はてなキーワード: あいかとは
東大法学部は国民全員参加の知力競争における文系偏差値最高峰東大文1の合格者から内定が許可されます。
他の類からも入れますが、教養学部での高い点数が要求され、文1からの内定者が400人なのに対して
、せいぜい10人程度です。東大法学部は特権階級なのです。現代社会の公家社会の幹部といえます。
そして受験競争は勢いが衰えないどころか、ますます加熱し、東大法学部志願者はあいかわらずたくさん居ます。
その理由は、結局日本は、東大法学部支配が続くという正しい直感があるからでしょう。
公務員バッシングや公務員制度改革は、国民のガス抜きのためのフェイクだろうし、
この微妙な時期に民間活力を生かしてその場をしのぎ、社会が安定してきたら官僚が復権することを
一汁三菜の手料理なんて望むべくもない。
女は料理を作って当たり前ですかそうですか。
風俗に使うよりまともだと思うが。
男もオークションでそのくらいのもの買わないとでも?
最初のうちは楽しめそうだが、生気を搾り取られるのがオチ。
家庭を築こうにも、最初からクラッシュだ。
異常な変身願望。夫に隠れ、裏でコソコソ何をしでかすか分からない。
お前がいうなと。
しかしスタッフは読んでいる。
だいたい夜に荒れるのは、もしかしたら昼は消えてるのかな?
しかし、増田もずいぶん中の11人はいれかわったかんじがするが、昔からの増田はまだのこっているのだろうか?
みんなツイッターにいってもーたのかなー。
http://anond.hatelabo.jp/20071111205453
を書いた元増田が元気に受験生しているところに元彼が電話してきた。
電話して、
http://anond.hatelabo.jp/20071209162602
は、本当だったなって痛感した。
認識が全然違うもん。
私にとっては一大事だったのになあ、って苦笑いしちゃった。
デートレイプの加害者側に「デートレイプ」の認識がないってまじだ。
なんとなくその辺の、彼の性行為に対する認識なんかはほとんど変わってないなーとわかったところで、
「互いが性行為に責任を持てるまでセックスはしたくない」、そう言ったよね、うなずいたよね、とか、
そういうの、全部面倒になっちゃった。
「おまえが別れたいって思った理由を受け止めたい」とか、元彼も言ってたんだけどね。
彼にどうして欲しかったのかとか、たとえばフェラさせたいならせめて洗ってこいとか、そういうこと、面倒で、言わなかった。
自分も薄情だと、思ったけどね。本音できちんと話したとしても、わかってもらえる気がしなかったよ。
相手があの時も今も、ちんちんぶら下げたやりたい盛りの少年だってわかったからかな。
気持ちが薄れたからっていうのも、あるけどね。
セックスの前に「いい?」って聞いてほしかったし、フェラを当たり前のように求めるのもどん引きだったけど、
やっぱり彼は最初からセックス目当てじゃなかったみたいなんだよなあ。
それだけは何となく話してて感じた。
私の願望が入ってるのか彼が嘘言ってるのか、よくわからないけどね。
そこはあいかわらず怖いな。
怖いのはもう一つあって
「おまえが俺のこと一番理解してるよ」って言われたこと。
二番目に嫌いなのは理解されないことで一番嫌いなのは理解されることって感じの文章を書いていたのは村上龍だっけ。
なんとなく頭の片隅で彼がやりたい盛りだってわかってたくせに拒絶した私を捕まえてそんなことをいえるなんて、
やっぱり彼とは何かがずれてると思った。
怖いな。
ま、デートレイプってことになって別れたけど、それなりに青春した!
そういうことにしとく。
でもレイプはだめだ。あれは痛いし傷つく。同じ轍は踏まない。
そして、彼があんなにぴんしゃんしてるのに、私がこれ以上くよくよ悩んで挙句の果てに男を楽しますヤリマンなんてそんなことにはなりたくない。
負けない!
久しぶりに増田見たらいっぱいコメントとかブックマークもらってて、びっくりした。
全部読みました。いろいろ考えてくれた人、励ましてくれた人、男性側の意見を教えてくれた人、ありがとう。
ずいぶん遅くなっているけれど、ありがとう。これだけ伝わればいいんだけど、元彼と電話してちょっと考えさせられたから、少し書いて落ち着かせてもらった。
お邪魔しました!
昨日みて今日レスでもしようとおもったんだが捜しても無いからぐぐってみたら消えてたっぽ。
あれ、俺が読んだときとだいぶ印象が違うな。
最初のくだりはなかったきがする。
で、あれだ。人力検索はてな。
自分もはてなが3人だったころから人力つかってるので少しは事情はわかるほうだけど、
微妙に斜め上で使いにくい。
一時期ものすごく使いにくくなっちゃってね。それで自分は質問とか回答をやめちゃった。
回答オープンにものすごい時間かかるの。重すぎてつかえたもんじゃなかった。
javascriptなんでもつければいいってもんじゃないよ。
しょっちゅうエラー吐いてるし。
2003年とかの古参のユーザーの人とかは今じゃほとんど見かけないね。
何人か知ったidはあるけど、目立たなかったから生き残れてる感じ。
イルカとか回答拒否の実装で古い人や、それまでに一杯回答とかしてた人ほど不利になったのでそこでだいぶみんなやる気萎えちゃったみたいね。
あと換金できなくなったのも以外と大きいかも。回答専門のひととかきえた気配。
そんなわけで総じていままでどおり。
複数件あると最後の回答がリロードしないと見えなくなること。
ある芸術家が餓死寸前のイヌを展示して「イヌの餓死」という芸術を発表した。やせ細ったそのイヌは、薄暗い部屋に置かれた太い鉄格子の折の中で、もちろん餌も与えられずただ放置されていた。イヌはときおり頭をもたげては、虚空を虚ろな目で見上げたりもしていたが、体を起こすだけの力もないらしく、またぐったりと横になってしまうのだった。
芸術家は、これはまだ最初の布石に過ぎず、私が表現しようとする芸術の準備段階だと宣言した。「イヌの餓死」だけでも非人道的なのに、それが準備段階に過ぎないと宣言したことで、様々な人から非難が集中した。ネットでは芸術家のブログは炎上し、自宅には反対するグループが押し寄せ、それらをマスコミが取り上げ更に盛り上がり、収拾がつかない程に社会問題化した。
しかしそれだけの騒ぎになっても、芸術家は展示を取りやめ様とはせず、コメントも発表しなかった。その間も、イヌは餓死することなく、あいかわらず衆人の目の中で生き長らえていた。
芸術家が沈黙する中で、憶測と中傷だけが勢いを増していった。そんな折に、事態が一転した。とある過激な動物保護団体の者たちが、高い塀で囲まれた芸術家の家に、自家製の火炎瓶を投げ込んで放火したのだ。古い木造の家はあっという間に燃え上がり、家で寝ていた芸術家は逃げる間もなく焼け死んでしまった。
芸術家の死により、「イヌの餓死」の展示は中止となり、死にかけていた檻の中のイヌは無事に保護された・・・かと思われた。しかしイヌを助けようとした人々は、その折を開けてみて驚いた。そこにいたのはイヌではなかった。精巧に作られたイヌのオブジェだったのだ。簡単な機械仕掛けで、ときおり首を持ち上げるような動きをする。たったそれだけのものだった。
そこへ美術館の館長がやってきた。これだけの騒ぎになりながらも「イヌの餓死」の展示を取りやめず、芸術家と共に非難を浴びていた人物だ。その館長が、持って来た封筒から手紙を取り出して皆の方へ見せた。それは死んだ芸術家の手記だった。手記にはこう書かれていた。
「この展示には3つの目的があります。1つ目は、私が作ったイヌのオブジェがどれだけ人に『本物のイヌ』として見えるかを確かめること。作品を見た人に本物だと思ってもらえること。これこそが今の私にとって、芸術家としての望みです。2つ目は、動物に対する愛情を再確認して欲しいといこと。このみすぼらしいイヌを見て、人々はかわいそう、と思ってくれるでしょう。そして動物への虐待や安易なペット化を再考してくれることを願います。3つ目は、人の強さを確かめること。もしこのイヌを本物だと思ってくれる人がいるなら、きっとこのイヌを檻から解放してくれることでしょう。そういう強い人間が出てきてくれることを私は期待します」
そして手記の最後にこう書かれていた。
「私と共にある32匹のイヌのために」
http://anond.hatelabo.jp/20080123112828続きdeath、遅くなりました。ぶくまとTBでわっふるしてくれたひと、ありがとう。推敲してないので変なぶんしょうだったらゴメン。
携帯メールを教えてもらってからはちょくちょくたわいないやりとりをしてた。鼻息荒く「会いたい」というのではなくて一緒に飲むのもいいですねーみたいな会話だった。女はあいかわらず自分の情報を出さなかったし、日記に自分達のやりとりを窺わせる書き込みもしなかった。
旅行の日が来た。日記にも「出発でーす」みたいなタイトルで書いておいた。(今思うとこういうタイトルの日記って迷惑だよね。)他のコメントに混じって女が「いってらっしゃーい」みたいなひとごとっぽいコメント。会うことは他の人には知られてない、そのそっけなさが逆にちょっとした背徳の期待感になった。
日記を載せてすぐ、○○県の○○駅で会いたいとのメールをもらった。かなりの田舎だ。二日目なら寄れると伝えた。二日目、指定された場所で待つことにした。釣りの可能性もあったので時間つぶせる本をもっていったけど、女からひっきりなしに遅れますメールが届いたので返信で忙しかった。着きました!というメールがきたので振り返ると本当に女がいた。「○○さん?」あぁ、HNで呼び合う恥ずかしさよ、それは置いといて、相手はまぁ普通の女性だった。mixiでのテンションと違って落ちついた様子だった。
とりあえず彼女についていき、おすすめのお店で飲みのはじまり。最初はぎこちなかったけど、お互いのマイミクの話をしたり、mixiの話題で聞き役に廻ったりしたらすぐ打ち解けた。友達の友達だとすぐに信頼してもらえる。ただ、軽い緊張はあったので酒の量は多くなった。
酒がすすんだ頃に住所のことを聞いてみた。「住んでるのって東京だよね?」すると彼女、「ああ、あれ嘘、ネットって案外危ないから」とケラケラ笑いながら言った。時々東京のお店の話題を日記に織り交ぜれば偽装完了だそうだ。プロフに本名出してて初心者っぽかったのに、実はしっかりしてるんだなと思った。その本名もやっぱり偽名で、名前に関するコミュ(「姓が佐藤」みたいなの)にも入って偽装していた。mixiで実際に会うのは初めてと言う。よく考えると待ち合わせ場所も遠くから観察できるところだった。彼女はこちらの女マイミクとの関係を聞いてきた。それも、加入コミュなどでは関係性の推測が難しい女マイミクに絞って聞いてきてた。後で気づいたけど、会う前に入念にチェックしてきたようだ。(続く)
ごめん、また今度書きます。すぐ書けるかもしれないけど、ネットのない環境にこもらされるのでもしかしたらかなり遅くなるかもしれない。それとこれからエグい内容になるので通読はあまりお勧めはできません。続きです。http://anond.hatelabo.jp/20080127181332
こないだ東京に行ったんです、東京。数年前まで東京に住んでいたんだけど、あいかわらず人が多い。特に新宿駅周辺なんて人でごった返していて、歩くのにもひと苦労。そんな人混みの中にいると、いろんなことを感じる。
たとえば新宿南口改札近くの通路にガラスのドアがあるんだけど、ひっきりなしに人通りがあるので、ドアの方も大忙し。閉まろうとしては開けられ、閉まろうとしては開けられ。いっそのこと開放しときゃいいのに、ドアはゆらゆらと揺れ続ける。みんな、自分がドアを開けて通るときってどうしてる?後ろの人のために少し大きめにドアを開けるor手で支える?それとも自分が通れる広さだけ開けて通り抜ける?後ろの人にドアがぶつかりそうでも。そこではほとんどの人が後者だった。まあ人が多すぎて、支えるとかえって邪魔になるというのもあるかもしれないけど。
肩がぶつかりそうでも道を譲らない人。混雑した電車でバッグを座席に置く女性。コンビニの前に座り込む若者。歩きタバコをする男性。学校に無理難題を言う親。東京に限らず、最近はモラルというものが薄くなってしまっている。あるいはマナーと言うべきか、思いやりと言うべきか。一人ひとりが自己の利益だけを考えて行動している。まるで「すれちがう人間はみんな敵」と見なしているかのように。恥ずかしながら僕自身も例外とは言い切れないけれど、最近そういったことが気になってしかたないんだ。日本人の奥ゆかしさや思いやりはどこへ行ってしまったんだろう。
新宿の喫煙所に腰掛けながら、友達にそんなことを話すと「yomyom」という雑誌に載っていた話を教えてくれた。精神科医と漫画家の「世間が狭くなりました」というテーマの対談があったらしい。昔は世間が広かった。家には祖父母が同居していて、近所づきあいもあったので、外でのふるまいも誰かに見られているかもしれないという意識があった。けれど、今では核家族化が進み、近所づきあいなんてほとんどない。中には、家族の交流さえ断絶してしまい、本当に仲間内だけの狭い世間で過ごしている人が増えてきている。たとえばコンビニの前で座り込む女子高生たちも、仲間内だけで世間が完結しているから、周囲への迷惑なんて気にしない。誰かが眉をひそめたって、それは世間の外の人だからだ。彼女らは社会とつながっていない。社会人だって電車の中でマンガ雑誌を読みふけっていても、電車の乗客からどう思われるかなんて気にしない。(友達の話から内容を類推。今度、yomyom借りてちゃんと読んでみる予定。)
今は個人主義の時代で自分の利益を最優先する人がほとんどだけれど、たしかに親戚や知人がどこかで見ていると考えたら、もう少し節度のある行動を取りやすくなるかもしれない。周囲の人は、敵ではなくて「近しい人」と思って。その日から、少し自分の行動を変えてみることにした。前述のようなマナーを守るのはもちろん、同じマンションの住人とすれ違うときは挨拶をしたり、積み荷を崩しそうな配達員がいたら手助けをしたり、コンビニで店員に「ありがとう」と言ったり(まだ照れがあるので声が小さいかもしれないけれど。もう少し自然にしたいな)。周囲の人を親戚だと思って接するように変えた。
それをしたからどうなるってわけでもない。トクすることはないよ。ときには奇異な目で見られてしまうし。でも続けていこうと思う。そういう人が増えれば、心の背筋がピンと伸びそうだし、将来子どもが生まれても、胸を張って大人としての手本を見せられそう。何より、もっと日本を好きになれそうだから。
友達の話を聞いて思い出した話があった。
http://ayacnews.blog57.fc2.com/blog-entry-944.html
このお婆さん、素敵だと思う。
以前にマクドナルドでバイトの女の子に対して通常とは逆の順番で注文したら
どうなるか試したという書き込みがあった。
つまり、「店内で、バニラシェークの M サイズと、マスタードソースのナゲットと
レジの女の子はすっかり頭が混乱してしまって、何度も注文を聞き返し、おまけに
最後に「店内でお召し上がりですか」と聞いたそうだ。
面白い。そこでサブウェイでも同じことをしたらどうなるか試してみた。
「店内で、ペプシコーラの M サイズと、あと、レギュラー調味料を入れて、野菜を
全部とピクルス多めにして、M サイズのハニーウィートにはさんだサブウェイ
クラブをお願いします。」
バイトの女の子は顔を挙げて言った。「あいかわらずの性格ね。」
別れた彼女だった。
「僕らの時間も逆にたどれないかな?」
突然泣き出す彼女。
「おい、いきなり泣くなよ。こんなとこで・・・・」
「ごめん。でも逆にたどるなら、始まりは涙でしょ?」
あいかわらず、この国の死刑制度に対する存置世論は強いようで、、、
痛いニュース(ノ∀`)【光市母子惨殺】 元少年「生きたい」「検察、僕をなめないでいただきたい」…弁護団、涙で「こんなに胸を張って弁護できたことはない」
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1033297.html
ブログ主の編集方針が偏ってるって事情を差し引いても「吊るせ吊るせの大合唱」状態。あまりに人の命の重さに対する感覚が軽すぎるんじゃなかろうか?
気に食わないやつが殺されたらスッキリするっていう人権感覚が蔓延したら「正義のための人殺しは容認される」っていうことにならないかと心配だ。
さてそれにしても、僕にはむしろ悲しみにくれる被害者を救済する手段が「被告の死だけしかない」というこの国の現状こそ問題にすべきだと思える。
刑事裁判の目的が、被害者救済ではなく社会秩序の維持に偏っている(っていうか、それしかない)現状のもとで、被害者家族は裁判へ参加することもできず、真実から遠ざけられてきた。(少しは改善がみられるが)
悔しさを晴らしてくれるのは「厳しい量刑=死刑」のみ、それだけが唯一の望みという人生はあまりに虚しい。
一家の大黒柱を失った被害者に必要なのは、加害者への報復的判決よりも、むしろ明日を生きる「生活の糧」じゃないだろうか?
例えば、殺人事件の被害者遺族が、交通死亡事故の被害者遺族が受け取る死亡保険金程度(あるいは、それ以上)の経済的救済を受けられたとしたら、被害者遺族は被告の死刑をこれほど強く望むだろうか?
いまでも量刑の判断基準に「被害者(遺族)感情」が加わっているため、加害者に経済的な余裕があれば、賠償金と引き換えの減刑っていうのが現実に行われているけど、これって金持ちなら加害者になっても減刑されるっていう不公平な仕組みだと思う。
自動車事故のように、過失割合も加味して、被害者に落ち度がなければ100:0、怨恨であれば80:20、正当防衛であれば30:70といった具合に、刑事裁判と民事の救済をセットにして判定をし、はじき出された金額を国庫から支出、加害者に財産があれば、それを没収して国庫に充当させるのだ。こうすれば、加害者の経済状態に関わらずに被害者全員の救済が行われ、金持ちだけを特別に減刑させる手段を取り上げてしまえる。
また、社会全体にとっても、死刑にならないことを前提で取り調べが行われたほうが、検察の言いなりになって供述調書にサインをしたり、弁護士の小手先の法廷戦術で事実に反する供述調書を丸呑みしたりして「事実の究明=事件の教訓化」よりも「反省の態度=上辺の取りつくろい」を優先するようなケースが減るんじゃなかろうか。
大事なことは、事件の背景にある社会矛盾や人間心理の不条理を解明して教訓化し、社会全体が努力してこれを取り除くことであって、上辺だけの反省は真実の究明にとって邪魔なだけだ。
そして「だれがそのコストを負担するんだ!?」って反論には「もちろん税金で」と答えたい。っていうか、人命よりもコストを優先する発想って、先進国としてどうよ?
どうも最近の死刑論議・刑事司法論議を眺めていると、感情的な死刑存置派の背後に隠れて(時にはそれを煽って)被害者救済や犯罪者厚生のためのコスト負担を安上がりにしたいという国家権力の怠慢を感じる。