2009-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20090611224550

悪を表現することが偉大でありうるのは、「悪を表現しているから」ではない。戦争の悲惨を表現した作品が名作でありうるとして、その理由が「戦争の悲惨を表現しているから」ではないのと同じように。悪を表現することを通じて、何をしようとしているのか、その表現の意義は何か、ということが、常に問われる。そして、名作・傑作とは、その意義の実現に大きく成功している作品に対して言われる。意義を作者が示す必要はない。しかし、その意義を読み解くことが「誰もできない」ような表現には、表現としての価値はないし、表現としての役割を果たしてもいない。逆に言えば、一人でもちゃんと読み解けるんであれば、そこに価値を見ることは可能だ。

陵辱ゲームはいかに「読み解かれて」いるのか。以上述べたような肯定的な読み解きはまったくない。それは陵辱をたのしむことを目的とした表現であり、つまり、それが肯定されることは前提されている。繰り返すが、「前提されている」だ。それは人間の中にある悪を悪として「問うている」のではなく、それを前提して「たのしんでいる」のだ。そのような「読み解き」を前提するならば、それは純然たるヘイト・スピーチ以外の何物でもない。そんな表現に意義などないし、規制論を押しとどめるものはもはやない、ということになる。これに抵抗したいならば、別の「読み解き」を示す必要がある。ところが、示されない。言い換えれば、陵辱ゲーム擁護論は「表現の自由市場」に参加していない。

これを引用するだけで、「ドン・ジョヴァンニ」を抹殺する必要などないことが分かるのだが。

一本取ったつもりかね?

記事への反応 -
  • いわゆる陵辱エロゲ規制問題で、私はid:mojimoji氏、id:hokusyu氏をはじめとする諸氏の言説、たとえばこれやこれやこれにいたく感銘を受けた次第であります。 全くその通りで、陵辱エロゲ...

    • 悪を表現することが偉大でありうるのは、「悪を表現しているから」ではない。戦争の悲惨を表現した作品が名作でありうるとして、その理由が「戦争の悲惨を表現しているから」では...

      • 作品を「読み解く」ことの傲慢さ自体を問うているのがわからないかね。 言語で説明できるような作品なら言語以外の媒体で出す必要がない。 「レイプレイ」はともかく、陵辱エロゲ一...

    • 「倫理」とか「正しいこと」なんて時代や政治体制でなんぼでも変わるだろうに。 日本のチャタレイ裁判とかさ。 例えば、民主主義を採用している国家にとっては、「人権」とか「民...

    • 増田に釣り記事書いてみたがうまくいかなかった。 ちょっと前までは狙ってホッテントリ出せたんだが最近はどうも失敗続きだ。 http://anond.hatelabo.jp/20090611224550

    • だからもう飽きたの 飽   き   た 新規のネタ持ってこいや

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