして、体当たりをしてくれ、サンドバックにしてくれと言わんばかりのように思えた。よもぎんは複数の子供たちにもみくちゃにされながれも笑顔を保っていて、それが更に子供たちの加虐心を駆り立てた。子供のやることだったし、よもぎんは丸くて厚い「側」に覆われていたように思われたので、死活問題になるようなダメージはなかっただろうが、いま思えばむごたらしい仕打ちをしたものだと思える。
葉渡マラソン大会の会場にはキッチンカーなどが集まり、老若男女大勢の人で賑わいを見せた。マラソン大会という名のお祭りであり、我々ゆるキャラは集客のための賑やかしだろう。俺はランナーに手を振ったり、子供たちと触れ合ったりしながら、かつてのよもぎんのように四方八方からボコボコにされやしないか懸念していたが、杞憂であった。かねてより思っていたことであるが、最近の若い人は礼儀正しくて、思いやりがあり、優しい。「本当にリアル葉渡賢治だー」などと子供たちは言い、俺は求められるままに子供たちと握手をしたりした。
ひとしきりの子供たちが離散すると、大きな丸い物体が視界に入った。俺の記憶にある若々しい新緑のよもぎ色ではなく、数年に渡って浴び続けた太陽光線で色褪せ、汚れや黒ずみが目立つ、言われれば確かによもぎ餅かもしれない、という物体であった。側面にはわずかにへこみがあり、これはあの時に俺が蹴りを入れたへこみだろうか。よもぎんは俺の眼前に佇み、俺を見つめていた、気がした。実際のところは俺を見つめていたかどうかわからない。たいていのゆるキャラにはどこを見ているのかよくわからないようなところがある。何か言いたげなようにも思えたが、やはり実際に何か言いたいかどうかはわからなかったし、そもそもゆるキャラは喋るべきではなかった。やがてよもぎんは去っていった。俺の目は確かによもぎんの背を見つめていたが、何を思えばいいのかまではわからなかった。
葉渡賢治39歳は全日本ゆるキャラグランプリで審査員特別賞を受賞し、その名を全国に知られることとなった。同年、地上波テレビに初出演。つぶあん同盟という深夜番組で、芸人さんが1〜2分程度のネタをする番組だった。葉渡賢治には人を笑わせるようなネタがあったわけではないが、「おまかせで」というオファーを頂いていたので、三ツ葉市のPRをし、フル尺でオンエアされた。SNSや動画サイトでも切り抜かれて大いに拡散し、コアなお笑いファンを中心に話題になった。三ツ葉市は葉渡賢治のテレビへの出演オファーは全て受け入れ、それとは別にインターネット動画配信も精力的に行い、着実に人気を獲得していった。葉渡賢治39歳のグッズが制作され、三ツ葉駅で販売された。特にアクリルスタンドは好調な売れ行きのようで、葉渡賢治39歳を前面に押し出したパッケージデザインに刷新した三ツ葉堂の三ツ葉大福は前年に比べて売上が約25%向上したとのことである。
葉渡賢治40歳は全国を飛び回る多忙な日々を過ごした。市のPRのみならず、県や地方の宣伝にも駆り出された。グッズは39歳のものから40歳のものへ刷新され、商品数を増やしたこともあり、売上金額を更に伸ばした。アクリルスタンドの他、クリアファイル、Tシャツ、トートバッグは特に人気だった。終売となった葉渡賢治39歳のグッズはフリマアプリでプレミア価格で取引された。
葉渡賢治41歳は全13話で深夜アニメ化され、毎週のようにSNSでトレンドに浮上した。これは葉渡賢治の声優デビュー作でもある。実は葉渡賢治40歳10ヶ月あたりで極東経済という雑誌が「なぜ葉渡賢治は40歳でブームが終わるのか?」という挑戦的なタイトルで記事を出し、かなりページビューが回っていたようで、このまま葉渡賢治は終焉に向かうかと思われたが、アニメが起死回生の立役者となったというわけだ。
翌年には葉渡賢治42歳のマンホールが市内に5か所設置された。これは葉渡賢治の聖地巡礼をする観光者への秘策であった。さすがにマンホールは毎年デザインを刷新するわけにはいかないから、葉渡賢治アプリのカメラで撮影するとARで葉渡賢治の現状の歳が浮き出てくる仕様になった。就任時に動画サイトに投稿していた「みんみんみんなの三ツ葉ダンス」は葉渡賢治43歳4ヶ月の時点で1000万回再生を記録した。
葉渡賢治は45歳になり、葉渡賢治45歳になった。葉渡賢治45歳はアニメの時ほど多忙でもなく、しかしイベントに呼ばれればそれなりに盛況という、ライフワークバランスの取れた時期であった。できるだけ丸々とした愛嬌のある体型を維持しようとしていた葉渡賢治であったが、ここ最近は太りやすさを感じており、愛嬌のある体型をオーバーしているようであることが気になっていた。愛嬌とは丸々としていることであり、腹がだらしなく出ていることではないだろう。以前よりも頭髪が劇的に薄くなっているような気もしていた。
平日昼の帯番組「ひるとん」で、リリースされたばかりの新曲「三ツ葉にあつまれ!」のプロモーションのために生放送でダンスを披露することとなっていた。良く言えば安定、悪く言えば停滞していた葉渡賢治の人気を今一度ブーストするための満を持してのリリースであった。楽曲制作、MV作成、振り付けなど、「三ツ葉にあつまれ!」には潤沢な予算を投入したと聞いている。気合いを入れなければならない。
「さーて、今日は、三ツ葉市から特別ゲスト、葉渡賢治45歳さんが新曲を披露してくださいます。それでは聴いてください、「三ツ葉にあつまれ」です、どうぞ!」とアナウンサーが言い、スタンバイしている葉渡賢治の姿がモニターに映し出されたのが見えた。モニターに葉渡賢治の姿が映し出されたということは、生放送で全国のお茶の間のテレビにも葉渡賢治が映し出されているということだ。音楽が鳴り、葉渡賢治45歳は周りに従えたちびっこダンサーと共に踊り始めた。やはり子供の人気は不可欠とのことで、ダンサーは10〜14歳の男子2人、女子2人の4人であった。葉渡賢治の両隣に男女2人、後方に並んで男女2人という体制であり、葉渡賢治を合わせた計5人がステージで新曲を披露した。新曲の振り付けはデビュー作よりもテクニカルで、葉渡賢治の加齢と体重では踊り切るのが難しく、MV撮影時にはNGを出しまくり、現場はピリピリしていたように思った。葉渡賢治は醤油ラーメンAセットのことを考えながら生放送を踊り切ろうと思ったが、最近ではにんにくたっぷり餃子付きの醤油ラーメンBセットも気に入っており、迷いが生じた。曲の終盤、メンバー全員が2回転スピンを披露する箇所がある。2回転スピンとは、2回くるくるとその場で高速で回ることである。葉渡賢治はこれを苦手としていて、これがこの日最大の山場だろうと考えていた。
事件は起きた。いざ2回転スピンの場面になると、加齢、肥満、緊張など様々な言い訳はできると思うが、葉渡賢治は2回転目によろよろと右にバランスを崩した。葉渡賢治の右にはダンサー最年少である10歳の女性(本名非公開)が配置されており、不覚にも葉渡賢治は彼女に激突、葉渡賢治は彼女に覆い被さるように倒れ込んだ。この場面はSNSや動画サイトで切り抜かれて大いに拡散し、ネット民による数々の自発的な検証が行われ、「葉渡賢治の右手が女児の胸を掴んでいる」「葉渡賢治の唇が女児の首すじに触れている」「葉渡賢治の右膝が女児の脚と脚の間に入り込み、女児は開脚を余儀なくされている」「葉渡賢治の汗とよだれが女児の衣装に付着している」「葉渡賢治の息はにんにく臭そうである」「それ以降の女児の泣きそうな顔は見ていられない」「それでも最後まで踊り切った女児はプロ」「人生で一番気分の悪いものを見させられた」「葉渡賢治とかいうセクハラ野郎」「犯罪者」「消えろ」などという書き込みがあった。
どのゆるキャラにも否定的な意見は最低一つはある。養老塚市のよろよろには「どんくさい」、木宮町のきのやんには「アドリブが効かない」、千脈市のちーおには「正面を向け」など。しかし、彼ら/彼女らゆるキャラがいちいちSNSをチェックしてそれらネガティブな意見を閲覧して真に受けているようには思えないし、何しろ彼ら/彼女らにはゆるキャラという「側」が鎧のように装着されているように思われ、その無機質な「側」がダメージを吸収あるいは反発して無効化しているように葉渡賢治には思われた。その点、葉渡賢治はそれら誹謗を生身で受けざるを得なかった。葉渡賢治は葉渡賢治それ自体がゆるキャラだったからである。葉渡賢治はSNSはもちろん、ニュースサイトのコメント欄、匿名掲示板への書き込みなど、自らへの誹謗中傷を全てチェックした。なくなった仕事の退屈を埋めるように、まるでそれが葉渡賢治の仕事 Permalink | 記事への反応(1) | 17:38
これは、埼玉県の市町村名を組み合わせて作られた、いわゆる「やられAA」や「死亡AA」と呼ばれるものですね。
やられAAは、主にネットゲームや対戦型ゲームなどで、敗北した時や致命的なダメージを受けた時に使われるAAの一種です。倒れたキャラクターが地面に横たわっているような形で表現されることが多いです。
このAAでは、「さいたま市」「川口市」「越谷市」という埼玉県内の市町村名が巧みに組み合わせられ、倒れて横たわっている人物の姿を表現しています。
特に、「さいたま市」の部分では、倒れた人物の腕が表現されており、「川口市」と「越谷市」の部分では、倒れた人物の脚が表現されているのが特徴的ですね。
このように、地名や言葉を組み合わせてキャラクターや物体を表現するAAの手法は、ネット上でよく見られる表現方法の一つです。単純な記号の組み合わせでありながら、ユーモアやインパクトがあり、ネットならではの創造性が感じられます。
美術史家のハインリヒ・ヴェルフリンは、イタリアのルネサンスの絵画と建築に具体化された古典的な美の概念について考察している。
イタリア ルネッサンスの中心的な考え方は、完璧なバランスです。この時代は、建物と同様に人間の姿においても、それ自体の中に静止している完璧なイメージを達成しようと努めました。あらゆる形態は自己存在する存在へと発展し、全体が自由に調整され、独立して生きている部分にすぎません…。古典的な作曲のシステムでは、個々の部分は、たとえ全体にしっかりと根付いていても、一定の独立性を維持します。それは原始芸術の無政府状態ではありません。部分は全体によって条件づけられていますが、それでもそれ自身の命を持つことをやめません。観客にとって、それは分節、つまり部分から部分への進行を前提としており、それは全体としての知覚とは非常に異なる操作です。
古典的な概念では、美しさは、比例、調和、対称性、および同様の概念に従って、統合された部分を配置して一貫した全体を形成することで構成される。
これは西洋の原始的な美の概念であり、古典および新古典の建築、彫刻、文学、音楽のどこにでも体現されている。
アリストテレスは『詩学』の中で、「生き物、そして部分から構成されるすべての全体が美しくあるためには、部分の配置に一定の秩序がなければなりません」(アリストテレス、第 2 巻)と述べている。
そして形而上学では、「美の主な形式は秩序、対称性、明確性であり、数学科学は特別な程度でそれを実証しています。」(アリストテレス、第 2 巻)
アリストテレスが示唆しているように、この見方は黄金分割などの数式に要約されることもあるが、それほど厳密に考える必要はない。
この概念は、とりわけユークリッド原論などの文書やパルテノン神殿などの建築作品に例示されており、また彫刻家ポリクレイトス (紀元前 5 世紀後半から 4 世紀初頭) の正典によって例示されている。
カノンは、完璧なプロポーションを示すように設計された彫像であるだけでなく、今では失われた美に関する論文でもあった。
医師ガレノスは、この文章の特徴として、たとえば、「指と指、すべての指と中手骨、手首、そしてこれらすべてと前腕、および前腕と腕」の比率を指定していると説明している。
その論文で身体のすべての対称性を私たちに教えてくれたポリュクレイトスは、その論文に従って人間の像を作り、論文と同様にその像自体を正典と呼んだ作品でその論文を裏付けた。
古典的なテキストにおける「対称性」の概念は、双方向の鏡像関係を示すために現在使用されているものとは異なり、より豊かであることに注意することが重要。
それはまた、古典的な意味で美しい、物体の特徴である部分間の調和の取れた測定可能な比率の一種にも正確に言及しており、道徳的な重みも担っている。
たとえば、『ソフィスト』 では、プラトンは高潔な魂を対称的であると説明している。
古代ローマの建築家ウィトルウィウスは、その複雑さと、適切であるがその根底にある統一性の両方において、中心的かつ非常に影響力のある定式化における古典的な概念を体現している。
建築は、ギリシャ語でタクシーと呼ばれる秩序と、ギリシャ人がディアテシスと呼ぶ配置、そしてギリシャ人がエコノミアと呼ぶ比例と対称、装飾と配分から構成されます。
秩序とは、作品の細部を個別にバランスよく調整し、全体としては対称的な結果を目指して比率を配置することです。
プロポーションは、優雅な外観、つまり文脈の中で詳細が適切に表示されることを意味します。これは、作品の細部がその幅に適した高さ、その長さに適した幅である場合に達成されます。一言で言えば、すべてが対称的な対応関係を持っているときです。
シンメトリーは、作品自体の細部から生じる適切な調和でもあります。つまり、与えられた各細部が全体としてのデザインの形に対応することです。人間の身体と同様に、キュービット、足、手のひら、インチ、その他の小さな部分から、リトミーの対称的な性質が生まれます。
アクィナスは、典型的なアリストテレスの多元主義的な定式化で次のように述べている。「第一に、誠実さ、あるいは完璧さです。何かが損なわれていると、それは醜いからです。次に、適切な比例または調和があります。そして明晰さもあります。明るい色のものが美しいと呼ばれるのは、このためです。」(『神学教典I』)
18 世紀のフランシス・ハッチソンは、この見解を最も明確に表現していると思われることを次のように述べている。
「したがって、体の均一性が等しい場合、美しさは多様性と同じです。そして多様性が等しい場合、美しさは均一性と同じです。」 (Hutcheson)。
ハッチソンは続けて、最も美しい対象として数式、特にユークリッドの命題を挙げる一方で、次のような普遍的な物理法則によってその根底にある巨大な複雑性を持つ自然を熱狂的に賞賛している。
「美しさはある、と彼は言います。アイザック・ニュートン卿の計画における重力がそれである」(Hutcheson)
美とは部分間の特定の比率の問題であり、したがって古典的な概念に対する一連の非常に説得力のある反論と反例が、エドマンド・バークの著書「私たちのアイデアの起源についての哲学的調査」で与えられている。
植物界に目を向けると、そこには花ほど美しいものはありません。しかし、花にはあらゆる種類の形とあらゆる種類の性質があります。それらは無限に多様な形に加工されます。 …バラは大きな花ですが、小さな低木の上に生えています。リンゴの花はとても小さいですが、大きな木の上に生えています。しかし、バラもリンゴの花もどちらも美しいです。 … 白鳥は、自白すると美しい鳥で、首は体の他の部分よりも長く、尾は非常に短いです。これは美しいプロポーションですか?私たちはそれが事実であることを認めなければなりません。しかし、首が比較的短く、尾が首と体の残りの部分よりも長いクジャクについてはどう言うでしょうか。 …人間の身体には、相互に一定の比率を保っていることが観察される部分がいくつかあります。しかし、美しさの効果的な原因がこれらにあることを証明する前に、これらが正確に見出されればどこでも、それらが属する人は美しいということを示さなければなりません。 …私としては、これらの比率の多くを非常に注意深く検討したことが何度かあり、多くの主題においてそれらが非常に近い、あるいはまったく同じに保たれていることがわかりました。それらは互いに大きく異なるだけでなく、一方が非常に美しい場合には、 、そしてもう1つは美しさから非常に遠いです。 …人体のあらゆる部分に好きな比率を割り当てることができます。そして私は、画家がそれらすべてを観察し、それにもかかわらず、もし望むなら、非常に醜い人物を描くことを約束します。
練習したら絵が上手くなるみたいなことがまことしやかにいわれてるが相当疑わしいぞ
学習障害の中に文字を書き写せないってのがあるが、それは下記が生まれつきの能力だからだ
もちろん文字をなぞり続ければ多少は改善はするが、まぁ改善するってだけよね
走ることが困難なヤツがウサイン・ボルトと競争しようとはしないのに
どうしてITとイラストに限っては真っ向から競争しようとするヤツが後を絶たないのか謎すぎる
走るのが困難ならフツーに車を使え
ぶっちゃけ物体を見たまま写し描く能力って、足が速い遅いと同じで、気合いでどうにかなるかって言われたら相当怪しいぞ
https://anond.hatelabo.jp/20240322092250#
GPT4が、大きな栗の木の下での情報量を10点中9点とか抜かすから、
お前それ津軽海峡でも同じこと言えんの?してみた。
### 評価基準
1. **情報の種類**: 4点満点(登場人物、場所、物体、意志・感情)
2. **情報の明確性**: 3点満点(具体的な描写の明確さ)
3. **情報の深さ**: 2点満点(情報が歌のテーマやメッセージにどれだけ貢献しているか)
4. **情報の新奇性**: 1点満点(情報が提供する新奇性や独特の視点)
### 「津軽海峡・冬景色」の点数付け
1. **情報の種類**: 3/4点(場所と時期は具体的だが、登場人物は抽象的)
2. **情報の明確性**: 3/3点(場所と時期、感情が明確に描写されている)
3. **情報の深さ**: 2/2点(場所と時期が伝える感情の深さが豊か)
4. **情報の新奇性**: 1/1点(特定の場所と季節を題材にした情景の描写)
### 「大きな栗の木の下で」の点数付け(改定)
1. **情報の種類**: 2/4点(場所は具体的だが、登場人物や意志は比較的単純)
2. **情報の明確性**: 2/3点(場所は明確だが、物語の背景などは不明瞭)
3. **情報の深さ**: 1/2点(単純な情景の楽しさは伝わるが、深いメッセージは少ない)
4. **情報の新奇性**: 0/1点(日常的な遊びの情景で、特に新奇な視点は提供されない)
鳥取砂丘で、「因幡の白ウサギを着た人間の遺骸のようなもの」が発見された。これはいったい何者なのか? 各地の組織に照会するも、砂丘での行方不明者は誰もいなかった。
鳥取市内に運ばれた遺骸をC14法によって年代測定を行ったところ、彼は5万年前に死亡したとの結果が得られた。らっきょうと名付けられたその人物の正体は、全く謎であった。
―――
その正体を探るために、二十世紀梨を使用して物質を透過撮影できる「トライマグニスコープ」が手配されると共に、その開発者である物理学者の浜田ハントにも調査への参加が要請された。スコープを駆使して少しずつ齎された情報と数少ない所持品を手がかりに、あらゆる分野の学問を総動員した分析が始まった。だが、その指し示す事象は矛盾だらけだった。
らっきょうの所持品の中から、現代技術を駆使しても造る事の出来ない超小型の「松葉ガニパワーパック」が見つかり、使用されていた放射性物質の半減期からも5万年前という値が裏付けられた。だが、こんな高度な技術文明が鳥取に存在したという歴史上の痕跡はこれまで残っていない。
これに対し、生物学者の青山ダンチェッカーは、らっきょうの遺骸を調べ上げ解剖学的にも、後には分子生物学や遺伝学の見知からも、「彼が間違いなくヒトであり、出身地は鳥取である」と断言する。その一方でダンチェッカーは、らっきょうが発見された場所の近くにある構造物の廃墟で見つかった携行食料と思われるものを調べ、その材料となった「鳥取名物のホタルイカに似た水棲生物」の肉体構造が、鳥取の生物のものと根本的に異なり、とても鳥取産とは思われないことに悩む。
―――
また、手帳と思われるものを透過撮影して浮かび上がった記号の解読は、言語学者の協力を得ても困難を極めた。その一部は何らかの数表と思われ、現在の手帳よりカレンダーであると類推されたが、それは鳥取とは相容れない暦法から成り立っていた。
ハント博士のアドバイスで、らっきょうの所持していた機器のラベルの文字が電圧や電流の物理量の表記であると仮定したところ、それを糸口として手帳を解読する作業に進展がみられる様になり、やがて、それは「らっきょうが記した日記」であると判明する。
彼は「鳥取砂丘の守備部隊に配属された軍属」であり、因幡・伯耆地方の戦闘を観察し、また、砂丘の基地に置かれた兵器から放たれたエネルギー波が地上の敵都市を灼く様子を記録にとどめていた。だが、有史以前の鳥取に砂丘まで飛行できる高度な科学技術があった筈もなく、因幡にも伯耆にも大規模な戦争の痕跡は見られず、そもそも砂丘には基地や兵器の痕跡すらもない。
相矛盾する事象を整理し、数々の仮説が立てられ、謎が少しずつ解き明かされていくかに見えつつも、別の事実がその仮説を否定する。その繰り返しがいつまでも続き結論に行き着く見込みは立たなかった。果たして、らっきょうは一体何者なのか、どこから来たのか、何故、ここに居たのか、そしてどこに行こうとしていたのか?
―――
さらに、大山の山頂を訪れた調査隊が、雪の中から発見した驚異の物体が混迷の度を増した。それは人類にとってまったく未知の知性体の手になる「UFOの残骸」であり、UFO内から大柄な体躯の搭乗員の遺骸が発見され、また「数百万年前の鳥取の生物たち」も積み込まれているのが見つかった。
大山で発見されたことからダイセンと名づけられた彼ら大柄な種族を調査したところ、その肉体構造は例のホタルイカに似た水棲生物と相似していることも明らかになった。
一方で、鳥取砂丘の内部を探査したところ、数百メートルの砂に埋もれた各種の設備や基地が続々と発見され、らっきょうはこれら技術文明を担った、人類と同種の種族、トットリアンの一人であることが明らかになる。
また、各種の証拠から現在の隠岐の島に一個の惑星、因幡星の存在が浮かび上がり、そこには鳥取とは別の生態系があり、ダイセンや件の水棲生物は因幡星の生物であることが判明した。
すると、5万年前の戦争は、鳥取に棲む人類と、因幡星に棲むダイセンとの間の星間戦争であり、その結末として因幡星が隠岐の島々に砕かれ、ダイセンは鳥取県から姿を消したのだろうか。だが、そう結論づけるにも矛盾が多すぎる。
直接大山に赴いてこれらを目の当たりにしたハントやダンチェッカーらは、更に深まる謎に悩まされるが、やがて、鳥取人の生い立ち、そして、かつての鳥取の姿につき、一つのストーリーが形作られていく。
現代アートでは「苦労して本人が描いているか」は評価に影響しない。有名アーティストは自分のスタジオを設立し、スタジオのメンバーが手を動かして作品を作っているケースが多い。アーティスト本人はアイデアを考え、作品コンセプトを練り、発表の場を作っていく。
そして「作品の物体を作っているのか」も関係がない。有名なマルセル・デュシャンのトイレ作品「泉」以降、すべての作品はレディ・メイド(既製品)であり、アーティストが行うのは制作ではなく「選択」であると考えられている。
油絵を描くにしても、アーティストは絵の具やキャンバスなどの既製品を購入(選択)し、どの色を使うかを選び、どこにどのように配置するかを選んでいる。既製品の使い方を選択し続けている。
何か新しいもの、存在していなかった物体を作り出しているわけではなく、既製品の選択の組み合わせが新しいアイデアを生み出しているかが大事ということだ。
AIツールの種類を、ツールのバージョンを、プロンプトを選択する。出力した画像の組み合わせ方を、画像の使い方を、画像の説明付けを選択する。ツールによって作り出すもので、何を成し遂げたいのかを常に選択する。
知らんけど。
現代アートでは「苦労して本人が描いているか」は評価に影響しない。有名アーティストは自分のスタジオを設立し、スタジオのメンバーが手を動かして作品を作っているケースが多い。アーティスト本人はアイデアを考え、作品コンセプトを練り、発表の場を作っていく。
そして「作品の物体を作っているのか」も関係がない。有名なマルセル・デュシャンのトイレ作品「泉」以降、すべての作品はレディ・メイド(既製品)であり、アーティストが行うのは制作ではなく「選択」であると考えられている。
油絵を描くにしても、アーティストは絵の具やキャンバスなどの既製品を購入(選択)し、どの色を使うかを選び、どこにどのように配置するかを選んでいる。既製品の使い方を選択し続けている。
何か新しいもの、存在していなかった物体を作り出しているわけではなく、既製品の選択の組み合わせが新しいアイデアを生み出しているかが大事ということだ。
AIツールの種類を、ツールのバージョンを、プロンプトを選択する。出力した画像の組み合わせ方を、画像の使い方を、画像の説明付けを選択する。ツールによって作り出すもので、何を成し遂げたいのかを常に選択する。
知らんけど。
こんど転職するのだが、見切り発車で仕事をやめた結果、次の仕事が始まるまで1か月ほど暇な時間ができてしまった。
2週間ほど休んだらもう休むのが嫌になってしまったので、せっかくなのでタイミーとやらを試してみようと思いついたときの話。
意外にも未経験だとできる仕事は少なく、やっと見つけたのは某化粧品とか日用品、掃除用品を作っている会社の流通倉庫でのピッキング作業。
朝から夕方までガッツリ働いても9000円いかないのには驚いたが、バイトなんて学生の頃以来なのでちょっと楽しみだ。
働いてみると、想像していたよりもずっとホワイト、というか巨大なシステムの一部として期待されていること以上のことは一切期待されていない、という労働環境なのでなかなか気楽で楽しかった。
休憩を抜くと7時間ほどハンドフォークを引っ張りながら歩きっぱなしだったが、毎日リングフィットをしているおかげかさほどダメージはなかった。
そのダイナミズムを維持するために設けられたシステムとしての「優しさ(バッファ)」にあふれている。
巨大な流通網を維持するためには私のような間抜けでもその日のうちに戦力になれる必要がある。そのためのあらゆる仕組みが、工夫が施されている。
合理性を体現した空間で、理論値に肉薄すべく黙々と動き回る人間たちは、まるで善のイデアに迫るため肉体という牢獄を鍛え抜いた古代ギリシャ人のように美しい。
支給されたハンディスキャナに表示されるがままに棚から棚へ飛び回るうちに不思議な陶酔感に包まれる。
それはすべての判断をこの偉大なハンディスキャナに委ね、自分は預言者となり「正しい」世界の秩序を生み出してゆく、という妄想によってもたらされる境地だ。
いま世界には棚と、格納された物体と棚の間を神の使いとして飛び回る私しかいない!なんて美しい秩序!すべてのマジックリン ピカッと輝くシート[8枚入り]に祝福を!!
そうこうしているうちに夕方になり、日勤の社員たちが帰っていった。
私はあと1時間残って作業する必要があり、私とあともう一人いる今日が初めてのタイミーさんの面倒は夜勤のパートの人が見ることになるらしい。
夜勤パートを束ねている年嵩の女性は私たちの引くハンドフォークに近寄ると、にっこり笑ってこう言った。
「無茶苦茶な積み方をしているね。夜勤だったら怒ってた。夜勤は甘くないよ」
言っておくが、今日が初めての我々にはついさっきまで社員がほぼ付きっ切りで積み方を教えていたのだ。それを滅茶苦茶とはどういうことか。
彼女は私のパレットに乗っている商品を猛然と整理し始めた。私の頭の中で像を結びつつあった最適化された作業手順が音を立てて崩れる。
彼女が新しく創造した合理性は、なるほどよく見ると次の工程の人が作業しやすいことに重点を置いたスタイルだということが分かってきた。
昼間のうちに教わったのは最も効率的にパレットを埋めることに主眼が置かれていた。おそらくこれは社員とパートという立場の違いによって生じる差であろう。
まさか30過ぎて坊ちゃんと呼ばれるとは。しかしこの迫力には何も言えない。
もう一人のタイミーさんのほうを見て
「そこのあんたも滅茶苦茶な積み方をしてるね。これは教えた人が悪いんだね」
やれやれ、といった様子で笑う彼女は、まるで間違った教えを信仰する異教徒を憐れんでいるようだった。
なるほど。つまりこれは少数の社員と実行部隊のパートが大勢いる職場でよくある権力闘争なのだ。
マニュアル化しにくい作業の手順や優先順位を「旗」にした陣取り合戦が行われているのではないだろうか。
そういえば、昼間の内も社員とパートでラベルを貼る位置など、教える内容に細々とした違いがあった。
おそらく、マニュアルで決まっていない部分なのだろう。そして彼らは「そのルールは決まっていない」のではなく「自分のやり方が正しい」と言っていた。
とはいえ、どちらの陣営も飯のタネなので大っぴらには相手を批判したりしない。
その代わり、行われるのはタイミーなどで仕事に参加してきたひよっこたちを戦場にした代理戦争だ。
もしまたここで働くならば、昼と夜とで積み方を変える必要が出てくる。
気が付けば、私がいるのは神殿ではなくなり、ただの灰色の物流倉庫だった。
働いているうちは元気だと思っていたが、やはり体はクタクタに疲れている。