はてなキーワード: 実業家とは
先駆者としての松下幸之助には敬意を払いつつも、この人の会社の製品を素晴らしいと思った事が無い。日本がまだ「12歳のガキ」「焼け野原」だと言われていた時代の人だ。当時のメーカーの地位なんて今とは比べ物にならない。競争相手なんて(今と比べると)居ないも同然の時代なら、ちょっと本気で取り組めば何を作っても「斬新」で「一番乗り」が簡単に出来た。やりたい放題がそこそこ許された時代だったはず。(同じ理由で本田宗一郎もそうだと思うんだよね。それなりにやりたいようにさせてもらえた時代であれば、今でも成功する人間は沢山居ると思う)
ただ、松下幸之助という実業家に匹敵する人間は存在しないのかといったら、多分、全然そんなことは無いと思う。「神様」と担ぐ理由って、別に松下幸之助に心酔しているからではなくて、日本のメーカーの象徴であってほしいという、もっと利己的な理由じゃないかなと思う。
文化に偉人は付き物だもんね。日本のメーカーにも歴史があるれっきとした文化なんだぞと、業界ぐるみでその雰囲気を盛り立てていくために、松下幸之助を利用してきたところはあると思う。
この前バラエティ番組を見ていたら、田中義剛の花畑牧場で生キャラメルが作られている様子が映っていた。牛乳を銅鍋で煮詰めるところがポイントだそうで、工場には多くの銅鍋があり、大勢の人が付きっ切りでヘラを使ってかき混ぜていた。で、商品の売りは『手造り』だという。
生キャラメルは品薄だと聞いていた私は、その生産の効率の悪さに驚いた。人力で牛乳を加熱するところにどれくらいノウハウがあるか正確には分からないが、現代の自動化の技術を持ってすればある程度の省力化が図れると考えたからだ。その分、生キャラメルの値段を下げたり、もっと多くの人に届けることも出来るだろう。
と、ここまで考えたところで、嗜好品=みやげ物、でそういう努力をする必要はないのかも、とも思った。『良い材料で手造りで作られた』というストーリを売り物にしている限り、資本主義の論理は成り立たない。ここで、『良い材料』というのは『十勝の厳選された牛乳』なので、他の地域の牛乳が成分が同じで安価であっても、使うことはできない。
続けて中国の工場の話を思い出した。日本では精緻な自動化ラインを構成して量産しているが、中国では人件費が安いので自動化のところを人の手でまかなうことが出来る。例えば自動化の中でも搬送系は大掛かりで、後からのカスタマイズが難しく、かつ故障も多いところだが、人力ならばそんな心配はない。
田中義剛は実業家だという。だとすれば生キャラメルのブームがいつか終焉することに気付いているだろう。もし省力化のために設備投資をする場合、生産量の予測がつかないブームはリスクでもある。一方『手造り』ならば、需要に応じて人手を調節すればよい。資本主義で感情を抜きにすれば、人間は機械もずっと安くつく、ということになるだろう。
で、「ザ・シークレット」が平積みされてて、立ち読みした感想。
ザ・シークレットってようは引き寄せの法則。
「自分に起きた出来事は、すべて自分の意思や思考が原因で引き寄せたものだ」という法則のこと。
引き寄せの法則は、物事の捉え方、あるいは考え方のひとつの方法に過ぎないが、理にかなっていると思う。
ただし、さすがに「すべて」ではなく「ほとんど」であると思うが(例えば、人の死は思考でなく寿命、運命が原因でしょ)
もっとも、引き寄せの法則を語る連中は、法則をさらにスピリチュアルに発展させ、「ただ強く願う(言う、紙に書く)だけで、現実化する」というが、これは甘い期待だ。
やりたかったり、やらなきゃいけないとずっと思っていても、「けじめ」や「規律」が欠けているため、できないときがある。
実業家とかで、願ったら叶ったという人は確かにいるが、それは周囲がお膳立てしてくれる金持ちのボンボンやエスタブリッシュメントがあるからに過ぎない。
引き寄せの法則関連によく出てくる、「一部のエリートのみが」云々は、引き寄せの法則が秘密だったからではなく、願っただけで叶う温室育ちの環境は一部の上流階級でしかありえないからじゃないか。
また、思考は現実化するため、ネガティブなことは決して考えてはならないとも書かれている。
精神衛生とか、メンタル的にはネガティブなことをくよくよ考えるべきではないし、ポジティブで明るいことを想像すると、安定した心理状態を得られるのは事実だ。
しかしだからといって、否定的なこと、起きて欲しくないリスクについて考えを巡らすこと自体を禁止してしまうのは、飛躍し過ぎだし、恐ろしい思想統制だ。
メンタル、あるいはメンタル状態が大きくパフォーマンスを左右するスポーツの競技中は、ネガティブな感情は消しさるべきだ。
しかし、将来に向けてロードマップを計画しようとするとき、あるいはビジネスの世界では、常にリスクを意識し、対処することが不可欠だ。
最後に、やや話は脱線するが、光があれば影があるように、ネガティブな思考を完全に除去することはできない。だからあえて目をそらさずに、その存在を認めた考え方のほうが、より現実を表しているのではないか。
俺はスタイリストなんだが、「どうせスイーツはイケメンならなんでもいいんだろ」発言を聞く度に、こいつはイケメンのことを「生まれつき顔が良かっただけで何もしてないのに得している人」だと思ってるんだろうなと反吐が出る。
生まれつきの顔だけで勝負している人なんて、男も女もめったにいねーよ。
みんな、かなりの手間暇をかけて自分を見せ方を研究して実行してるんだよ。
というのは、顔の造作は悪くないのに何もしないので雰囲気で損している人(オフ会のみでイケメンと言われるタイプ)と、顔の造作は良くないのに色々努力した末雰囲気で得している人(世間からイケメン扱いされているタイプ)がいるから。ホストや芸能人にもよくいるよく見たら残念顔イケメンが自分をイケメンに見せるためにしている労力を思うと尊敬せざるを得ない。
美には時間なり金なりの対価が必要なんだっつーの。
それを払うつもりもない奴が、払っている人に対して「どうせ生まれつき」と誹ることは、努力して成功した実業家に「どうせ実はどっかのぼんぼんで、金とコネ融通してもらったんだろ?」と言っているに等しい。
女がみんな化粧するのは、男以上に長い間「かわいければおk」の世界にいたからだ。彼女たちは少しでも自分が生きやすくなるよう、自分を飾る努力をしている。コミュ能力の一種だと言ってもいい。それをあえてサボるなら、不利益を被ってもガタガタぬかすなという話なんだよ。
↑に気になるコメントがあった。☆もいっぱいついてる。
どうして、批判されるべきことをうっかり「もう過ぎてしまった事」と言ってしまったり、そう言っているのを聞いてその人の「信用度がゼロ」になってしまったりするんだろう。なぜそういう齟齬が生まれるんだろう。元記事やコメントの内容とは無関係な疑問で恐縮だけれど。考えてみると、この齟齬の背後にはかなり普遍的な構造があるんじゃないだろうか。
あるひとつの現状に対して、様々な考え方がある。代表的なのが(だと私が思っているのが)次の4つだ:
乱暴に括ってしまうと、1と3は科学者の視点、2は実業家の視点、4は法律家の視点というイメージだろうか。
1と3は現象に注目している。2と4は人物に注目している。
もちろん、一人の人物の中に複数の視点が混じることもあるし、ある話題に対してある考え方をした人が他の話題に対しても同じ考え方をするとは限らない。
ただ、違う視点を持った人には同じ発言が違った意味で捉えられてしまいがちなので注意が必要。例えば、元記事を書いたnihenさんは1の視点に立っているから、「もう過ぎてしまった事」というのは「自分は過去よりも未来に興味があるぞ」という程度の意味でしかなかったはず。でも、それが4の視点に立つSnailさんにとっては「過去なんかどうでもいい」という意味になってしまった。
こういう風に、議論や意見の内容以前の「注目する対象」の段階でそもそも違っていて、その違いに無自覚なまま内容を論じているせいで話が噛み合わなかったり、お互いを意味もなく嫌ってしまったりしているのを見ると本当にもったいないなと思う。
界隈でたまに話題になる歴史問題とか女性問題とか労働問題とか教育問題とか、はっきりいって全部このパターンだよね。一番たちが悪いのは、視点の違いに何となく気づいているのに「自分の視点こそが絶対善、相手の視点は絶対悪」みたいなことを言い出してしまう人だけれど……
データはこちらから借りてます。何人か増やしてますが。
誕生日データベースhttp://thebirthday.net/y/1982
自分も82年でデータベースを見てたらなんかすごいなと思ったので取り上げてみました。
結構すごいと思うんですがどうですかねw?まあ他の世代も充分すごいんですがw
これ以外にも居ると思うし知らない有名人もいっぱい居ると思いますw
あと有名な犯罪者も入れてます。
自分はソニンと加藤あいと藤原竜也などが同学年なのに驚きました。
年下と思ってたのでw
まあ興味あったら見てください。
1982年 4月21日生まれ 安田美沙子 タレント・グラビアアイドル
1982年 4月24日生まれ イリーナ・チャシナ 新体操選手
1982年 5月22日生まれ アポロ・アントン・オーノ ショートトラックスピードスケート選手
1982年 6月21日生まれ ウィリアム王子 英国・チャールズ皇太子の長男
1982年 6月29日生まれ 矢嶋佑 映画監督・演出家・プロデューサー・実業家
1982年 8月13日生まれ シャーニー・デービス ショートトラック/スピードスケート選手
1982年 9月9日生まれ 大塚愛 シンガーソングライター
1982年 9月13日生まれ 出雲阿国 (お笑い) お笑いタレント
1982年 9月15日生まれ エジミウソン・ドス・サントス・シルバ サッカー選手
1982年 9月27日生まれ 中田敦彦 お笑いタレント(オリエンタルラジオ)
1982年 9月28日生まれ 加藤智大 秋葉原通り魔殺人事件容疑者
1982年 10月5日生まれ 吉田 沙保里 レスリング 金メダリスト
1982年 10月6日生まれ 伊調 千春 レスリング 銀メダリスト
1982年 10月10日生まれ 中野大輔 体操選手 アテネ団体金メダル
1982年 11月10日生まれ ザ・たっち角田拓也・角田和也 双子お笑いコンビ
1982年 11月22日生まれ たかし ミュージシャン(R.O.B)
1982年 12月13日生まれ 恩田美栄 フィギュアスケート選手
1982年 不明 伊藤ちひろ 脚本家 美術スタッフ スカイクロラなど
1983年 1月4日生まれ 植村花奈 シンガーソングライター
1983年 1月14日生まれ 上原多香子 歌手 | 元SPEEDメンバー
1983年 1月19日生まれ 宇多田ヒカル シンガーソングライター
1983年 1月20日生まれ 矢口真里 歌手 | 元モーニング娘。メンバー
1983年 2月8日生まれ 篠宮暁(オジンオズボーン) お笑い芸人
1983年 2月23日生まれ 近藤春菜(ハリセンボン) お笑い芸人
1983年 3月13日生まれ 桜井良太 バスケットボール選手
1983年 3月17日生まれ 藤森慎吾(オリエンタルラジオ) お笑い芸人
一通り見て思ったけど男性歌手少ないねwてかいなくね?もっと頑張れよww
ブログに書こうと思ったが、あまりに傲慢な(そう受け取られるであろう)記事なので増田を使わせてもらう。
ID:shi3zさんの天才コンプレックスや、加藤の落ちこぼれ記事を見て思ったことを書こうと思う。
他人と同じぐらい時間勉強すれば平均以上の結果を出す自信はあるし、本気で挑んで出来なかったことはない。
ただ、やらない。努力をしない、できない。「やればできる」と思っているんだから、見通しがたったところで飽きてしまう。
■小学校
6年生になるときに引っ越した。前の学校ではなんてことなかった僕が、いじめられた。
小学校のローカルルールを無視した振る舞いが、鼻についたのだと思う。
空気を読み損ねた僕はひねくれた。孤立することを選んだ。
「俺はお前らとは違う」ということを証明するために、中学受験を決意。
学校のカラーテストで毎回100点で調子に乗っていたが、あんなのはお遊びだったということに気づいたわけだ。
中学受験経験者ならわかると思うけど、あれは1年とか半年で間に合うものじゃない。
小さいころから塾に詰め込まれてきた真面目クンじゃなきゃ受からない。クラスに一人は付き合いが悪い人がいただろう?
稀に間に合わせる人もいるけど、まぁ僕はそのクラスの天才ではなかった、と。
幼心に才能の壁とかいうのを感じたわけだった。
第一志望には失敗した。必然だったと思う。
僕をいじめてた人達と同じ中学に行きたくなかったので、通学に2時間かかる、偏差値50ちょっとの私立に行った。
逃げた。そう思われても仕方がないし、自分でもそう思う。
最初の挫折だった。今思えば、こんなの大したことないな。
■中学
常に上から3番以内だった。周囲の人より遥かに効率良く、良い結果を出せた。
「他人よりできるんだ」という優越感。勉強が楽しくて、他人を見下したくて、勉強していた。
5が並ぶ通知表が心地よかった。小学校とは違い、テストで点を取りさえすれば「5」がくるのだ。
やっていたことといえば、内職と、テスト前の詰め込み。「できるだけ少ない時間で、最大限の結果を」それが当時の信条だった。
自分をある種の天才だと錯覚していたと思う。
嫌いなヤツがよく学年一位だったので、そいつを引きずり落とす、という変なモチベーションもあった。
文章に起こしてみると、こら性格悪いなぁー。友達少なくて当然だわ。
いじめられた経験がトラウマで、深い付き合いは避けていた気もする。
■高校
結局、その場の閃きで食いつないできただけで、受験で通用する体系立った知識を持つに至らなかったのだ。
そこのボロが出たのだと思う。
ああ、僕はやはり天才ではなかったのだ。
勉強というアドバンテージが消えたとき、僕は自分のアイデンティティに悩むことになった。
そこに残ったのは、人付き合いの下手な、容姿の悪い少年だった。
友達は少なく、ましてや彼女なんていない。勉強も出来ない。素行も良いとは言えない。
そのころ、人を好きになった。告白した。振られた。三度告白した。全敗。
あの胸が焼け心蝕まれる感覚、思い出すだけでもおぞましい。
彼女が自分ではない誰かに想像するだけで、僕は落ち着かず、食事も通らなかった。
こんな僕だから、加藤が落ちぶれた過程の記事を知ったとき、その気持ちは容易に想像できた。
「こんな駄目な人間、好きになってくれる人がいるわけない」
あの激情に苛まれ続けたら、きっと僕も何らかの行動に出たに違いない。
それが社会を逸脱するものかはわからないが・・・。
「真面目にやるなんてガラじゃない」とか、中二病的な発想で、勉強に手を出さなかったっけ。
馬鹿だよね、ほんと。
■大学
東京の適当な大学に進学した。当時の学力でいけて、都会のど真ん中にキャンパスがある大学を選んだ。
「大学なんてどこも同じだろ?」とタカをくくって入ったそこは、DQNの巣窟だった。
僕は耐えられなかった。ただでさえ、非コミュな僕が、彼らと仲良く出来るはずがなかった。
「勉強すれば、もっと上の大学に通えるのに、なんで勉強しなかったんだ」そんな考えに毎晩苦しまされた。
テストには行かなかった。
夏が来る前に、僕は大学を去った。
■去年の夏
悩んだ。死ぬほど悩んだ。僕に足りないのは何だろう。なぜなんだろう。何が駄目だったんだろう。いや、そんなのわかってる。
腐っていた。これ以上になく腐っていた。プライドも糞もなかった。妥協に妥協を重ねて、我慢できなくなったところで逃げだしただけ。
それを繰り返すのか?延々と?これからも?
たかが大学一つさえ卒業できやしない、ボンクラのおぼっちゃん。家にこもってネトゲして、一家の財産食いつぶしてみたら?
一度ぐらい本気出してみて、駄目だったら人生をやめよう。
「また勉強か」と思わないでほしい。僕は自己表現に、勉強以外のことを知らなかったのだ。
■そして、今年の春から
第一志望ではなかったものの、ほぼそれに準ずる大学に入った。半年でよくやったものだと思う。
僕は自分に、その大学に入る能力があると確信していたから、自信を持っていたからやり通せた。
「結局自分に自信を持てばどうにかなる」って行っちゃうとステロタイプだけど、「根拠がない自信」を持つのも重要なんじゃないか。
「自分で決めた目標をやり遂げた」 それで少し、生まれ変われた気がする。
最近はサークルに入って、活動的に動き回っている。楽しいと思ったことに全力で打ち込んでいる。
理想の自分に少しづつ近づいてる。努力してる。これからも諦めないでやっていこう。
こんなオチだと進研ゼミみたいだけど、まぁいいか。
こんな醜い一例を、増田においておきます。実家が金持ちで、能力に自信があるっていう、ごく限られた変な例。
裕福な家庭環境がやり直しを許したけど、そんな人は少数派。それぐらいはわかってますよ。
たくさんコメント頂き恐縮です。戦々恐々と見守ってました。
できるだけ少ない時間で、最大限の結果を
間に合ってるときは良かったんです。が、作業量が増えて手に追わなくなって、一度遅れたらその後ズルズルと、ですね。
高校で落ちこぼれたのは、タスク管理が面倒になって投げ出したからです。
すごく当たり前の事ですけど、仕事が終わってないのに時間を割かなくなったら駄目ですよね。
「やればできるんだから今やらなくてもいいじゃない?」という言い訳をしていました。
中学当時、「これぐらい勉強すりゃ80点が取れる。90点取るにはその二倍の時間が必要」と見積もったら80点で切り捨てて、ほかの教科に移ってました。
伸び白の美味しいところだけ取って、時間があれば伸び白が余ってる部分をやる。この繰り返しです。去年の受験でも、基本的にはこの手法でした。
家が金持ち
祖父が実業家で、親父が医者です。親父も僕も一人っ子なので、いずれ僕が相続することになってます。僕自身は医学部ではありません。
親父が、祖父がエスタブリッシュメントなら、僕にできないはずがない、という強迫観念が少しあります。
「家名に泥を塗らないように」という消極的な考え方をしたことはありません。
ブクマ米
問題を誤認しているように思う。根拠の無い自信と自己愛が重要なのは皆知っている。知りながらもそれを獲得できないから、落ちこぼれることに一層負い目を感じるんじゃないのか。
はっとさせられました。まったくもってその通りだと思います。
何かしら提言しようとしたんですが、問題を一般化できていなかったようですね。
この記事は、あくまで僕自身の記録でしかないようです。
以上、お見苦しい文章、失礼しました。
> 庶民に分配されてるより、一人の実業家が持ってたほうがいいってこと?
> そういう状況での庶民側のメリットってのも良く分からないんだが。
Googleは当初検索技術をYahooやMSに売り込もうとしたけれどうまくいかなくて、エンジェル投資家から1千万円くらい受け取って起業したんじゃなかったっけ。
もし、まだ海のものとも山のものともしれない技術に(当時、検索技術は一般には終わったものと思われてた)、*自分一人の判断で* ポンと1千万出せるAndy Bechtolsheimのような人がいなかったら、今のGoogleは無かったんじゃない?
(Googleが本当に社会に富をもたらしているかって議論はあるかもしれないけど、そう思うならGoogleを何か適当な成功した企業におきかえてくれ。こういうストーリーは珍しいものじゃない。)
いくつかポイントがある。
私財ではなく、ベンチャーキャピタルのように他人から金を集めて投資する、という形では成し得ないことがある。他人の金の場合は、失敗しましただめでしたじゃ済まないからね。
政府による補助金とかもそう。向こうは納税者に対する説明責任を果たさないとならないから、金の行き先は限られる。
どこに現れるかわからない次の時代の産業を担う企業を成長させるには、多様性を確保することがどうしても必要で、そのためには個人が自分の金を自分の判断で出せないとならない。
そして、数百万から1千万単位でいくつか投資するには、億単位の資産を持ってないとリスクが負えないだろう。
その人の持ってた1億を1万人に1万円づつばらまいたとして、1万人がある時点で一斉に「よしこのベンチャーに1万円づつ投資しよう」なんて考えることがあり得ると思うかい?
それとも、これまでにイノベーションを起こした企業の数々が無かった世界、彼らのもたらした技術とそれによる生活の変化が無かった世界に住みたいのかい?
横だけど
庶民に分配されてるより、一人の実業家が持ってたほうがいいってこと?
そりゃまぁしょうもないエロゲに消費されるより1億万倍くらいマシでしょ。
秋葉原事件の犯人が虹オタだ!とか非モテだ!とか言われてるが、そんなに虹オタが三次女にモテたいもんなのだろうか。
三次なんてどうでもいい!と主張する人は多いけど、真性率はどのくらいなんだろう。
33喪男デブオタ次男(兄は5年前結婚)の自分に親が見合い話をやたら持ってくる。先日、5人もの写真+履歴書を持ってこられて、会う相手を2人ほど選べとか言われた。
親は結構やり手の実業家で、自分には明らかに不釣り合いな相手の写真ばかり。政治家の娘とか大手企業オーナーの娘とか。(自分は年収300万台のサラリーマン。29でやっと就職した穀潰しで、貯蓄も大して無い。粘ったせいで最終学歴だけ無駄に上で履歴書が変に偉そう)
その時点でナシなんだが、条件以前に「写真の見分けがつかない」。母親は「このコはどの芸能人に似ている云々」とか言ってくるけども、どれも同じ「三次女」にしか見えない。デブじゃない、とかはわかるが美醜を判断できない。もっとぶっちゃけると、目の前でその女達が裸になってもピクリとも反応しない確信があった。
コレって何かが狂ってるのか。
エロゲ・漫画・アニメ・ニコニコ・フィギュアとかそっち系統の趣味で、抱き枕カバーなど集めるのが好き(親には秘匿)。
そっち方面なら、些細な絵柄の違いでもばっちり認識できるのになあ。
無理に結婚させたって「まったく関心が持てない」「子供作り?無理」だから必ず破綻するのに、親に説明してもやっぱり通じなかった。結婚すれば変わる、くらいの認識。一度趣味についても話したが、その時はコレクションをごそっと無断廃棄された。友人の協力でだいぶレスキューできたものの、さすがにそれ以来ムダな主張はしていない。
断っても断っても縁談が来るので、最近は会うだけ会ってる。境遇とかそれなりに話すと100%向こうから断ってくれる。そりゃそうだよな。たとえオタ趣味が無くたって、自分はマトモな人間が付き合うような物件じゃない。ましてや上流階級をや。当分、見合い連敗記録が順調に続く予定。
何が言いたかったのかさっぱりわからん、ただの自分語りになった…
書き出してみると、我ながら「とっとと親と縁切りして一人で虹と生きろよ」ということだよなあ…。
http://anond.hatelabo.jp/20080520124758
http://d.hatena.ne.jp/gyu-san/20080519/1211213869
このへん。
なんで「女子男子の話じゃなくない?」という「コミュ拘束」の話が男女の話になるのか僕の考えた事を書いてみる。(ちなみに男です。ま宣言しても意味ないけどな。)そもそも男といる方が楽とか女といる方が楽しいとかって言い方自体、対象をひとりの人間として見てない時点でどうしようもないんだけど、あえて男女論にいってみる。
男に比べて女の方が比較的「コミュ拘束」から逃れにくいか。なんでかちゅうと簡単に言えば「女は一人で生きていくのは難しい」という歴史が長かったからだと思う(近代くらいからなのかな?いずれちゃんと勉強します。)。現代は少なくとも建前上は男女平等機会均等が求められてる。でも昔はたったひとりで仕事を得て自活する事、財産を相続する事、もちろん例外もたくさんいますが多くはほとんど縁がなかったはず。少なくとも男に比べれば相当不利だったでしょう。文化的な事(スポーツとか創作活動など)もお稽古ごと程度に済ませるべきで本気で取り組むと「そんな事やってるとお嫁に行けません!」となる。
ちっちゃな頃からずーっとそういう空気にさらされて生きていく。そうすっとひとりでアイデンティティを確立するのが非常に難しいんではないかと思う。だから世間の言う「ふつう」路線への同調圧力が高くなる。学生ふうに言うとイケてないグループに落ちないように必死にならないといけなくなる。
(男女論から離れるが、さらに性質が悪い事に自分がイケてないグループに入ってないという立場をより強固にするためには「イケてないヤツ」を無理矢理にでも作り出す必要がある。これ「魔女狩り」です。)
女性実業家や女性スポーツ選手とか女性漫画家などもちろんいるんだけど、失敗したときの目線が違うというのかな。
失敗して悲惨な人生になっても男は自分の人生に責任を負う権利を認められている。まあちょっと抽象的な考えだけど。バカやってのたれ死にする自由がある。極端に言うと女はその責任を負う自由すら無い。晩婚化未婚化が進んだ今の時代でも女が一人で老いて死ぬまで生きているのを見る時「嫁の貰い手が無かったんだなかわいそう」という哀れみの視線を向けられるような雰囲気はまだある。
もちろん男でも「コミュ拘束」に圧殺されるような奴はいっぱいいるし、「男はこうであるべし」という同調圧力もあるけど、のたれ死にする自由がある分全然違うと思う。
ある作家が自分の小説の主人公がほとんど男なのはなぜかと問われた時「自分の小説の主人公はピエロでなければならない。今の世の中ではまだ女はピエロになれないからだ。」みたいな趣旨の事を答えていた。ダウンタウンの松っちゃんが女が芸人をやる難しさを言っていたと思うが原因はこの辺りにあると僕は思う。女がバカやってのたれ死にする自由、それを男含むみんなが見て対象が男である時と同じように「無茶しやがって…」って笑えるような世の中にするのが必要なんだと思う。
(まあフェミニズムに関してちゃんと勉強すれば僕の考えてる程度の事はとっくに議論済みなんだろうな…易きに流れてテケトーな事を書きちらせるネットの弊害だなぁ。)