はてなキーワード: 多分とは
タグ閉じ忘れ対策なんて、その辺のcgiチャットとかでも実装してるのに……
そんな難しくないぞ、多分。
タグが出てくるたびにリスト化、閉じられたらリストの最後と一致してたら削除。
最後にリストから後ろから取り出していって閉じるタグを自動で追加、だけじゃん。
それぐらい実装してくれよー>はてな
端的に言えば↓こんなこと(宗教否定論)を考えてる人自体が、人類全体から見れば少数派なわけで。
たとえば「世界各国の宗教 http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/9460.html」見てみると分かるだろうけど、色無しより色つきの部分は圧倒的に多いし、またこのグラフで「無宗教」の中には「特定の宗教を持たないだけで信仰心が無いわけではない or 宗教そのものを否定はしない」という人も含まれていることを考えれば、「宗教否定派」など圧倒的少数だと分かるだろう。
つまり、まず大前提として、『宗教は人間の存在の根源に関わる重要性を持つ。』。
以上。
http://anond.hatelabo.jp/20090120003918
神の存在以外にも根拠や説得力の無い身勝手な放言がよく見られるしなあ。
ここで私がちょっと引っかかったのは、「科学の進歩は人類の利益になる」と言うのが、当然のこととして考えられているという点。
私にとっては先の前提が既に宗教のように感じられる。それって本当なの?根拠あるの?
科学の進歩というのはつまるところ蓋然性調査の進捗であって、それが人類の可能性を広げる。もちろん自分の首を締めるのにより安易にできるロープをも提供するから、それを検出したり防止したりする方法も開発していかねばならないが。
効率よく生産する可能性を手に入れた。肉体的に楽をする可能性を手に入れた。
極端なことを言えば、交通機関が発達したために人は歩くことを忘れたし、
別に歩けなくさせたわけじゃない。今も散歩を嗜む人は多い。
こういった問いは、これから先も中二病として処理され続ける。人によっては、こんなこと馬鹿馬鹿しくて考える気にもならないだろう。
重要な問いだし恐らく社会は「科学者なら答えを見つけておくべき」と期待しているだろう。
技術倫理が破綻しているとみるならばそういう結論になるけど、私はそうはみていない。
「(可能な限り)蓋然性研究結果で何とかする」というのは当たり前ではなかろうか。
こんなことを書いたところで、もう後戻りできないところまできているのは分かっている。
敢えて蓋然性がわかってない事で以って各種問題の解決に当たれと?それが許されるほど呑気な問題だけじゃないような。
科学哲学そのものに宗教的な要素があるとすれば、斉一性原理や因果律とかかな…。
http://anond.hatelabo.jp/20090120012512
私が宗教学も科学論も哲学も全くの勉強不足であり、そういった学問が思考の上で大変重要だということはのは分かるのですが、
この記事で言いたかったことは、現実に対する自分の問題意識についてです。
専門的に見ると色々おかしな記述が有ると思いますが、そこは目を瞑っていただけると幸いです。
とありますが、ここではあまり重要でないと思います。
よく知っている人は根拠がないなんて言えないかもしれませんが、だいたいの人は多分よく知りません。
宗教について聞いて返ってくる答えはだいたいこれでした。(もちろん母集団は小さいので、ここは弱いところです。)
私が言いたかったのは、多くの人(特に工学に携わっている人ですが)の中に、
科学という方法だけでなく、そのもたらすものまでを絶対視する傾向が強いのではないかということです。
コメントをいただけること自体はうれしいのですが、
内容が「○○についてもっと勉強すればいいよ!」だけでは何が理解不足なのか分かりません。
勝手なお願いではありますが、できれば具体的に、記事に照らし合わせてアドバイスを頂けるとうれしいです。
(記事が何言ってるのかさっぱりだぜwwwと言う場合はすいませんorz)
クズは大衆を扇動するのに大変だな
38年の間にいくらインフレしたよ?多分同様の期間だと10倍くらいだろ?
まぁ、騙されるゴミは居るだろうけどね
こんなのに騙されるゴミはどうせ誰かに騙されるだろうから
保護する必要有るかどうかは疑問だけど
科学と言う手法についてじゃなくて、科学を使っている人について。
理系の学部にいると、分野によって多少の差こそあれ、社会との関わりを考える必要が出てくる。
研究のプレゼンでは、その研究が社会にどういう風に役に立つのか説明しないといけないし、
ここで私がちょっと引っかかったのは、「科学の進歩は人類の利益になる」と言うのが、当然のこととして考えられているという点。
宗教を毛嫌いする人って、多分「神の存在には根拠が無い、科学的でない」と言うところで否定していると思うのだけど、
私にとっては先の前提が既に宗教のように感じられる。それって本当なの?根拠あるの?
「現在の社会が繁栄しているのが何よりの証拠」と言われるかもしれない。しかし、私は納得しかねる。
人間の多数派が、効率よく生産し出来るだけ肉体的に楽をするために「科学」と言う価値を選択してしまったと言うだけの話だ。
極端なことを言えば、交通機関が発達したために人は歩くことを忘れたし、
医学が進歩したために死に方を忘れ、ネットが普及したために人との関わり方を忘れた。
科学は無から有を作り出した訳ではない。何かを変質させただけだ。利益を生み出したように見えるだけだ。
こういった問いは、これから先も中二病として処理され続ける。人によっては、こんなこと馬鹿馬鹿しくて考える気にもならないだろう。
技術者倫理は自らを省みる機構としてはもう全く機能していない。
講義で話されたのは、環境や人命に対する責任だけだった気がする。少なくともこのような問いは無かった。
こんなことを書いたところで、もう後戻りできないところまできているのは分かっている。
つぎはぎにつぎはぎを重ねて、この国の道路のように人間は歴史をつむいでいくしかない。
ああ、タイトルは「科学が一種の宗教に思えてならない」だった。なんか支離滅裂な内容になってるな。
確かちょっと前、「人類の敵は宗教だ」ってのがあったけど、なら「人類の敵は科学」ってもいえるんじゃないかなーなんて。
これをオチにしてくださいorz
モーリー:i-morley、今日は久しぶりにジャーナリストの津田大介さんにお話を伺おうと思います。よろしくお願いします。
津田大介:よろしくお願いします。
モーリー:最後にインタビューさせていただいてから、かなり著作権世界とかネットのカルチャーがまた激変している感じなんですけれど。
津田大介:そうですね。変りましたね。いちばん変えているのは、ボク自身二年とか三年ぐらい審議会に参加して思ったことなんですけれど、実際審議会で、インターネットでこのような問題、著作権の問題が起きているので対応しましょうと審議会で二年とか話すわけですよね、話して問題が出てきましたと、こういう問題が生じていますよということがおきて問題確認で終るという審議会もかなり多くて、じゃあ次は来年以降の検討課題ですねみたいに終るのも多くて、そうじゃなくてこれをこうしましょうということが決まったとしても実際に法律が施行されるのはその翌年の国会に提出されて、国会で決まりましたと、その次になります、と。やっぱり三年とか四年のタイムラグがあるんですよね。
モーリー:うーん!
津田大介:だから、いまネットで起きてるそういう問題と言うものに対して、なにかしらの対応策と言うものを考えましたといって実際に法律が動き出すのに、三年後とか四年後とかだったら、モーリーさん逆に四年後のインターネットってわかります?って言ったらまったくわかんないじゃないですか。そういうのが実際に法律を作る現場とか審議会で行われているということが、すごいこのギャップはひどいなあと思いましたね。
モーリー:どんなに早くやっても三年後にしか法律は変らなくって、その頃には状況が全然違っている。
津田大介:ほんとに最短で二年、三年後とかですから。だから例えば今回ぼくが参加していた審議会で違法コンテンツのダウンロード、ダウンロードすることを自体を違法にしましょうというのがほぼ決まりそうなんですけれど、決まりそうといっても今年のいま開かれている通常国会で法案が提出されて、それが施工されるのが来年の1月とかですから、来年の1月にようやく法律が変るみたいな世界ですから。それにいま政治情勢が非常に不透明じゃないですか。そうすると法案を普通に提出するような三月とか四月の時期にもし選挙があってその辺が混乱とかしたら、もう本来提出されるはずの著作権の改正案というのはとんじゃうんですね。とんじゃって今年の九月の臨時国会に行くか、もしくは来年まで国会までとばされてしまってあと一年法律の施行が遅れるということがあって。
モーリー:もう一年さらに現状とのギャップが広がるということですよね。
津田大介:政治状況でそういうことが平気で行われてしまうというのが、政策ができていく過程なので、それはぼくらの専門的な分野の知財とか著作権ってあんまり政治の争点にならないんですよね。民主党と自民党とそんなに大差があるわけじゃないので、そういう意味では提出されればだいたい通るんです。提出されれば官僚が文を書いて通して、そのまますんなり国会を通過して変るんですけど、でも逆に言うとそういう政治的な争点にならない法案というのは後回しにされちゃうんです。政治だからいまみたいに非常に混乱している状態だと、特にいまは衆参がねじれちゃってますから、そうすると法案が非常に通りにくくなってしまうので、そうすると予算とかが一番重要な法案で、あとは特措法の問題とか、そういう重要な問題があるとそっちが紛糾しちゃうんでそっちに時間をかけてしまうので、そうすると著作権みたいにある種国全体からみたいら優先度が低いというかどうでもいい問題は後回しにされるんですね。後回しにされて、官僚のほうにもいまはほんとに政治が混乱しているから重要で無い法案は提出するな、どうせ否決されてしまうだけだからみたいなかたちになってしまうので、そういう状況も法律ができるのを遅くするのに拍車をかけているということがある。
モーリー:津田さん、私がやってるポッドキャストなんですけど、最近かなり人が増えてまして、そろそろ累計登録人数が50万いきそうなんですね。
津田大介:ほー。すごいですね。
モーリー:ということは、かなり著作権とか、かなりディレクトリの奥の奥にあるような話を原点から知らない人が多いんですよ。いま一番津田さんがやばいと思っている、あるいは一番つらいと思っているトレンドをまず解説していただけると。
津田大介:ぼくは最近著作権関連でインパクトがあったのは、ユーチューブなんですよね。去年の11月ぐらいにユーチューブが横長になったのってご存知でしょうか。
モーリー:ああ、なんか長くなったような気がする。
津田大介:いままで4:3で画面が小さかったんです。320ピクセルと240ぐらいで、ある意味ユーチューブのいままでのいいわけみたいになっていたんですけれど、ユーチューブってネットの動画とかテレビ番組とか、売り物が全部勝手にコピーされる違法行為の温床になっていたんですけれど、ところが突然横長になってさらに画質が滅茶苦茶良くなったんですね。
モーリー:ふーん。
津田大介:H264という非常に、実際にブルーレイとかでも使われている高圧縮のコーデックに対応して、いまユーチューブはフル画面で見てもかなりきれいに見れるようになってるんですよ。走査線のもともとのファイルが良ければ地デジ並の画質でユーチューブがフルスクリーンで見れるみたいになってきてて、それが去年の11月のリニューアル。
モーリー:マイナーコンテンツばかり見ているせいかぜんぜん良くなったという印象が無いので。(笑) もとが悪いものばかり見ているから。
津田大介:そうなんです。そういうところが結構ユーチューブが変り始めていて、それまでやっぱりユーチューブが質が悪いから見逃してもいいじゃんみたいなある種言い訳が成立していたのが、今は成立しなくなりますよね、そうなると。よくコンテンツホルダーとかが許したなあと、怒んないのかなあとかそういうのがあるんですけれど。ぼく自身は結構ユーチューブの著作権問題ってこれからあまりたいした問題にならないんじゃないかなあというフェーズに入ったと思っていて。
モーリー:ユーチューブにとって?
津田大介:そうですね。
モーリー:ああ。
津田大介:というのは、去年から、ユーチューブに最近よく見るんですけど、ユーチューブに最近広告が入ってるんですね、動画とか見てるときに。
モーリー:うざいです。
津田大介:うざいんですけど、あれがやっぱりすごく著作権問題を解決する切り札になっているところがあって、実際に権利者の人が権利者用にちゃんとIDを発行していて、「もし権利者が違法行為を止めたいんだったらおまえらがオフィシャルに動画を提供しろ」ということを言い出したんですね、去年から。それでフィンガープリントという技術を使って公式の本物の動画をきみらがアップしてくれれば、その本物の動画を一部切り出したりとか、音声とか動画のコマとかををぜんぶ照らし合わせてコピーを全部判別します、という技術が去年ぐらいからどんどんそれが進化していて、実際にその権利者の人のIDでログインしていたところを見ていたところがあるんですけれど、それで自分のコンテンツを違法なものを探すってところをワンクリックでガーッって50とか10とか出てくるんです。それで権利者がそこで、昔だったらじゃあこういうものは認めませんよ削除しますって、全部にチェックを入れて、
津田大介:ユーチューブのメールブラウザ上で、権利者用のツールが裏側に用意されていて、削除すると全部落とすことができたんですけれど。
モーリー:へー。
津田大介:ただ、それが二年ぐらい前の話なんですけれど、去年の春ぐらいから状況が変ってきて、もしこれで、落とすこともできるけれど、べつに黙認してもいいじゃん、その方がプロモーションになるってものもあるのでそういうものは黙認してもいいよっていうオプションと、あと最近広告を入れてその広告から得られる収入をユーチューブとあなたがた権利者でシェアしましょうよというオプションが去年の春ぐらいからできているんですね。それが結局功を奏しているみたいな感じ。そうするといままでだったら違法で全部落とすんだったのが、それが違法な動画だけど広告つけちゃってお金にかえるということが権利者が主体的に選択できるようになったので、それを日本のコンテンツフォルダーの角川とかやっていて、このまえの報道だと自分たち角川が認めた違法動画に広告をつけて合法化することで月間で一千万円の収入が入ってきたという話しだったんで、そういう意味で言うと、向こう側からして見たら権利の上手い転がしみたいのが自動で出来るようになるんですね。逆の言い方をすると、ユーチューブがジャスラックみたいに著作権の処理を行う場所になっているという。そうすると角川がそういう態度を、角川が著作権を持っている著作権コンテンツをユーチューブにアップするというのは、いままでは違法行為だったんですけど、角川はデキがいいものだったり、角川にリスペクトがあるようなMAD動画とかだったらそういうんであれば認めるらしいぞという方針を出していると、作る側も逮捕されたりするリスクが無くなるわけですよね。
モーリー:あの、逮捕ってまだあるんですか?
モーリー:ええっ? 著作権で?
モーリー:たとえば、売り物になっているのをそのまんまなんら変らない状態で安く転売しているっていうんだったら海賊版だから逮捕っていうのはわかるんだけど、ただ乗せただけで逮捕っていうのはあるんですか?
津田大介:一番最初にそれが日本であったのが、動画投稿サイトだと多分2005年だったかな。ファイナルファンタジーのアドベントチルドレンっていうCGの映画があったんですけど、スクエアエニックスに。あれがユーチューブが買う前のグーグルビデオという似たようなサービスをやっていて、あそこでDVDからリッピングしたデータをそのまんまあげてた日本人ユーザーがいたんですね。そしたらそれでスクエアエニックス側がそういう売り物が全部見れるようになったのはとんでもないっていうんでユーザーをつきとめて、逮捕寸前まで行ったんですけど、ユーザーが反省しているということで罰金を払うことで和解をしたっていう事件があったんですけれど。
モーリー:民事ならわかるんですけどね、損害賠償だったら、それだけでもキツイと思うンだけど、刑事ですか?
モーリー:はあー。
津田大介:MAD動画みたいなもので逮捕というのはなかなか無いですけれど、実際に売り物をネットにあげているということで逮捕と。
モーリー:そのまんま頭からお尻まで買わなくて済むような目的だけという感じの?
津田大介:そうです。そういうのはありますね。ただ、実際に逮捕までいくケースは二種類なんですね。逮捕する前に、いきなり逮捕というのは結構少なくて、プロバイダーとかのいろんな開示請求とかをして、ユーザーに警告がいくんです。警告をした時に意図的にそれを無視するような悪質なユーザーか、もしくは匿名のプロバイダーをどんどんいろいろ使って逃げ回っているような悪質性の高いユーザーは、GOサインが出て逮捕されるっていうケースがあるので、だいたいどっちかなんです。だから無邪気にとりあえずアップロードしていてそれでいきなり逮捕というケースはまあ少ないです。
モーリー:ふーん。階層別っていうか、道路の車が早く走るレーンと遅く走るレーンみたいにすごくスピード差みたいのを感じてまして、今日もまたウィニーで大変だったみたいで記事をネットで読んだんですけど、いまだにウィニーってまだ使っている人がいるというか
津田大介:ウィニーのネットワークは逮捕者が出ると一時的にトラフィックが減ったりするんですけど、ファイル交換ソフトって昔っからそうで、逮捕者が出ると一気にガッて減るんですけど、ほとぼりが冷めるとどんどんみんな使い出して増えていくというのが。で、ウィニーのネットワークはまだまだ動いていますし、ウィニーと似たようなシェアというソフトがあって、あれもやっぱり利用者がいますからね。だからそういう人が、実際ウィニーとか使っていると非常に情報漏えいのウィルスに感染する可能性も高いし、あとセキュリティー的にもあぶないところもあるんですけど、それでもタダで音楽とかエロ動画とかを含めたいろんなソフトとかをそこが魅力で使いつづける人はまだいっぱいいますよね。
Posted by i-morley : 2009年01月16日 17:46
煽りではなく質問するが、
本当に、現代において、市場競争にさらされない公的サービスの質を低コストで向上させるような具体的な方策があれば、社会主義国家は崩壊しなかったと思う。
ちなみに、自分には一つアイデアがないわけではない(社会的にも既に一度実験済み)。が、問題はそれを導入することに多分多数の同意が得られないだろうという点。それ以外の解決策は今のところ思いつかないので、増田にアイデアがあれば知りたいところ。
ラビンが暗殺されて以降、ずっとパレスチナとイスラエルの情勢は気になっていた。でも今の情勢はひどすぎる。
あいつらは多分、有史以来殺されたユダヤ人と同じ数だけの「異教徒」を殺すまでは何をしても許されると思ってる。
ハマスごとパレスチナ人とパレスチナに肩入れする人達を皆殺しにする事なんて何とも思っていない。むしろそれが狙いだろう。
→ 「待ってました」とばかりにありとあらゆる火器で「自衛」、100倍の人間を殺す
「挑発」の仕方もすこぶる露骨。
ウェストバンクに人を送り込んでパレスチナ人のオリーブ畑を焼き払い、焼け跡を占領、勝手に入植。
占領した地域のパレスチナ人の家をブルトーザーで破壊。それを止めようとした人は轢き殺す。
イスラム教の聖地に武装集団で乗り込んで「ここ全部イスラエルのもの」発言。
人々の「まとめ役」、精神的支柱である宗教指導者や政治指導者を非常に分かりやすい形で暗殺。
アラファトは2001年から死ぬ直前の2004年10月までイスラエル軍によって自宅に軟禁され体調を悪化させて死亡。
2004年にはアフマド・ヤシンを。モスクへ早朝の祈りを捧げに行く途中だった70歳近い全身麻痺の車いすの老人に向けてヘリでミサイルを撃ち込んで殺害。
今度もまた。
http://mainichi.jp/select/world/news/20090116k0000e030017000c.html
【エルサレム高橋宗男】パレスチナ自治区ガザ地区に侵攻するイスラエル軍は15日夕、同地区北部ジャバリヤ難民キャンプの家屋を空爆し、ガザ地区のイスラム原理主義組織ハマス「政府」の内相、サイード・シアム氏を殺害した。対イスラエル強硬派の同氏は、同地区のハマス最高幹部5人のうちの1人に数えられ、ハマスには大きな打撃となった。
イスラエル軍はシアム氏が潜伏しているとの情報を基に、同氏の兄弟宅を空爆。強力な爆弾が使用されたとみられ、現場には巨大なクレーターが残された。ロイター通信によると、同氏と息子、兄弟らのほか、隣家の住民4人の計10人が死亡した。ハマス幹部の殺害は今月1日のラヤン氏に続き2人目。
ガザ市包囲網を狭めるイスラエル軍は15日、先月27日の攻撃開始以降で最も激しい砲撃を同市中心部などに加えた。国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)や報道機関が入居するビルのほか、数百人の入院患者らがいたクッズ病院も被弾した。AFP通信によると、パレスチナ人死者は1105人に達した。
理由も無く家を破壊されて今まで住んでいた土地を理由も無く追い出されて怒らない人がいるか?
大事にしていた場所に土足で上がり込まれて憤慨しない人がいるか?
「国の偉い人の近くに住んでいた」というだけで家族を殺される理不尽に怒らない人がいるか?
大事な人を殺されて悲しみ、怒らない人がいるか?
武力では何も解決しない事なんて、占領と暴力がどれだけ「イスラエルの敵」を弱体化させてもパレスチナ人の怨嗟を増大させるだけだと、紛争の種はなくならないという事なんて、イスラエルもアメリカもよ〜く分かってる。それこそ1987年のインティファーダの前から。「自衛」だの「ハマス、PLOはテロリスト」だの白々しい。
今起こっている事は戦争でも紛争でもない。イスラエルによる一方的な大量虐殺だ。
http://www.asahi.com/international/update/0117/TKY200901170096.html
「爆撃、常に身体は緊張」ガザ入り桑山医師、惨状伝える 2009年1月17日14時8分
【ラファ(エジプト・ガザ境界)=田井中雅人】病院に運ばれた少年の遺体に泣きすがる母親。砲撃で建物や道路が壊滅し、町は死にかけ、唯一の大きな人だかりは葬儀の列……。イスラエル軍の激しい攻撃が続くパレスチナ自治区ガザに入ったNPO法人「地球のステージ」代表理事の桑山紀彦医師(45)=山形県上山市=の目に飛び込んできたのは、圧倒的な暴力による市民惨殺の悲劇だった。
桑山さんは現在、ガザで活動する唯一の日本人医師として、南端のラファ市立病院の救命救急室(ER)で緊急医療支援にあたる。空爆や砲撃のすきを縫って、救急車で近隣の病院に患者を搬送することもある。ガザ入りして3日目の17日、朝日新聞記者に電子メールで現地の様子を伝えてきた。
ラファ住民らによると、町の銀行は閉まり、水と電気は地域によって完全に止まっているところも多い。食事用のガスボンベは入ってこず、薪を使って煮炊きをしている。
住民らは攻撃が激しい境界に近い地域を離れて比較的安全な市中心部に逃れ、親族や知人の家に身を寄せる。主食のパンを作るための小麦が極端に不足。ペットボトルの水は姿を消したという。
市立病院に16日に運ばれてきた即死状態の少年は、薪を拾っていたところを「ロケット弾を発射しようとしている」とイスラエル軍に誤認されての狙撃だった。頭部が撃たれ、脳が飛び出した遺体にすがり、母親は泣き崩れた。
午後には別の通称「ヨーロッパ病院」に患者を搬送。イスラエルとの境界に近く、帰りの救急車を待っている時にも病院近くに爆撃があった。「戦争状態にいる感覚は一時も薄れることはない。爆撃の音や振動が、常に身体を緊張させている」と桑山さん。
山さんを受け入れた福祉団体のダルウィーシュ氏は「世界中から見捨てられた気持ちだ。こんな非人道的なことが起きていることを、どうか世界中の人に分かってもらいたい」と話しているという。
音楽に歴史を求めることが見られなくなっているので全文引用.http://d.hatena.ne.jp/taninen/20070203/p1
- 「音大生なら聴いておきたい100曲」が話題になっていることについて書いたエントリ(id:taninen:20070201:p2)に思いがけず反応があったので、乗りかかった船でもう少し整理しておこうと思う。
- 先に断っておくと、僕自身も音楽学部で学んできた身で、音楽について論じたり大学で教えたりもしているけれど、西洋音楽史の専門ではないし、研究や教育についてもかなり異なるスタンスを持っている。件のリストの前口上に対しても結構異論がある*1。しかしここでは僕個人の意見は脇に置いて、あれが一種の教養として求められていることを汲んだ上で、それがどういうものなのかを考えたい。
- まず、例のリストは「名曲百選」のようなものではない。それならそれでもっと吟味のしようもあるだろう(僕は関わりたいと思わないが)。そうではなくて、挙げられた曲は音楽的リテラシーを培うための、言わば「例文集」として集められていると考えられる。
- テクスト自体をきちんと読解することは大事に違いないが、その作品を「読めている」と言えるためには、それよりずっと多くの知識が必要となる。それが書かれた時代や社会の言葉の使われ方やものの考え方を抜きに、その文章が何を表現するために書かれ、またどうしてそのような文章になったのかを云々することはできない。
- 楽譜として残っている作品が演奏される際の表現のあり方については、考慮すべきことがあまりにたくさんある*2のでここでは踏み込まない。しかし作品(に今触れられること)が歴史の産物である以上、歴史的想像力は多かれ少なかれそこに介在している。そういうことに無頓着であること自体、ある種の特異なスタイルをなしてしまう。
- 音大で音楽史を教えるということは、以上のような歴史的な想像力を育ませるということを使命の一つとして負っている。そのための楽曲リストが作成されたのは、学生にそういう意識が足りないという危機感を物語っている。しかし、それは単に「音楽家たるもの名曲をたくさん知らなくてはいけない」というのとは別の話だ。(その是非はともかくとして)クラシック演奏家のエートスとして歴史主義を維持していくこと、それがあのリストには込められている。
- 端的に「音楽を楽しむ」という時、その楽しみ方の内実についてはあまり意識されない。特にこんにちでは、音楽はそれ自体でオートマティックに楽しませてくれるものとみなされるか、あるいは好みの問題で片付けられることが多いように思う。
- それに対して、もっと教養主義的な価値観のもとには「音楽はより良く理解されるべきものである」という理念がある。クラシック音楽は長らくそのような教養の対象として扱われてきた。歴史的コンテクストの中でこそ音楽が理解できるとする立場は、もちろん教養主義的な性格を持っている。
- しかしながら、音楽に歴史的想像力を求めることは、かならずしも後者のイデオロギーに回収されてしまうわけではないかもしれない。つまり、「端的に楽しむ」と思われている現象にも、ある種の歴史性が関わっていると考える余地絵は充分にある。
*1:クラシック音楽の用語や概念が万国共通語としての地位を確立しているという認識は、パラダイムとしてはすでに過去のものになりつつある。むしろ、その思い込みを押し付けることで見えなくなっていた概念の複数性・ローカル性をどうやって掬い取っていくかというところにこそ、近年の問題関心がある。すでにクラシック音楽の語法を身に付けた音大生の意識を高めるための方便としてなら、そのアナクロさも理解できなくはないけど。
*2:楽譜のエディションの問題、演奏家の系譜の問題、解釈スタンスの問題、演奏スタイル自体が持つ歴史性の問題、レコード化の影響などなど。演奏論は音楽学の中でも後手に回ってきた領域だけど、多分これから盛り上がる。
http://anond.hatelabo.jp/20090119033336
その人は知りませんでした。
ちょっと調べてみます。
http://anond.hatelabo.jp/20090119035849
詳しくありがとう。
ピチカートファイヴはおれも好きです。
参考にもなりますね。
すみません、神前暁さんは知りませんでした。
出直してきます。
http://anond.hatelabo.jp/20090119040819
誰も聴いたことのない音楽・・・。
斬新過ぎても理解されないだろうけど、
一流の人って多分その斬新度合いが絶妙なんだろうなー。
私はエロ漫画原因で別れたよ。
付き合い始めに、彼氏が「俺は自分を偽りたくない」「全て受け止めて欲しい」とかよくわからんこと言い出してエロ漫画勝手に見せてきた。
それが、公衆便所ネタのエロ漫画(多分増田のとは違うものだと思う)とか、幼女系のとか。
「そんなのみたくない。気持ち悪い」って言ってるのに「恥ずかしがってるだけ」とか思ったみたいで開いて見せてきた。
見ないようにそむけてるのにわざわざ追ってくる。「本当にいい加減にしてよ!いい年して何やってんの?!」って言ったら「いや俺はただ受け止めて欲しいだけで」とかもごもご言ってた。
もうドン引きまくって、その場で別れて帰った。
幸いまだ付き合ったばかりで一度セックスしてなかったからまだよかったけど
オサレを目指してるわけじゃないけど、多少は見栄えのいい格好をしたい(無難という意味で)、でも、どうしても鈍くさい格好から抜け出せない、そんなあなた向けのエントリ。
とりあえず、無難なカジュアルならジーンズ1択で良い、というのが私の結論だけど、しかし、ジーンズには大きな落とし穴がある。そのお話をしよう。
「ケミジーじゃないから恥ずかしくないもん!」
などと思っているならそれは大間違いだ。いや、「ケミジー=恥ずかしい」という認識は間違ってはいない。あれは、(良くも悪くも)黄金聖闘士(ゴールドセイント)クラスが身につけるものであって、青銅聖闘士(ブロンズセイント)候補生程度でよいです、というあなたには必要のない代物だ。
しかしだ、ジーンズはケミジーになったから突然レベルが上がるというわけではない。ユーズド感が増せば増すほど、レベルは上がっていく。スレの感じ、ヘタリ具合等々ユーズド感にあわせた着こなしが必要になる。破れができた日には、さらに要求水準は上がる。というか、破れ方がアレなら何をやってもダメだし。
なんてことを自分に言い聞かせちゃいけない。そいつはユーズド感をうまく着こなしに活かせる奴の台詞だ。夏にTシャツにあわせるとかならいいんだけどね。冬にコートに合わせるときに、やっちゃったー、って人が少なくない。
「まだはけるし勿体ない…」
まだ言うか、んの野郎!「夏は暑いから、ポリス沙汰にならない範囲で服を着なくても平気だよね!パンツだけど恥ずかしくないもん!」なんて言えないだろ!
それと同じ。機能性ではなく、身だしなみの問題として考えてみよう。マミーが買ってくれた8年もののジーンズとか、それはもう諦めれ。それが無理なら「せめて無難な格好を…」なんて願望を諦めれ。そういう生き方も嫌いじゃないぞ。ユニクロだろうが、リーバイスだろうがもうダメだよそれは。年に1回、きれいなのを1本買う。それが大事。
http://anond.hatelabo.jp/20090117140437
こちらの増田さんもオススメしているけれど、そんなにお金をかけたくないというあなたなら、ユニクロのジーンズが良いかも。
http://store.uniqlo.com/jp/CSaGoods/170567-65-030#colorSelect
安いときは2990円くらいで買える。シルエットもすっきりしていて悪くない。このブラックなら合わせやすいし(カラーデニムのブラックじゃなくてブラックデニムの方をオススメしたい。デニムっぽさがあった方が無難かな)、これなら年に1本はいけるよね?飲み会1回分程度だと考えれ。
で、ここからが大事。買うときはちゃんと店舗に行って、納得いくまで試着して、丈つめをしてもらうこと。できればそれと合わせる靴を履いていって、それを規準に合わせてもらうのがベター。
一回きっちりやっておくと、丈の長さを自分で測ってネットでオーダーすることもできる。楽ちんでしょ?(でも、想像していたのから1cm前後の誤差はあるだろうから長め、短めで丈つめしてもらった場合には、気をつけた方が良いかも。)
あともう1つ大事なこと。
特にユニクロのものは色落ちやスレがそれほどきれいじゃない。多分、2年が限界。だから年に1本というよりは2年はいたら捨てろってことなんだけど、年に1本捨てる、ジーンズ供養日を作るってのは、新しいジーンズを買うためでもあるのよね。ライフハック的ではあるけれど、ジーンズを捨てると言うよりは、「まだはけるし勿体ない…」という気持ちを捨てるってとこね。
日本とか韓国とか中国とかは、男尊の文化が残ってるんだよ、多分。
とりあえず、男はしっかりしなくちゃいけないっていう価値観はまだらに残ってると思う。
元増田です。
多分この日記を書いたのが去年12月半ばぐらいで、そのまましばらく放置していたらなんとアメーバニュースで取り上げられてたし、ブクマが190超えなんて自分の人生で初めてなので本当に「おおっ?!?!」と、真剣に驚きました。正直、自分が書いた結果だとは思えなかった。
今の自分は色々至らない部分もあって、仕事も必ずしも「好き」といえる状態じゃなく、時間的にも金銭的にも本当にいろいろなものが「足りない」と思うし、やっぱりくすぶっているとも思います。自分の至らなさ、弱さに、辟易することもたくさんあります。けれど、長いようで短いようで長い人生、自分の人生なのだから、できるだけのことはやってみて、あがいてみて、それで大損をするような事は無いんじゃないかなと、コメントやTB見て思いました。
つまり「あきらめない」「投げやりにならない」「(自分を)見捨てない、見限らない」ということが、何をやるにしても大切なのではないかと、考えることができたのです。すぐに状況が変わるというわけでは無いけれども、希望は捨てない。今くすぶらないために自分に大事なのはそういうことではないかと思えました。
示唆、暖かさ、厳しさ、色々なコメントやTBがございましたが、意見をいただいた方々にこの場を借りて、お礼を申し上げたいと思います。真剣な言葉をありがとうございました。はてなやってて、良かったです。
ものを食べるには場所をわきまえるべきだろとは思う。
食べてるものにもよるけどね。
1.駅のホームで歩きながらコンビニおにぎり(若い女性多分OL)→雑踏で歩きながら?誰かにぶつかりそうだ
2.出勤時会社とその最寄り駅の間のコンビニでパンを買って歩きながら食べる(中年サラリーマン)→落ち着いて会社のデスクで食えよ
ちょっと面白い話聞いたから増らせてね。
テレビでCMじゃんじゃん流しているmarj.jpなんだけど。
実際に自分も登録してみたんだけど、2chなどで見た「ゴールド増えない」「ミスと友達になれない」なんていうことはなく。
しっかりとミスと友達になれたし、ウェブマネーからゴールドも増えた。
そもそも、誰もミスと友達になれなかったら、ここ、儲からないよね。。。
なんてこと考えてた。
あの日まで。
あそこの資本金って、1,000万行ってないんだよね。
設立時期も昨年の夏でしょ。
よくCM打てるよね。って疑問に思わない?
裏稼業で「出会い系」かな、なんて思っていたけど、確かめようがないんだよね。
それから、「出会い系サイトが儲かる」という話は都市伝説だと思ってるので、裏稼業説は自己否定。
社長の名前が偽名みたいに見えるので、正体不明のセレブかと思っていたら、本名らしい。
そこで、marj.jpのCMが打たれる時間帯に注目してみた。
そこは、本来は大手メーカーのCMが入るところだったんじゃないかなって思えるんだよね。
大量に保有していたCM枠にCMを打てなくなった企業が出ちゃったんじゃないかな。
どうなんでしょうね。
そこに滑り込んだのがmarjじゃないかな。
推測の域をでなくて申し訳ないけど、タダでCM打ってるかもね。
タダってことはないか。
個人的に、CM枠余ってるというのが個人的な結論(間違っているかもしれないけど)。
そういう方向で調べてみると、結構これがいい線いってるぽい。
「えー、CMってそんなに安く打てるのー?」なんて驚いた。
みたいな事が起こっているんだろうね。
新しい感染列島だね。
でもね。
このことを教えてくれた人は話してくれなかったけどね。
俺は本当はこう思っている。
marj.jpはSNSではなくて、空いてしまった広告枠を埋めるためだけに生まれたサイトなんじゃないかって。
さらに言うと、新星株式会社リュックは、そのために作られた企業なんじゃないかって。
だとしたら、電通、恐るべしなんだけど。
買ってきたばかりの服を、うっかり洗う前に試着すると、
か、かゆい・・・!
慌てて脱いでも、他の服にうつってしまってぞわぞわしてきます。
昔はこんなじゃなかったのですが、
最近は特にひどく、ほとんどの服に反応してしまいます。
おかげで、買った服→手洗いクリーニング店に持っていかないと、着ることができず、
バーゲンで買ってもクリーニング代がばかにならなかったり・・・。
こんな体質の人、ほかにいます?
多分君は「あいつは上から目線だ」なんて言葉をよく使うような、いわゆる「差別されたがって攻撃されたがる人」なんでしょうね。
人と人が会えば傷付く事は普通にある事、それを認められないでいると、何年もずっと仲のいい友達、何でも話し合える友達、親友なんて一生できないだろうね。
君に問題があるのに人のせいにして、まぁいい気分だよね。
してないだろ、多分
3をするためには調整役がいて、確実にそれは重労働で、でもそれに見合わないコストでやってくれている
そのコストが引かれる事が3で、そのコストが見合わない低い賃金だから1が成り立つ
こういうセンシティブな事にモノ知らずが口突っ込んでいい所かどうかぐらい判らないもんかねぇ