はてなキーワード: 偶然とは
今更書いても、見てるか分からないけど。
元記事さんすみません。
カッとなってついやってしまった。今では後悔している。
そういう記事なのに、冷静に返して下さってて完全にorz状態です。
自分で
しかも、一生を添い遂げて幸せにするってw昭和かよw女の幸せは男様に与えて戴かないといけないものだったんですねw
そーゆー女の子は未だに散見されますけど(この話の相手の女もその可能性はありそう、かな)、
と書いたわけで、結論は、
逆上した人間の恐ろしさを知らないだけ。素晴らしい人格だなと思っていたり、信頼していた人が、ひょんなきっかけで裏切るとかいう修羅場に遭遇したことないでしょ? このような非常事態では最悪のケースを想定して動かなければならない。
となるべき。(ちなみに、ご推察の通り、修羅場には縁のない運のいい人間です。まあ、ブサな運の悪い人間、とも言えるけど。)
で、その方法も、「自分とパートナーのみ」で考えるなら、「適度に距離を置きながら友好な関係を保つこと」はもちろんいいし、その辺が苦手で「冷たくする」になってしまっても、問題ない。
人はいっぱいいるわけで、振る相手のことは、置いとくというのは効率的だし、振る相手のことまで考えろ、というのは贅沢。
・・・なので、全然問題ない、んだけど。振られる側としては(というか、私なら?)、好きなものを好きと言いたいので、その言葉を聞いた(受けた)上で、無理といって欲しいんだよなあ。
↑本当にすみません。この贅沢を書けばいいだけなのに、グチグチ絡んで感情ぶちまけてすみませんでした。
この辺とかもう・・・orz
ここまで書いて、ひっくり返したくはないんですけど。
男女関係に限定した幸せの話を、幸せ全般に拡大解釈している。男女関係・夫婦関係に限定すれば、「一生そばにいて浮気もせずに癒しと幸せを与える(与え合う)ことが最良」というのは、さほど間違った解釈ではないと思うが? 結婚したが浮気し放題され放題の方が(男女関係・夫婦関係において)幸せということか? 貴方は子供を作らないほうがよいね。
ここはちょっと(私は)、嫌かなあ。うまく言葉に出来そうにないけど。ついでに的も射てないかも。
なんというか、イメージ的に「おまえが幸せなら俺はそれでいい」「あなたが幸せなら私はそれでいい」という感じなんだけど(注:ここ憶測です違ってたらごめんなさい。というか以下の駄文が全部無駄になるよ)、これちょっと違和感がある。
実際は「女の子の幸せそうな顔を見ると俺がうれしいからいい」「男の子の幸せそうな顔を見ると私がうれしいからいい」だと思う。性欲に引きずられまくり。
でも、初めはこれでも、時間が経つと、「おばさんの幸せそうな顔を見ても俺は大してうれしくない。けど、相手を幸せにすべき。」「おじさんが幸せそうな顔を見ても私は大してうれしくない。でも相手を幸せにすべき。」となる。(もちろんならない場合もある。)で、この「べき」にしばられて幸せなのかなーと。特に片方だけが「べき」に移行したらバランスとれないし。
幸せって、本人の感情だから、相手から流し込むことは出来ない。本人の中から湧いてくるものだと思う。
初めの状態は相手に幸せを流し込んで、それの一部が帰ってきているみたいに見えるけど、そうじゃない。本人が本人の幸せの湧く行動をとって、それが偶然相手にとって「好物が歩いてくる状況」で、幸せが相手の中でも湧いてきただけ。
後のになると、本人の幸せの湧かない、したくもない行動をわざわざとって、相手をつつく状態。うまくいけば相手に幸せが湧いて来ます。これ、お互いにつつくのがうまければ、まあうまくいくけど、片方がヘタorやるきないorがんばっても無理だと悲惨。「誰のために働いてると思ってるんだ」とか「今までずっと耐えてきました。もう我慢できません・え?お、俺の何が悪かったんだ・・・?」とか「やりたいけど、妻ではその気にならない。(ムラムライライラ」とか。こういう状態は私にはすごく怖い。(見る目無くて、KYで高望みできるスペックでもないから。)
男女とか夫婦といっても、二人の人間だし、「すごく親密な友人」という関係だと思う。男女関係・夫婦関係を特別視しなくても。
趣味とかで自分と合う内は親密だけど、人間、月日で変化するものだから、合わなくなる友人はいるし、その友人とは距離を離すのは普通では。
でもまあ、何かの思い入れとか情とかがあって、趣味は合わなくても関係はなかったことにはならないし、腐れ縁とかで続いたりする。
うーん。なんかまた感情をぶちまけてるだけの気が。的を射るの難しい。まあ、今度はやばいオーラはあんまでてない、はず。
そもそもパートナーがいると知っているのに告白してくるヤツこそ、それまで築いてきた友人関係・信頼関係を破壊する不誠実な輩であり、「人と見ても仲良くする気が失せる」けどな。「私を選ぶか、今の彼女を選ぶか、どちらかを選べ」と相手に突きつけているようなものでしょ。
というか貴方は例えば男性に告白されて断ったとして、その相手と「そうですか」といって元の関係に簡単に戻れるの? その逆は? どちらの立場にせよ、出来ない人も多いと思うけどねえ。俺は出来ない。告白された側だとすれば「これ以上好きになられたらまずい」と無駄に意識してしまうし、表面上友好関係は築けても常に緊張しているというか、心は許せない。告白した側だと今度は相手の幸せな姿を見るのが辛い。狭量かもしれんが、そういう人は多いだろう。まあこの辺は価値観の違いなんだろうけど。
別に「私を選ぶか、今の彼女を選ぶか、どちらかを選べ」と相手に突きつけるのはいいのでは。他の増田の流れみたくゆすりだしたらあれだけど。
結局どうするかは元増田が選べるんだし。断れば別に崩れないんでは?(でも告白側は勝率低いですよね、これ。世間体的に。)
私は元の関係に戻りたいですね。相手のほうが気まずくなって戻れないでしょうが。あー、確かに告白される側にはメリット欠片もないな、これ。
告白側としては「私の好きという気持ち」と「相手の特に好きでもないという気持ち」は等価で、しかも嫌いになろうと思って嫌いになれるものでもないし、好きになろうと思って好きになれるものでもないので、どっちが云々という話ではないと思うんだけどなー。仕方ない、縁がなかった、運がなかった、で、これ以上出来ることはない。次行こう。
逆でも、相手には普通に接したいところ。何回告白されようが断ればいいですし。経験無いですけど。(この辺の思考は我ながら無防備。確かに修羅場経験無いな、私)
---
エロ漫画で最も大切なのは顔だと思う。体つきがおかしくても、顔さえ良ければ何とかなる。
あんまし興味が無い人は「エロい表情など誰が描いても一緒」と思うかも知れないが、アレはアレで種類があり、いろんな人によって分類別されている。
例えば一番大きな系統として、
(1)気持ち良さそう
(2)苦しそう、痛そう
に大分される。(2)については次節で説明。
---
よく少年漫画で、拷問を受ける少女がエロい、なんていう話を聞く。
痛みを堪える様が、快感を堪える様と表裏一体なのだ。
例えば逆に、エロ漫画の少女を顔だけ抜き出して「痛みを堪えてるところ」と説明書きを入れる。すると、確かにそれは痛みを堪えているシーンに見える。
最近のエロ漫画はこの精神的技術(女性が痛がってるシーンを書くかのようにエロシーンを書く)が流行気味。
---
「流行り廃り」と言ってしまえばそれまでだ。
しかし、この現象には根本的な原因がある。
「感じてる女性の表情というのは非常に難しい」
という事だ。
---
試しに、「笑ってる顔」「怒ってる顔」を書いた後「感じてる顔」を描いてみるといい。
まず、エロ漫画を描こうと研究している人間でもないと「感じてる顔」は書けない。
---
書けないとなると、人は攻略法を見つけたがるものだ。
他人の絵を模写して特徴を掴む。
とにかく沢山描いて、偶然に攻略法が見つかるのを頼る人もいる。
研究すれば、先ほどの「痛みを耐えている表情」が「エロ顔」と一致する、という法則を見つけるのは時間の問題だ。
---
俺はエロ漫画では「苦しそう、痛そう」系統のアクメ顔が嫌いなのだ。
これは単に、好き嫌いの問題。
白目剥いた顔に欲情するってのはどうも無理。顔面本気で殴るレイプに興奮しないし。
実際に抱いてる女が白目剥いたら、絶対に嫌だろ。救急車呼ぶかも知れないだろ。
俺はこの流行に全然納得が出来ない。
---
それを前提に、これを見て欲しい(ひょっとしたら要pixivIDかも)。
http://www.pixiv.net/response.php?illust_id=3336127
このうち、アクメ顔に注目すると、ほとんどが白目向き、あるいは痛み堪えを変換、に見える。
---
で、何がいいたいかと言うと、痛い系エロ表情っていう流行が廃れないかなーという事です。
これを読んだ後、エロ漫画を見てみるといい。
すると、感じてる顔が「痛がってる顔」に見えてくるはずだ。100人が100人そうじゃないとしても、50人ぐらいは見えるだろう。多分。きっと。
そうすりゃ、痛がってる系の顔が廃れていくだろう。と勝手に希望的観測を持った。
---
という事で、君は見事に騙されたわけだ。はっはっは。
2年6ヶ月つき合っている彼女は、今も大好きだし、離れたくない。
彼女は俺がいなきゃ死んでしまいそうなくらい俺を好いてくれている。
本当に幸せだった。
それでも俺は浮気をしてきた。
浮気相手は、昔好きになった人だった。
お互い惹かれ合っていたと思う。
けれどタイミングが悪くてつき合えなかった。
それでも、浮気相手と街で偶然再開したとき、たったその一瞬で、
お互いが忘れていた消火不良のモヤモヤが、みるみるうちに大きくなって、
気がつけば次に会う日を決めて、
昨日、寝た。
浮気をしなければ、ずっと後悔すると思ったし、
浮気をすれば、罪悪感で苦しかった。
自分がした事が悪い事だとは思う。
でもどうすれば正解だったのかわからない。
なんなんだろう。
33にしてようやくわかった。
まあ、発見したのもほとんど偶然なんだけど、実際に意図的に試したらすげー効果だった。
これマジやばいわ。
まあ、具体的な方法というより、コンセプトを説明したいと思う。(なぜなら本質を理解することが重要だから)
まず、もてるとは何かというと、女が理想とするような男のイメージを自分に投影することであり、
それが重なり合った時に、女はアトラクトされるわけだ。
でも、女の好みなんて分からないし、そもそも女のイメージなんて女固有のもので、男には本来備わっていないもの。
いわゆるもてようと必死な男というのは、そのイメージをなんとか具現化させようとするわけだけど、
ほとんどの場合、それは空回りに終わる。
そこで発想を変える。つまり、自分の情報を極端に抑えるわけだ。
自分の情報を抑えると、女は自分のイメージを投影しやすくなる。
まあ、具体的にどうすれば良いかってのは、頭を使って考えてほしい。
これが上手く行くと、「なんかあの人雰囲気あるよね!」という感想になる。
じつは「相手に好きなようにイメージさせる余地を残す」というのはエンターテイメントの基本的な考え方なんだけど、
お笑い芸人とかがもてるのもこれを肌で理解しているからなんだろう。
まあ、なにはともあれ、俺の30代は楽しいことになりそうだ。
http://www.zakzak.co.jp/top/200906/t2009060929_all.html
物議を醸す発言だが、増田は昨日偶然、『バコバコ乱交 Ami』(エスワン・ナンバーワンスタイル SOE209)を拝見した。
主演女優のAmiさんのインタビューの中で次のような発言があり、考え込んでしまった。
「まあ、一応あります」
どんな状況で?
「友達とみんなで飲みに行ってたんですけど、ちょっと酔っ払っちゃって、そういう雰囲気になりました」
何人で?
「女の子はあたし一人だったんですけど、男友達は3…4人くらいいましたね」
いつもそうなるの?
「いつもじゃないです。たまたまその時…特別だったんです、その時は」
どんな事するの?
「気持ちいいことをするんです」
ヤラシイですね。
「楽しかったです」
このインタビュー自体が演技の一環である可能性もあるだろうが……
しかし、AVって<現実>のセックスに対して<演技><フィクション>であるはずなのだが、この10~20年の間に<フィクション>の方があるべきセックス、理想のセックス、模範のセックス(少なくとも一定数の男にとっては)の位置に取って代わったような気がする。
上のような発言をAVはじめ、男性誌のセックス特集なんかで見聞きして、「酒の勢いに任せて乱交は全然アリ」って思い込んでる男ってけっこういるんじゃないかと思う。
Amiさんの言ってることが演技じゃなく本音だとしたら、それを楽しむ女性もいることはいるんだろう。しかし、それをもって「酒の勢いに任せて…」が、若い男女にとっての常識だとか、暗黙の了解だとかってことは、全く言えないんだけどね。だから、京教大生擁護者には、「お前らの常識を勝手に押し付けんな!」と言うべきだろう。
つーか、今の若者にとって複数プレイってわりとカジュアルな行為なんだろうか?
AVでも、3Pなんてデビュー作からやるくらい当たり前のプレイのようになってるが、個人的にはかなりハイレベルな変態行為だと思う。
AVや風俗じゃなく、素人の男女がそれをやってるって、ちょっと信じがたいんだけどな。
追記
b:id:AmanoJack 性犯罪, 差別, gender, トンデモ ……ええっと、現実とフィクションの見分けがつかない方っぽいかたがここに。なんか、いばらの王のラストを思い出した。メタめた。いやもうほんと、真っ当なセックスに関する情報が無さ過ぎるんだよ、なんなんだこれ
あ、俺のこと?
もう一度、よく読んでみてくれ。
http://anond.hatelabo.jp/20090609013830
http://anond.hatelabo.jp/20090609015854
http://anond.hatelabo.jp/20090609022253
真剣にお答えくださった皆様、ありがとうございます。元増田です。
増田に愚痴ってみたものの、不慣れなのでレスの仕方が間違えていたらごめんなさい。「元増田」の使い方もこれであっているのか自信ない!
やっぱりくりえいちぶで楽しいお仕事がいいですよねー。そりゃそうですよねー。
お返事読みつつ、いっぱい書いていただいたことにレスを書いていたのですが、途中で気付きました。多分問題は、私が世代的にも性格的にも「なにくそ」と努力と根性で色々乗り越える派だということにもあるんだと思うのです。
本当の本当は、彼女に
に自力で至ってほしい。そして「やってやるぜ!」と奮起してほしい。と、思っている。
けど、はたして壁を乗り越えてくれるのかしら。あっさり会社辞めるとか言い出すんじゃないかしら、と思っているのです。下積み作業があるんだよーって、今も言葉では言っているし、そのことを彼女も受け入れている風ではあるけれど、実際下積み作業ばかりになったら逃げるんじゃないかって、思っている。信用、できてない。
だから不安なんですよね。
はーーーー。信じてちょっとづつ高くなる壁を設置するしかないですね……。
自分は誰も先達のいない状況で、今の会社の新設の部署に色々な偶然が重なって入社したもので、触り方もわからないMacを与えられて、いきなり3日でプレゼン用のマップを作れって材料だけ渡される、という育ち方をしたので、正直本当に育て方とかわからんのです。
書いてくださっていた、課題方式、段階的に作業量を増やす、やってみます。もうちょっと時間かかるだろうし、その間は私の負担は大きいままだろうけど、しゃーねーや!
勝手な思い込みですけれども、レスを書いてくださった方々は自分に感覚が近いように感じられて、そう感じる人たちがいるなら、自分のやり方や感じ方を信じて進んでいいんじゃないかって、思えました。
そして、変質者と健康問題に関しては、「意識的に帰る時間をばらして生活のサイクルを掴ませない」「明るい大通りを帰るようにする」の二つを言いました。引っ越提案はちょっと言えないや……。これからもバンバン帰りが遅くなると思うから、いっそ引越しちゃうとかどう?って明るく言える機会があったら言ってみよう、かな……。
体調不良は、最近大丈夫みたいです(最近残業させていませんからね!そりゃね!なのですが)ので、様子みる。
もう1人雇ってみる案は、3人をこの部署でずっと養っていけるかどうか業務的に自信がない(繁忙期には良いんですけれどもね)のと、それをやってしまうと、新人の彼女を傷つけそう(傷つかなかったらそれはそれで私がショック)なので、今のところは保留です。
みなさま、本当にありがとうございました。匿名なのも、悪くないね!
結構長い間ブログを読んできた人がいた。同性。陳腐な言い方をすれば生き方が好きで、文体も好きだった。ある日twitterをしているのを知って、何気なくフォローしたら、フォローし返してくれた。嬉しかった。たまに@付きで投稿した。mixiにいるのも知っていて、ちょくちょく日記を読みに行っていた。自分はあまりmixiでは活動していなかったから、お詫びのつもりでメッセージを送ったことがある。変なあしあとつけてすみません、という意のメッセージ。
この間自分に関係するかもしれない発言をしているのを見て、大変興味が湧いたので、twitterのダイレクトメッセージでは文字数が足りないから、mixiを使ってメッセージを送った。もしよければマイミクになってほしいというお願いもつけてしまった。今思えばちょっと暴走していた。
その後、本当にたまたまだったのだけど、増田でその人の愚痴、というより困惑の投稿を見かけた。いや、これも思い込みかもしれない、ただ単に誰かに好かれて困惑した人の投稿だったのかもしれない。でもそれを偶然その時に見かけて目が覚めた。その人に対する引け目みたいなものがその投稿をはっきり読み取らせてくれたのかもしれない。
そりゃあ困惑するしうっとおしいと思うよね。全然知らない人からブログずっと読んでますなんて言われても。長い間ネットやってるから自分ではつかず離れずの関係に慣れていて、突然メッセージや@付き発言があっても不自然に思わなくなってしまったけれど、普通の人は困惑するよ。気持ち悪いよ自分。
反省のつもりで、RSSリーダーからその人のブログを削除してきた。mixiでももう見に行かない。twitterはフォロー・被フォローを気にするサービスではないと思っているから放っておくけど、@付き発言はしない。長い間読んでいたブログと離れるのは少し寂しいけど、よくある話だ。でも、いつかどこかで知り合いになれたらと思っていたのは本当だった。
5年くらいずっとファンでいたのだから、縁があるならばまた何かあるだろう。
(5年も知り合う機会がなかったのだから、今後もない可能性の方が大きいことはよくわかっている)
片思いをずっとしていた人にふられた気分だ。でもふられてすらいない、妄想が行き過ぎたただのストーカーだ。ストーカーははっきり目覚めました。もう大丈夫、と言いたいけれどこの行動自体がストーカーなのでただそっと離れるのみ。
友達と電車で飲み屋に向かう途中、腹が痛くなりうんことおしっこをしたくなってきた
大きい方を見渡すと、なんと目的地は満員であるばかりでなく一人並んでいるではないか
このときいくつかある大便用トイレの扉が一つでも開いていればあんなことにはならなかったのに
神は残酷だ
とりあえず一瞬お腹の痛みがひいた気がしたので、おしっこだけでも済まそうと思った
おしっこがでない
あれ?
力を抜かないとだめなのか?
軽く力を抜いたらお尻から何か出た
どびゅ
やばい、うんこ洩らしちゃった
止まるか
ぶりぶりぶりぶりぶちゅぶりゅぶりゅぶりゅぶりゅぶりゅぶりゅぶりゅ
止まらなかった
左足が生暖かくなる
とりあえず片付けないといけないのでやっと空いた大便用扉にすべりこんだ
ズボンもビニールに詰め込んで全裸でこのまま現実に繰り出したい衝動にかられた
警察に捕まるのもありかもしれないな
そうだ
もう飲みにはいけない
「会社のサーバーが落ちて急に呼び出されちゃってさ、ごめんちょっと会社にいくわ」
言い訳が苦しすぎるけど気にしない
日本のトイレインフラの素晴らしさに感動しつつ過ごす時間は永遠と思えるほど長かった
色々なことを考えた
幸いなことは下痢はあまり臭くないことだ
2時間近くこもって拭き終わりにした
ここでいっそのことオナニーして思い出にしようかと考えた
さすがにやらなかった
その後電車に乗るのはどきどきだったけどあまり臭わなかった
人の少ない場所へ移動しながら何とかなった
たまにトイレにいくとトイレの床にうんこが落ちてることがあるけど
これからはそうやって漏らしちゃう人をバカにできなくなった
なぜ申し訳ないと思わねばならないのだろう?
マトモな頭で考えれば、こっちには何の非もない。奴に対して負い目を感じる必要はないじゃないか。
内々定でたのがそんなに悪いか。
夏までにどこでもいいから一社決まれば御の字だろ程度に考えていた。
実際、今月まで内々定が出ず、将来への言いようのない不安で腹を下してみたりした。
ところが先日、4月中旬になって軽い気持ちで応募していた企業から、ポンと内々定が出てしまったのだ。
筆記試験と面接数回を経たものの、企業研究らしい研究は大してしていない、説明会すら参加していない会社に。
正直友人に報告するのを躊躇ったが、内緒にしても後々面倒なことになるだけなのでメールで簡単に伝えた。
その後学校でも偶然遭遇し言葉を交わす機会もあった。その時はそれほど変化は感じず、安心していたのだが。
最後に会った時、以前と比べて自分への態度が明らかに変わっている。表情も暗い。
向こうの就活状況について尋ねるとすごく嫌そうな顔をされたり、もうその話すんなよと言われ、
あまり考え込まないようにと明るい話題を口にしたらしたで、調子付いているみたいに思われている節がある。
進路が決まる以前と、会話の中身は大して変わっていない。いや、変えないように心掛けていたくらいだ。
http://anond.hatelabo.jp/20090531055019のような、急に社会人ヅラして友人を見下す人間には死んでもなりたくない。
向こうも自分の態度の変化を自覚していてなお気遣って当然、のような雰囲気すらある。
立場が変わる(と思い込む)と、こんなにも普段の会話さえ配慮しなければならないとは。
むしろその配慮をする気配すら、優越感の裏返しと映って癇に障るのだろうか?
今までの自分は常に「後れを取る側」だった。それだけに、今回どうすればいいのかわからない。
http://anond.hatelabo.jp/rynoath/20080930
を、以前に書いた増田です。
あまり知られてないようだけど、エホバの証人は、家を訪問したら、名前や住所などを記録し、信者同士で共有し合ってます。
で、「不在」だったら時間や曜日をずらして訪問したり、雑誌や書籍を受け取ったり少しでも好意的な記録を見せれば、やはり、それは記録され信者内で共有されます。
どんな資料なのか、籍だけ信者として置いている方のブログにあるのを今日偶然見つけたので紹介します。
http://blog.goo.ne.jp/laodicea/e/e3bca597c12d93e025c939e4fcafee91
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/7e/cb16a2a3396532c6fffe6a02d25cd315.png
http://www.tanteifile.com/diary/2008/11/18_02/
信者に犯罪者気質な人がいるとして、その人が利用する可能性はありますね。
また、このドキュメントがこうして流失していることからも明白ですが、管理はズサンです。
ちなみにこの訪問リストは実際にはもっと細かい資料が別にあり、地図を独自の区分け方法で分類して、訪問スケジュールを組んでいます。
同じ地域ばかり訪問するのではなく、ローテーションでぐるぐるまんべんなく訪問するためです。
ちなみにこの活動は国とか県レベルではなく、その町にある教会(エホバの証人では会衆と呼ぶ)内レベルで管理されていて、横の繋がりはありません。
教会ごとに訪問してもいい地域エリアが厳密に決められていて、他地域の状況を把握したり共有する必要が無いからです。
なので、教会ごとでこの訪問記録リストの管理方法は様々で、老人の多い教会なら紙ベースで頑張っていたりもします。
恥ずかしながら、プログラム知識のあるおいらはその昔、在籍する会衆でExcelVBAで管理システムの開発を手伝ったという汚点があります。
今もそのシステムは動いて活躍しているでしょう。(噂によると他の人がバージョンアップさせたりしているようですが)
一つだけ、覚えておけば良いのは、あなたの家にエホバの証人がきた時、エホバの証人はあなたの家の状況を見て観察し、後で記録しているということです。
例えば自宅に三輪車が置いてあれば「子供のいる家」とマークされますし、植木や盆栽に凝っているようなら「植物が趣味」と書かれるかも知れません。
あなたが主婦で旦那が居るシーンで、エホバの証人が訪問してきて、旦那が冷たく対応した場合は「夫婦。夫は否定的。奥さんだけがいる時間に訪問すると良い」と記録されているのです。
ちなみに私自身は、昔の匿名ダイアリーで彼女と入籍するよーと書いた(http://anond.hatelabo.jp/20080723032424)通り入籍はしましたが、エホバの証人の籍を外してません。
エホバの証人は、正式な離脱届けを出すと「断絶した」という判断を下され、口を聞くのを一切禁止という規律があり、取引先に信者がいて支障をきたすから、止むを得ず、です。
ただし、信者たちには一切居場所を知らせず新居に引っ越したのですが、なんと1ヶ月ぐらいに「兄弟こんにちは」(信者同士では男性を兄弟、女性を姉妹と呼ぶ)と、信者が
カムバックしないかというありがたくないお誘いのためにやってきたのです。
誰にも言ってない、そもそも信者だけでなく、リアル友達ですらまだ知らない人も多いのに・・・・?
と、ちょっとゾッとしました。その夜は今さながら(親からの強制で嫌々ながらも)関わっていたこの宗教が恐ろしくなり寝れませんでした。
何はともあれ、面白半分でも関わらない方がいいよ、ほんと。
組織的に個人情報をかき集めて情報共有しているけど、信者が絶対にそれを悪用しない、という保証なんてどこにもないのに、
真の宗教組織にそのようなことは起きないという前提で(起きた場合も闇に葬られて。実際事件は起きたという不確かな噂は耳にしたことがある)活動しているんだから。
とにかく、玄関は絶対に開けない方がいい。
インターフォンで済ませるのが最善だ。
表札も支障ないなら外した方がいいよ。
地図上の名前と表札が違っていたらわざわざ、表札の名前で地図を修正するという、変なところで頑張る人たちなので。
まぁ、これはエホバの証人に限らず、訪問系全てに言えるんだろうけどね。
また気が向いたらちょくちょくエホバの証人ネタを書こうと思います。
ここに書いているのは本当に事実だよ。
http://www.youtube.com/watch?v=3vVgEO7Zwbs
最後、無理やり連れてかれててシャレにならんと思った。
完全にやったやってないの水掛け論。
もう少し落ち着つかないと、周りもうまく仲裁できなさそう。
もちろん実際に被害にあった人からすれば怒って当然なんだけど。
とりあえず、この動画だけではどっちが正しいのかわからないけど、
このあとの展開として容易に想像できるのは、
駅員室で女発狂→駅員話し合いにならず、面倒くさいから警察呼ぶ→
だと思う。
現状では起訴されたらまず間違いなく有罪らしいし、弁護士が走って逃げろってアドバイス
するぐらい対策がないことをみんなが気づいてるのにどうにもならない日本。
ところでこういう状況って、男からみて怖いのはもちろん、ほんとに被害にあっている女性にとっても、
いいことじゃない気がする。
この発狂してる人はともかく、痴漢被害にあっても言い出せない人とかは、冤罪を恐れてより言い出せなく
なったりするんじゃないだろうか?
てか痴漢裁判なんて、駅での付着物検査を義務付けて、物的証拠と第三者の証言をベースに疑わしきは罰せずでやれば
冤罪なんて大幅に減る気がするんだけど。
そのかわり女性はバンバン被害を訴えるようにするとかになれば、痴漢も減るかもしれないし。
まあ、それでも手袋をして痴漢する人間が出てくるとか、偶然触れてしまった人の冤罪なんてのも起こるかもしれないし
難しい気はする。
http://d.hatena.ne.jp/lamich/20090202/1233571825
こういうのみてると、絶対状況は変わらなさそうなので、とりあえず自転車通勤を続けようと思います。ハイ。
おかしいっていうかまあふつうに「認知の歪み」っちゅうやつなんでは。
元増田は「お前は最低の人間だよ。もうどうしようも無ぇよ。消えろ。」とか誰かに対して本心から思ったことある?ふつうそこまで強烈な嫌悪とか抱く前に距離置くと思うんだよ(肉親とかなら無くはないかもしれんけど)。万一中身がドロドロの腹黒さんだったとしても大抵はそこまで他人のこと分からないよ。てことは、周囲のひとも元増田に「消えろ」ていうほど密着してるわけじゃないんだよ。
というわけで元増田に向かって「消えろ」と言うのはおそらく世界で元増田ひとりだ。そのなかでぐるぐるしてんだよ。
…そこから抜け出す方法が分かれば世話ないよね。わたしも時々朝鏡を見て「あんたなんか死ねばいいのに」って思う。友だちがどんなに慰めてくれても「違う!」って否定してしまう。助け船だしてくれても乗らない。うざい人間なんだー。申し訳ない。
でもたまに「あ、いまいい感じ」って思うときは自分のこと忘れてる時な気がする。偶然、ぽん、て飛んできたボールを反射的にキャッチして、投げ返す、みたいな。そういうときに、出来る限り感謝とか好意とか伝えとこう、ってそれくらいしかできないんだけど。
あんまり思い詰めなさんなよ。えらそうなこといえたもんじゃないけど。
http://anond.hatelabo.jp/20090514063711からの続き。
新しく来た記事↓が、前回に引き続き色々とアレなので突っ込み。
http://d.hatena.ne.jp/usukeimada/20090515/1242394132
前回は「腐女子は、セクシャルマイノリティと自分たちとを同列扱いしている!」と叩いておいて、今回は自分が同列に語ってるし、前回は「なぜそんなものを、遺伝子のように本質的なものとして背負い込む!?」と言いながら、今回は「おそらくそれらは自分で決めたものではないだろう。いつの間にか、そうなっていたものだ。」と言ったり、もう訳分かんないね。
なんかもう、「セクシャルマイノリティに対して理解ある俺」に酔ってんじゃないのかねこの人。
よくいる、自分の中の差別感情を覆い隠すために「私は差別されてる人の味方よ♪」アピールするタイプなんじゃないの。
こいつにとっては、自分の心の底に抱えているセクマイに対する攻撃性の転化先と、自分が差別と戦う英雄でありたいがための悪役として、オタク・腐女子がちょうど良かったわけだ。
前回腐女子に対して言ってた「「自分は腐女子である」という言明を金輪際を止めればいいのだ。」って、本当はセクマイに対して言いたかったことなんじゃないの?w
案の定今回はそんな内容だし。
もっとも、「消費したもので私は作られる」という後期資本主義社会に位置づけられる今を生きる俺たちが、記号としての消費物からの「名付けの呪縛」から逃れることはできない。逃れることはできないが、それでもなお、その呪縛から自由であろうとする「余地」は残されているはずなのだ。それをなに、自ら積極的に背負い込んで腐女子を語り、腐女子であらざる言説を駆逐しようとするのだろう。
だから、そんなのもの最初から存在しないんだって…。
俺が批判したいのは、こういう背負い込まなくてもいい言説(レッテルといってもよい)をわざわざ背負い込み、なおかつ自虐的に語りさも自分が「虐げられる者」であるかのように振る舞うというその身振りこそが、現代的なナルシシズムの充足形態になっていることであり、そしてそのことを彼ら自身があまりにも無自覚だ、ということだ。
言説を背負い込んでいるのは腐女子じゃありませんから。それお前ですから。
お前が腐女子に言説を背負い込ませ、レッテルを張り、呪縛しようとしている張本人ですから。
それで自由になれとかどういうことなの…? まず相手の自由を奪ってから、「おじさんが自由にしてあげよう(キリッ」ってことなの…?
よっぽど迷える子羊を救う英雄になりたいんですねwww英雄になるためには子羊が必要ですもんねwww
身近に子羊がいなかったら、ヤギを子羊に見立ててしまいましょうってかwwwヤギ超迷惑www
だから、今回あのような発作的、挑発的と思われかねない文章を書いたことは、そういう「好きなもの」を素直に表明できる人たちに対する、嫉妬心や劣等感のあらわれだと指摘されれば、それは否定しようないことなのである、というのは最後に書いておく。
だったら、なんで自分の抱えている劣等感を他人に当てはめるの?
「自分が『好きなもの』を素直に表明できないから、他人の足を引っ張って、表明できなくさせてやりたいです><」ってことですね。
全然自由じゃねーよwwww
そんな偶然的に決まったアイデンティティを、性だからといって自己の中核に据えるよりも、もっと大事なことだってあるのではないか。
それは、何か好きなものについて語る後ろめたさというか、語るということはおそらくいつかうちなる説明しようのない衝動に突き当たってしまうからで、そのことは僕自身にだって土台説明しようがないのだ。
どうやら自分の性質について何かしらコンプレックスがおありのようですから、「もっと大事なことだってある」と思って、偶然的な性質に向き合うことから逃げたいってことですかね?
まあ自身について個人的にそう思ってるだけなら自由だけど、それを他人に当てはめて押し付けないでくださいね^^
自分の性質について、逃げずに向き合うことのほうがずっと大事な場合もありますから。
どうもこの人には、自分の抱えている問題や感情を他人に押し付ける癖がありそうだな。
この人の脳内では、腐女子やオタクやセクマイに向かって話しかけてるつもりなんだろうけど、それただの鏡ですから。
鏡に映った自分に対して、独り言言ってるだけですから。
他人に対して言っているつもりの指摘や提案も、全部自分に言っていることですから。
これからは、他人に対して何か言いたくなったら、その前に「もしかしてこれ俺のことなんじゃね?」って考えてみたほうがいいと思うよ。
理論っていうのは、自分の抱えている問題や感情を見つめ、それを体系付けて説明し理解するために使うには良いけど、自分の抱えている問題や感情から、目をそらして誤魔化して言い訳して正当化するために使うと、自分も周りも痛い目にあうから。
フーコーだのディスクールだのやる前に、もっと自分の感情を自覚する努力をしてみたら?
あなたが言及した人の大部分は、あなたよりずっと自分自身を客観的に見ることができる。あなたとは違うんです(キリッ
大体ね、カミングアウトっていうのは、それをする本人の判断でやることじゃないの?
カミングアウトすることで本人が自由になれるんだったらすればいいし、自由になれないんならしなきゃいいだけの話でしょ。
そんなもん、抱えてる問題と状況によって本人の感じ方と周囲の環境が違うんだから、カミングアウトについて赤の他人がしろだのするなだの押し付けるもんじゃないでしょ。
他人に余計なお世話焼く前に、自分のことをなんとかしろよ。
私は中高一貫の女子校に通い、そこはそれなりの進学校(東大医学部現役合格が出ても騒ぎにならない程度)だった。
校則がほとんどなく(自主性に任せられていた)、教師も個性だらけの学校であったため、すこし浮いた学校だったと今ならわかる。
生徒は自主性を重んじられるあまり大変気の強い人間に育ち、教師に対しての反抗心も露骨だった。
そんな私達がみな慕っていた教師がいる。
おおらかで、先生らしくない能天気さを持ち、えらそうでないのに尊敬したくなるほど人柄がよかった。
そういえば在日だったなあ、と思い返すぐらい、そのことについては印象が薄くて(先生は名前を韓国での読み方にしていたし、在日であるがゆえにうけた差別などについて話してくれたこともあったはずなのに、だ)今思うと不思議でたまらない。
これはどういうことだろう?
私はひとつずつ、先生の言動を思い出していくことにした。
ある日、日数が余ったかなにかで(私の学校は勉強に力を入れていないのでそういうことは日常茶飯事)特別授業として人権や差別のことについて話してくれたことがある。(人権問題の講座の担当もしていたので)
先生が自分が在日であることを自分の口で述べたのもそれが初めてだった。
名前読みは韓国での読み方になっていたので、在日であることはうすうす感じていたけれど、私達は特に意識もしてこなかったので、先生の話にちょっとドキリとした。
先生の話は名前のこと、自分の出生のこと、そして大学時代、友人だと思っていた人から差別されたことや(しかしそれを笑い話にして話してくれた)、それを救ってくれた別の友人との出会い、最後には差別がどれほど人を傷つけるか、けれどそれを救ってくれる人はいるのだ、というものだった。
先生は日本と韓国の歴史に対しては何も言わなかった。むしろ、「日本」「韓国」なんて単語を出すこともなかった。
話では常に自分と友人が登場人物であり、国家の話に摩り替えられることはなかった。
先生は個人と個人の間で起きた差別について実感してもらうためにまず私達に自分の体験を話してくれたのだ。
その後、先生は日本にあった「女人禁制」や他国の差別問題などの話をはじめ、きっとそれが本題だったのだろうけれど、
私達は導入部分であったはずの先生が受けた差別についての話にかなりショックを受けていた。
泣く学生も続出していて、でもそれは自分が先生を差別した友人と同じ日本人だからショックだったとかそういうものではなく、
いい人が不条理な扱いを受けた、という事実に涙していた。差別というものの残酷さに泣いた、それだけだった。
別に先生がアメリカ人で、その友人がイギリス人でも同じ反応をしただろう。(アメリカとイギリスにそんな関係があるのかは知らない)
差別の経験を話す際、偶然先生が「在日」だっただけ。そこに重きは置かれていなかった。
その先生の差別の話を聞いたところで、私達の頭に歴史がよぎるわけもなく、
ただ私達が過去に経験した話を今の友達にするのと同様、その人の財産である経験を見て、さらに信頼を築いている、それだけのことだった。
先生のスタンスは常にこんな感じで、国家や立場を、人と人の関係より重視することは決してなかったのだ。
だからこそ私は、先生が在日であるということを、さほど意識してこなかったんだろう。
こういった状態には賛否あるんだろうと思う。問題意識が足りないとか、そういう点で。
私の学校には在日の子もいて、でもそれも同じように気にならなかった。名前が見慣れないってぐらい。
彼女達も自分が在日であることを隠すわけではなかったけど、それで関係がどうなるってことでもないし、国の名前が会話に飛び交うこともなかった。
問題意識が足りない、と言われればそうなのかもしれない。
歴史問題を考えるいい機会だったのかもしれない。
バックボーンをきちんと理解することが礼儀だって思う人もいるのかもしれない。
でも、私達はそんなことを意識する以前に仲良くなっていて、その関係が密接であるために、国家という大きすぎる定義を取り上げる必要性を感じていなかったのも確かだ。
もちろんそれは日本人である私達がのんきに考えてあげなかっただけだ、ということなのかもしれないけれど、
別に在日の生徒がだんまりをしていたわけでもなく、自分や家族が受けた差別の経験などについては、人権問題のイベントなどできちんと意見する人ばかりだった。
そのさいでも、被差別者だからといって私達が態度を変えたこともないし、それが友人関係に影響を与えることはなかった。
それと同様、私達がただ友達で、青春時代をともに過ごす関係である上で、国家や歴史は特に持ち出すべき問題ではないと私達も、彼女達も考えていたんだと思う。
私達の中で、彼女達に日本人として申し訳ないとか思う子もいなかったし、あなたたち韓国人ってなんで歴史捏造するの?と思う子もいなかった。
私達は学生番号XXXXX1とXXXXX2で、仲がよくて、クラスメイト。
それでよかった。
これがいいことだったかはわからない。最後までいい先生、いい友達、で彼らとはいられたし、差別だとか思いつかないほどだった分、歴史問題について意識が薄くなってたかもしれないことは確かだ。
世の中にそんなに在日を嫌う人や、在日の中で日本を嫌う人がいるんだって考えもしなかった。
はっきり区別するものだということ自体に驚いた。
世の中の状況をネットなどで知って、私も国家についてすごく考えるようになる。
その反応する人に反応する人もいるし、
あの学校生活と反対に、国家というものが人間関係ですごく重視されているのがネット(特に不特定多数が出入りする)だと思った。
学校では校舎という狭い世界に閉じ込められていて、クラスや学年で個人個人がちゃんと識別できていたし、「あいつ1組だし」とか「あいつ三年だし」とかでちょっと冗談で偏見持ったこともあったかもしれないけれど、国家なんて大きすぎるものさしで人を考えることはなかったのに、不思議だと思った。
広すぎて、人が一人一人区別できなくなってくるし、クラスや学年でちゃんと整理されているわけでもない。むしろわざと匿名や不特定多数の出入りでわからなくなっているところもある。
そんな中で、ちゃんとはっきりとわかる「個」というものは、ネットを構築している言語だろう。
日本語のサイト、フランス語のサイト、フィンランド語のサイト、英語のサイト…。
日本語のサイトを見たとき、その人がどこにいてどんな人なのか、なんてわからないことも多いけれど、
日本語があるのだから、きっと「日本人」なんだろうと思うことができる。(例外ももちろんあるけど)
そこにいるのが誰かまったくわからない世界に飛び込めば孤独感で人が不安になるし、なんとか判別できる個性を見つけようとするだろう。
けれどネットは混沌としすぎていて、ちゃんと分けるとき重視してしまうのが「言語」、そして「国」ぐらいしかないのではないだろうか。
日本の土地に住み、日本の学校や職場に通っている間、頼るはずもない「自分も相手も日本人」という意識が、
こうした広大な世界に入るととても重視されていき、
結果的に「自分は日本人」という自覚が、どんどん大きくなっていく。
国家はこうしてネットの中で重要視されていくんじゃないだろうか。
私も今は「自分は日本人である」という意識、そして「○○人は好き・嫌い」だとか考える気持ちが芽生えている。
でもそれはあくまで、不特定多数が出入りし、そして個があいまいになった集団の世界にいるときだけだ。(あと、政治問題もこちらかな、と思う。人一人ではなく、国と国の問題だから。)
個人で向き合ったときそれは払拭すべきで、学校生活のおかげか私はそれが自然とできるようになっている。
人一人と向き合ったとき国家関係や歴史というものの影響がすっかり消えてなくなるというのはすごく不思議な現象で、当たり前のことのはずなのに、すごく平和に近いんじゃね?とか思えてしまったりするのは、私はまだまだ平和ボケしているからなんだろうか。
違うと良いな。
こういうひとはもうamazonで満足してもらってさ、それでいいじゃん。
本屋にいくことが楽しいのってさ、偶然の出会いみたいなものがあるからでさ。
勿論つまんねー本掴むこともあるけど、そりゃ自分に見る目がないだけで。
でも繰り返していけば目が肥えていく(気がする)じゃん?
そういうのって楽しいんだけどなー。わかんないのかな。
繋がりがわからない。
っていうか「人生に残された時間が有限だから無駄なことしたくありません」って人間がなぜ増田でこんな論争をしているのかがわからない。
増田でのこの議論もどきは効率的に書を選び読むことよりも有益なのだろうか。
どこにトラバ付けたらいいかわからなくなってるけど。
なんていうか、みんな若いんだなー。人生に残された時間は有限なんだぜ。例えば死ぬまでにあと10冊しか本を読めません、となったらもうちょっと真剣に本選ぶだろ?俺は偶然による衝動買いはしたくない。したい人もいるんだろうけど、経験上平積みされてる本の8割は糞本だからなー。
確かに、ただ偶然同じクラスだっただけで友達になった人よりも、
・ペーパーマンという、ネットの一部利用は無料の、ガンアクションゲームをやった。
・麻雀をやった。
こういったゲームをしていて、その日ごとに、『面白かった』がちがったりもする。
だから、変動するゲームの面白い、つまらないって
どうやって決まるのかな~~ と考えてみた。
○自分に勝つのか
○相手に勝つのか である。
→ハイスコア狙う。コンボを開発する。昨日では出来なかったことが出来るようになる。面白さ。
→相手に勝つという形で認められる。自分は強い!と思う。気持ち。面白さ。
突き詰めてまとめるなら、自己承認欲求のかたまりではないだろうか
自分の記録を自分で抜いて、俺ってすげーー おれって凄いヤツ!!だし、
相手に打ち勝つことで、俺ってすげーー 俺って凄いヤツ!! だろう。
だから、どうすれば勝った!!っていう気持ちを味わえるのか。勝つってなに?
なのであり、自分は、この3点のバランスではないか。と考えている。
技術=それを実行して、
運 =それらが、少しランダムな要素がある。
戦略ばかり高いのは、将棋や囲碁。頭でっかちなゲーム。思考あるのみ。
技術ばかり高いのは、テニスとか。体でっかちなゲーム。練習アルのみ。
運ばかり高いのは、ジャンケン。 運でっかちなゲーム。ただ、祈るだけ。
コドモと、大人で遊ぶなら、実行する技術の面で問題アリアリでつまらんだろうから、
ほとんど同じ水準で実行できる技術にすればいい。
戦略と、技術がガチガチの本格ゲームは、勝ち負けがはっきりしすぎるから
運(偶然)の要素をおおくいれれば、一般化する。