↑に気になるコメントがあった。☆もいっぱいついてる。
どうして、批判されるべきことをうっかり「もう過ぎてしまった事」と言ってしまったり、そう言っているのを聞いてその人の「信用度がゼロ」になってしまったりするんだろう。なぜそういう齟齬が生まれるんだろう。元記事やコメントの内容とは無関係な疑問で恐縮だけれど。考えてみると、この齟齬の背後にはかなり普遍的な構造があるんじゃないだろうか。
あるひとつの現状に対して、様々な考え方がある。代表的なのが(だと私が思っているのが)次の4つだ:
乱暴に括ってしまうと、1と3は科学者の視点、2は実業家の視点、4は法律家の視点というイメージだろうか。
1と3は現象に注目している。2と4は人物に注目している。
もちろん、一人の人物の中に複数の視点が混じることもあるし、ある話題に対してある考え方をした人が他の話題に対しても同じ考え方をするとは限らない。
ただ、違う視点を持った人には同じ発言が違った意味で捉えられてしまいがちなので注意が必要。例えば、元記事を書いたnihenさんは1の視点に立っているから、「もう過ぎてしまった事」というのは「自分は過去よりも未来に興味があるぞ」という程度の意味でしかなかったはず。でも、それが4の視点に立つSnailさんにとっては「過去なんかどうでもいい」という意味になってしまった。
こういう風に、議論や意見の内容以前の「注目する対象」の段階でそもそも違っていて、その違いに無自覚なまま内容を論じているせいで話が噛み合わなかったり、お互いを意味もなく嫌ってしまったりしているのを見ると本当にもったいないなと思う。
界隈でたまに話題になる歴史問題とか女性問題とか労働問題とか教育問題とか、はっきりいって全部このパターンだよね。一番たちが悪いのは、視点の違いに何となく気づいているのに「自分の視点こそが絶対善、相手の視点は絶対悪」みたいなことを言い出してしまう人だけれど……