はてなキーワード: レイプレイとは
甘すぎ。甘すぎる。激甘。
なぜ激甘なのかは、以下の記事を読んでくれ。
【レイプレイ騒動】希望と現実、正論と戦略は、分けて考えよう。
http://anond.hatelabo.jp/20090519011500
俺の書き方が悪かったせいで分かりにくくて混乱を読んでるようですまない。
時系列で言うと、
友人のエロゲライターが新作のシナリオ執筆している時にレイプレイ騒動が起きた
↓
ソフ倫かどっか、とにかくエロゲ業界の自主規制団体で、新たに広範なシチュや設定の規制をすることが決定した。ただし即日発効だと発売間近のゲームとか困るのである程度の猶予期間を置いた
↓
友人の制作しているゲームは当初の予定では猶予期間内に発売できるはずだったが作業の遅れで間に合わなさそうになってきたため、規制内容に合わせてシナリオの全面改稿を行った
↓
しかし実際には猶予期間内に発売することができたため、同時期に発売された、他の規制がかかっていない状態の作品と売り上げを競うことになり、その売り上げは惨敗だった。また購入したプレイヤーからも「過激さが足りない」とブーイングの声が上がった。
という流れ。
現在はその「猶予期間」とやらは過ぎてるはずなんで、最近のエロゲはレイプレイ騒動前に比べれば業者の自主規制はかかってるはず。
ただ、それを不満に思っている、騒動が起きても自重する気がないプレイヤーはいるようだ
という話。
話題になってる「男の娘」で構成されたエロゲはその規制に対応するためにそういう設定になってるのか?とか思った。(実際のとこは知らない)
http://anond.hatelabo.jp/20100130215946
「しらねーーーーーよ!」
この人は嘘つきだと思う。そもそも「草食系男子」名付け親の深澤真紀がなんて言ってたか知らない?
「草食系男子(性欲が薄い男子)が増えたのはネットアダルトコンテンツの普及の結果」って言ってたんだけど?
というと今度は「ぼくアダルトコンテンツなんて見てないもん!」とか言いそうだけど別にこの人がアダルトコン
テンツを見てるか見てないかは問題じゃない。ただ半径2クリックでアクセスできてしまう環境が男子の性欲を薄くしているという話。
もちろんここには性的搾取構造がある。「高学歴のAV女優だっている!」なんて例外出して隠蔽しようとしても無駄。っていうか
この人の「はてフェミが性欲の薄いぼくたちをいじめてる」説で例のアグネスとかmojimojiレイプレイとかでのブクマ反応はどう説明
するの?性欲薄いならそんな強迫メッセージ垂れ流しゲーなんて規制されても別に構わないはずだよね?
というと今度は「ぼくは純愛ゲーが好きだもん!陵辱ゲーとかしないもん!」とか言い出すのかな。性欲は暴力的だけど承認欲求は純粋
だと思ってる頭ぱっぱらぱーな人たち。じゃあちょっと前に増田で話題になった「twitterで好きになってストーカーになっちゃた」な男
性は何なの?
今度は「ストーカーになったりしないよ!女性を口説いたりしないよ!」?。
それって宇野常寛の「レイプファンタジー」そのままだよね。「僕たちは女性を口説こうとは思ない。でもそっちからくるならイタダキます」
ってどこの食虫植物??「ぼくは何の努力もしません。そして何かあってあなたが傷ついてもぼくは責任を負いません。」
勝てる試合しかしない!(女は屈服!)
でも性欲は満たしたい!(だって男の子だもん!)
というと今度は「頂いたりしないよ!恋愛なんて興味ないよ!」とか言い出すのかな。その人としての他者性がん無視の「女の子とお話した
い」欲求なんて男性性丸出し120%「下心」であることに気づかないの?そんなものを満たすための「ぼくは恋愛に興味ありません」アピール
・・
自分の加害性に無自覚な人、自覚して開き直ってる人、加害性なんてないと嘘をつく人、非モテ・・オタク・・草食・・ネット上にはこんなの
ばっかりがうじゃうじゃしてる。
それについて指摘されると逆切れ。
本当にマッチョな人たちですね。
「男である自分が、女からチカンされたら?」
そういう話題が飲み会で出たときに、多くの男性陣は「なんだかんだ言って嬉しいよな」という感じでニヤニヤする。
それがお約束のようになっている。
「嬉しい」って言う男性は、痴女に体を触られることを想像するとき、
私なら痴漢と聞いたとき、加害者像として真っ先にキモオヤジを想像する。
実体験として、痴漢してくる人はオジサンだけだった。
だから心底イヤだという感情しか湧いてこなくて、「痴漢は最悪」という言葉が出てくる。
前者は新條まゆ的な「か弱い美少女である主人公が、俺様系のイケメンに溺愛され、暴走する愛の余りに超展開レイプされる」想像を、
後者は「淫乱美人女教師や淫乱美人女上司などが、サエない男になぜか欲情し、風俗嬢のように大サービスする」想像をして興奮しているんだと思う。
でも「レイプや逆レイプに惹かれる」とか「される想像でオナニーしてる」ことだけを切り取って、
「女は実はレイプされたがっている!」というような極端な自己流の結論を出してくる人がいる。
「愛し合ってるイケメンとレイプレイしたい」を、正味「オレに犯されてヤリ捨てられたい」んだなと都合よく解釈してくる。
意図的にやっているのかもしれないけど、その頭の悪さとポジティブさが気持ち悪い、ゾッとする、と思う。
でも、私の中に、男性に対する同種の低能なポジティブ願望がある・・・
痴女ネタへの「なんだかんだ言って嬉しいよな」というニヤニヤ、そういうお約束感、
「女に恥をかかすな」「据え膳食わぬは男の恥」といったマッチョ訓、
そういう、いかにもマッチョ的な、来るもの拒まなそうなスタンスを見せている男性を見ると正直、好感度が上がる・・・
「ただしブスだったら殴るけどな」という但し書きのない、
「女から求められたらとりあえず無条件に嬉しいです^^」っていう無茶を期待してる・・・
ネットの書き込みなんかでも、疲れた感じのオバサンやあんまり可愛くない子の画像が貼られたときに、
「全然イケる、ヤレる」っていう書き込みがあると、自分が言われたわけでもないのにちょっと嬉しい。
「ブス、ババア、ゴミ」な書き込みがあると、自分が言われたわけでもないのに嫌な気持ちになる
(嫌な気持ちになることの方が多いから基本的に男性率の高い掲示板にはあまり行かないけど)。
実際にセックスするしないは大問題で、結婚を考えるような相手としかするべきではないと思っているけど、
それよりもずっと手前の問題として、「この人は私を性的に拒絶しない気がする」というのが男性への好感度に大きく影響してる。
「痴女は普通に嫌だ、つーか犯罪だし」「女の話はまるで面白くない、男だけの場の方が楽しい」というような話を聞くと、
「この人はストライクゾーン狭そう」「女に厳しそう(女だからという理由で加点してくれなそう)」「私を拒絶しそうだ・・・」と感じて好感度が下がる。
ちょっと前に書いたことと完全にダブスタ状態!!
2chかはてなを見てそうな雰囲気の男性が、男性専用車両の話を振る。
それに対して、若くして妻帯者のマッチョがこう返す。
「でも、僕は男性専用車両なんか乗りたくないな」
「男ばっかりの車両とかイヤだよ」
「・・・w」
「女の子居たほうがいいよwむさくるしいじゃんw」
「・・・wwwww」
そして流れは別の話題にシフトしていく。
私は男性による男性差別と、女性優遇を心の奥底で望んでいるんだと思う。
男性たちに、ストライクゾーンの広さと、「女の子だから○○してあげるね」という展開を望んでいる。
同時に「もしあなたが私に痴女られたとしたら、嬉しいんでしょ?興奮するんでしょ?」って強要してる。
そのことに気づいて自分にゾッとした。
自分の考えを男女逆転させたら、最強に気持ち悪い。一番、死んで欲しいと思うタイプだ。
でも私はリアルの生活の中で、不愉快な女として叩かれたりハブられたりせず、マジョリティとして普通に生きている。
普通に生きている。
今年は改正児童ポルノ禁止法案をはじめとして、「レイプレイ」に端を発する性暴力ゲーム問題、東京都の青少年問題の答申案問題など「創作物に対する表現規制問題」がクローズアップされた年だった
( ^ω^ )どうしてこうなった!児ポ法改正反対運動13:Human68k
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/doujin/1254503237/l50
↑表現規制問題を取り扱った2Ch上のスレッドで「表現規制反対運動においてコミックマーケットをはじめとする同人即売会側の動きが鈍い」と訴えてる人が居る。実際には訴えてる人はIDをコロコロ変えてなおかつ発言自体もかなり支離滅裂で独りよがりな意見が目立つ訳だけど、一方で今出ているコミケカタログを読んでみるとコミケ側もそれなりに危機感を抱いてる事は肌で感じる。つまりはコミケ側も手をこまねいているわけではなくおそらくは独自の手法で反対運動を展開しているのだろうとは思う、ぶっちゃけ一部の表現規制反対派が自分達の思い描いた通りの反対運動にコミケが参加してくれないのでこういう場で腹を立てているだけなのが正解なのだと思う。
しかし、この流れを見る限り表現規制問題に対してどうするべきかと言う点についてある種の対立が見え隠れするのも事実ではあるわけで、一部の規制反対派の考えとしては児童を取り扱った創作物の表現規制を求めるユニセフやエクパットに対して反対する側も「団結」を求める節がありネット上でも散見される。しかし、無理やり団結した所で意見集約をどうするかと言う問題はかなり出てくるし、それ以前に「表現規制反対」と言うだけで様々な考えを持つ人や団体をまとめきれるのかと言う問題もある。過去にされらが原因で離散したケースもあるし2000年代中盤に於いてNGO-AMIが表現規制反対運動の中心を担っていたものの動きが鈍かった印象がある。この事を踏まえるとこれからの「創作物の表現規制反対運動」は危機感を共有した上で個々の流れを拡大させつつ情報の共有や人的交流をすすめ連携を緩やかにしかし強くするという一種の分散型で良いと思うし、そうするべきだ。
女の私でも『レイプレイ』を楽しんだことがある。
なぜ女である私が男性向けの、しかも陵辱ものをプレイしたのかというと、きっかけは社会人になってから。
ゲームをする時間があまりとれずに「PC起動後、3分でやれるエロゲ」を探していたら、必然的に陵辱系のゲームしか残らなかったからだ。
まぁ、話題になったような『はらませ』『中絶』とかは敬遠していたけれど。個人的に『触手』もNG。
たぶん、今はてな界隈でみかける規制反対派の「陵辱系でないと抜けない!」って言ってる人以外は、こういう理由で陵辱系エロゲのお世話になっている人も多いんじゃないだろうか。
作り手側からしてみれば「特定のキーワード属性の(いわゆるツンデレとか、お嬢様とかメガネっことかロリとか、お姉さま系とかナースとか…)ヒロインを、何か理由をつけて沢山の性交渉の回数をこなす」もので、より需要のある作品を…と、追求していった結果の一つが『レイプレイ』なのかな。
この「てっとり早く、とにかく回数をこなす」っていう発想自体が女性の人権を侵害しているってことになるんだろうね。
どちらにせよ私は規制されようと、されまいと市場に流通している中から好みにあうものを、これからもチョイスして楽しんでいくと思う。
それに、今回の規制が行われたあとメーカーさんが需要にどう対応していくのか、ちょっと期待している。
だから、どちらかといえば規制賛成派かも。
「陵辱系のプレイじゃないと欲情しない。規制された後どうすればいいんですか?」って人には、私からは「好き嫌いなくせば?」としか言えない。資産も性の好みも分散させた方が人生はハッピー。
ガチなマッチョとメイクラブしたいんじゃ。みんながみんな線の細い王子様が好きとは限らないんだよ、バッカヤロー!
って、わけで私もニッチな欲求を持てあましている日々だよ。たぶん、これからも…。
そういう楽しみを持ってることが知られたら公共の場に立ち入り禁止になってもおかしくない
これはどうなんだろう?
どんな楽しみだろうが、それを知られるような人間は立ち入り禁止だと思う。
正常なセックスだったとしても、それをTPOわきまえず吹聴して回る人間と、ごく普通に暮らしてるが、ゲームとしてレイプを楽しむ事をこっそり隠している人間と、どちらが「常識的」だろう?
「好事家」というのは前者だよな?
今回のレイプレイに関して、声高に規制反対を唱える人間がそうした好事家とは限らない。
むしろ、アングラな人間は、規制でもされない限り個人でこっそり楽しんでいるクチだろうから。
それこそ、「ゲームなのに」二次被害だ三次被害だって、いうのは
「マリオに踏み潰されたクリボーがどんな悲惨なグロい死骸になってるのか想像してプレイするのか」
を通り越して
あるいは目の前で同種が踏み潰されるクリボーの気持ちを考えているのか」
という話だよな?
そりゃ、そういう想像してたらマリオブラザーズなんてプレイしないだろう。
逆に言えば、ゲームをプレイできる人間は、そうした現実と、ゲームという閉鎖空間=仮想が判断できるからこそ、楽しめるって事だよな。
といいつつも流通の方法については再考の余地があるだろうなぁ
利便性を失くす事で権利が保たれるのならば、そのほうがずっといい。
http://manysided.blog85.fc2.com/blog-entry-15.html
なんとなく人気記事にあったからあげておくけど、
基本的にレイプレイに真っ向反対している人の主張は概ね同じだと思う。
むしろ、こうしたゲーム反対派の主張に基づいたエロゲーの方がもっと気持ち悪いのだ。
嫌がる事、非人間的な行為をゲームとして楽しむ、というものだ。
楽しむことの良し悪しは置いておく。
(犯罪小説を書く人間と読む人間を犯罪予備軍だ、といってるようなものだから)
「悪い事を疑似体験する後ろ暗い楽しみ」という認識は至って健康的だと思うのだ。
陵辱を陵辱と認めない風潮だ。
最初は酷く違和感があったのだが、どうやら陵辱物と同様に、ひとつの嗜好として広く求められているらしい。
彼女達は恋人でもない相手や非道の行為に対して「妊娠させて」といとも簡単に口にする
本人の同意で行為に及び、結果として妊娠したとしてもなんら問題視されないのだろうか?
それが異常だという事から目をそらして。
ロリコン物もこれに近い。
俺もそう思う。18歳になるまでに見たことないやつの方が少ないだろうと。
だからレイプレイ関係の議論で「18禁コンテンツは既に規制を受けていて厳密にゾーニングされていて18歳未満は手に取れない状況になっている」っていう意見はどこの世界の話だと思うわ。
それともそういう主張をしてるやつは18歳になるまで見たことなかったんだろうか。
問題の本質は
「見ていてムカつく」と「好きだ、書きたい」
の衝突であり、これはもう、こんな人たちが出会ってしまったら差分は埋めようがない
そして、感情の衝突が本質であるのに、問題を適当な科学的事象に投影しているもんだからまた始末が悪い。
議論の収束のさせ方としては、中立的な科学を用いるのは双方が納得のいきやすい形ではある。
が、残念ながら統計で分かることは(調べてないが)、関係(因果・相関ともに)があるかどうか「わからない」だけだし、また調べるにも時間がかかる
本当に規制されたくないと思うのであれば、社会的な信頼を得る(殺人の表現のように)ことであるが、無理だろうね。イメージが悪すぎる。
うまいこと国に凌辱表現が生む利益みたいなものを認識させて金で釣るのはありかもね。
まっ、無理だと思うけど
作品を「読み解く」ことの傲慢さ自体を問うているのがわからないかね。
言語で説明できるような作品なら言語以外の媒体で出す必要がない。
「レイプレイ」はともかく、陵辱エロゲ一般が芸術作品になり得ないとは決して断言できない以上、それを「正しさ」によって弾圧するのはスターリニズムだということだ。
俺は「ドン・ジョヴァンニ」の作品としての意義なんて言葉では説明できんよ。モーツァルト自身ですらできたかどうか俺には知らない。ただ、音楽がすごいということだけは俺にでもわかる。それだけだ。
レイプレイは強姦、強制妊娠、強制中絶が差別的表現と言う事で問題になっているわけだけど
でも合意のもとであれば、SEX、妊娠、中絶をしても法的に見ても倫理的に見ても日本では問題ないよね
(SEXに関しては同性愛とかあるけど後ろ二つは今のところ技術的も無理だし倫理的にもまだ不明だよね)
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090610/p1
と言う記事があって、感動した。そうだ、表現の自由・言論の自由があるのだから
と気づかされた。
何というすばらしい文章だろうか。目から鱗である。
そこで勇気をもって、俺の大嫌いな相撲・格闘技について、文章を参考に、相撲・格闘技を擁護する関係者に対し、以下の文章を発表したいと思う。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
どんな主義・主張であれ、自らの正当性を社会に対して申し述べる機会があるべきである。「表現の自由」とはそのためのものである。だから、相撲・格闘技の愛好家・擁護者は、「表現の自由」を正しく行使せよ。それはつまり、「デブが裸でくんずほぐれつ」のような表現が、今もなお存在する圧倒的な暴力構造を解体するためにいかに有用であるか、ということを説明せよ、ということだ。
それをしない、できない、ということは、相撲・格闘技は一目で了解する限りの意味以上のものを含まないと、愛好家・擁護者たちが認めている、ということだ。それは暴力そのものの表現であり、それ以上のなんらの意味を含まないということを、愛好家・擁護者たちが認めている、ということだ。愛好家・擁護者がこの程度である限りは、こんなものは規制さるべし。
さらに言えば、一度規制を受けたら終わり、というわけではない。規制を受けた上で、改めて相撲・格闘技が私たちの社会に対して持っている「良き意味」について真剣に考え抜いて、それを社会に向かって主張すればいい。それが成し遂げられれば、相撲・格闘技ならびにその愛好家に対する差別と偏見を私たちは詫び、再び相撲をとり愛好する自由を認めるだろう。
「相撲を規制せよ」という主張の前にも、表現の自由はあるし、その規制が実現した後にも、表現の自由はある。相撲の愛好家と擁護者は、存分に使うがいいと思うよ。やれるもんなら。
もともと、規制より何より先に、一見してデブが裸でくんずほぐれつにしか見えない表現に対して、「それはガチムチパンツレスリングだ」という批判がなされてきたのだ。それに対して返されるべきは、「ガチムチパンツレスリングではない」という応答のはずだ。ところが、それは、それだけはなされなかった。代わりに、「表現の自由だ」などという、木で鼻をくくるような応答が返されてきたのだ。どこが「表現の自由市場」だよ。愛好家も擁護者も、表現以前じゃねえか。
結局、愛好家も擁護者も、話の通じないバカorカマトトであり続けてきた。だから規制という話になる。なるしかないわな。しかしまぁ、今からでも遅くはない。真剣に、相撲・格闘技は暴力解消に向けた真剣な表現であるのだ、試みなのだということを、真剣に論じて見せよ。できるものなら
ちなみに、スポーツがガス抜きになる、みたいな論がある。実際にガス抜きになっているのかどうかは、助長しているかどうかと同じくらいに検証困難なことなので脇に置く。強いて言うなら、かわいがりを禁止したら暴力が増えた、という話は聞かないので、元々ガス抜きにもなってなかったんではないかとは思う。助長していないとしても、ガス抜きにもなっていないならば、規制したって別にいいわけだよな。
まぁ、それはともかく。「ガス抜き」になるかどうか以前に、意図するせざるに関わりなく、性暴力を肯定する表現が野放しになっていること自体が、直接に脅迫として作用している、という点だ。つまり、「ガス抜き」論が言っていることは、「直接裸でくんずほぐれつするのと、組んずほぐれつするぞと脅すのとどちらがいい」という、それ自体脅迫でしかない。それに対する応答は、「どちらも選ばない」以外ありえない。ただ、暴力も脅迫もやめろ、というだけのことだ。この件について、妥協の余地はない。
それが不可能だというならば、脅迫か暴力のどちらかなしでは生きていけない自分が人と人の間に安住できるなどと思うな。そこに開き直る人間がいる限り、性暴力を恐怖する人々は安心して生きていくことはできないのであり、故に、両者は並び立たず、並び立たないならば、僕は性暴力を恐れる人たちの側につく。倶に天を戴かず、ということだね。
「誰かを殺したい」という欲望を抱えつつ「殺さない」ことは可能だ。言うまでもなく、ガス抜きなるものがなくても可能だ。「誰かをレイプしたい」という欲望についても同様。「ガス抜きしないと、そのうち前後不覚になって、思わず誰かを襲ってしまうかもしれない」などという生まれついての暴力依存など、そうそういるものではない。
欲望は人間にとって完全に自由になるものではないにせよ、完全に天与のものであるわけでもない。だまされたと思ってしばらく相撲・格闘技を断ってみろ。ちょっとくらい不満が続くかもしれないけど、少なくとも「代わりに襲ってやろう」とか、まず、思わないから。で、そのうち、それなりには慣れる。人と人の間に暮らすことを諦めないのならば、そのくらいのことはやってみろ。
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「レイプレイ問題」はまだ続いている。まだ続く、ということは、言ってしまえば「統一見解が出ない」ということだろう。もちろん、万人が万人完璧に首肯する、というような見解などないとは思う。が、それなりにみんなが合意するという程度のものでもできるなら、それで大多数の人間にとっては「終わり」だ。残念ながら、この問題はまだそこまでいっていないと考える。というより、どうせまたみんな飽きて話さなくなるだけなんだろうな、と思っているのだけれど。
ところで、この件に関してものを論じるとき、少なくとも「エロゲやる派(+エロゲ作る派)」と「規制で人権守ろう派」は全く対等の立場にない。
「エロゲやる派」たちは規制話前の時点ではおもに「どのエロゲが面白いか」「エロゲを面白くするにはどうすればいいか」「売れるエロゲを作るにはどうすればいいか」を考えていたのであり、人権のことを考えていたのではない。人権を踏みにじれば踏みにじるほどエロゲが面白くなる、売れる、というのであれば話は別だが、無論そんなことはない。踏みにじってもつまらないものはつまらないのであり、踏みにじるのをやめても面白いものは面白いからだ。
だが、「規制で人権守ろう派」は違う。彼らは以前からずっと「人権」について考え、以前からずっと存在する「人権侵害」について考え、以前からずっと「人権問題」の解決法を考え、結果として「表現の自由を規制するのが妥当である」とたどり着いたのであるはずだ。「人権についてもっともスタンダードとなるスローガン」は「自由・平等・博愛」だろう。その「自由」を規制しようというのだ。それを熟慮のうえの熟慮でもなしにいう、なんて考えられない。フランス革命から200年、彼らは連綿と議論を重ね、論考を生み、検討し、考え抜いているはずである。
しかし、実際はどうか。彼らの意見はそれほどまとまっているのだろうか。まとまっているのであれば、「彼らは大筋合意せざるを得ないような論」がでるのではないか。彼らの意見は考え抜かれているのだろうか。考え抜かれているのであれば、異論などたやすく・決定的に論破されるのではないか(むしろ、歴史的事実を直接示すことができない歴史論争より、はるかに論破はたやすいのだと言ってもいいだろう)。
そうなっていないとすれば、原因は3つのどれかと考える。
1:論者はみな、頭が決定的に悪い。
2:人権思想に根源的な穴があり、彼らが論拠にしている文献に穴がある。
3:彼らは単に自分のやりたいことをしたいだけであり、人権はただの間に合わせの道具に過ぎない。人権についてまじめに考えてなどいない。
原因が本当にはどれか、は知らない。ただやはり、彼らが信用するに足るだけのことを言っているようにはいまだに思えない。
余談。
これは規制派とはいえないようだが、以前http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090529を引いた。「豚言説」だの「ゾウリムシ脳」だの「豚臭い強者」だの、といった発言は明らかに人権に反すると思う。
頭が悪いやつを罵るな、というのではない。頭の悪いやつめ、と言いたければいくらでも言えばよい。だがここでは、こいつらは頭が悪いから豚やゾウリムシとみなす、と言っているのだ。顔が長いから馬面だ、鼻が上向いているから豚だ、という比喩でもない。豚の、ゾウリムシの特徴になぞらえているのでもなく、ただ人間以下のランクだと言っているのである。「人間としてみなしたうえで劣った扱いをする」と、「人間(のもの)としてみなさない」。後者がはるかに悪質かつ差別的であるはずだ。
すべての言及を読んだわけではないが、とりあえず当該エントリへのはてなブックマークは現在159users。その中にこの差別を難ずるコメントはない。差別を看過しない「信用するに足る人権派」はどこにいるのだろう。