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2011-02-22

恋愛や前向きな歌ばかり歌う歌手共感出来ない理由

うーん、やっぱり共感できない。

なぜ共感出来ないかと言うと、歌う内容、方向性が、あまりに現実自分たちと違いすぎるのだ。

もっと現実ってグチャグチャしているはずなのに、何で流行歌手はキレイ言葉に摩り替えたり、方向性を恋愛、夢などにしてしまうのだろう。

例えばこれは凄く個人的で開き直り感情なんだけど、恋愛ソングなんかじゃなくて機能不全家族共依存のこととか自尊心の低さとかを歌って欲しいしかキレイ歌詞にして歌うんじゃなくて『家族と離れて暮らす方が幸せなんだ』とか『もしも君が甘えたいと言ったら 僕は君の手を離すよ』といった、本当の現実に寄り添った歌を歌ってほしい。『家族と一緒に居るほうが幸せ』とか『君に思いっきり甘えたい』とかもううんざりなんだ。

今のところこういう歌詞で歌っているのって神聖かまってちゃんぐらいなので、EXILE西野カナにもこういう方向性を目指して欲しい

2011-01-03

自殺する魂

新年さっそく死にたいなぁ。

明日もどうせ今日の繰り返しなんだ。

ってことを意識したら、ちょっとは楽になったよ。

神聖かまってちゃんの曲が良かった。

明日継続しそう。

2010-05-13

感性絶望衝動

江藤拓議員の質疑で泣いた。

ノーム・チョムスキーの本読んで怒った。

ゼブラーマン漫画で泣いた。

ホーリーランド読んで泣いた。

芥川の歯車読んで震えた。

最近馬鹿みたいに涙もろくなっている。

わけがわからないんだ。感性って奴なの?

どこの世界にだって真剣人間はいて、そいつらは誰だってなんだって素晴らしいんだ。

だけどどうしてだろう?曖昧でいい加減な態度を取ってしまうんだ。みんな。

象徴的なのは口蹄疫災害の質疑での赤松大臣対応だ。

江藤議員はそれに対して「あなたは最高責任者でしょう??!!

   何ニヤニヤしてるんですか!」 と言う。

別に俺は政治に興味があるわけじゃない。一番好きなのは文学だ。

そして政治に関しては、俺が与えられる影響なんてカスみたいだからって理由で

ロクに考えようとは思わない。投票に行くなんて時間無駄だと考えている。

俺は小説を書いていたいんだ。小説について考えていたいんだ。

江藤議員のこの言葉は象徴的なんだ。これと同じ状況は、音楽にも文学にも漫画にもある。

大学にも高校にも。

そしておそらくは、学問世界にも。

真剣であることが軽蔑される状況はどこにだってある。

神聖かまってちゃんヴォーカル「の子」は2chで荒らしをしていたんだけど、

彼は真剣だった。その真剣さが、荒らし解釈されたわけだ。

でもそれっておかしくない?

彼の主張はシンプルで、2chのバンド板でなんでみんな女の話や、バンドメンバー愚痴

そういうことしか言わないの?みんな音楽が好きなら曲をみんなに聴いてもらって、

批評してもらって、そうやっていい曲を作ろうよ、

音楽で周りを変えようよ、ってことだ。

だけどの子がメジャーデビューしても2chの現状は変わらなかった。

もともと彼が建てたスレッドにいる奴らは、俺が育てたんだなあとか言って感慨にふけってる。

でもそれって何か違うよね?あんたは何にもしてないよって言いたくなるよね?

の子はそれでもかなり上手くやった方だ。彼自身が新しいやり方で成功したからだ。

だけどそれでも周りを変えることはできなかった。

もっと上手いやり方が必要なんだろう、きっと。

で、その上手いやり方ってなんなんだろうね、って話だ。

面白い話をすることはそうだ。上手いジョークもそう。

でも芸術使った方が影響力は大きい。音楽とか、小説とか、漫画とか。

だけど気になることが一つ。

洗練されちゃったら、メッセージだって、伝えたいことだって、鈍い奴には届かないんじゃないの?

の子が2chで荒らしと認定されたのは、彼の文章がむき出しで、

今までのやり方でいいと思ってる老人みたいな奴らの神経を逆なでしたからだ。

村上春樹小説がめちゃくちゃ売れるのは、面白いストーリーと、真剣考察があるからだ。

そしてそれはどっちか一つだけでも楽しめるんだ。

だけど村上春樹小説は老人みたいな奴らの何かを変えた?

どちらもかなり上手くやっているんだが、最高に上手くやったとはいえない。

鈍い奴が気づく程度に露骨で、鈍い奴が嫌悪しない程度にポップな文章。

そんなのが書ければ理想

それで鈍い奴がいなくなればきっと世界も変わる。

そんな楽観主義。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm10686926

口蹄疫についての質疑応答。思考のネタ元。

2010-04-08

http://anond.hatelabo.jp/20100408020216

神聖かまってちゃんがなぜここまで急にもてはやされたのか気になるところ。

キャラクターがよかったのかな?

メジャー事務所との契約がきまったから売出しがされてるだけなんじゃないかともおもう。

最近急にメディア露出が始まった。

ラジオなどでの触れ込みはネットで話題のだった。

ネットで話題?

そのときにyoutubeニコニコにあげられているPVをみにいったら再生が3000~5000件。

コメントが30件。どうみても話題じゃあーない。話題というには程遠い。

いまはニコニコ動画で一番再生が多いもので43000まで伸びてるが、これも話題というほどではないだろう。

音楽としては演奏技術が確実にちょっと他の水準より劣る。

パンクとしてもどうか。

曲はいい、でも多分キーボードが旋律をおさえてるからだろう。

残るはインパクトだが、インパクトもそれほどあるかね?

最近だったらまだ、ロイの声のほうが受けしそうだ。

かまってちゃんは椿屋ほども、9mmほどもいかない気がする。

ライブハウスにいけばこのレベルの子たちはゴロゴロだ。

ちみどろっていうセンスは好きだけどね。

まあ男ミュージシャンが出てくるのって少ないのでがんばっては欲しいところ。

ただそこまで革命的ではないかな。

mySpaceにもニコニコ演奏してみたタグでも、レベルはどこも高い。

ところで、けいおん!!OPとかEDを見てみたんだけど、バンドカバーできない類の曲すぎて泣いた。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm10308396

カバーにも無理がでるってもんだ。

神聖かまってちゃん」の日本社会史、あるいはパンク史的な意義

突然だが,今注目されているバンド神聖かまってちゃん」の、日本社会史あるいはパンク史的な意義はもっと指摘されてよい。

和製パンクロックが生まれて30年、日本人はついにこうしたバンドが評価される社会へたどり着いてしまったのかと言うレベルである。

 少し回り道をすれば、2年前の6月8日の秋葉原路上、私もその場所に居合わせたから忘れもしない。

「非リア充」の26歳男が赤の他人7人を次々とぶっ殺した。「格差社会」「ニート」「希望のなさ」などのバズワードとともに、秋葉原連続殺人は、00年以降の社会に訪れたこうした変化の象徴と言われた。

 その時、私たちは気づくべきだった。不適切かもしれないが、その事件は別の見方をすれば、パンク好きにとって願ってもない時代の到来を告げていたのである。すなわち、日本で訪れることのなかった、本来のパンクロックが受容される時代へと、日本が変化(退化?)しているという事実だ。 

 教科書的になるが、1970年代に生まれたパンクロックは、当時の英国社会のなんとも言えないクソッタレ社会環境で生まれた。自国産業は衰退し失業率は最悪だった。若者は職も金もなく伝統的な階級社会に阻まれてはい上がることも出来ない。こんな絶望感の中で若者ロックという媒介手段を用いて不満を発散させた。セックスピストルズは、たとえ演奏技術はなくても圧倒的な説得力をもって浸透していった。

 80年代以降、パンクロック日本にも輸入され、反社会的な曲が大量生産された。もちろん素晴らしい曲やミュージシャンも次々と生まれたが、すべてに共通する根本的な欠陥があった。それは、当時の日本総中流社会で、基本的に成長を続ける豊かな社会だったということだ。「フリーター」は当時は今とは逆に希望を持った生き方として受け入れられていた。若者が抵抗する相手は、両親とか、学校の先公(古い!)とか、そんな微笑ましいものだった。ザ・スターリンに影響されてビリビリに破けたTシャツを着る人たち。80年代後半のバンドブームカラフルに染めた髪の毛をツンツンに立て演奏する人たち。彼らの反抗的なパフォーマンスは、すべて豊かな日本人の”真似事”でしかなかった。たとえ人気を呼んだブルーハーツでも、社会派的な曲は空回りしていた。

 

 「神聖かまってちゃん」には、こうした日本ロックが抱えてきた嘘くささがない。それが決定的に新しい点だ。いわば日本パンクロッカー達が、演技的に”狙って”なろうとしたポジションに、不気味なぐらいナチュラルにすっぽりと収まっている。なぜならば、彼らは間違いなく格差社会になった現代日本の底辺に生々しく存在しているからだ。「ナンバーワンよりオンリーワン」などという腐ったバズワードが好意的に受け入れられていた時代の生ぬるさの中に、彼らはいない。

 ボーカルのの子は、高校をすぐに中退ネットに没入した腐れニートだ。感情に極度に左右されやすい社会生活上致命的な問題も抱える。他のメンバー派遣バイトなど非正規労働の日々を送る。彼らは、ピアキャスニコニコ生放送を使って、そのどうしようもない自分自身の生活を、包み隠さずそのまま見せる。渋谷路上ライブパフォーマンスをし警察補導されたり、メンバーの自宅では酒を片手に1時間でも2時間でも暇つぶしグダグダトークを展開する。楽曲もありえないほど”ありのまま”、ただ心の中の衝動をぶちまけているだけのように見える。曲は洗練されてなく子供のような詩だ。歌い方や演奏改善の余地がかなり大きい。それを意図的にやったかどうかはともかく、結果としてこれらの行為すべてが人気の要因だった。彼らがいる底辺、そして彼らが底辺にむけて放つ叫びはあまりにリアルに映る。熱狂的なファンがいるのもうなずける。パンクを歌うにあたり、彼らよりも”適した”ポジションはないからだ。「そんな立ち位置からロックを歌われたら、もはや彼ら以外の誰もロックを歌うことなんかできなくなってしまうよ」的な反則技の感すらある。

 私は「神聖かまってちゃん」とそれを受け入れる日本社会に1970年代イギリスを感じる。もちろん実際経験した訳ではないが、おそらくこんな感じだったのだろう。戦後の急成長はどこ吹く風,かつての英国のように格差が拡大し、ゆるやかに衰退する日本。もはや自分をわざとアウトロー的に脚色する必要すらない、無加工の生き方がそのまま”パンク”的表現になって若者共感を呼ぶ。いいにしろ悪いにしろ、私たちは今、そんな時代に生きているのである。

http://twitter.com/zaway/status/11766301537

2010-04-04

神聖かまってちゃんの説得力

神聖かまってちゃんには説得力があるんだよ。

奇行とか、そんなの味付けに過ぎない。

下手くそとか垢抜けてないとか批判があるけど、

むしろそこが人を引きつける部分なの。

今までデビューするバンドってやっぱ洗練されてるし、ボンボン空気感がある。

くるりとか他の奴らもぶっちゃけ余裕ある家庭でぬくぬくと音楽やってたんだろ。

けど、長く続くこの不況で、若者ってのは貧乏なっちゃったわけ、本当に。

そこへ来たのがこいつら。このダサさ、貧乏くささ。

本当にニート寸前のそこら辺の若者がやってるって感じがある。

ネットにズブズブなところも含めて。

オシャレで余裕ある奴らがずーっとメインを貼ってきて、

若者代表を気取って、はっきり言って、うんざりしていたよ、ずっと。

生まれてこの方景気の良い風景を見たことない人間としては、

やっと自分らの世代のアーティストが出てきたって感じだよ。

明るくなってきたよ、今、この世界

2010-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20100210222854

ちょうど今モテキ3巻読んだとこで、この文章読んだ。

3巻の後半に、ソラニンの作者であるところの浅野いにおの連載中の漫画の「おやすみプンプン」のパロディというかモロパクリの描写が出てくるんだが、それがまた面白い。この場合は、物語上必要なパロディであった、と言えるんだけど、引用の仕方に工夫は無い、つまり隠そうとしないものだったんだけど、そういうパロディはどうなのかね?それもふまえて「仲間意識で囲い込むためだけの引用」という事だろうか?

そもそもモテキは実は最初からずっと引用しっぱなしの漫画だと思う、物語に触れる部分でも台詞の中にも、物語テーマ自体がネットの特にはてなでもよく言及されている非モテについてである。明らかに作者はネットを見ている、そういう引用もある。

この神聖かまってちゃんというバンドネットの寵児のようなバンドなので、物語のスジは実は通っている。ネットを通して明るみになったこの非モテという問題を、非モテというだけで人を殺してしまうような奴が出てくるこの問題を、男性だけの問題と思われがちなこの問題を、女性の作者が解体しようとしている、そういう漫画だと思ってる。

その為の引用だとしたら、女性作者が男性に仲間意識を持ってもらう為の引用だとしたら、どうだろう。

お笑い」の言説の中に大真面目な顔でジョークを言え、みたいなのがあるけど、もはや現代のお笑いではこれが絶対に正しい訳じゃない、誘い笑いというのもまた一つのテクニックになっている。

仲間意識を持ってもらうための引用も一つの物語を紡ぐテクニックだ。

あと、台詞タイトルキャラ名が物語に関係していないといけない、あるいは必然性を持ったもので無いといけない、というのもまた古いというか、お手本通りすぎる、真面目か!

2010-02-10

引用に終始するサブカル好きが日本の文化を滅ぼす

日本の文化が、かなりマズい方向へと進み始めている。私はこれを止めなければならない。そのためにこれを書く。

まずはひとつの記事を紹介しよう。あまり人に広めたくないあまりにも醜悪な文章だ。

しかし、現代における様々な問題を見事に一点に凝縮しているので、思い切ってリンクする。

神聖かまってちゃん

http://blog.livedoor.jp/hitoshione/archives/51007015.html

このバンドのことを知ったのは漫画モテキ」。

モテキ」は毎回作者の久保ミツロウさんのセンス&チョイスで

その回のテーマに近い楽曲名がそのままタイトルになっている。

例えば「格好悪いふられ方」とか「深夜高速」とか「ザ・ミーハー」とか「はっきりもっと勇敢になって」とか。

オレにはその絶妙なセンスがツボで

「おっ、大江千里か!」とか「フラカンね、はいはい」とか「森高かよ!」とか

「ついに岡村ちゃん使ってきたかあ」とか

タイトルを見てそのアーティストミュージシャンを当てるのを

毎回楽しみにしていて連戦連勝ですべて当ててきたのだが

去年の秋ごろに初めて「・・・知らんなあ・・」となった。

それが「モテキ」3巻・23話のタイトルロックンロールは鳴りやまないっ」だった。



後悔した。やはり醜い。スノッブとはこいつのことを言う。

何が醜いかというと、モテキの作者がただ見栄えをよくするためだけに楽曲タイトル引用する態度と

その引用元がわかることに喜んでしまうという読者との共存関係だ。

同じように注目されているマンガで『ザワさん』というものがある。このマンガでも全く同じ現象が存在した。

それは耳にイヤホンを指している男子高校生に対して矢印書きで書かれた「伊集院ラジオを聞いている」という文字だ。

「そんな高校生、今どきいるか」という二重の意味で驚愕したのだが、本当の問題はそこじゃない。

この引用は作品のクオリティに何の影響も与えていない。ただただ、作者が好きなものを作品内で提示したにすぎない。

わかってる奴だけが気づいて不気味にニヤリと笑うだけだ。この醜悪な一連の行為はいったい何なのか。

はっきり言うと「私はあなたの仲間である」というマーキングにすぎない。

ザワさんで言うと「私は伊集院ラジオを聞くような人間です」「伊集院ラジオ好きな人は仲間です」というメッセージ

作品内にわかる人間だけがわかる符牒を忍び込ませ、その意図は仲間意識を強めるためだけ。

これはニッポンサブカルチャーのもう至るところに散見される。

「私はあなたの仲間だ」と囲い込むためだけの言葉選びや引用

例えば映画秘宝文化圏。こいつらはやたらと「俺たちボンクラは」という言葉を連発する。

ボンクラ」というキーワードだけでただ連帯している。このような囲い込みは排外主義を伴なう

事実映画秘宝は「ボンクラ」というキーワードに引っかかる人間だけを相手し、

お決まりの作法を繰り返して、自分たちの文化圏外を口汚く批判するだけでゼロ年代を終えた。

現代の創作はもうほとんど仲間意識を強める言葉引用を散りばめるだけで成り立っている。それが最近貧困さの原因でもある。

最近サブカル好き同士の会話なんて、お互いが好きなキーワードを連発し合ってにやりと笑っているだけの、

本当に貧困で醜悪で、言葉にできない酷さだ。そんな人間日本の文化を滅ぼすんだ。どんどん自閉していき緩やかに自滅していく。

島本和彦が『天元突破グレンラガン』を評した言葉を紹介しよう。

「俺の言葉を真似するよりも、あなたの言葉で俺を震わせてくれ」

この言葉意味を……あなたはわかるだろうか。わかっちゃいけないんだよ。

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