「互換」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 互換とは

2009-04-27

革新は、市場が成長すると、末端コストが大きすぎて、できなくなる。

  • 日本鉄道は(一般に)狭軌で、建築限界も小さい。しかし、いまさら標準軌にするにはコストがかかりすぎる。
  • 日本の商用電源の周波数は、50Hzと60Hzの2つが共存していて、機器設計や融通に難がある。しかし、統一するにはコ(ry
  • 日本の商用電源(一般向け末端)の電圧は100Vだが、世界的に見ると少数派で、しかもロスが大きい。しかし、統一するにはコ(ry


そう考えていくと、昔むかし、Win3.1(Win16)→WinNT/95(Win32)移行時や、

その昔の約5年毎にOSマシンアーキテクチャガンガン変わっていた頃に、

「なんで互換性がないんじゃー」と、言いはしつつも数年で刷新できていたのに、

最近WindowsXp依存や、64bit Windowsの普及が進まない理由が、

なんだか分かってきたような気がする。

あと、変にパソコンが業務用途に入りすぎたのも問題なのかなぁ。

昔のオフコンスパコンなら、(ユーザは)採算度外視で、(メーカは)カモネギで、

サポート期間が終わっても必要ならお金をつぎ込んで死守保守するけど、

パソコンだと一切合切の責任が分散されてて、究極的にMSが悪いってことにされてしまう、と。

2009-03-26

http://anond.hatelabo.jp/20090325195814

これは……

東京高専を見たのが悪かった。

http://www.tokyo-ct.ac.jp/gaiyou/000075.html

確かにほとんどが「独立行政法人 国立高等専門学校機構 〇〇△△高等専門学校」としている。

学校の正式名称としては「法人名 学校名」が基本なのかな。しかし、それだと「国立大学法人東京大学 東京大学」とか、多くの場合で重複があるし、国立を名乗ればこれまでと互換もあって十分だから使うということか。

私立の人はどうなんでしょうか?法人名付けるの?法人名学校名が同様の場合、全然違う場合で変わるのかな。

2009-03-11

Jane style作者の思惑

jane作者

647 : ◆Style/kK.s :2009/02/26(木) 23:14:46 ID:uQca1j+v

>>Viewさんへ

Jane Style」の作者の◆Style/kK.sです。

お話したいことがございます。

もしよろしければ

janestyle@s11.xrea.com

宛にメールお願いいたします。

view作者

29 :View ◆AcQTmXmylo :2009/03/11(水) 04:56:37 ID:rpngVfaU

スレで疑問がたくさん挙がっていたようなので一応報告です。

ttp://pc11.2ch.net/test/read.cgi/win/1232617958/647 のときにお断りしていますので、

自分が今回の話に関係したり、それによりJaneViewになんらかの変化が起こるようなことはありません。

ただし現在

花粉症やこの時期にありがちな生活変化の準備あれこれであまりJaneに集中できない状態になってます。

二ヶ月ほどこんな状態が続くと思うので、まったりとよろしくです。

■Nida作者

88 :koreawatcher ◆Nida.eneRA :2009/03/05(木) 00:40:06 ID:MOx/NHh10 ?PLT(13900)

>>79-83

OFF会ソースの公開か互換性か、それとも全く別の話かは言えませんが、

とあるStyle氏からの提案をお断りしてしまったので、Nidaはこのメールによる

影響を受けません。

sytleの作者が会社を立ち上げたから、派生jane開発者たちを

社員として雇いたかったみたいだけど断られてしまったみたいですね。

2009-03-05

http://anond.hatelabo.jp/20090305105248

日常的に使っているwin専用ソフトだと

vistaですら互換性が気になって移行できないのにmacなんてありえない。

webにしかPC使わないんだったらubuntu使うし

2009-01-06

人権尊厳、知性と感情移入堕胎脳死

http://anond.hatelabo.jp/20090106154017

短い回答
  1. 俺は、知性あるものに最大限の尊厳を認める。
  2. また将来、知性を獲得すると見込まれるものに、一定尊厳を認める。
  3. 加えて、かつて尊厳を認められていたものにも、一定尊厳を認める。

長い回答 (誰が読むんだこんなの?)

原則

原則として、俺は知性あるものに最大限の尊厳(人権と同程度)を認めたい。ここで「知性」の基準は、言語的な(あるいはそれと互換性のある)意思疎通が可能であるかどうか。多少なりとも論理的な対話ができること、と言い換えてもいい。

(俺が捕鯨に反対しないのは、鯨に知性があるといっても言語的な意思疎通ができるほどではないからだし、喋る豚(ジブリ映画にいたな)がいたら多分俺はその豚を食べない)

堕胎人権

胎児はこの意味で「知性」をもたないから、俺は人権を認める必要を感じない。堕胎が「人権」の侵害だとは思ってない。

ただ、胎児は遠くない未来に「知性を獲得すると見込まれるもの」ではある。未来人権を獲得するもの、という意味で、なんらかの尊厳が認められるべきだと思う。ただしこの「胎児尊厳」が、例えば「無条件の生存権」を含むかどうかには議論の余地がある。(強姦による妊娠、重い遺伝性疾患、母体人権の扱いなど)

妊娠12週」や「胎内外」といった基準に合理的意味は感じない。「知性」という基準から考えたとき、いずれも「人権」を認めるには値しないと思っている。しかしその胎児乳児が将来知性(例えば言語)を獲得し始める時期にはばらつきがあるし、どこからが「知性」だと認めるか、あるいはその知性をどう測定・評価するか、確たる方法論は何もないのが今の人類だ。

から何がしかの基準を一律に適用して、「ある時期から人権を認めます」というのは妥当な判断だと考える。「妊娠12週」が最適な基準かどうかはわからないが、少なくとも今の人類には十分現実的な一つの基準だと思う。

脳死人権

医学的な定義はともかく、ここで「死」とは、知性の回復が見込めない状態、としよう。

脳死・昏睡した人間は、言語的な意思疎通が一切できないわけで、(観測可能な)知性はない。しかし生体組織としては機能する肉体は持つから、知性の回復が「まったく見込めないわけではない」という点が問題になると考える。結局のところ、評価基準は「どの程度知性の回復が見込めるか」という点に集約されるんじゃないか

ある程度以下しか回復の見込みのない脳死者に、人権(生存権など)が全面的に認められるべきだとは思わない。

しかしもちろんだからといって、いきなり生ゴミ焼却処分っていうわけにもいかないとは思う。なんらかの尊厳必要で、それは「脳死者のために」というより、その脳死者に尊厳を認めていた「遺族(?)らのために」認められる尊厳だと考える。

その具体的な内容はともかく、「知性」を対外的に(言語による意思疎通、という外部とのインタラクションの上に)定義した以上、尊厳もまた対外的に、外部とのインタラクションという枠組みを踏まえて考えられるべきだ。感情移入の問題、というか。知性ない胎児尊厳を認めるべき、という認識もこれに依拠してる。

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