はてなキーワード: デフレとは
今のデフレスパイラルは、ただ単に安さだけを求める消費者にも責任があると思います。安さが悪という単純なものでは無いのは重々承知ですが、今のデフレは異常ですね……。この悪循環を絶つにはどのような方法があるのでしょうか?
この辺の具体的なプロセスについて触れている所って見かけないんだよなあ。
だってさ、求めた所で実現されるとは限らないでしょ普通は。売る側が「これはxxxx円!」と決めちゃえば買う側はどうしようもないでしょ。それに、値下げしろ値下げしろと誰もが不満たらたらなのにちっとも値下げされない物だって世の中には一杯あるよね。
政府は日本の物価が持続的に下落する「デフレ」に陥っていると認定する方向で最終調整に入った。7〜9月期の国内総生産(GDP)速報値で、国内の物価動向を示す内需デフレーターが51年ぶりの低水準にとどまったため。政府は 2001年3月から06年8月までの月例経済報告で、日本経済がデフレの状態にあるとの判断を示しており、3年ぶりに同じ判断を復活させる見通しだ。
早ければ20日に公表する11月の月例報告に盛り込む。7〜9月期の物価動向を示すGDPデフレーターは前年同期比0.2%上昇した。ただ国内需要デフレーターは2.6%下落し、1958年7〜9月期(3.9%減)以来の大幅な落ち込みとなった。
この報道を巡るネット右翼の変節がひどすぎる。簡単にまとめると以下のようになる。
出典:http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51527038.html
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出典:まとめブログのコメントとか http://anond.hatelabo.jp/20091117080919 とか
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インフレを懸念してばかりで、15年くらいデフレなのは間抜けすぎると思うのですが
この前もインフレ懸念と言ってました。
なにか理由があるんでしょうか
経済学者でその当たりを指摘している人もいないみたいですし
どうなっているのでしょうか
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51527038.html
麻生首相在任時に景気が悪化したと厳しく批判してるよ。
批判の対象は民主党なんだけどね。ネット右翼は自分が麻生元首相を批判していることがまるでわかってない。選挙に勝ったのは8月の末日だけど、鳩山首相が首相に就任したのは9月末で、麻生首相の景気対策の執行が一部止まったのもそのくらい。どこをどう解釈したら、民主党のせいになるのか全く理解できない。ネット右翼はデフレが進行したのが麻生首相在任時と言うことに気づいたら、民主党が足を引っ張ったからといいはるんだろうけど、借金までした追加的な経済対策がほとんど効果を持たなかったことにはかわりがない。
デフレの理由は、中国等の新興国からの安価な商品が輸入されるためです。
世界はフラット化しつつあり、物価もフラット化する方向になります。
国債を発行して内需を刺激する政策をしても、短期的にはデフレを脱却しても、
中長期にわたっては結局、この「フラット化」の波に飲み込まれるのです。
逆に、この相対的に高い物価の中で、国債を発行することは後々に物価がさがることを
考えると非常に重石になるのです。
その後、デフレが続いていることを考えると、
そのときに発行した国債が今となっては非常に重石になっているのです。
では、デフレを防ぐにはどうしたらよいか?
答えは簡単です。
「円安」にすることです。
うんにゃー、亀でも返答ありがとう。
で、あれは先読みのつもりだったんかい。
そうなるとますますよくわからなくなるんだよなー。
だってリフレ政策が今後すぐに実行に移されるなんてこと考えられないじゃない?
むしろ、財政再建・支出削減の動きを見ても、デフレが起る可能性のが高いと見られている。
なのに、何でリフレ成功後の心配から始めちゃうのさ?そこが全然わからない。
政治的に採用されるかどうかすら定かではないリフレ政策が成功した後のシナリオを
先読みで考え出す一方で、実現の可能性が高そうなデフレに関する分析が全く抜け落ちているっていうのは
これは何も言ってないに等しくて、マイルドインフレにしたいんだってだけなら、それならなにも「リフレ派」を自称する必要がない。
最近知った人は知らないんだろうけど、10年ほど前は「よいデフレ」とかいう人がいて、デフレはだめ、マイルドインフレがいいという認識すら共有されてなかったんだよ。マクロ経済学者のコンセンサスといってもいいような主張ですら議論の対象になってたから、あえてその当たり前の主張をする人を「リフレ派」と自称するようになっただけの事。有名な経済学者の名前をずらずらリフレ派とかインフレ目標賛成派のリストに入れられてたりもした。
あとインフレ目標も日銀引き受け財政出動も固定相場もやってる国はあるし昔日本でやったのもあるので現実にできないことを要求してるとはいえない。
さすがに「デフレで利上げ」を中立的というのは無理があるのでは?
レベルの高い批判というのがいったいどういう批判のことかわからん。
一切批判するなといってるように見える。
>じゃあ何故生産性が低いの?
主因は能力の低さなんじゃないか?
労働時間当たりで見れば何十年も前からアメリカとかに追いついてないわけで。
バブルのころは追い抜きそうになったから財布のひもをもっと緩めて贅沢すれば上げられないこともないだろうけど。デフレ不況続いてるから、より高級なものを作れないから売ってないというより買う奴がいないから作らないという面がありそうなので。
>>それなら日本も中国を宿主にすればいいはずなのでは?でもそんなノウハウないでしょ?
ないだろうね。
>>日本も新車販売台数とか家電や携帯の買い替えはどんどん減ってるにもかかわらず、いやむしろ減ってるからこそ経済低迷してるのでは?買い替えスピードが落ちたら成長できるのが本当ならこんなことにはならない。買い替えだってGDPにカウントされるんだから。
カウントとしては減ってるだろうね。
総レンタル制度的なものがないと、使い捨てでGDPを無理やり回すモデルしか構築できない。長持ちする事でGDPにカウントさせないとラットレースになってしまうと思ってる。長持ちインセンティブが働いていない。使い捨て推奨社会。使い捨てなきゃカウントできない制度で、企業も消費者も投資家も皆損してる。
じゃあ何で買い替えスピードが落ちているのか?断定はできないけど、高齢化とデフレと少子化なんだと思う。
新製品を作る事に社会的なリソースを作りすぎているから、分配できるわけがない。最新型携帯だって足りないのは当然。
それでもオンボロが貧しい人に届けばいいけど、オンボロは棄却してしまう。携帯なら笑い話だけど、住宅なら問題は深刻。
>>企業の儲けが多いほどいいなら、全産業独占市場にしたら成長するはずだが、そんなことがおきるなら社会主義は失敗しない。
独占も弊害があるからね。ただ競争しすぎて磨耗コストを増大させていると思う。淘汰のコストを負担するのはめぐりめぐって結局消費者自身。
>>日本も非正規化で平気労働時間は下がってるのに低迷してるわけでそれのせいばかりにはできないと思う。
高齢化少子化で投入する量が減って、陳腐化速度が変わらず減価償却賀額そのままじゃ低迷して当然じゃないか?
投資額を増やし、陳腐化速度遅らせなきゃ先進国は低迷し続けると思うよ。
それでも2%くらい成長していくだろうから、他国が成功していっていると思うかも知れないけど。
携帯とかじゃなくて、衣食住満たせていない家庭があること自体が異常。
労働時間も長すぎる。短時間働いて慎ましく生きる生き方を選択する自由がないのはおかしい。
>>バージョンアップしてる生活見て自分らは貧しいんだと思うんじゃないか。
これはその通りだね。
ただオンボロ品質でさえ物量が満ち足りていない人が多すぎる。
どちらにせよ、陳腐化をコントロールできなきゃ
GDPカウントは伸び悩む。そして先進国は伸び悩んで途上国は成長し続けている。
今の体制は資本を稼ぐ事に適しているんじゃなくて、技術を伸ばす事に
適しているんじゃないかと思う。
(もちろん、これはリフレにリスクが一切存在しないみたいな意味じゃないけど)
ニーチェによればルサンチマンの人とは「本来の『反動』、すなわち行動によって反応することが禁じられているので、単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつけるような徒輩」[1]である。
よって、ルサンチマンの人は非常に受け身的であり、無力な状態で、フラストレーションを起こしている。行動を禁じられて、その結果自身の無力を痛感している人なら誰でもルサンチマンに陥る。すなわち感情を表に出すことができなくなってしまうのである。
強者であればこの状態を克服できる。その場合、ルサンチマンの状態は(復讐心を克服するときと同様)一時的なものでしかない。反対に弱者はルサンチマンから逃れられない(復讐心が脅迫観念になったり、ある行為を後悔するあまり日々悶々として、気の休まるときがなくなってしまったりするのと同じ)。そして、フラストレーションの味方をして、なにもできないのを正当化し、価値の否定および反転を行う。自分を正当化しようとするこの願望こそ奴隷精神の最大の特徴である。
これを読んで、勝間和代とその信者にルサンチマンを見た池田信夫を考えると面白い。勝間和代は自己啓発の本を多数出しており、今回はデフレ退治へと行動している。自己啓発の本では人々に学習することを求め、デフレ退治では政治的に動くことを要求している。どちらも人々に行動することを要求しており、「単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつける徒輩」とはほど遠い。真っ逆さまと言って良いだろう。
対して池田信夫の出した『希望を捨てる勇気』は、その真意はともかく、多くの人に今のままで十分であり、何もするな、希望を持つなと誤解させるに十分な内容である。真意は超人であることを求めていると思われるが、実際にはルサンチマンの人により歓迎されるだろう。
ニーチェは、ルサンチマンの人の例として、キリスト教を奴隷の道徳と考えた。自分たちが善であると考えることで、世界を正当化して心の中だけで復讐して奴隷として生きるのだ。
池田信夫信者もまた自分たちの考えが論理的で真実であると考えることで、世界の正当化して他者の無知を心の中で嗤い復讐して奴隷として生きるのだ。まさに池田信夫とはルサンチマンの人によって支えられたアルファブロガーである。
にもかかわらず池田信夫は、自身ではなく勝間和代にルサンチマンを見い出す。これは精神分析でいう投射である。自分自身の特徴を相手に見い出すのだ。なぜなら自分自身の特徴こそは自分にとって最も気になることであり、相手を見るときもまずそこから徹底的に調べるからである。
投射を行う人間は、得てして合致する部分が見つかるとすぐに合点して推論を止めてしまう。精神ストレスに対する耐性がないと、自身を直視することを恐れ、自己の推論について検証することができないのだ。
説得力のない嘘でもひたすら言い続けると説得力が生まれるもの。人々はそんな馬鹿なことができる人がいると信じられないのだ。中庸を取ってどこかしら真実だと考えしまう。しかし嘘ですべてを固めてしまうという人は存在する。
精神ストレスに対する耐性が極端に低い人間は、堂々と嘘をつき続ける。本当のことを言ったり考えたりする苦痛に耐えられないからである。嘘を正当化するためにまた新しい嘘が必要になるからである。堂々した嘘には説得力があることを知っているからである。これは葛藤に直面しても現実を直視することができない人間の特徴である。
リフレ派は、日銀の金融緩和が不十分で、かつすぐに引き締めにはいろうとする姿勢を問題視しているんでしょ。実際、2006年の引き締めは時期尚早だって批判をしてたし。
あと、インフレターゲットによるインフレ抑制は他の国ではそれなりに機能しているでしょ。導入している国は結構多いと聞くしね。
ただ、リフレ派の主張の難点は実はここにあるんじゃないだろうか。
どういうことかと言うと、リフレ派の主張は、日銀というのは基本的に経済学の素養のない東大法学部出身者によって動かされていて、インフレ抑止を主眼とする伝統的な金融政策(日銀理論)に固執している。だから、効果もろくに出ないうちにすぐに引き締めに入るし、そのせいで日本経済はずっとデフレに悩まされてきたのだという。要するに、日銀が無能だという話。
他方で、ハイパーインフレを懸念する声に対しては、上で書いたように、インタゲを導入している他の国ではインフレ抑止に成功しているのだから、日銀がことさら無能でもない限り、そんなことは起こらないという。
ということは、もし世間の声(?)に押されて日銀がいま以上の金融緩和に踏み込んだとしても、中の人が無能なままだったら、インフレをコントロールできず、結果としてハイパーインフレになってしまうのではないだろうか。(もっとも、生産能力をもてあましている今の日本で、ハイパーインフレって言われてもピンとこないのも確かなんだけど)あるいは、バブルの時みたいに極端な引き締めを反動的にやって、えらいダメージを引き起こしてしまうかもしれない。
潜在成長率を上げる、つまりマクロ的に影響のあるレベルで生産性を向上させるって、タダではできないでしょ。
「不必要な規制の撤廃」に「洗練された金融システム」の確立。良いと思いますよ。自由な競争のもとで存分にビジネスできますね。
で、ビジネスに金を出してくれる人はいるんでしょうか、このデフレの中で。
それと、日銀自身も言うような「これ以上金融政策でできることは限られている」的な点。
超過準備に付利してゼロ金利を避け、長期国債を買いまくるわけでもない現状でそんなこと言われましてもね。
この15年デフレから脱却できず、今後3年もデフレ見通し、しまいにそんな無責任なことを言う執行部は辞めてもらった方が日本のため。
金融日記なんかが注目してるのは潜在成長率(=最大供給力=労働力×生産性)で、リフレ派が注目してるのが需給ギャップ(=供給-需要)。
この2つと現実の成長率の関係は「現実の成長率=潜在成長率-需給ギャップ」みたいな感じになってる。
ここで需給ギャップが正(供給>需要でデフレ)の場合、需要を増やして需給ギャップを0に近づければ失業者が減って現実の成長率も上がるけど、潜在成長率(最大供給力)を大きくしても、供給が増えた分だけ需給ギャップも一緒に大きくなるから、現実の成長率はあまり変化しないし、失業問題も解決できないことになる。
こうして考えると今の日本には、リフレ政策のほうが方向性としてあってると思う。
ちなみに需要>供給でインフレの時に潜在成長率を大きくすると、現実の成長率を下げずにインフレ抑制ができるので、インフレの時には潜在成長率が重要になると思う。
ざっと書いてみたけど変なところあるかな?
経済学にはとんと疎い素人だけど、最近はてな界隈で盛り上がっているリフレ論争はなかなか面白い。
難しいところはぜんぜん判らないし、いくつか論点があるような気がするけど、要するにお金がどうやったら廻るようなるのか、という話だよね。
リフレ派の人は、日銀が国債を買ったり、インフレターゲットを宣言することで、みんなに将来的にインフレになると予想させればお金が廻るようになると考える。インフレだと現金を持ってても価値が目減りしていくからね。構造改革の必要性を否定するものでは必ずしもないけど、いまはそのタイミングじゃない。リフレ派とされるエコノミストの言葉を借りれば、風邪を引いてるときにわざわざ体力つけるためにトレーニングをするのはイクナイ、みたいな感じだろうか。
他方で、反リフレ派の人によれば、いまの不況は日銀がお金を刷れば解決なんて単純な話ではなくて、日本の産業構造(たとえば解雇規制とか)にそもそもの元凶がある。だから、規制緩和によって企業が余剰労働力を放出しやすくして体力を回復させ、イノベーションの創出を通じて新しい需要を生み出すことが必要だと考える。日銀が通貨供給量を増やしても、どうせ銀行に貯まるだけの話でインフレにはならない。それでも無理に流通させようとすれば、国債が暴落したり、ハイパーインフレを生じさせる可能性がある。
ここからさらに憶測交じりのいい加減な話をしてみたい。
リフレ派的な視点からすると、2000年代前半のシバキアゲ型の景気回復は、輸出産業にはよかったかもしれない。けど、国内はずっとデフレ基調だったわけで、派遣労働者やバイトを増やすことで表面的には失業率を低く抑えていたかもしれないものの、平均所得はどんどん下がっていった。そりゃ、みんなお金使わなくなるよね。
ところが、それでも日本の国内市場の規模は実はかなり大きく、本当ならそれほど輸出に依存する必要はない。だから、とにかく国内市場の需要の回復が必要だという話になる。そのためにはみんなが気持ちよくお金を使うことが必要だから、気持ち的にもハッピーなほうがいい。解雇規制の緩和とか今やれば、雇用も促進されるかもしれないけど、むしろ正社員やそれに依存するパートタイマーの人たちなんかがみんな不安になって需要が一層冷え込んじゃうかも。要は、国民を「甘やかす」ことが大事だという話。バブルアゲイン、プリーズ。てか、バブルなんてはじけてみないとバブルだったかどうかなんてわからね~んだよ、みたいな。
ところがどっこい、反リフレ派からすれば、そんな甘いこと言ってんじゃないよという話になる。労働力の安価な途上国がどんどん伸びている以上、国内のデフレは不可避なのだ。比較優位なんて幻想。だから、生産性が低くて人口が減っていく日本には、国民を甘やかしている余裕はない。みんなで希望を捨てて、突然の解雇にもめげないメンタリティを獲得し、生活水準の低下も耐え忍びつつ、生産性を上げて衰退のペースをゆるやかなものにする以外にない。そのためには、非効率的な富の再分配とか論外だし、地方なんぞ切り捨てて効率のよい東京にみんなで住もうとかいう話にもなる。だから、反リフレ派の人の話を聞いていると、だんだんと暗い気持ちになる。
「国民に甘言ばかり弄するのはポピュリストで、たとえ嫌われても厳しい正論を告げるのが真の知識人」なんていう発想からすれば、反リフレ派の人はなかなかカッコいいような感じもする。
でも、超個人的な話をすれば、1歳のうちの子どもなんて「つねに希望をもって生きていきますように」という発想から名前をつけたわけだが、希望を捨てろとか言われたら、いったいどうすれば…orz
それは措くとしても、「個人の悪徳は公共の利益」とか、「合成の誤謬」なんて言葉もあるし、みんなが希望を捨てて、厳しい将来に備えちゃったら、それこそお先真っ暗じゃないかと思うんだけど、どうなんでしょうかね。果てしない縮小均衡が続いて、結局のところ、本当にみんなが貧乏になるんじゃないだろうか。社会学的に言えば「予言の自己成就」というやつだ。
あと、反リフレ派の人は「物が売れないのは、みんながもう物を持っているからだ」とか「若い人がブランドの服よりもユニクロを買うようになった」からイノベーションが必要だって言うけど、本当にそうなのかな。みんな本当はいろいろと買いたいと思ってるけど、懐が寂しいし、将来が不安だから、財布の紐を締めてるだけなんじゃないのかな。少なくともうちはブルーレイが欲しいし、新しいPCも欲しい。VAIO-Xとかいいよね。ディズニーランドももっと遊びに行けるといいんだけど、高いよね~。
それとも、そういう個人消費の話ではなくて、投資やマーケットの話になるとやっぱり変わってくるのだろうか。そこら辺、ぜんぜんわからないんだけども。
上の理解はたぶん間違いだらけなんだろうけど、どこが間違えてるのか教えてもらえると嬉しいなあ。