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2024-06-07

横浜トリエンナーレへの批判に思う

前置き


第8回横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる」が今週末に終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのとき感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています


今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやか感想を述べたに過ぎない」と述懐しています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。魯迅感想短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想もつならば、それで満足です。


人は物事に触れて感想を持つものだと思いますSNS批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というもの自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。


野草』と「文の国」


今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います


今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成るものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的もの追憶的なもの観念的なもの象徴的なもの風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特雰囲気をもった作品集です。


これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります


そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味キュレーター解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレット文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」


しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論余地がありえますが、言葉芸術距離がそう遠いものでないことは確かです。


さらテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきますキュレーター中国出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文文字芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに……。


作品との対話


いっぽう、日本一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭ものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたか展覧会からあなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。


では、「芸術アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から芸術アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」はまさにその代表です。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいもの芸術なのか?」とか「言語表現芸術無関係か?」といった問題ゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。


鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直すチャンスかもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります批判ひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要展覧会であったと言えるでしょう。


友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉時代なのでしょう。考えずして何が現代芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日ちょっと芸術に触れてみよう、子ども芸術に触れさせてみよう、デート美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」


しかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。


私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います


過去トリエンナーレ


ここで、ちょっと過去トリエンナーレを振り返りたいと思います


私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています


2014年の第5回「華氏451芸術世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家芸術家がいか体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治であるという意識が出てきていたためかもしれません。


2017年の第6回「島と星座ガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権さなかにあって、政治右傾化懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)


2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続……。


きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います


いわゆる「政治性」


今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術政治であることの何が問題なのかとか、政治生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーター中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。


しかに、今回の展覧会ではヨーロッパ戦争に関連する展示や国粋主義者移民反対デモ映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつ世界見立てて、このような出来事遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます


そのデモ映像ひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別デモが行われていますヘイトクライム危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。


思い返せば2014年2017年はかなり「政治的」な展示があったと思いますしかし今回、キュレーター日本問題ひとつも指摘しませんでした。日本美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれ事件もそう遠い昔のことではありません。日本美術表現自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっと自由表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパ安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります


しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品なかに普遍性見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒ってみても、滑稽な戯画になるだけです。


ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会なかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅木版画という簡易で複製可能芸術を通じて、民衆文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争撮影した写真が展示されていたのは、芸術政治問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います


現代アートの不満


もっとも、現代アートは手放しで褒められるものでもないでしょう。多くの批判者が火のないところに煙を立てているとは言えないと思います作品の出来が悪いものも混じっていることは否めません。


大方の批判にもかかわらず、私は今回のトリエンナーレではそのような「的外れ」感のある作品ほとんどないか、かなり少なかったと感じています。これもキュレーションのよさでしょう。


思い返せば2020年トリエンナーレにあった「エビSEXをさせる方法を考える」という一連の展示はひどかった。テーマはとてもよかったのですが、日本(だったと思います)のクリエイターたちの作品はふざけているとしか言いようのないものでした。その課題は、「エコスフィア」(エビ水草の入っている閉じた水槽)の中でエビ酸素を吸って二酸化炭素を出し、水草二酸化炭素を吸って酸素を出す。この循環のバランスはうまく保たれているが、一つ問題があって、エビ生殖をしなくなる。そこでエビ生殖をさせる方法を考える、というものでした。多くの作品エビセクシーな格好をさせるとか、エビ秘宝館のようなものを作るとか、そういうものだったと記憶していますしかし、クリエイターたちはこの「エコスフィア」が地球生態系比喩であると気づかなかったのでしょうか? だとしたら愚かに過ぎるとしか言えません。それとも、気づいていてこのような作品を作ったのでしょうか? だとしたら二倍悪い。エビとは「私たち」に外ならないのだから、つまりクリエイターたちは女がセクシーな格好をして男を誘えばよいと言いたいのでしょうか? それはあまりにも「男尊女卑」に終始していると言わざるをえません。そこには問題意識が欠如しています。「教授課題テーマはよかったが、学生たちのレポート

2024-06-02

本格的に暑くなる前に書いておきたい、生乾きだから服が臭くなるわけじゃない理由

服が臭くなるのは雑菌が繁殖するからだ、この認識科学的な問題はないだろう

そして雑菌が繁殖するのは、繁殖可能環境があるから

ここまでは同意いただけるだろう

では、雑菌が繁殖やす環境を諸兄姉はどのように考えているだろうか?

雑菌はどこに繁殖するか考えてみて欲しい

雑菌は何かしらの餌があってこそ繁殖可能になる

その餌、それは汚れであろう

その汚れは生乾きによって生まれものだろうか?

生乾きが汚れを生じるわけではない

雑菌の餌となる汚れは着ることによって生じ、洗濯では落ちきれない汚れが雑菌の餌となる

まり、汚れが落ちていない服は生乾きとは無関係に、乾燥機を使ってもなお臭くなる余地がある

乾燥機を使っても、酸素漂白剤を使っても、服に汚れが残っていれば臭くなる

そして、乾燥機を使っても、酸素漂白剤を使っても、熱湯で洗っても、服の汚れを完全に取り除くことはできない

服を殺菌したところで地球上で生きる限り雑菌を排除することは不可能で、繊維に残った汚れを足がかりとして雑菌は(気温が高くなると活動も高まり、餌の供給も増え)勢いよく繁殖する

何がいいたいかというと、服は着るほどに汚れが溜まり着てから臭くなるまでのスピードが速くなるし、どんな洗濯をしたところで服は着れば臭くなる

臭い人の多くは汚れが落ちきれない服を着ている、そして汚れが落ちきれない服は長く着ている服である

まり、定期的に服を入れ替えないと気が付かないうちに臭い人になっている

anond:20240602115212

下水管はなるべく塞いでるから大丈夫だが、マンションの一室で化学薬品処理とか困るよな

一酸化炭素とか流されたら分かりにくいし

たまに気分悪くて血中酸素濃度を測ると95前後に下がってたりすることはあるが、今、民事裁判金融組織犯罪を追及中なので、いろいろあるのかなと思ってるぐらい

警察はたぶん動くわけないので、ご心配ありがとう

東京都vs46道府県の分断話飽きた

増田は代々東京に住んでいますが、別に東京がすごいとは思っていません。

東京がすごいと言ってる都民にもそもそも会ったことがないし、そんな話題になったことすらない。

増田の知っている都民はだいたい「沖縄軽井沢海外引っ越したい」って言ってます

灰色の空は大気汚染がひどいのでテロメア減少速度が早いし、どこ行っても全てが過密だし正直嫌です。

鮮度を欠いた水も食べ物地方ローカル食と比較すると高い割に美味しくないし(主観です)、夏は死者が出るほど暑い電気都市ガスが安くて、冬に雪の少ないところはありがたいですが。

人間がたくさんいるから、広く浅く新しい出会いがあるのは特筆すべき点だが、反対に地域コミュニティ希薄なので「今日会社とお店の人としか喋らなかった」って孤独を感じる人もいます。だから歓楽街が賑わうわけなんですが。

家に絵は飾ってるし楽器もやるけど、好きだからやってるだけであってだから状態。そんなのどこでもできるでしょ。

ミュージアムはいっぱいあるけど、増田が好きな高砂淳二宮城京都展覧会はやっても、東京ではしてくれませんでした。

 

もうね、東京なんて電気も他県で作ってるし、食べ物も9割方他の道府県海外に頼ってるし、水も小河内ダム以外は他県に頼ってるし、森林面積も狭いか酸素供給も他に頼ってるわけ。全く自立できてないの。道府県様々なんですよ。道府県なかったら野垂れ死になんです。

まあ、税収高いのは日本の役に立てて良かったなと思うけどさ。そんなの円安が続いたら虚業は儲からなくなるわけで、そしたらやっぱり工場農場のある他府県の方が強いと思う。

2024-05-31

人間の質を根本から変える事は不可能

職場がかなりアレな男女の集まりで、色々事情があって馴染まないといけないからその人たちの真似をしていた

悪口、影口

・やたらめったら飲み会

バカのものの非建設的な会話

・酒や煙草はやればやるほどかっこいいという雰囲気

1年で限界がきて職場から去った。つーか本当は1日目から限界だった。

汚泥の中が気持ち良い人間と、酸素があるところじゃないと生きていけない人間が分かり合う事は一生無いという事だけが分かった。

もっと早く辞めるべきだった。364日も無駄にした。

2024-05-25

◯◯不足で1番やばいのは酸素、では

◯◯不足でほどほどに良くないのは?

2024-05-24

幸せ低酸素症

酸素血症なのにハアハアしない病気で、Spo2が65でも苦しく感じないらしい

ボーッとするがパルスオキシメーターでも正しく値が検出できないなど謎が多い

ただ、だちすればコロナは神経を麻痺させる生物兵器ということ

マンション等は各世帯空気水道管等で繋がっているし無症状コロナテロも怖いよな

知らないうちに陰謀的に感染することもありうる

「幸せな低酸素症(happy hypoxia)」

観察してると無呼吸症候群も同じ麻痺が原因ぽいんだよな

ウチのおじいちゃんがそうだった

ところがじいちゃん2018年から脳梗塞で9ヶ月間病院施設にいたあいだが、カルテには呼吸異常が何も書いてなかった

2019年退院してが帝人検査会社)と往診主治医等に異常が知れた

2年以上無呼吸症だったことも分かった(ババア無視してた)

しかし、前述の論文はずっとあとの2023年

しかすれば、ステルス軍事機関病院があえて無視する病気ということだ

酸素血症も認知症の原因になるだろうし、厚労省診療差別のクソ病院をどうするんだろう

2024-05-23

anond:20240523113913

まず熱中症かそうでないかを診断する必要があります

診断方法を知らなければ予防と対処のいずれをすべきか分かりません

熱中症の症状にはいわゆる脱水症状、頻脈と低血圧意識障害があります

ここで塩分を取ると血液塩分濃度が高くなり、血管は塩分濃度を薄めようとして水分を吸収し、水分を吸収すれば酸素は回るという仕組みです

したがって脈拍や呼吸数を測ることは診断の基本と言えます

エキヒュームSが必要なのは博物館が高断熱高気密じゃないからだ

エキヒュームS一つでピンチになるなんてことある?と思って調べたら

タイトル結論に達した

対策

https://www.tobunken.go.jp/ccr/pub/antibiochart.pdf

酸素二酸化炭素、低温と処理方法があるっぽい

しろ薬剤系はメインではない雰囲気資料

殺菌

殺菌用としてはエキヒュームS以外にアルプというものがあるみたい

殺菌処理は対処療法

https://www.tobunken.go.jp/japanese/ipm-list/com/com-j/files/downloads/com-j.pdf

2004年にすでに危機感持ってたみたいね

カビが生えたら対処する従来の方法から普段から管理するIPMへの移行の必要性があるみたい

IPM

https://www.bunchuken.or.jp/management/1325.html/

カビの発生を抑えるためには湿度を60%RH以下に保つことが重要だ。文化財IPMコーディネータの講習でも取り上げられる有害生物対策の基礎知識の一つである

しかし、室内の湿度を60%RH以下になるよう管理しているにもかかわらずカビが発生したという話を聞くことがままある。そうした時に疑うべき原因の一つが「結露である

これ。ここで高断熱高気密住宅建てた人なら勉強した「常識」が出てくる

これに苦労するのって低断熱低気密な建物からなんだよね

結露局所的に冷えるから起こるので、断熱が重要

で、読み進めると結露対策のところにも

建物自体直射日光さらされる場所にあり、かつ、断熱が充分でない場合、外気の温度変化が建物内部の温湿度にも大きな影響を及ぼすことがある。建物内外の温湿度データ比較した時、屋外の温湿度変化に引っ張られる形で屋内の温湿度にも大きな変化が生じるようであれば対策を講じた方がよい。

断熱の話が出てくる

簡易な断熱補強の例としては、建物に日よけを付けたり、スノコなどを用いて遮光したりする方法が考えられる。完全でなくとも、直射日光遮断することの意義は大きい。

結局、建物自体がしょぼすぎるからなんとか頑張りましょう的な対策が書かれている

これさー絶対建物自体を高断熱高気密で建てれば解決するよね

また、窓を二重窓にすることも、空気の層を作ることで急激な温度変化を防ぐ方法の一つであり、前述と考え方は同じである

二重窓にも言及してるしね

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yomiuri.co.jp/culture/dentou/20240522-OYT1T50073/

2024-05-22

anond:20240522214643

俺なら

体臭外来医者に聞く

・1万円払ってTシャツを謎の会社に送りつける

・色々試しつつ周囲の反応で察する

この三択を同時進行する。どれも大したコストじゃないだろ。

どれを実行するか悩んでる時点で楽観視してるのを感じるよ。本当に心の中からヤバいとは思ってなさそう(実際やばくないんだろうが。誰も他人匂いなんか対してきにしちゃいない。

からアドバイス

・家の中の物と家具・壁・床をアルカリイオン水か消毒液(名前わらんけどコロナの時みんなが使ってたやつ)でシュッシュしながら拭き取る

・これを定期的に続ける

匂い吸いそうなカーテン酸素漂白剤につけて洗う

・臭ってる絨毯・ラグはワンシーズンで買い替える(ニトリしまむらイオンとかで安いのを買ってくる)

マウスパッドとかリストレストも定期的に消毒でシュッシュする

頭皮・体は二回洗う(乾燥するなら風呂上がりにクリームぬればいい)

・服は1回着たら洗う、安いのを買ってすぐ捨てるようにする、乾燥機にかけるようにする(乾燥機の光熱で菌が死ぬ)

・肉ばっか食った後は臭い自覚を持つ

・定期的に旅行行ったり実家に帰る(帰宅した時に、自分ちの匂いがわかる)

2024-05-14

anond:20240514183703

とんかつ屋ぬか漬けには、とんかつ武信代々木上原店やかつ玄などがありますとんかつ武信代々木上原店では、本店から30年物の糠床を分けてお新香を漬けています。かつ玄では、箸休めぬか漬けが出てきます。

とんかつ武信代々木上原

自家製ぬか漬け - とんかつ武信代々木上原

2006/06/08 — 武信分店では、本店から30年の糠床を分けてもらって、お新香を漬けています糠漬けは、美味しいだけなく、ビタミンB1乳酸菌たっぷりまれている健康食品です。 毎日かき混ぜて乳酸菌酵母酸素を送り続けることで、糠床が野菜を美味しくしてくれます。 加熱せずに食べることで熱に弱い乳酸菌も生きたまま直接 ...

ぬか漬けとは

ぬか漬けは、ビタミンB1乳酸菌豊富に含まれており、健康食品としても知られていますぬか床は、米ぬか、塩、水、山椒の実、唐辛子柚子の皮、昆布などで構成されており、乳酸菌酵母菌が発酵を続けています毎日かき混ぜて乳酸菌酵母酸素を送り続けることで、野菜を美味しくしてくれます。

ぬか床は、冬は最低でも1日1回、夏は1日2~3回はかき混ぜる必要があります塩分濃度が適正であれば、常温で2~3日、冷蔵庫で4~5日ほどは放置しても大丈夫です。かき混ぜることができない場合は、冷蔵庫に入れることで過剰発酵を防ぐことができます。

ぬか床に入れるものは、ビールヨーグルトなどの液体状のものは避けたほうがよいでしょう。また、生の魚介類や肉などは腐敗しやすいので、別の容器にぬか床を取って漬けてください。使用後のぬか床は、絶対に元のぬか床に戻さず捨ててください。

2024-05-12

鰹節賞味期限10年前だった

レシピ鰹節があったのでそういえばうちにあったはずと思って探してみたら、10年前に賞味期限が切れてるものが出てきた。

鰹節賞味期限が何年なのかはわからないが、少なくとも10数年は鰹節を食べてないことになる。

パックの中には水分も酸素もないか大丈夫だろう。味見しても特に問題なさそう。これで死んだら鰹節死ってことで。

耐糖能を向上させるためにHIITをやろう

血糖値コントロールには運動、中でもVO2max(最大酸素摂取量)向上のためのインターバルトレーニング、いわゆるHIITをやるべきである代謝機能向上には筋トレよりおすすめだ。

なお、HIITのやりすぎは逆に耐糖能を悪化させるという報告もあるので多くても1日おきにとどめておくべき。やらない日は筋トレ散歩にあてよう。

以下、おすすめのHIITのプロトコルを強度順に紹介する。それなりに信頼できるプロトコルを集めた。


全力20秒 軽く2分 ×3セット 計7分

高齢者にもできる軽いプロトコル。こんなに軽くても効果がある。


全力8秒 軽く12秒 ×30~60セット 計1020

高齢女性でも10からはじめて20分できるようになると報告されている。


全力60秒 軽く75秒 ×8~12セット 計18~27分

最後には挑戦してほしいプロトコル。タバタより一般人向け。


注意点

前後にそれぞれ5分のウォーミングアップとクールダウンをしよう

初心者高齢者エアーバイクなどマシンが足腰に安全おすすめ

なぜタバタ式をすすめないか

前後それぞれ15分のウォーミングアップ・クールダウンをするので上のプロトコル時間的に大差なくなってしまう。

そもそもVO2max170%はきつすぎて無理であるオリンピック選手向け)

https://anond.hatelabo.jp/20240510183045

2024-05-11

anond:20240511080553

人体に影響のない酸素漂白剤を使ってるけどアレルギー過敏の人は使用を控えた方が良いかねーとか書いてあって、いやいや人体に影響あるやん!って画面の前で突っ込んだ。

それで影響あるレベルの人なら水道水そもそも有害なっちゃ人種だと思う

日常生活できないんじゃないか

コーヒーフィルターは漂泊済・無漂白どっち

調べてみたらプロって全員漂泊済使ってるんだよね。理由は「紙の味がコーヒーに移るから。」

人体に影響のない酸素漂白剤を使ってるけどアレルギー過敏の人は使用を控えた方が良いかねーとか書いてあって、いやいや人体に影響あるやん!って画面の前で突っ込んだ。

 

結局、「漂泊済:人体に影響あるかも?」 「無漂白:紙の味がする」 と言う事で私は多少マズくても無漂白を選びます

2024-05-06

anond:20240506083113

外の音とかが聞こえているのかもしれないね。あとは部屋の酸素量が増えて脳が活性化しているとか。

2024-04-26

anond:20240426084721

ハイファンタジー定義現実世界が絡まないって事だから

フリーレンは普通にハイファンタジー

ハイファンタジーは「高尚な異世界」ってわけじゃない

高さは「幻想度合い」についてであって、作品リアルさなどではない

んでな

リーに「防御力」への言及があるが

強さをどう落とし込むかは結構面倒なんだよ

例えば敵が放った高熱の火球をナニカで防ぐとして

熱を発してるんだから、直撃しなくたって近接すれば普通に外皮が火傷するし、吸い込んだ熱気で気管や肺がやられて、まあ人は死ぬ

これを「防げる」とする場合、それは熱気を防ぎ、燃焼による酸欠を防ぎ、火球霧散させる

どういう理屈なのだろうか?

ゾルラーク普通魔法になった、という描写結構引用されるけれど

「防御魔法」は何をどういう理屈で防ぐのだ?

「貫通する」とはどういうことなのだ?

これをきっちり説明するというのは、そういう事象世界の理として構築するって事だ

指輪物語だって、なんならいろんな神話でも、そこらは適当だが

そこにケチつける輩っていないだろ?


グレートソードドラゴンの鱗を切り裂き、フルプレートで全力疾走できる人間の筋骨は相当頑丈なはずだ

にも拘らず外皮は脆い?

内臓保護はどうなってる?

脳は?

迂闊に、どんなに防御力が高くても顎を叩けば(脳がゆすられて)人は昏倒する、みたいな描写をしちゃう

以降、内臓はまともに保護されてない前提でいろんな整合性を取らないといけない

迂闊に、防御魔法は魔力による攻撃を防ぐが、起こされた物理現象は防げない、みたいな描写をしちゃう

以降、真空も、氷の礫も、熱や酸欠も防げない


燃焼は酸素使用しないだとか、酸素呼吸してないを言いだしたら

いろんな諸々を地球物理判断するなで終わってしま


手っ取り早いのは「神の加護」で体が保護されている、行動限界加護の残量、みたいにざっくりとしちゃうことで

毒がスリップダメージなのも、石化や即死確率全損なのも、HPが0になるまで全力で動けるのもなんとなく理屈付けできるんだが

それもそれで、【説明してしまうと】どっかに粗が出る


諸々考えても

ゲーム的な世界ってのは実に都合が良くって

受け手勝手脳内で補間してくれて

そこを「良しなに」解釈してくれる

この「良しなに解釈する」の分かりやすい例は、謎カーボンミノスキー物理

もちろん、ネタとして全力考察する人らはいるが

顔真っ赤にして、「ガンダムSFの基礎になっちまう」とか言い出したら

頭オカシイと思わんか?

スターウォーズヤマトも大概やぞ

人々の基礎になっても良い、ファンタジーSFってのはなんだ?

2024-04-25

治っているはずの古傷が塩のとりすぎ程度で酷い症状になる

塩分イオン化と酸化ストレスとかのせいなら

酸素ではない電子を戻してやれば酸化せずに済みそうな気がする

電気パッド

2024-04-24

anond:20240424090538

文句があるなら時間効率のいい運動プログラムを作ってるJAXAに言ってね。

High intensity interval training(HIIT)は上述の課題解決に適している.HIIT は 2 つのタイプ,すなわちスプリント系(sprint interval training : SIT)と有酸素系(aerobic interval training : AIT)に分類される

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jspfsm/71/1/71_73/_pdf/-char/ja

2024-04-23

高校ん時行った家庭科強制ボランティアで、人が話してる時には相手の目を見ろって注意された。社会性に関する指摘においては非常に素直なので、それ以来かなり意識的実践してる。

10年近く経った今でもまだ慣れない。ゲームで水中入った時の酸素ゲージみたいにストレスキューーーッッッと上昇する。適宜目線を下げてゲージを回復させないと無理。

必ずしも目を見なくとも鼻の辺り見てればいいとかネットで見てそれも実践してみるけど、あんまり変わらんような気もする。

胸元開き目の相手だとあんまり目線を下げてもアレなので、回復度の低い首か顎辺りまでしか行けなくて疲れる。おれは性欲を隠すのがカッコいいと今でも全然思ってるし、チビ事実)とか陰気(事実)とか言われても別に構わないけれどガッついた人間だと思われるのは嫌だ。

常日頃からしっかり目線合わせてたら気が狂うので面接とかタイマン面談とかの場でしかやらんけど、常日頃からやらないから慣れないんだろうなと思う。

anond:20240423064833

白血球値、体重アルブミン値、血中酸素濃度、脈拍数、呼吸数、排泄物量、意識状態、肺胞出血、これらを投薬注射などでコントロールすれば死亡フラグが立つ

ある種の医師のお得意の技

2024-04-22

anond:20240422170944

ラングラングラー

あと

「このビンの中の『酸素』みてーにどんどん湧いてくるぜッ!久々に人をブッ殺してぇというあの時の気持ちがよオオオオオオオオオ―――――ッ」

ってセリフ好き。

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