はてなキーワード: 東大卒とは
あと、「人間的な魅力とかには欠けることもあるけれども、決められたことを着実にこなす能力の平均的に高い人間」がそう簡単に落ちぶれたりしないでしょ。非コミュの程度によるけどさ。
そりゃ普通のサラリーマン生活で問題なく過ごせるレベルのコミュ力あればいいけど、元増田はそうじゃないケースを言ってるんじゃないかと思ったから。
東大卒証券リテール営業マンとか知ってるけど、非コミュっぷりがヤバいよ。頭の回転は速いけど。
まぁよっぽどヤバいことしなければ東大ブランドでそこそこまでは出世するんだろうけど。
俺の想定した「落ちぶれてる」はそのレベルだった。
こちらが何かこうだと主張したとき、「そうじゃなかったらどうしてくれるんです?」
「もし違ってたら大事ですよ。ちゃんと責任とれるんですか」的なことを言う人がいる。
どのような集団でもそのような輩は存在する可能性があるが、知能が低い集団ほど多く存在し、
そのような間違った論理がまかりとおってしまうことがある。
これは典型的な詭弁であり、かの有名な詭弁ガイドラインにも含まれている。
この詭弁のずるい所は、さまざまな可能性を考えることは知的な態度であるというコンセンサスや
存在するのかもあやふやな極端な可能性であってもそれを考察させることで信憑性が増幅するという人間心理
を巧みに利用して、いかに馬鹿げた自説であっても真実味を持たせることができる
という所にある。
例えば、「東大生はお勉強が出来るだけでなく地頭も優れている」という事は、さまざまな根拠から自明のことであるが、
これに対して
「東大生にも馬鹿はいるし、一概に言えないはずだ。例えばお前が社長だとして、
過去の業務成績から東大卒より高卒のほうがよく出来ると分かったらどうするんだ?
それでも東大卒のほうを優遇するのか?どう考えても高卒のほうを優遇するだろ?」
のようなことを言った馬鹿がいた。
まず他の条件が揃っていないから、東大卒と高卒を安易に比べて判断するのは間違っているのだが、
そんなことは馬鹿な連中は分からないから、上のような馬鹿の意見に「そうだそうだ」と賛成する人が多数現れる始末。
とりわけ、可能性の話で自説を補強する方法は、自由度が高いだけに、注意する必要がある。
というのも、どう見ても自分の言い分のほうが正しくて、議論に勝てそうだなと思っていても、
この種の詭弁を使われて周りの人たちを味方につけられてしまう危険性がつきまとうからだ。
実際にネット上の議論を見ていてもそういった詭弁が得意な自称「議論に強い」人がいる。
彼らは、議論に強いのではなくて、自説の主観的なもっともらしさを操作するのが得意であるに過ぎない。
上の東大卒と高卒の例のように、あるのかも定かでないような可能性の話を出して、
「馬鹿なこと言ってんじゃないよ」と言えば、相手はつい圧倒されてしまいがちだが、何も論理的には言い負かしてはいない。
可能性の話というのは、論理学的に言えば、真偽の定かではない命題に対して、もしそれを真と仮定したならばこうなるという話であって、
仮定の真偽がハッキリしない以上、自説の根拠とは出来ないはずの話である。
しかし、つい仮定の話だということを忘れてしまって、さも真実の話であるかのように錯覚してしまうのが人間である。
これは、他人を言い負かす時に用いられるだけでなく、自分の中で感情的に思考している時にもよく起きることである。
感情的な気分の時は、論理の前提を忘れてしまい、「もしかしてアイツ馬鹿にしてるんじゃないか?許せん!」と勝手に激怒したり、
「もしかしたらあの人は私のことが嫌いなんだろうか?そういえば、この前もあんな態度とられた。どうしよう嫌われてる」
これと同じで、他者を詭弁で騙す人は、意図的にしろそうでないにしろ、個人の感情をうまく引き出すことで、
真偽値を主観的に逆転させたり、論理的飛躍を起こさせたりしている。
よくある一つのパターンとして、恐怖や不安を煽って、存在しないはずのことをさも存在するかのように言って購買欲を引き出す商法がある。
そもそも「何々は存在しない」や「全ての何々は何々である」という命題の真偽値を主観的に逆転させるのは結構簡単なことで、
一部の例や一部のパターンだけを取り出してこんな規則がありますよと言ったり、虚偽の体験談を作り出すことで信憑性を持たせたりすれば
馬鹿な人は簡単に信じ込んでしまうのだが、そこに恐怖や不安といった要素を絡めれば、なおのこと簡単に人は騙されてしまう。
可能性の話で自説を補強する時も、恐怖や不安を利用することが多く、「もしこうだったらどうするんですか?」という言い方をすることで相手を脅迫し、
相手や周囲の第三者に「もしこうだったらどうしよう」と不安に思わせて自分のペースに巻き込もうとする。
そうして、人々の中で持たれていた信念や知識の真偽値を逆転させ、さらに恐怖や不安を煽ることで各人のなかで論理的飛躍を起こさせる
というメカニズムなのである。
このようにメカニズムを理解すれば、この種の詭弁に翻弄されることは無くなるのだが、きちんとメカニズムを理解できない馬鹿は
いつまでたってもこうした詭弁に振り回された人生を歩むことになる。
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ブクマから。
このエントリー自体が「可能性の話での議論」である可能性がある。
うまい。実は、この種の詭弁は詭弁であるかどうかの境界が曖昧なところが厄介。
「そうじゃなかったらどうしてくれるんです?」って言われたら「もちろん責任取りますよ」って返してる。
責任とれば主張が間違っても良いという場合にはそれで問題ないかもしれないけど、学問的に誠実な態度とは言えない。
やはり相手の学説・主張は間違っているということをはっきり言えないと困る。
特に、相手が無意識にメッセージを刷り込んできた場合に、それに抵抗する間もなくメッセージを受け入れざるを得なくなるのは困るから、
きちんとメカニズムを理解したほうがいいという話なんだけどな。
観念的で感情的な反論ばかり。私は少なくとも100人以上の東大生の地頭に触れる機会があった。
地頭の良い人であれば、会話のテンポ、記憶力、論理の緻密さ、感性などから地頭があるレベル以上であるか見分けがつくものだ。
もちろん不得意なスキルはあって当然なのでこの中の一つが欠けていたからといって地頭が悪いとするのは早計。
ともかく、地頭の良い人にとってみれば、自分以下のレベルの人間の地頭については判断できるので、
東大生だから地頭が良いなんてことはないと言っている人間は、想像で物を言っているか、その人が会ったことのある全ての東大生の地頭よりその人の地頭は悪いか、
そのどちらかであろう。
そんなこと言ったら、地頭の悪い人に東大生の地頭の良さを納得させられないので、やむを得ず知能テストの結果を見れば自明ということに触れはしたが、
べつにそんな測定をせずとも、しばらく会話してれば分かるはずだよ。
あと、学歴至上主義は通用しないという反論は、地頭という意味を理解していないらしい。
いろいろとおかしな反論が多いが、東大生より高卒のほうが地頭が優れていると判断するに足るデータは今のところ見たことがないので、
あるものなら出してほしい。
あー3流大学卒ですが、東大卒むしろウエルカム。早慶もウエルカム。
実務じゃ負ける気がしないから、えー、XX大学なのにこんな事も出来ないのって言えるし(笑)
3流大学卒だから、負けて当たり前、勝てば官軍、こんだけ有利なポジションはない。3流大学。
まぁ、半分冗談としても。有名大学卒の奴は頭良いよ。研究環境も良いしね。でも別に、そんだけ。
違うベクトルで勝負すればべつに、そんだけじゃん。で、勝負しあった後はお互いの長所を認めて、尊敬し会えるし。
学閥があるところでもなければ、大差ない。
3流大学の前では、あまり大学の話しはしない方が良いよねってのが、寧ろやめてほしい。
それはそれで1つの接点で、お互いの人生なんだから、素直に話し合って、ぶつかり合って認め合おうぜ。
変に気を使う方が無礼ってもんだ。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20090508/1241790828
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20090508/1241790828
とかくマスコミには厳しいネット住民も、自分の近くのブロガーが「なにやらすごそうな人っぽい」だと、ペロっと手のひら返してしまうのがよくわかる。
今まで黙っていた人たちが「なるほど納得」とか「僕のプロファイルと間違いなく・・・」云々言い出して、なかなか香ばしい。
よくドラマなどで、一般人だと思っていた人が実はお偉いさんだったことに気が付いて、突然ペコペコしだす人たちっているじゃん。
ああいうのをリアルで見れるとはなかなか貴重だよなw。
僕が見たところ、ネット界隈には実名信仰見たいなものがあるよね。
だから、ステータスある人が実名出してブログとかやってるとドキドキしてしまう。それだけでなんだか偉い人みたいに見えちゃう(芸能人とかは別だよ)。
ぶっちゃけ公表している実名が本当かどうか、学歴が本当かどうかなんて確かめる術はないんだけどね。
あと、こんなにも業界人に弱いのかとちょっとうけたw。
マスコミ散々馬鹿にしているのに、みんなどこかであこがれてるんだな(笑)。
そんな感じでみんながいっせいにエライ人フィルタかけてこの人見始めたのはなんとも笑えるけど。
今までもこの人の文章は、ある種の痛々しさがにじみ出てくる文章が多いんだけど、今回の文章でもその輝きは衰えていませんでしたが何か。
東京藝術大学出身であることを明かしながら、わざわざ「現役で」と書いてみたり、「自分には才能があるのだがなぜ報われないのだろう」感は、実名を公表した文章に至っても健在。
今後も彼は中二病丸出しの文章を書き散らかしてくれるハズ。
でもエライ人フィルタかけた人たちから見たら「面白い文章」になるんだろうねぇ、不思議不思議。
それでもちょっと彼の立場に立って考ると、少しは同情してやってもイイのかも、とも思ったり。
おそらく本当にそこそこ才能がある人とは思うんだけど、きっと色々コンプレックスがあるんだろうな、と。
今回の文章でも見受けられた「○○が好きでなことに気が付いた」「新しいことにチャレンジしたかった」というのも、才能が芽吹かなかった人の言い訳でよくあるパターン(合理化だね)。
地方から上京だし、浪人して不安を抱えてるわけだし、親も浪人させて大学行かせるくらいだから、
そこそこ資産あったんだろう。多分。
どんなマニュアルがあるか知らんけど、この手の団体
(既にエスタブリッシュメントなあそこも拡大期にはこんな感じだった親からと聞いた)
布教してたなら、そこ独特のノウハウとか知ってるんじゃないの?
例えば、少年マガジンを持って歩いてるヤツを狙えとか・・・ありそうだと思うのだが。
被害者的な側面ばかりじゃないでしょ・・・?
どうせなら、そういうことをオープンにしてよ。
TVに出た偉い建築家(私もみた)が何か建てたとか、美術館がゴージャスとかってあたりまえでしょ。
建築家、建設会社、美術品の買い付けにはそれなりの対価が支払われますよ。お金あるんだし。
ブックマークとかで責め立てられてるから、マジレスしちゃうけど、
職歴に関しては、ノルマの厳しい訪問販売やってました的なトークでかわすしか無いだろうな。
あながちウソではないわけだし。
私が遭遇したケースだと、昔勤めてた会社の取引先(超大手企業)でなんだけど、
新卒で入社したばかりの東大卒のスーパーエリートがマルチにはまって会社辞めるとか、
芸能人も入信したりで、ひところ騒動を起こした某宗教団体の熱心な幹部信者(会社では課長だったかな)が
会社のコピー機で、どん引きするくらい電波なチラシを作っていたなんてこともあったからね。
カモる側の方が巧妙だし、自己実現の手段と捉えてせっせと頑張るヤツもいるだろうから。
今まで生きてきて25年、どうも、俺の考え方が他の人と違っているなぁ、と思いながら、今日、その違いの本質っぽいところにたどり着いた。学校でも、会社でも、目標を作って「壁を乗り越える」ことが評価されるようなのだが・・・
そもそも、壁を乗り越えることに意味ってあるの?
その壁って、すでに他の人が乗り越えたものじゃないの?前人未到の壁だっていう証明はどこにあるの?他の人と同じ壁を乗り越えても、それって意味あるの?社会には人がたくさんいるわけで、あなたが壁だと思っている目標を、軽々と超える人もいるわけだ。あなたが頑張って壁を越えたとしても、それって、何かを達成したことになるのかな?あなたを評価する人・あなたを雇う人から見れば、あなたが壁を乗り越えようが乗り越えまいが、壁を軽々と乗り越える人の方が評価は高いわけだ。「何かを達成する」ということが、他者の評価を上げるということだったなら、別に、壁を乗り越えても乗り越えなくても、評価の順位は変わらない。企業は、あなたを捨てて、壁を軽々と乗り越える人を採用するだけ。
で、そもそも、何で「壁を乗り越えよう」としているんだっけ?壁って何?業績?業績を上げるって、他者からの評価を上げることじゃなかったっけ?あれ?でも、壁を乗り越えても、他者からの評価は変わらないんだよね。企業も大学も、あなたを捨てて、軽々と壁を乗り越えられる人を採用するだけ。結局、あなたは負け犬。
あなたにとって、今やろうとしていることが「壁」である時点で、すでに、もう決着はついているんだよ。競争社会では、壁につまづいて、それを乗り越えたことは評価されないの。壁を壁と思わず、進める人が評価されるの。壁にぶつかった人は、もうその時点で、負け犬なんだよ。壁にぶつかったら、もう、その時点で、評価は決まっているんだ。
でも、負け犬と評価されても、死刑になるわけじゃない。負け犬でも、生きていることは許してもらえる。僕らは怖がりだから、死ぬのは嫌だ。社会には、負け犬のための場所があって、そこで、かろうじて生きることはできる。そこで、社会とのwin-win関係が結べるんだ。社会は、「壁に乗り越えること」なんて求めてないんだよ。壁にぶつからない人を求めているんだよ。社会は、壁にぶつからない才能を持った人だけに用があるんだ。壁にぶつかったら、もうその時点で、社会は、その人に用なんかないんだよ。でも、かわいそうだから、壁にぶつかっても、かろうじて生きていていいことになっている。僕らは、壁にぶつかったという罪を償う代わりに、「生きていい」というお墨付きをもらえる。ここに、僕らと社会との間の、ひっそりとした約束事があるんだ。別の言葉で言えば、win-win関係、難しく言えば、社会契約っていうのかな。ルソーの社会契約論とか、高校の教科書に出てきたよね。
そういうわけで、壁を乗り越えることには、本当は意味なんかないんだよ。「壁を乗り越えよう」なんていうのは、人をタダで働かせるための、スローガンに過ぎないんだ。もう、壁にぶつかった時点で、あなたの評価は決まっているんだ。高校・学部・修士・博士・企業、全部そうなんだよ。壁にぶつかった奴は負け。壁にぶつからなかった奴が勝ち。壁にぶつかった奴は罪人で、壁にぶつかったという罪を、一生つぐなわないといけないんだ。
【追記】
ついでに言っておくと、僕は東大卒です。東大入学は、僕にとって壁ではありませんでした。まぁ、その後、壁にぶつかったわけですが。いろいろ反論はあるみたいですけど、「自分にとっての壁を乗り越えたんだからいいじゃない」みたいな意見は、単なる自己満足だと思っています。たとえ自分の中では成長したと思っていても、他人から見たときに自分が成長していることを示せなければ、「自分の成長」を客観的に示せないわけです。壁を軽々と乗り越えられる人間が、壁にぶつかる人間より優れていることは、明らかです。競争社会では、壁にぶつかった人間は不要なのです。その代わり、壁にぶつかった人間は、壁を乗り越えた人間を恨み、妬み、殺されないように自衛することは許されています。それが競争社会の意味であると思っています。
【追記2】
今までの記述と矛盾するかもしれないけど、少し冷静になってみる。とりあえず、自分の経験は、次のようなもの。高校のころから、「壁を乗り越える」というのは、まず、「自分の壁」を探して、その後、ぶつかることだと思っていた。当時から、「xx君は数学ができてすごいな~」、「でも、数学は自分の壁じゃないから、そこそこできればいいや」というようなことをやっていた。こうやって、ぶつかるべき壁を絞っていった結果、一応、「自分の壁」は見つかったんだけど、今ぶつかろうとしている壁は、数学や英語の「基礎力」がモノをいう壁でした、という話。だったら、最初っから「自分の壁」とか「壁を乗り越える」なんていう考え方をせずに、基礎力を鍛えておけばよかったな、という話。
でも、だからといって、「基礎力をつけようとしたら壁にぶつかったけど乗り越えました」なんていうことをアピールするのはひどい勘違い。企業にしろ、大学の先生にしろ、他人が自分の基礎力を評価するときは、そもそも「壁にぶつからない人」を高く評価する。基礎力をつけるときに、自分の壁を乗り越えた、バンザーイ、なんていうのは、甘っちょろい自己満足。
だからね。何がいいたいかっていうとね。
・個性とかオリジナリティーとかうざいです。結局、基礎力がないとおもしろいことはできません。オリジナリティーの高いものを作るには、基礎力が必要。
・逆に基礎力さえ高ければ、オリジナリティーの高いものが自然に出てくるのです。
・基礎力をつける段階では、「壁を乗り越えたかどうか」は評価されません。壁にぶつかった時点で、あなたは、壁にぶつからなかった人より劣っているとみなされます。つまり、もう、そこで序列ができているのです。あなたは、負け犬です。
・ただ、壁にぶつからなかった人を羨み、妬むことは許されています。個性とかオリジナリティーとか独創性とか、馬鹿げた幻想に踊らされるよりも、人を羨み、妬みながら静かに生きていたほうが、幸せな人生がおくれると思いませんか?
ということです。
http://anond.hatelabo.jp/20090324191348
下戸だって、ちゃんと考えて「最初の乾杯のビール」を断ってます
http://anond.hatelabo.jp/20090324213407
を書いた、東大卒下戸の元増田です。まず、上記の記事を熟読して、普通の人(日本人の6割)と下戸(日本人の4割)と完全下戸(私を含む日本人の5%)の概念を習得していただけるよう、お願いいたします。
そして、上の二つで書いてなかった事実を、一つ、お教えしましょう。私は、インターンでお酒を強要されたことがあり、その会社は就職活動の時に最初に外しました。まぁ、私が就職活動したときは好景気だったので、そういうことができたという面もありますが。
ただ、私は、新歓の飲み会には行きたい派です。酒を強要されなければ。私なら、新歓には行って、ひたすらお酒を断ると思います。下戸であることを覚えてもらうために。
なるほど!
論理的に考えていてもダメって事ですかね。どうも頭でっかちな性分で('A`)
元益田だけど。追記。
どこまで信じていいか解からないけど、
大学生や主婦、サラリーマンが株やFXで数億円の資産を作ったりもしているし、
アンパンマンの作者みたく60過ぎてから花開く人もいるし、
漫画家になってヒットすれば、やっぱり億万長者になれる。
絵がヘタでもヒットになったりするし、
文章能力が無くたって、
『なにこの小学生並みの文章、、、、』
って本でも100万部を超えるベストセラーになったりする。
不細工だってデブだって、そういうキャラとして役者や芸人にもなれる。
手段は無数に用意されている。
実際に金持ちになるのは大変なのは大変なんだろうけど、、、
年収1000万のサラリーマンと、年収300万のフリーターで、仕事のキツさが変わらないのと一緒で
(方向性というか種類が違うだけで、別にリーマンがフリーターの3倍働いているわけでもない。工場のラインに並ばせたら全然役に立たない上場企業の役員なんて五万と居る。)
必要な努力の量って、年収一千万と年収数億円でも変わらないハズなんだ。
だって一日は24時間しかないんだから。
で、アタマのよさもあまり関係がない。
そりゃ東大卒は金持ち率が高いけど、じゃあ億万長者はみんな勉強できるか?っていったらそうでもない。
そんなもんあるかあ?
俺は東大卒なんだが、そんな実感は無いねえ。
空白期間をちゃんと説明できれば大丈夫でしょ。
東大卒なんて極端な話、そいつがどんな能無しでも所属させてるだけで旨味があんのよ。会社がある規模を越える局面ではね。
中国の会社が必ず一人二人共産党員を雇っているようなもん。しかもその党員たち働かねえ出社しねえだし。
それでもメリットがあるんだよ。
東大だろうがハーバードだろうが、34歳新卒(30過ぎて東大入学したとして)の就職は厳しいんじゃないかと。
もぐりこめたところで、東大卒ってだけで高卒で勤続16年の34歳とか大卒で勤続12年の34歳より好待遇はありえないんじゃないかと。
しかしまあ世の中には様々な事で苦しんでいる人間が多いね。
・貧乏
・どうしようもない親、親戚、友人達。
・田舎から逃れられない。
・非モテ
・アカハラ、セクハラ、パワハラ、アルハラ、もろもろのハラスメント
・その他いっぱい、増田で渦を巻いている。
ある人が言っていました。「東大に入れば、戦争に行かなくていい、兵隊にならなくていい」
東大じゃなくても、それにより近ければ近いほど、戦争に行く順番は遅いのです。
現代では、徴兵制ではなく、自衛隊がありますから、イザという時でもとりあえずは、子供を戦争に取られる事はありません。
しかし、子供にしっかりとした教育を受けさせ、出来るだけ良い大学に入れ、高学歴を持たせるという事が、万難を排除してくれます。
お金も同じかもしれません。高学歴もお金も、ソレだけでは幸せにはなれませんが、どちらとも不幸を遠ざける効果がとてもあります。
http://anond.hatelabo.jp/20090324191348
例えばこの増田。それなりにどっかで聞いた事のあるような話ですが、今の世の中でいうと、格差社会の犠牲者なんですね。本人は真剣にどうしたらいいのか考えていたり、怒りをぶつけたりしているようですが、まさか自分が底辺にいるからそういうメにあっているとは考えてもいないでしょう。
東大出ていれば、そんな世界に入らずに済むのです。別に東大じゃなくてもいいんですけど、それなりにしっかりした学歴を身に付け、まともな企業で働けば、そんな酷い世界に入らずに済みます。
冒頭であげた項目も同じです。東大出てりゃ、回避できるものばかりです。みんななんだかんだで悩んでいるけど、実は「東大を出ていなかった」から問題になっていたんですよ。つまり、両親の教育が間違っていたんです。まあカエルの子はカエルなので、気付きもしないのかもしれませんが。
まあ東大東大と言った所ですぐに入学できるもんでもないですから、ゆっくり勉強して入るといいですよ。
大学は何歳でも入れます。30歳くらいまで働いてお金を貯めながらコツコツ勉強して試験受けたらいいじゃないですか。30でも40でも東大入ると人生変わりますよ。
東大卒業すると大抵の悩みは解決されます。包茎は無理ですけど。
中学生、高校生の皆さんは頑張ってください。増田で出ているような下らない悩みなどは、東大卒業すれば悩まなくて済みますから。