※主にリアルでの話
そんなこと言われなくても分かっているという人は
これはただの注意喚起と自分への戒めなのでテキトーに読み流してもらえればいいと思う。
自分がヲタであるということを他人に示すのはまさに自己主張の塊
ヲタ趣味が自己完結できる趣味であるというのはもはや言うまでも無い。
さらに良好な人間関係を築いていくというのは不可能に近いことではないだろうか。
そもそもヲタ趣味に限っては、人間関係を築くきっかけとしては有効かもしれないが、
「友達」と「ヲタ友達」というのはかなり異質なものである。
ヲタ友達を作る最大の目的となるのが「趣味の話題の共有」だろう。
共通の話題を持つ人間同士は会話が盛り上がり、一見すると大変仲の良いようにみえる。
しかし、本当に趣味が合う=仲が良いかといえばもちろんそうではない。
何万何十万といるファンのうちの一人でしかなくいつでも代替の効くものだ。
友達同士でオタク趣味を共有し、気づけばヲタ友達となっているケースもあるだろう。
しかし、そうなったら最後オタクな話題が先行し、ちょっとしたすれ違いから
「こいつとは趣味が合わない」と疎遠になってしまうことも珍しくはない。
何故そういったつまらないすれ違いが簡単に起きてしまうのか、
「モノ」が先行する世界であるという点ではないだろうか。
例えば普通の友人同士の会話でありがちなのが昨晩見たテレビ番組などだ
この程度の話題であれば、割と見ているものも共通で話題としても取り上げやすい。
凡庸であればあるほど、共通の話題は軽い内容でありさほど重視はされない。
そのため深く話題について議論する必要もなく会話は総じて個々人が尊重されて進んでいく。
たとえ芸能人の好き嫌いがあったとしても、オタクとは違い思い入れは薄い。後腐れの残るような会話もまず起こらない。
これがオタク同士になると、例えば好きな絵師について話題にしようとしたとする。
Aは「○又先生が好きでさ~」と話を振ったが、Bはデッサンの崩れやハンコ顔について指摘した。
(オタクというのは自分の趣向に総じて貪欲であるためこういった指摘は平気でする。)
Aはこのあとどのように快い会話を続けられるだろうか?
たとえ指摘まではしなかったとしても、あからさまに無関心そうな顔をするか話題を逸らすだろう。
たったこれだけのことでも友達となれる人が限定されてしまう、それがヲタ友達だ。
また、オタク同士の会話の中では「モノ」についての話題が不可欠となる。
その話題も多様で、入手方法・作者・価値・収集・保管・鑑賞など様々だ。
モノの入手について合理性を追求した集まりの典型が、同人誌即売会のバイヤー仲間だろう。
そのやりとりは時に「本当に友達なのか?」と疑問を抱かせる場面も少なくない。
良心で協力していたものが、気づけばただ利用されているだけになっていたなどということはしばしばだ。
遠方であり、その友人はなかなか行くのも難しい状況であったため快く引き受け、
早朝から午後まで半日以上並ぶことになったが、なんとか2限で自分と友人の分を手に入れることができた。
しかし1年後、別の友人づてから聞いたのだが、もうすでに飽きてヤフオクで処分していたらしい。
しかも、倍以上の利益を上げてだ。
「隠れヲタ」というものがあるが、
実社会で信頼を勝ち得て良好な人間関係を維持していくにはこれはかなり堅実な選択ではないだろうか。
ただし、ヲタの本質が強いほどこれはかなり忍耐を強いられるものだろう。
今幸いにも良好な人間関係に恵まれ、さらにオタク趣味も共有できる「友達」がいるのならば
「ヲタ友達」にしてしまわぬよう気をつけるべきだ。
特定の話題に固執するばかりに相手を不快にさせない、相手を尊重し思いやること。
これだけでも出来ていれば「まともな」友人関係は継続できるはずだ。
既に自分が相手にとって「ヲタ友達」でしか無くなっていた場合は手遅れであることが多いが・・・
それでもやっぱり「自分は○○が好きなヲタです」と吹聴して回るオタク
それは、ただ手放しで自分(が好きな○○)を絶賛してくれる誰かを待っているだけではないだろうか?
俺は「自己完結できる」ということに気付くことが遅すぎた。